ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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スコール明け…
頭がぼーっとする…頭だけが熱気球となって飛んでいくような…真剣さが足りず…遂に具体的現実的に、お客様との連絡もつけつつ動き始めた茶会計画を緻密に組み立てる妄想にばかり心奪われて何をするにも上の空…絶望的な政局を尻目に…七月に入るや容赦ない猛暑で…スコッチのブレンドで濃いめのハイボールを自作…意味も無く一人で痛飲…Nスぺの介護殺人に耐えきれず…武満徹の「波の盆」を聴く…美しく…酔いが回る…深海から湧き上がる新鮮な金属の流れに喉が抉られるような…もう自宅でがんがん漆の実験…箆使いの練習も兼ねて…シャンプーの真珠光沢を漆で再現出来ないか夢想して混ぜてみると…オゲーっ、納豆みたいに糸を引き始めて焦げ茶色の得体のしれぬ、レバーの腐った練り物のようなものが…色漆の上に銅粉を撒けばそのまま赤銅色の金属光沢が出来るのだが、一歩進めて銅粉と漆を混ぜてみる…其れなりに銅の光沢した練り物に仕上がるが漆の地色のせいで発色がくすむ…そこで少量の朱の顔料を添加すればいい感じに赤銅漆が仕上がった…更なる腹案があるが今日はこの辺にとどめる…難しい本を読む気にもなれず…正岡子規の句集をつらつら…元禄の俳人たちが悩みに悩みぬいた「俳言」という問題を全く意識してないな、と思う…単なる勉強不足なのか時代のなせる断絶なのか…「熱さ哉」で何十句も続ける執念…それほど熱かったのか…良くも悪くも古典との葛藤が解消された、つるつるした現代俳句の始まり…小生も数吟…
生ゴミやブヨうつ前の雨光り
蚊をうてば臨済録に落ちにけり
蚊をうてば吾と同じ血手をうがつ
宙を舞う埃でさえも蚊に見える
生ゴミやブヨうつ前の雨光り
蚊をうてば臨済録に落ちにけり
蚊をうてば吾と同じ血手をうがつ
宙を舞う埃でさえも蚊に見える
ビラ
最早既定路線となった、此の国の全体主義化、国家主義、軍国主義化だというのに、この期に及んで、此の大きい流れを止める運動への奮起が失墜し…しかし奮起するとしたらもう次週の土日に何らかの決起を興すしかないだろう…脚が痛い…フランス、イタリア、イギリス、ドイツ、オランダ等のヨーロッパ各国におけるナショナリズムと排外主義、反EUの動きは移民流入と職を奪われる不安、テロの脅威もあって合理的な成り行きでもあり、ファシスト+トランプ=ファシストランプのアメリカも同様の論理…
民主党のクリントンの演説は断片的に聴く限りにおいてはどうも生温く…老いのためなのか腐ったマシュマロみたいな感じでキレが悪く、ふわふわと抽象的な美辞麗句を述べるにとどまり現実に対する切迫した論理が全く足りない…此れではトランプの、良くも悪くも具体的現実的な演説の方が一枚上手だろう…そしてもう此の国でもこのままだと国家主義的改憲勢力が参院で三分の二以上の議席を取るのは既定路線なので、侍して状況に甘んじるよりも、微力すぎるが、どこかで部屋でも借りて時局講演会でもしようか、あるいはユーチューブで演説しようか、あるいは街頭で自民党の憲法草案を否定するビラでも撒こうか、選挙は八月くらいだと勘違いしていたのもあってもう準備する時間はほとんど無いが…無茶苦茶孤立した小生ではあるが…と思ったが脚が痛くて今日は出来ない…いや、もう、上記のような誰でも分かる国際情勢分析などどうでもよい…移民流入とテロの脅威とは異なるが、同じく対外状況からの脅威として尖閣を抱える此の国にあっても、アメリカが自国優先主義に立ち戻って日米同盟を形骸化、無効化すれば(それはそれでアメリカにとっては合理的判断ではあるとしかいいようがない)、ナショナリズムの精神性が問われることなく其の実践形態として一挙に軍国体制に移行するだろう…そうなる前のあがきを来週出来るかどうかにかかっているが、脚が痛いので奮起せず…今出来る事は、全体主義が結晶化し、個人としての抵抗が徹底的に不可能となった場合での、個人としての身の振り方を決意してなけなしの尊厳を世に問う、己の命を以てして、くらいしかできないのでそのための理屈を考えておくことだ…国家主義体制が成立した場合、個人が何かしら抵抗のそぶりを示すと、国家はその個人を直接弾圧するだけでなく、その個人の周辺の家族や友人関係、職場関係から弾圧して来る、そういう連帯責任で以て個人を締め上げる手法を取るのは目に見えているので…そういう意味で、類が及ばぬよう、腹をくくって、身の振り方を考えておかねばならないのである。結局のところ軟弱リベラルが反論に窮して国家主義者の嘲笑の的となるのは…戦争する気満々の敵意溢れた外国が自国の領土領民を軍事力で攻撃して来た場合、此方が一方的に平和主義一辺倒で戦争反対を幾ら唱えても其れは相手の敵国を利するだけで私たちの生命財産は守れないではないかと云う理屈であって…他国と自国の関係性が他者性として己に屹立する此の問題…根本から反論しうる論理と態度を今のうちから構築しないと国家主義者にしてやられるばかり、過去の歴史は其の繰り返しである…国家間の理屈の衝突による防衛戦争勃発となった時に、相手の侵略戦争のみならず此方の防衛戦争までも否定する論理を、どちらか一方のナショナリズムの内部で構築出来るのか…元より戦争勃発は防衛を大義名分として勃発するのではあるが…結局、この問題への回答が無い限り、人権だの何だのと理性頼みで訴えても、憎悪と恐怖を原動力として掻き起すファシストや国家主義者には効き目が無く、ファシストや国家主義者が押し立てる、目先の恐怖の対処法としてのファシズム政策や国家主義政策を否定する事は出来ないだろう…小生のやるべき事は…付け焼刃的に馴れない政治運動に思い付きで後手後手に参加することではなく…移民問題による排外主義の是非はともかく…対外勢力への対抗を大義名分とした国家主義的統制を如何に問題化するか、此の理論を来週中にも打ち立てることではないのか、と思うに至った。欧米の排外主義状況(移民、テロ、労働不安…)にかこつけて、欧米の状況と日本の状況とは異なるのに、其の欧米の雰囲気を、日本の国家主義的傾向の増長に寄与させる世論操作だけは否定しなければならない…あらゆる理性が失墜し憎悪と恐怖だけが駆動力となった全体主義への歯止めに、こうした論理的説明がなりうるとは思えないそういった問題の性質も含めて…いや、やっぱり政治的行動に移すべきか悩んではいる…
