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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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stand up against myselfなれど…

近所の愛玩系馬鹿犬の無駄吠えがキャンキャンキャンキャン朝から晩まで断続的に止まず、一旦気にし出すとコメカミにボルト打ち込まれる具合にガンガン疼痛に苦しむ…以前、堪忍袋の緒が切れてその発生源の家に怒鳴り込んだ事があったが改善は見られず…しかし、先日偶然、その家の家人とばったり遭遇した折、家人から再度軽めの謝罪があった後、その後の経過を聞かれたが、不意を突かれて先手を打って直接言われると怒りがぽしゃって、結局人がいいのか間抜けなのか咄嗟に「最近はいい感じです」などと答えてしまい、…今頃になって、「まったく改善されてませんよ」とガツンと言ってやるべきだったと後悔するが…改善と云っても生来愚昧な飼い犬だから人のいう事など聞くはずもなく、無駄吠え認知症犬に限ってよその飼い手がつくとは思えぬ、なれば保健所のガス室送りが、アドルフから言われるまでもなく「最終的解決」なのだろう…そこまで今の飼い主が断行するとも思えず、解決にはこちらかあちらが逃散するしかない絶望の淵が居丈高に聳える。要は金か。金がない下層民だから苦しみが続くのか。

今日はもう、まとまりのある理屈の伽藍を捏ね上げるつもりはない…メモランダムの断章を刻むことにする。いい加減記憶から解放されたがっている無数の言葉が頭蓋に充満して熱運動著しく赤熱、寝つけない午前四時…目蓋閉じれども目蓋の裏の闇のかなたに焦点を結んで寝ながらにして瞳孔開きっぱなし、意識がシャットダウンしない…仕方ないから枕頭の盆燈籠を点灯して読書…ちなみに盆燈籠にはスイッチが無いから、直接コンセントに差し込まなければならないが、暗闇の中であの二つの細長い穴に差し込むのは結構難儀だった…そういえば、新約でも旧約でも「つぶやく」ことを何かと非難していたのを思い出した。かといって聖書世界では、神に向かって直接物申す事が許されているのではないのだが…当世ではツイッターが流行である。

戸川純/ゲルニカ ⇒ 椎名林檎/東京事変 …擬古主義の系譜

秋晴れの三連休、細君が家を飛び出し上方へ旅に出た…鬼の居ぬ間の何とやらで、蘭学関係の文献や明王朝末期の白話物語集などを腕が千切れるほどしこたま買い込む…安売り全集本のばら売りだから値段あたりの重量推して測るべし。日差しは残暑だが涼しさを増した風が吹き続けて気持ちいいのでつらつら、安穏と、将棋や競馬を無音で見ながら執筆している…独酌の余韻を楽しむべくアニメと韓国ドラマと日本のドラマとハリウッドしかないレンタル屋でDVDを借りる…先々週と先週、テレビの金曜ロードショーで視聴したので内容は熟知しているので漫然と呑みながら肴にできるとタカをくくって…エヴァの最新の劇場版「破」と「Q」を。ついでに、これも過去にアニメ、漫画ともに見たことあるが「AKIRA」も。

「破」と「Q」のエンディングテーマソングが宇多田ヒカルだった…宇多田ヒカルの歌は何かしら「業」を背負っているから聴きごたえがある…エヴァの「セカイ」観とも合っているのだろう、下らない事を云ったが…兎も角その点で、JUJUだとか小柳何某などとは雲泥の差で一線を画する。SEKAI NO OWARIってか、もうほんと死ぬほど下らない、ディズニーランドに監禁された閉所恐怖で狂い死ねってか。ふざけんな。井上日昭と血盟団が現在もご存命ならば政財界の要人ではなくエグザイルを標的にするだろう。自民党がゆるキャラや萌えキャラをわさわさ駆使しながらまるで何でもない事のように事態の重要度を誤魔化すべく軽く宥めすかすような、あるいは献血キャンペーンでの萌えキャラ登用のようなボランティア-な感覚の甘言で「あなたの人権、わたしにくださいっ!」「もう、人権なんて要らないよねっ!」的なセリフで萌えキャラ攻勢を仕掛け、人民も、むしろそれがいい事なんだ、国家の云う事にいちいち目くじら立てて反対するなんてなんかかっこ悪い、子供じゃないんだから、と思い込んで宥和される悪夢が正夢になる悪夢。(萌え専門じゃないのでうまいキャッチコピーを思いつかなかった)