民主党のクリントンの演説は断片的に聴く限りにおいてはどうも生温く…老いのためなのか腐ったマシュマロみたいな感じでキレが悪く、ふわふわと抽象的な美辞麗句を述べるにとどまり現実に対する切迫した論理が全く足りない…此れではトランプの、良くも悪くも具体的現実的な演説の方が一枚上手だろう…そしてもう此の国でもこのままだと国家主義的改憲勢力が参院で三分の二以上の議席を取るのは既定路線なので、侍して状況に甘んじるよりも、微力すぎるが、どこかで部屋でも借りて時局講演会でもしようか、あるいはユーチューブで演説しようか、あるいは街頭で自民党の憲法草案を否定するビラでも撒こうか、選挙は八月くらいだと勘違いしていたのもあってもう準備する時間はほとんど無いが…無茶苦茶孤立した小生ではあるが…と思ったが脚が痛くて今日は出来ない…いや、もう、上記のような誰でも分かる国際情勢分析などどうでもよい…移民流入とテロの脅威とは異なるが、同じく対外状況からの脅威として尖閣を抱える此の国にあっても、アメリカが自国優先主義に立ち戻って日米同盟を形骸化、無効化すれば(それはそれでアメリカにとっては合理的判断ではあるとしかいいようがない)、ナショナリズムの精神性が問われることなく其の実践形態として一挙に軍国体制に移行するだろう…そうなる前のあがきを来週出来るかどうかにかかっているが、脚が痛いので奮起せず…今出来る事は、全体主義が結晶化し、個人としての抵抗が徹底的に不可能となった場合での、個人としての身の振り方を決意してなけなしの尊厳を世に問う、己の命を以てして、くらいしかできないのでそのための理屈を考えておくことだ…国家主義体制が成立した場合、個人が何かしら抵抗のそぶりを示すと、国家はその個人を直接弾圧するだけでなく、その個人の周辺の家族や友人関係、職場関係から弾圧して来る、そういう連帯責任で以て個人を締め上げる手法を取るのは目に見えているので…そういう意味で、類が及ばぬよう、腹をくくって、身の振り方を考えておかねばならないのである。結局のところ軟弱リベラルが反論に窮して国家主義者の嘲笑の的となるのは…戦争する気満々の敵意溢れた外国が自国の領土領民を軍事力で攻撃して来た場合、此方が一方的に平和主義一辺倒で戦争反対を幾ら唱えても其れは相手の敵国を利するだけで私たちの生命財産は守れないではないかと云う理屈であって…他国と自国の関係性が他者性として己に屹立する此の問題…根本から反論しうる論理と態度を今のうちから構築しないと国家主義者にしてやられるばかり、過去の歴史は其の繰り返しである…国家間の理屈の衝突による防衛戦争勃発となった時に、相手の侵略戦争のみならず此方の防衛戦争までも否定する論理を、どちらか一方のナショナリズムの内部で構築出来るのか…元より戦争勃発は防衛を大義名分として勃発するのではあるが…結局、この問題への回答が無い限り、人権だの何だのと理性頼みで訴えても、憎悪と恐怖を原動力として掻き起すファシストや国家主義者には効き目が無く、ファシストや国家主義者が押し立てる、目先の恐怖の対処法としてのファシズム政策や国家主義政策を否定する事は出来ないだろう…小生のやるべき事は…付け焼刃的に馴れない政治運動に思い付きで後手後手に参加することではなく…移民問題による排外主義の是非はともかく…対外勢力への対抗を大義名分とした国家主義的統制を如何に問題化するか、此の理論を来週中にも打ち立てることではないのか、と思うに至った。欧米の排外主義状況(移民、テロ、労働不安…)にかこつけて、欧米の状況と日本の状況とは異なるのに、其の欧米の雰囲気を、日本の国家主義的傾向の増長に寄与させる世論操作だけは否定しなければならない…あらゆる理性が失墜し憎悪と恐怖だけが駆動力となった全体主義への歯止めに、こうした論理的説明がなりうるとは思えないそういった問題の性質も含めて…いや、やっぱり政治的行動に移すべきか悩んではいる…
補足
階上のマイルドヤンキーのゲス声にはほとほと嫌気が射してくるが…二つ隣に引っ越して来た5人家族の、丸坊主で後頭部に肉の段が深く刻まれ、中肉中背でシャツの内圧がぎゅうぎゅうのししおきが如何にもイカツイ感じの親父と、親父と相似形の息子(眉毛無し)の、親父の方は気分が乗ると艶めいた浪曲を唸る日曜日の昼下がり…残念ながらいい加減暑苦しすぎる、大家御手製の真紅の紫陽花は土壌のpHをどっちに傾ければ涼しげな薄紫色になるのか悩む…土にこっそり酢でも加えるべきか、…疼くように待ち焦がれた粗大ゴミの日を目前にして日々、己の持ち物に批判の目を厳しうするのも今日が最後…あえて憎悪を増幅させるために部屋の隅に邪魔なように溜め込んでいた粗大ゴミ候補たちとも、今日でお別れ…すっきり感もひとしお…見たくなくても目に入るようにあえてしている粗大ゴミ候補によって長期間ストレスに晒され…それらの日々さえも無駄に粗大ゴミに塗り込められてしまったような後悔と怨念が最高潮になったが其れも今日で終わりを迎えた…激動の土日を終えて…疲労困憊…手短に…補足を記す…明日からまた一週間が始まる…
人間の尊厳を否定する者の尊厳は否定すべきである…言論の自由を否定する者の言論の自由は否定すべきである。
自民党の憲法改正草案の、表現の自由の条項に加えられた「公益及び公の秩序を害する」ものは制限されるとの文言…此の条文ではなく、その外に添えられた、素人じみた「解説」「説明」では…此の表現の自由の条項のせいで破防法が適用されずオウム真理教の捜査が出来なかったために、斯様な文言を加えると云う正当性を主張しているが…そもそも大量殺人を計画している集団を、「表現の自由」のために捜査、逮捕出来ないと云う事があろうか…子供でも分かる、何の根拠にも成らない出まかせである…殺人(未遂)犯が、殺人行為は自己表現であると主張すれば、現行法では無罪となるのか…そんな事あるはずがない…オウムの事件は単に捜査当局の能力不足が原因であり、憲法は何の関わりも無い。恥知らずの牽強付会も此処まで来ると開いた口が塞がらない…
更には、「公益及び公の秩序」と云う文言で以て表現の自由が政権の恣意で以て弾圧されると云うなら、現行憲法の「公共の福祉」と云う文言を以てしても表現の自由は弾圧されるではないか、しかし実際にはそうはなっていないのだから、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えて何の問題があろうか、そもそも「公共の福祉」と云う概念は分かりにくいので、此れをもっと分かり易く「公益及び公の秩序」と言い換えたほうが分かり易くて具体的で良いではないか、と云うのが自民党側の主張なのだが…此れも、法律とか憲法というものに知悉しているとは到底思えない、素人丸出しのその場凌ぎの低級なゴマカシに過ぎない…「公共の福祉」と、「公益及び公の秩序」、言葉が違う以上、意味が同じである訳が無いではないか…まず、ベクトル(目線)が違うだろう…前者は下から上(あるいは横から横、即ち庶民による「権力」調整)、しかし後者は上から下(「権力者」による庶民支配)である…意味がまるで違うではないか…しかも、現行憲法の表現の自由条項において元から公共の福祉で以て制限される文言があって、此れを公益及び公の秩序に言い換えるならまだしも、そもそも現行憲法ではそうした制限の但し書きが無いにも関わらず、新しく「公益及び公の秩序」による制限を加えているのであるから、此れは現状の表現の自由の状況に対して、明らかに「制限」を加える意図があるのは明らかなのである。従って書き加えても現状となんら変わらないという自民党側の「解説」「説明」は虚偽でしかない。
そもそも、これらは現在の自民党がその場しのぎに思い付いただけの「解説」であり「補足説明」に過ぎないのであって、仮に此の草案が成立しても、憲法としての法的拘束力は皆無である。法的に有効なのは飽く迄も「条文」なのであって、「条文の草案」の「外」に加えられた「解説」ではない。今現在の自民党がいくら、「斯様な制限を加えても現状の表現の自由状況と何ら変わりはしないのですよ」と舌先三寸で主張しようが、其れが保障される根拠は全く無いのである。そもそも憲法の条文さえも時の政権で解釈を変えて運用するのだから、そうした政党が主張する此の「解説」を信用できるはずがない。
そして、この「公益及び公の秩序」と云う「条文」の文言は、幾らでも、時の政権によって「解釈が可能」な多義性をはらんだ危険な、そして政権側にとっては都合の良い文言であり、即ち時の政権によって幾らでも悪用して、表現の自由を殲滅できる条文なのである。そうした憲法草案を公開しているのが政権与党の自民党なのである。従って、自民党は民主主義の根幹を否定する民主主義の敵である。絶対に参院選で三分の二以上の議席を取らせてはならない。
人間の尊厳を否定する者の尊厳は否定すべきである…言論の自由を否定する者の言論の自由は否定すべきである。
自民党の憲法改正草案の、表現の自由の条項に加えられた「公益及び公の秩序を害する」ものは制限されるとの文言…此の条文ではなく、その外に添えられた、素人じみた「解説」「説明」では…此の表現の自由の条項のせいで破防法が適用されずオウム真理教の捜査が出来なかったために、斯様な文言を加えると云う正当性を主張しているが…そもそも大量殺人を計画している集団を、「表現の自由」のために捜査、逮捕出来ないと云う事があろうか…子供でも分かる、何の根拠にも成らない出まかせである…殺人(未遂)犯が、殺人行為は自己表現であると主張すれば、現行法では無罪となるのか…そんな事あるはずがない…オウムの事件は単に捜査当局の能力不足が原因であり、憲法は何の関わりも無い。恥知らずの牽強付会も此処まで来ると開いた口が塞がらない…
更には、「公益及び公の秩序」と云う文言で以て表現の自由が政権の恣意で以て弾圧されると云うなら、現行憲法の「公共の福祉」と云う文言を以てしても表現の自由は弾圧されるではないか、しかし実際にはそうはなっていないのだから、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えて何の問題があろうか、そもそも「公共の福祉」と云う概念は分かりにくいので、此れをもっと分かり易く「公益及び公の秩序」と言い換えたほうが分かり易くて具体的で良いではないか、と云うのが自民党側の主張なのだが…此れも、法律とか憲法というものに知悉しているとは到底思えない、素人丸出しのその場凌ぎの低級なゴマカシに過ぎない…「公共の福祉」と、「公益及び公の秩序」、言葉が違う以上、意味が同じである訳が無いではないか…まず、ベクトル(目線)が違うだろう…前者は下から上(あるいは横から横、即ち庶民による「権力」調整)、しかし後者は上から下(「権力者」による庶民支配)である…意味がまるで違うではないか…しかも、現行憲法の表現の自由条項において元から公共の福祉で以て制限される文言があって、此れを公益及び公の秩序に言い換えるならまだしも、そもそも現行憲法ではそうした制限の但し書きが無いにも関わらず、新しく「公益及び公の秩序」による制限を加えているのであるから、此れは現状の表現の自由の状況に対して、明らかに「制限」を加える意図があるのは明らかなのである。従って書き加えても現状となんら変わらないという自民党側の「解説」「説明」は虚偽でしかない。
そもそも、これらは現在の自民党がその場しのぎに思い付いただけの「解説」であり「補足説明」に過ぎないのであって、仮に此の草案が成立しても、憲法としての法的拘束力は皆無である。法的に有効なのは飽く迄も「条文」なのであって、「条文の草案」の「外」に加えられた「解説」ではない。今現在の自民党がいくら、「斯様な制限を加えても現状の表現の自由状況と何ら変わりはしないのですよ」と舌先三寸で主張しようが、其れが保障される根拠は全く無いのである。そもそも憲法の条文さえも時の政権で解釈を変えて運用するのだから、そうした政党が主張する此の「解説」を信用できるはずがない。
そして、この「公益及び公の秩序」と云う「条文」の文言は、幾らでも、時の政権によって「解釈が可能」な多義性をはらんだ危険な、そして政権側にとっては都合の良い文言であり、即ち時の政権によって幾らでも悪用して、表現の自由を殲滅できる条文なのである。そうした憲法草案を公開しているのが政権与党の自民党なのである。従って、自民党は民主主義の根幹を否定する民主主義の敵である。絶対に参院選で三分の二以上の議席を取らせてはならない。
言論の自由を否定する言論の自由は唯一否定すべきである
最早此処での文章は小生の個人的な、慣用表現の練習にしか過ぎないが…固湿りした蒲団に仰向けになって日がな一日団扇を使うと重く湿った室内を吸う肺に水が溜まるような胸苦しさで頭痛さえ催す寝過ぎ…頗る元気は低迷し…まめな大家さんが育てる紫陽花は例年通り真っ赤で食欲を無くす…ヘイトスピーチで特定の民族を殺せ殺せと連呼するゲスの輩の言い分は、己が其の主張の根底で否定している民主主義の原則そのものに依存している、と云う論理破綻を呈しており…にもかかわらず彼らは民主主義の原則である言論の自由を根拠にして、己の主張の存在の正当性を確保しようとする…何重にもゲスの輩であり…特定の民族なり立場なりの人間を殊更に殺せ殺せと連呼する事は文字通りそれらの人人の尊厳並びに言論の自由を否定するものであり…そのように、言説の中身が「言論の自由の否定」を含む以上、そうした言説の存在が、「言論の自由」の名の下に肯定される根拠は全く存在しない…自ら否定している根拠を根拠にして正当化する論法は論理的観点からして誤謬であり、そもそも言論の自由を否定している人間の言論の自由は、社会的道義的観点からしても保証する必要はない…したがってヘイトスピーチをやるための言論の自由は存在しないし、禁止すべき代物である…京都や大阪、川崎あたりで繰り出されるヘイトスピーチデモに対して、市民が自らの意志に立脚して反ヘイトスピーチに立ち上がって遂にヘイトデモを中止に追い込んだ行為は、近年稀に見る民主主義的希望であって大いに称賛されるべきことである…メディアがこぞって此れを称賛すべきであるくらい、本当に凄い事なのだが一部メディアでしか詳細は報告されず…地味に無かった事にされつつある現象は…民衆が自らの意志を以て立ち上がる行為を好ましく思わない国家あるいは資本権力に率先しておもねる隷従的自粛、自発的な情報統制によるものであったら…またしても絶望が塗り込められるが…それでも、共生を呼び掛ける市民たちの自立した決起は、希望の曙光ではあろう…