物語を読み解く=現在を読み解く

小生如きがエヴァについて云ってもせいぜい巷間で論評されるレベルを超える事は出来そうにないので無駄とは思いつつ、キャラがそれぞれの思想を体現しているのはドストエフ数奇ーのカラマーゾフの兄弟を想起させたので整理がてらやっておく。いくらつまらん事だと思っていても、吐き出さない事には小生が睡眠障害起こすから。専ら自分のためです。書いて、きれいさっぱり忘れるため。

エヴァ「Q」について

定義:内面性=外界、環境、状況との差異ないしは齟齬による思案の横溢
   社会性=①内的動機を外的動機に合わせる努力~②内的動機と外的動機との総合的一致、の範囲における種々の仕草

メガネっ娘の新キャラ→社会性②。生まれながらにして内面性ゼロ。傍観者的斜に構えつつ、それは内面的自我を防御する姿勢ではない。専ら社会性の範囲内で世事俗事を面白いか面白くないかで消費するタイプ。その、面白いか面白くないかの判断にも内面性ゼロ。恐らく、2010年以降の現代社会が最も提唱し、採用したがる人材タイプ。(このタイプ以外はばっさり切り捨てる殺伐とした荒野=2010年代以降)

アスカ→内面性の嵐に苛まれた過去を、いろいろあって克服し、今は社会性①のレベル。新キャラと協力して任務遂行することで社会性の向上をアピール。

シンジ→いまだに内面性の嵐の渦中。「Q」にあっては、「遅れてきた(迷える)90年代」その差異と齟齬によって物語の主体的駆動力となる。そうした状況を抱えながら、内面性と社会性との間を揺らぐ。

カヲル君→内面性を全肯定してくれる、社会性における特異点=希望。

綾波レイ→内面も社会性も無い、順応も反抗も去勢された、虚ろな器へと回帰したが、わずかに、接触不良による僥倖のように、内面性への回路が芽生えつつある。

物語の委細に踏み込むつもりもないが…「この世界には生きる意味も価値も何もない、一瞬の幸せはあるかもしれぬが基本ただ苦しいだけ、それでも、僕たちは生きていく」みたいな、今時の小学生以上を含めてもう世界中の人間が分かり切った、凡庸な物語をいったいどれだけ飽きもせず繰り返すのだろうか。

希望とは常に自身の手によって殺される。

舌を噛み千切りたくなるほど茶会したいが客の絶無には如何ともし難く…己の創意に走らず、素直に道具の滋味を味わうだけの寛いだ雰囲気の茶会を欲す…ままならぬので毎日、麦茶を絶やさないようにしている麦茶人に徹する。

昼寝が終わった馬鹿犬がやおら吠え始める…寝るか、吠えるかしかないのか、忌忌しい事この上ない。

結局ここまで与太話を長引かせたのも、記憶にないからであった…そして、もう、とうに終わってしまったこと、わざわざ振り返る必要などそもそも欲していない、その現場の一瞬にしか意義の無いライブなのであるから。破壊された残骸を、記憶の墓標に。書いていて何のやる気も出ない…

岩国ロックカントリー 2014年8月30日
「stand up against myself」

the polarizers→演奏技術はともかく、その音楽の業はまだまだ学園祭レベルであった。さらなる精進を乞う。業を背負う切迫感など結果として消尽してもよいが一度は通過する必要があるのかもしれない。生温かった。