参院選に入るや否や自民党は…己の極悪憲法改正法案論議については腹黒にもだんまりを決め込んで、一に経済二に経済三四が無くて五に経済とばかりにほぼ経済だけで争点を捲し立て…議席3分の2を確保出来た暁には「国民からの支持は得られた」として、速攻で憲法改悪するのは目に見えていると云う見え透いた戦術だと云うのに…それでも騙される国民が居るのか…最早…いっそのこと…こんな糞みたいな、奴隷根性が抜けない、情報と云う飼葉で満足して思考停止するのがかっこいいと思っている、国民主権ならぬ国家主権の国家主義者が大勢を占めるのであれば…尖閣と、トランプによる日米同盟破綻によって現実味を帯びて来た米中露との核戦争によって七千万人くらいの日本国内の国家主義者が死に絶えた後に、奇跡的に生き残った国民主権論者らによる真の民主主義国家の樹立、という…馬鹿げた妄想が唯一の希望なのか、と思い詰める…それこそ、そうした切迫状況になれば真っ先に国家主義者によって殺されるのは国民主権論者なのは明白なのだが…家康が天下泰平のため関ヶ原、大坂の陣で武士を減らした戦略にならった御破算的戦略的妄想…最近の日米が国際会議で足並みそろえて中国の海洋戦略を非難するのに業を煮やしてアメリカ大統領選と云う権力の空白にも付け込む形で中国海軍の軍艦が尖閣の接続領域に侵入するという…明らかに軍事的緊張のフェーズを一段階上げて来た深刻な事態をよそに…世をにぎわすのは舛添のちんけな公金着服、有象無象の不倫…内政、外交、共に切迫した事態だというのに此の有様からすると…舛添のニュースは最早、国民みんなが安心して楽しめるネタ、として、「馬鹿どもにはちょうどいいめくらまし」(「天空の城ラピュタ」のムスカ)である…乳首おじさんには度胆を抜かれる…
「公益及び公の秩序を害する」と云う概念で以て表現の自由を制限する自民党の憲法改正草案は、それこそ時の権力の「解釈」次第で、「公益および公の秩序を害する」と云う決めつけが幾らでも可能ゆえに幾らでも表現の自由を弾圧できる、明明白白なる民主主義の根本的否定である。従って、そうした草案を公表する公党を支持してはならないし、支持すれば己を奴隷に貶める行為である。奴隷に奴隷だとののしっても奴隷のまま意志が目覚める事はないのかもしれないが…言論とは、表現とは…畢竟、奴隷を奴隷ならざる存在に止揚する不可能事を成し遂げる唯一の行為である。表現の自由を制限すべき付帯事項としては、それこそまさに、表現の自由を制限し封殺する事を目的とした表現および実力行為こそ、制限すべきなのである。
参院選に入るや否や自民党は…己の極悪憲法改正法案論議については腹黒にもだんまりを決め込んで、一に経済二に経済三四が無くて五に経済とばかりにほぼ経済だけで争点を捲し立て…議席3分の2を確保出来た暁には「国民からの支持は得られた」として、速攻で憲法改悪するのは目に見えていると云う見え透いた戦術だと云うのに…それでも騙される国民が居るのか…最早…いっそのこと…こんな糞みたいな、奴隷根性が抜けない、情報と云う飼葉で満足して思考停止するのがかっこいいと思っている、国民主権ならぬ国家主権の国家主義者が大勢を占めるのであれば…尖閣と、トランプによる日米同盟破綻によって現実味を帯びて来た米中露との核戦争によって七千万人くらいの日本国内の国家主義者が死に絶えた後に、奇跡的に生き残った国民主権論者らによる真の民主主義国家の樹立、という…馬鹿げた妄想が唯一の希望なのか、と思い詰める…それこそ、そうした切迫状況になれば真っ先に国家主義者によって殺されるのは国民主権論者なのは明白なのだが…家康が天下泰平のため関ヶ原、大坂の陣で武士を減らした戦略にならった御破算的戦略的妄想…最近の日米が国際会議で足並みそろえて中国の海洋戦略を非難するのに業を煮やしてアメリカ大統領選と云う権力の空白にも付け込む形で中国海軍の軍艦が尖閣の接続領域に侵入するという…明らかに軍事的緊張のフェーズを一段階上げて来た深刻な事態をよそに…世をにぎわすのは舛添のちんけな公金着服、有象無象の不倫…内政、外交、共に切迫した事態だというのに此の有様からすると…舛添のニュースは最早、国民みんなが安心して楽しめるネタ、として、「馬鹿どもにはちょうどいいめくらまし」(「天空の城ラピュタ」のムスカ)である…乳首おじさんには度胆を抜かれる…
「公益及び公の秩序を害する」と云う概念で以て表現の自由を制限する自民党の憲法改正草案は、それこそ時の権力の「解釈」次第で、「公益および公の秩序を害する」と云う決めつけが幾らでも可能ゆえに幾らでも表現の自由を弾圧できる、明明白白なる民主主義の根本的否定である。従って、そうした草案を公表する公党を支持してはならないし、支持すれば己を奴隷に貶める行為である。奴隷に奴隷だとののしっても奴隷のまま意志が目覚める事はないのかもしれないが…言論とは、表現とは…畢竟、奴隷を奴隷ならざる存在に止揚する不可能事を成し遂げる唯一の行為である。表現の自由を制限すべき付帯事項としては、それこそまさに、表現の自由を制限し封殺する事を目的とした表現および実力行為こそ、制限すべきなのである。
梅雨待ちの小雨…
民衆の、政治的被虐趣味が嵩じた、理性や良識の縛りに対する人目を憚る欲望…一種の御破算への欲望に連なる暗い「心理」は、衆参同日選挙が何とはなしに立ち消えになった今となっても萎みはしないどころか、捌け口を失って今や充満運動へと昂進している雰囲気がひしひしと伝わる…目先の捌け口が拍子抜けした今、次なる捌け口としてごく僅かでも、御破算=全体主義に向かうのに都合のよい政治的亀裂が見出せたなら一挙に付け込んで事を成就する全体主義エネルギーの充満が…心穏やかならぬのは斯様な政治状況もありつつ…物事がキビキビと運ばない不如意が断ち切れずに続く不快感もあって…テレビを付ければ…最早当たり前の光景となって天気予報くらいに在って当然の日常への溶け込みが完了した感もあり…所、たけし、爆問が揃い踏みで日本礼讃番組をレギュラー化…いったいいつから此の国は自画自賛を恥じぬ国になったのか(民主党政権時の、中国による尖閣工作の活発化と大震災&原発事故以降なのは分かっている)、その裏で中国の珍映像を嬉しげにあさってはあら探しして嘲笑する自己満足に余念がなくて総じて貧相で惨めな卑屈が露わなのが分からないのか…日本の技術、日本のおもてなしとやらを外国人に誉めさせる、しかも、大抵の場合、日本語が堪能な金髪碧眼の白色人種に日本語で誉めさせる、と云う用意周到な自作自演のえげつなさ…民族的な卑屈の露顕とも思われかねない、斯様な昨今の常套にも、いつしか慣れて行くのだろうか…日本茶などと恥ずかしげも無く吹聴しているが茶はどうあっても中国~朝鮮伝来のもので、茶の歴史、文化、技術の多様性や奥深さは到底大陸には及ばないと云うのに厚顔無恥=無知も甚だしい…NHKクローズアップ現代がクロ現プラスに様変わりし、悪い意味ではないがしなびたナスビのような、長年勤めたアナウンサーを替えて、当世きっての綺羅星の如き主力級の女子アナたちをかわるがわる投入させながらも、番組の取材内容は劣化、上っ面だけの御粗末な代物が最近目立つ…霞が関がチンコロ垂れる政治ニュースや諸犯罪のニュース以外でのテレビ番組のほとんどの結論は家族って大事、家族の絆は大事、の一色にいつの間にやら塗り込められており…ニュースの合い間に流される地方のちょっとしたほのぼのエピソードの結論や、震災、災害系、朝ドラの全話全シーン、民放のドラマ、注目を浴びたスポーツ選手のコメントの結論の全ては、家族は大事、家族の絆、家族への恩返し、で締め括られており…其の事例をいちいち挙げたらきりが無いが、主題は家族ではなくても実に巧妙に話の隙間に家族の絆を擦り込んで説得力とまとまりが補強されているのが、少し意識すればいちいち目に付いて、此れが目に付くようになるともう此の国でテレビは見られない…シリア難民のニュースさえも、問題の本質を棚上げして、巧妙に家族の絆にすりかえられている事がままあるのは、制作者側に罪悪感無く偽善的であるゆえに事の本質としては深刻に最悪である。気が狂いそうになる…家族は大事のそれ自体は正面から否定しようも無いが、正面から否定しようもない一つの言説ばかりをこれでもかと捲くし立てており、異常に偏った思想統制でしかない…確かに、家族が大事、と云う感想や結論は、生きておればごく自然に導き出されるものかもしれないし、其れが思想であるならばそうでないかもしれないが…其の背後や中には当然ながら、家族を国家の出先機関と見なす国家の影が見え隠れしておるし…そして、家族の絆一色が事あるごとにありとあらゆる機会を逃さずさりげなく、あるいは大きな声で喧伝される一方で、此の国の、家族間殺人、暴力事件の、世界でも指折りの多さと言ったら…親が子を殺し、子が親を殺し、妻が夫を殺し、夫が妻を殺し、兄弟で殺し合い、家族ではないが近所で殺し合い、介護疲れは別にしても、戦国時代もかくありやと思われるほど、常軌を逸した陰惨が、此の国の実相ではないのか。事あるごとに家族の絆と吹聴すればするほど、誰もが納得を強要される大義名分美辞麗句で人間を追い込めば追い込むほど、真綿で首を締めるようなソフトな口ぶりで統制を強めれば強めるほど、其の裏で、表立って大局としての制度への抵抗と改革の道が切り開けない無辜の民は、政治的被虐趣味を内にこじらせて、家族間殺人事件が横行する陰惨な背景が根深くなるだろう…徳川統制化での仇花であった近松の心中物と仕組みは近い…そして今や、一億総中流が過去のものとなり、アメリカからセレブと呼ばれるショウビズ界出身の階級が上層に持ち上げられて持て囃されるのも違和感が形になる暇も無く一般的になり、正規、非正規雇用の断絶と差別も世の趨勢として諦められて久しい昨今…都市部で嬉しげに林立する高層マンションでは住む階層が価格を媒介にしてそのまま身分的階級に転化した階級社会が成立しつつあると聴くし、女子高生どもがクラス内での己の階級を開き直った明るさで公言する無邪気はまだよいが、そこはかとなく蔓延する、身分制を社会が承認した雰囲気に無反省に便乗した正社員が非正規社員を、家畜か奴隷のような扱いで仕事内容と関係なく口汚く罵倒したりして憂さを晴らし、その事で非正規社員の人間が、人間としての尊厳を守れと反論すれば嫌なら出て行けと安易な排除の論理を持ち出されて罷り通る始末…こうした排除の論理の誤用においてはっきりさせないといけないのは…この場合当然ながら善がその場に居る権利を有し悪はその場に居る権利を剥奪されるもので、人間の尊厳を蔑にする悪の方が排除されなければならないのである。まずその事を己の肝でしっかり意識した上で、実際上の戦略を練らないといけない(ただし、此れは目の粗い一般論に過ぎず…実際の職場には度し難い程無能な人間も存在するので、其の罵詈雑言が「正しい」描写である可能性も否定できない…)…もっと万遍無き民衆レベルでもそこはかとなく職業差別のようなものが公然たるものとして人の口の端に上るようになり薄気味悪く…惨めな国であると痛感する。現実という名の大義名分やスマートという名の美辞麗句に誤魔化された封建的隷従への諦めが主体性無く貧相に蔓延する…下の者が下の者どうしで足を引っ張り合う虐待の坩堝、虐待の国…そんなわけでテレビを閉じ、細君が実家に帰った隙を見計らって…数年前に人からもらった、ほぼ気が抜けたシャンパンの白を不味くきこしめながら…孤独のグルメのDVDを楽しむ…原作者は大いに飲める口のようであるが、主人公の井之頭五郎が下戸であるという設定は英断である…最近は女性タレントが朝まで梯子酒的な番組や、女芸人が際限なく飲み歩く企画が、少し下火になりつつ存在するが…大食い番組と同じくいずれも自堕落な印象は否めず、変な言い方になるが、酒の肴になる飲み方ではない…飲み放題好きなだけ飲んでいる映像を見てもそそられないし、興が湧かないから其の映像を見て飲む気など到底湧き上がらない訳である…池波正太郎などの時代劇の剣客が湯豆腐を相手に静かに飲むのは雅趣があるが…ある種の制約の中で醸し出される節操があるからこそ孤独のグルメは成功しており…其の制約とは畢竟五郎自身の節度ある生活信条もさることながら、酒が飲めないという箍でもあり、此れは、作品としては心憎い布石である…仮に五郎が大いに食事と酒を際限なく楽しんでいるとすれば、其の映像は、視聴者にとっては酒の肴にはなりえないだろう…きりっと引き締まった抑制、其の内心での食欲への緻密な探求があるからこそのおかしみ…いや、しかし、きれいなジャイアンことジョンウン氏の声は誰もが納得の、実にワルげな濁声で…此のだみ声でブルースなど歌わせたら案外ものになりそうな…クーデターや政変などで死にかけたら、ブルースシンガーとしての再起を期待したい。日体大が中心となって軍隊行進の整然性や其の巧技を競技化した「集団行動」なるものが持て囃される此の国日本にあっては北朝鮮のマスゲームを嗤う立場にはないばかりか、敷衍すれば北朝鮮の実情と変わらない線に乗っかる此の国日本…清原とか桑田とか、…元プロ野球選手と云うよりも、48歳の高校球児(PL)にしか見えない。
蚊にかまれ叩き殺せばつがいの蚊
蚊にかまれ叩き殺せばつがいの蚊
五月雨の終わり、梅雨入りまでの…時局