Surf Vortex→非常に体幹のしっかりしたロック。速過ぎてゆっくりに見え、聴こえるくらい。湖上の白鳥の羽ばたきが優雅に見えるように。よいロック。

ジゲンオルガン→以前詳述した事もあるのでここで繰り返す事はない。これまでのロックの歴史をたとえるならば、半導体でいえば相対的に負の電荷が足りない局所の、「不在の流れ」とでもいうべき正孔型の電流に近いということを、小生は「王道なきロック史」と名付けここに展開しているが…つまり、ロック黎明期の音源を素直に聴いて演奏すれば自ずとそうなるであろうロックの「王道」=ガレージパンク~ハードロックの道筋、がある時点から「不在」となり、その不在がロックの系譜をなしているという現状分析を「王道なきロック史」といっており…そうした現状にあって彼らは、素直に、自由電子の流れを電流となす、「ロックの王道=凡庸」を地で行っている…屈託なく、地に足のつかぬ…これは先述の現状からすれば稀有である。しかしだからと言って体幹鍛えて間違いのない音を、その練度への自負と共に放出するのではなく、およそ定評ある芸がいつまでたっても板につかない不安定さを安定的に出している、という、奇怪を「へたうま」的表現へと開き直って収斂させない処に「筋」の通った美意識ないしは先鋭的尖りが聞こえはする、その匙加減は妙境を呈している。その筋とは畢竟、過去の音源を誠実に聴き続けた結果培われた率直であろう。いくら重低音を大音量で出そうとも音の本質が軽いのは上記に起因する音楽性としかいいようがない。なぜ軽いのか。その理由としてGS云々と影響関係をあげつらってもそうした御託はロックの本然とは関係ないとあえて一蹴しておく。
以下に挙げる2バンド(LIE-DOWN、めがほんず)は、音の内面的重さを爆音によって吹っ飛ばして軽くする力技(=核分裂)であるが、ジゲンオルガンはもともと内面性の薄い、軽い音を、爆音にすることで地上付近に留まるくらいの重さに調整しようとする力技(=核融合)である。核分裂と核融合、どちらが技術的に難しいかはよく知られているだろう。ただし、小生の耳がバカになったのか、今回は単純に少々怨霊が音量が足りなかった気がする。よいロック。

註:音の内面的重さ、あるいは軽さとは何か。詳述すればきりがないが、ここでは、人間を支配する習慣的な考え方の持続性即ち強制性が強固=重い、刹那的=軽いという意味でもよい。これは、信仰と自我と呪術といった概念でないと説明できないが、ただライブを聴いただけでそんな概念を援用するのは烏滸がましいとは思っている。

LIE-DOWN→記憶中枢が断線するほど爆音過ぎて本当に記憶に残っていない。だから本当は何も言えないのであるが、とにかく、荒んでいて、よいロック。客は客でそれぞれのやり方で聴いているのになにか客の態度を統制しようとする煽りがあって、嫌だった。座ってると怒られそうだったので、怒られると反撃するのが面倒なので致し方なく立って聴いたが、むしろそれへの自己嫌悪で、惨めな感情は残った。そうした煽りにも怯えずに泰然としていられるよう精進したいものだ。

めがほんず→爆音過ぎて本当に記憶に残っていない。だから本当は何も言えないのであるが、とにかく、荒んでいて、よいロック。

くだくだ書き殴ったが、一度吹き飛んだ記憶の残滓から、静かな部屋で純粋培養させた言葉の屑にさして意味があるとは思っていない。否、違う、記憶に残っていたのを一瞬で忘れた、のでさえなく、もともと記憶にさえも残っていないのである。だから、上述全て、捏造のそしりは免れないかもしれない。「よいロック」などという、ばかげた符丁を添付しているが、もう本当に、気持ちいいとか、昂揚した、とか、殺意を増した、とか、一切の傍観的感想が高速演奏とはち切れた絶叫とドスを利かせて突き上げてくる荒れたビートと音圧の殺伐によって吹っ飛んでしまっているのだから、どうしろというのか。小賢しくそれぞれの音楽性を分析するなど馬鹿馬鹿しいと思っている。今さら本物のロックに「至誠」の二字を冠する必要もあるまい。しかし、最後の2つのバンドは、低音のうなりとうねりが基本的には落ち着くというか、心地よかった。あと、最後の二つのバンドでは、第一次世界大戦の塹壕戦で精神を病んだ人の、常軌を逸した人間の動きの記録映像というのをすこぶる再現していた。みな、それぞれ、違う、それぞれに、よい、としか、云えない。記憶に残らない、ということが、要らぬ言説を寄せ付けぬ条件であるから、ロックのあるべき姿だと思う。そういう意味では、オープニングのバンド以外の4バンドはいずれも至宝である。我々聴衆こそはこうした至宝のバンドを贔屓しなければならぬのであり、聴衆が日々の生活の中で試される出番である。この度岩国ロックカントリーに聴きに来た方々の一人一人の命は、エグザイルを聴く千人ぶんの命よりも価値がある、一騎当千だと信じたい。生温い希望的観測なれど…。

来週はおでん作るぞ。

メイトーのかぼちゃプリンは絶品。

冷蔵庫の中で木綿豆腐一丁腐っていた。一緒に封入された水にとろみがつき、豆腐表面が糸を引く。捨てた。

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