それにつけても自民党の、政治的雰囲気を醸成する手際の、小憎らしいほどのウマさよ…消費税云々の駆け引きが表面上は喫緊の課題のように目立っており…それすらも其れ自体は否定できないと云う手駒の妙なのだが…結局彼らの最終目的は権力の維持と絶対化であって…国家=資本主義政体の確立による全体主義化、基本的人権の否定、資本上層部と国家権力上層部の結託による甘い蜜私腹肥やしであり、其の第一段階としての衆参同日選挙の実施と、其の御破算的相乗効果による衆参両院での3分の2以上の議席獲得、そして憲法改悪による人権条項の無効化である…まず一発、観測気球と称して昵懇のマスメディアに衆参同日選挙の可能性を垂れ流す…政権側の其の大目的は上記の通りなのだが…そうした撒き餌に喰いつく日本民衆の本質は…何かにつけてびくびく怯えるしか能がない、一身独立出来ない貧相体質にしていつでも何かしらへの不安にさいなまれ続けているので…衆参同日選挙、と聞いたならば、其の実質内容を思慮よく精査する知性は期待できず、むしろ、全てを一旦ゼロベースにチャラにしてやり直す、と云う形式を餌のように与えられたことになり…不安でしようがない民衆は不安を終わる事なき現実として生き続ける胆力も欠けた浮つき模様なのだから、潜在的な最悪事態を常に想定させて無限に増大させる不安を生き続ける現状よりも、潜在的な最悪事態をいっそのこと現実化させて不安の持続を打ち切りたい願望にさいなまれるようになるのである…此れはかつて安部公房が云っていた「御破算の思想」とでも云うべきもので…毎日毎日御用メディアが「衆参同日」の可能性を示唆し続ければ、其の是非を理性的に問う重要性は頓挫され、兎にも角にも衆参同日選挙の実現と云う一種の形式的な「御破算」を熱望するようになるのである…此の、「理性」が破産した「心理」と同伴するようにして…現政権と其の結託メディアが基本的人権蹂躙を声高にあの手この手で云い続ける既成事実に抗するのに疲労を覚えさせ、民衆の理性が根負けするどさくさを期待する政権の思惑も効果的でありつつ…一方で大多数派の、理性への後ろめたさをどこかでうっすら抱えながら内的外的抑圧の巧みさに負けて理性を立脚、維持出来ない自分にその都度対面させられるうちに理性を逆恨みするようにもなった倒錯的民衆としては、そうした倒錯による不安が続くくらいならいっそのこと理性が決定的に破産した全体主義国家になったほうがましだとばかりにやけくそで理性弾圧に乗り出した即席の美意識とこき混ぜた国家主義に身を投ずるようになる、そうした行き先なのである…こうした雰囲気をじりじり愚民に醸成させておいて…、自民党は、今度は、理性への未練すらも断ち切れない愚民にはもってこいの浅薄なる大義名分作りに乗り出すからまたウマいとしか云いようがない…サミットで、徒に己の論旨に都合の良いデータを持参して、世界経済の危機を煽ってサミットでのお墨付きを獲得する事で増税延期の下地作りに余念がないという…サミットでの議論までも国内の党利党略に利用しようとする厚かましさ、形振り構わなさはある意味凄い…まねできない…各国首脳の辟易苦笑を惹起させただけの恥さらしに終わったのは情けないが…其れに挫けず、選挙前に消費増税延期をちらつかせたのは…増税反対で一致していた野党の出鼻をくじく政治的実際的戦略で、増税延期の主導権を野党から奪還し世論の支持を独り占めしようとする巧みさもさることながら…思わしくない経済指標が示唆する増税強硬による経済失速と議席減少、権力減少への不安が先立ったのだろうが…自分が云いだした増税決行を、従前より発表していた増税延期の大義名分即ち震災級リーマン級の事象も無いのに、自分の都合で覆すと云う、理性をかなぐり捨てた自作自演の茶番に過ぎないのを、舌の根も乾かぬうちに、増税するといっておきながらやっぱり増税したくなくなったからこの浮き足立った、理性的ではない気弱な自分勝手が許されるべきか否か国民に信を問いたいなどと胸を張って立派な大義名分にすり替える真顔の厚顔無恥…そして、こうした浅はかな大義名分にも矢も盾もたまらず肯定的に飛びつくように、愚民の御破算渇望エネルギーは潜在的に予め溢れんばかりに熟成させているのである…全く、周到狡猾としか云いようがない政治的手腕…増税を土壇場で延期してしまう怖気づいた自分をさらした演技をしてまで、其れを大義名分に仕立て直すしたたかさよ…一番深刻な財政規律を犠牲にしてまでの、見上げた権力欲、衆参同日選挙による国家主義体制の確立への意志は誠に凄まじい…オバマ氏の広島訪問は…確かに彼の、人間の誠に訴える演説は雄弁で真摯、感動に値するものであったが…任期終わりで政治的実際的効果は期待できないにしても人の好い彼の精一杯の誠意であることは伝わるにしても…その先、アメリカがファシスト化する蓋然性が日増しに高まる現在においてはアメリカの、リベラル的良心最期のあだ花という意味しかなく…むしろ絶望の闇を際立たせる、一筋の黄昏の残光であって…国際的にも絶望の度は深まるばかりの未曾有である…衣替えしたばかりの身にはいささか寒く感じる雨…幾らなんでも薄すぎるスライスベーコンを小分けパックまるごと分をフライパンで焼く怒り…紙漉きの動作で俎板を洗う…人工知能だのSNSだのスマホだのラインだのを幾ら嬉しげにいじくっても、原発の放射性廃棄物の無害化や廃炉は出来ないだろう…多少の助けにはなるのだろうが…結局は生身の人間が体と頭を使って、人間ならざる「自然」と対峙した生臭い泥臭い経験を積み重ねないと駄目で、既成の情報をモニター上で組み合わせるだけで何にも新しくないばかりかクリエイティヴ気取りも甚だしく不必要に人間を駆り立てるそつの無い金儲けを嬉しげに競うITに浮かれるよりも、本当に必要とされるこうした昔ながらの工学技術にこそ価値がある。
片膝立てて…団扇初め
胡坐での執筆が膝の内角を0度近くまで閉める事で膝回りの、老朽化、運動不足によって硬化した精妙なる腱を伸ばしきって痛めるが、さりとて注文した椅子は未だ来たらず故に奇しくも桃山風に、片膝立てての執筆開始…(正座というのは封建徳川以降…桃山までは胡坐や片膝立ての肖像が多いだろう)野球中継を微弱音量で垂れ流しつつ昔のへうげものを徒然に読む、よく晴れた日曜日の午後の一時ののんびり…月曜日からの俗事再開に備える…新緑も落ち着いて濃緑の影から小鳥のさえずり…衆に恃んで事を煽るを潔しとしない数寄者の清然なる心意気が邪魔をして、目下悪化の一途を辿る政治状況を看過する不徳に甘んじているのか…分かってはおっても目先の閑散とした風情に心ほだされて…窮地に没入する一歩が放てぬ…鬱屈した惨めが鬱積すればそれもまた暴発への可能性を徒に高める好機なれど、問題はその場限りの惨めを薄く浅くやり過ごしてしまう忘却への老獪であって…プロ野球へ没入する大人の生理を今は己が物として会得している始末…ままならぬ政治状況、経済状況による抑圧に対する鬱屈や惨めを己の心として蓄積させ続ける事自体が齎すキツさに耐え兼ねて…それこそ目先の、打った投げた入った入らない勝った負けたでその場限りに人心を賑やかすプロ野球の、体制への不満のはけ口装置としての怠惰な成熟にのめり込めば、抑圧体制に対する己の無力と云う惨めな現実をひとときでも忘れさせ、誤魔化してくれる盲目の欺瞞であるのは百も承知であっても…今ではもう、野球が休みである月曜日は何か物足りないような気持にさえなる一種の中毒症状までも日常化しており…故あって火曜日にナイターを球場にて観戦…風吹いて夕暮れ泥む球場の、よく手入れされた芝生を眼下にビールをしこたま飲む羽目になるが其れでも決して拭えなかった汚辱は…試合開始前にアナウンスがかかり、起立、脱帽の上国歌斉唱を強制された事…なぜ民間のエンターテイメントまでも国家斉唱を強要するのか…言わずもがな、先述したように国家と野球の結託を前提としている故と云うのは知悉しているにしても…無邪気に観戦を楽しみに来た小生に国家の現実と云う冷や水を浴びせかける惨めであって…結局付和雷同、されど起立はしたが、脱帽はせず、と云う無害な抗いでその場と己の貧弱な矜持とのバランスを取る惨めが後追いで追い重なって来るのであった…何故国民が国家=国歌を謳う(歌う)のか、国家=国歌こそが国民を謳う(歌う)べきではないのか、それが出来ないのであれば国民が国家=国歌を謳うという、国民主権を本末転倒して国家主権を肯定する奴隷根性はやめろ、などと、刹那、なけなしの政治的怒りが込み上げて来ても、全体主義体制の中ではあらゆる理性や常識の価値が暴落するゆえの政治的正論の無力が行き着く空しさばかりが先行する…新井は阪神戦になると敬愛するアニキに遠慮、委縮するから仕事しないのか…今日は松山に替えて正解だった猛打賞…中崎に替わる、ストッパーとしての可能性が芽生えてきた今村にも要注目…と、こんな事も云えるようになって来た…それにつけても今となっては既成リベラルへの収斂を果たしてしまって先鋭性が削がれたシールズの…腐れヒップホップ調のコール&レスポンスによる雑なアジテーションは…へうげものの言を借りれば…「全国の数奇大名を敵に回した」と云っても過言ではないのであろう…無論既成権力と潜在的に結託したマスコミがそのことを見込んであの醜態を全国に流したのであろうし、今は小異を捨てて大同につくべき肝要な時であるとは重々承知しているつもりでも…今、此の国における数奇者勢力はいかほどか不明であるが…衆に恃んで事を煽るを潔しとしない数奇者の清然なる心意気はともすれば政治的には多数派争いに終始する民主主義になじまぬ貴族主義的孤立による無力を託つ弊害は否めないが…最早今更構想している暇はない手遅れなのだろうが…なんとか政治活動において風雅は発現出来ぬものなのか、と云う切なる希求であって…既成のデモや集会、演説会などの、雅趣や面白味、数奇心を髣髴とさせない活動は、たとえ政治的重要事であっても、まず萎える…奮起出来ぬ…ならば自分が新規にそれをやるべきなのだろうが…上手く思いつかない…帝政ロシア末期の革命演劇や寺山修二らの街頭演劇、フランスの5月革命期での諸思想、諸芸術によるアンガジュマンやシチュアシオニズム(状況主義)、伊勢踊り、ええじゃないか、大正末期のアナ系前衛芸術家による街頭活動から60年代赤瀬川やゼロ次元などの前衛パフォーマンスや儀式屋、そして2000年代の会田誠やチンポムに至る系譜など先人の事例を参考に思い浮かべど…小生であってみれば政治と美意識とが懸濁した政治的実効としての現代版数奇の指標である「荒み」の世を問う事にはなると意志を新たにしつつ…ヤクルトの傘応援による東京音頭は雅趣あふるるし(隠れヤクルトファン…)、最近ではNHKライフでウッチャンが創出した「梅雨入り小僧」と云うコントでの唄と踊りは、コントを超えて、近年稀に見る創意あふるる風雅として、小生の魂が射抜かれ申した…往年のタモリのニセ義太夫芸に匹敵する…いずれにせよ茶室を出て街に出なければ…その一方で来るべき茶事の構想ばかりが昂進する呆けた始末…暑さに耐え兼ね、「梅雨入り小僧」に負けじと、今宵、団扇初め…奈良は池田含香堂「天の原ふりさけみれば春日なる」三笠の山にいでし月かも…上の句の文字だけ切り抜き、後は鹿と山と月をさっくり配した創意の奈良団扇の逸品…NHKクラシックはバレエ特集…男たちのぷりぷりした白タイツの尻を見飽きる…
能における「乱舞」は、「らっぷ」と読むらしい…山上宗二記にそう書いてあった。
能における「乱舞」は、「らっぷ」と読むらしい…山上宗二記にそう書いてあった。
ふりかけ…
精選ふりかけ「よし」…興福寺と三島食品が共同開発した完全オリジナルの精選ふりかけ!!…●名称/ふりかけ ●原材料/ごま、でん粉、砂糖、食塩、しょうが、ほうれん草フレーク、しょうゆ、にんじんフレーク、かぼちゃフレーク、とうもろこしフレーク、キヌア、乾燥マッシュポテト、にんじん粉末、米ぬか、デキストリン、かぼちゃ粉末、抹茶、食用植物油脂、ドロマイト、還元水飴、食物繊維、昆布エキス、じゃがいも、グリーンピースペースト、酵母エキス、植物性たん白、たん白加水分解物、香辛料、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、クエン酸鉄ナトリウム、トウガラシ色素、カロチン色素、酸化防止剤(V.C,V.E)、クチナシ色素、(原材料の一部として、小麦、大豆を含む) ●内容量/35g ●賞味期限/欄外下部に記載 ●保存方法/直射日光、高温多湿を避けてください。
盛夏の祇園祭よりは、初夏の葵祭のほうが風情があって…政治的憤懣の昂進はともあれ…目覚ましい季節の到来…自ずと茶会への相違に傾倒しつつ…思いつくままへうげものの旧刊をつまみ読むといちいち面白く、創意を触発されてメモが手放せない…木屑を接着剤で固めて表層を木目調のプリントで誤魔化した安手の素材のCDラックが経年の荷重に負けて湾曲し始めたのが気にかかっていたので、元元茶碗を見せ収納していた、チーク材の屈強な棚と交換作業…それに伴う周辺作業もあって疲労困憊の週末…頭が痛いがいい感じに仕上がった。
盛夏の祇園祭よりは、初夏の葵祭のほうが風情があって…政治的憤懣の昂進はともあれ…目覚ましい季節の到来…自ずと茶会への相違に傾倒しつつ…思いつくままへうげものの旧刊をつまみ読むといちいち面白く、創意を触発されてメモが手放せない…木屑を接着剤で固めて表層を木目調のプリントで誤魔化した安手の素材のCDラックが経年の荷重に負けて湾曲し始めたのが気にかかっていたので、元元茶碗を見せ収納していた、チーク材の屈強な棚と交換作業…それに伴う周辺作業もあって疲労困憊の週末…頭が痛いがいい感じに仕上がった。
いまだに、歌の別れ…
薄く冷めたほうじ茶をすすりつつ…一向に本腰が入らないのは至ってままならぬ家具状況ゆえもあって…顛末を思い出すだに胸糞悪い消化不良感がこみ上げてくるし…座卓に胡坐でパソコン入力と云うスタイルが腰や膝を通年的に痛めて来たのが既述のように無視できぬほど顕在化したのもあって椅子を発注したが椅子が来るまで八月まで待たされる堪え難い状況…従って椅子が来るまで本腰を入れて執筆は出来ないと云う、やり場のない怒り…椅子が来て本腰を入れて書けるようになった頃には此の国は純正全体主義国家に成り果てている忸怩たる思いに自家中毒…相変わらずトランプによるファシスト現象が、「過激発言」「暴言」と云った形容で矮小化される事で、事の本質であるファシスト現象を隠蔽しつつファシスト現象を現実化させる事に寄与している体たらく…年末にはアメリカがファシスト化する事も必定、トランプの、反民主主義、反人権的ファシスト性向からすれば、リベラルなEUやNATO諸国などよりも、国家資本主義的独裁制を決め込むロシア、中国との親和性が高いのだから、アメリカ、ロシア、中国と云う「悪の枢軸」が容易に成立するだろう…少なくともこうした想定は政治的にはナンセンスではない事を意識しなければならない…過去のドイツや日本のように、資源も経済力も無い国がファシスト化、全体主義化しても、外部の軍事力で壊滅できようが…軍事、資源、経済、技術いずれも最強の此の枢軸が成立したらば誰も手を付けられないであろう…人類史上、世界史上、最悪の状況である。現時点でも既にトランプは日本に対して、軍事的にも経済的にも日本を敵国想定して帝国主義的要求を公言してはばからないと云うのに、此の日本国内の、どことなくトランプ大統領を待ち望む雰囲気は一体何なのか…トランプのファシスト性向が、日本の潜在的全体主義的国家主義的性向と親和性が高い事を嗅ぎ付けるがゆえの、「日本国内でのトランプ待望論」なのだろうが…其れが現実となった暁には日本が最も苦境に立たされ、侮辱的従属的要求の下に置かれるのを理解しての事なのか…他方で、米軍撤退による国防の主権回復は保守、リベラル関係なく主権国家としては筋の通った話ではあるにしても…金払わなければ素直に撤退してくれるならよいが、今度は米軍の撤退費用まで嵩増しして日本にボッタクリ要求してくる可能性もある…もっと云えば、米中結託が成立すれば在日米軍はそれこそ事実上の占領軍として機能し日本国内の枢要に匕首を突き付けることになるだろう…沖縄、岩国、そして横須賀…ままならぬ歴史的経緯とは云え他国の軍隊を国内に安住させてきたツケが此処に来て災厄の火種となろう…米中結託が成立すれば尖閣、為替レートその他諸々の領土的経済的要求で日本を目の敵にして食いものにしてくる懸念も、絵空事ではない…この程度の事は防衛、外交当局はとっくに検討開始しているだろうが…いずれにしても対外状況の困難はすかさず国内の統制強化にはね返って、強権的な全体主義的国家主義の成立を正当化する悪夢こそ正夢…既に自民党は、公開している憲法改正草案において、9条はともかく、民主主義の根幹である21条の表現の自由を徹底的に蹂躙しており、緊急事態条項追加と称して、戦争や災害などの緊急事態においては内閣は国会に諮ることなく法律を成立させることができるとしており、ナチスの全権委任法や戦前日本の国家総動員法への窓口を開こうと躍起である…「今、国家に命を捧げる生き方が、私たち世代の気分です」と云ったキャッチコピーがananやnonnoなどの女性ファッション誌の表紙を飾る日もそう遠くはない。ナチュラルめかしたカーキ色や迷彩柄が最近流行しているのも軍国主義の前兆なのか。
こんなにもフラジャイルなものを守るためには人間はあまりに無神経で、鈍感で、根源的不安に耐えられないほど根本的に弱すぎて、始終びくびく怯えているから己の命運を外部に委ねて安心したいのだろう…。だから、「国家」や「社会」や「生命」と云った、己の外部の理屈に己の命を委ねてやまないのだろう…「歌の別れ」(中野重治)の時はとっくに来ているにもかかわらず、大島弓子の他愛ない、しかしだからこそ美しい反体制漫画「ローズティーセレモニー」の主軸を為すポール・エリュアールの詩に目頭を熱くしている場合ではないと決然しても、己の持ち前の繊細さは業としか云いようがなく…
ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹木の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を
読まれた 全ての頁の上に
書かれてない 全ての頁の上に
石 血 紙あるいは灰の上に
ぼくは書く おまえの名を
金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を
夜々の奇蹟の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を
夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに泛ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を
戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは書く おまえの名を
そしてただ一つの語の力をかりて
ぼくはもう一度 人生をはじめる
ぼくは生まれた
おまえを知るために
おまえを名づけるために
自由(リベルテ)と
『エリュアール詩集』(思潮社)
安東次男 訳
こんなにもフラジャイルなものを守るためには人間はあまりに無神経で、鈍感で、根源的不安に耐えられないほど根本的に弱すぎて、始終びくびく怯えているから己の命運を外部に委ねて安心したいのだろう…。だから、「国家」や「社会」や「生命」と云った、己の外部の理屈に己の命を委ねてやまないのだろう…「歌の別れ」(中野重治)の時はとっくに来ているにもかかわらず、大島弓子の他愛ない、しかしだからこそ美しい反体制漫画「ローズティーセレモニー」の主軸を為すポール・エリュアールの詩に目頭を熱くしている場合ではないと決然しても、己の持ち前の繊細さは業としか云いようがなく…
ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹木の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を
読まれた 全ての頁の上に
書かれてない 全ての頁の上に
石 血 紙あるいは灰の上に
ぼくは書く おまえの名を
金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を
夜々の奇蹟の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を
夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに泛ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を
戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは書く おまえの名を
そしてただ一つの語の力をかりて
ぼくはもう一度 人生をはじめる
ぼくは生まれた
おまえを知るために
おまえを名づけるために
自由(リベルテ)と
『エリュアール詩集』(思潮社)
安東次男 訳