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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「nuggets vol.4/original artyfacts from the first psychedelic era(1965-1968)r2 75466」



先週は投げやりで終始したが此度とてその轍を踏まぬとは限らぬ急進的な切迫がないとは限らぬ、どこか浮ついて集中が真っ白に妨げられる散漫な神経に苛まれるのは白紙を前にして何事か書かねばならぬ純朴な、指摘するだに反吐が出る幼稚なのだと言わずもがなをわざわざ剥き出しにする無恥の露呈に、今更ながら、もう、止めたくなる。思えばせんだっての失敗への思いが尾を引いているのも一因かと、しかし一因の数数を拾い集めて一箇所に整列させたからとてこの煩悶が解消されるなどありやせず、そう思うだにまた一因が、つまりは先ほどからの梅雨終わりの名残り雨のしたたりのように、蒸し暑く、不快な鈍重を増し加えるのだろう…依頼された文章を仕上げようとしたがその時には何故だか分からぬままうまく筆が運ばず、数行程度の依頼にも拘らず3時間ぐらい、内的には言葉の汗牛充棟で汗だらだらしながら画面を凝視し続けてもどこか腑に落ちぬ始末なのであった…静止した雲の濃淡の、ちょうど薄い処に日差しが当てはまると目が開くように外気が明るくなって小生の部屋も明るみを増すのだが閑話休題、そのもやもやした得心の至らなさの原因が何となく掴めた時には後の祭りで印刷会社に入稿されてしまい、どうにもならず、完成版の見取り図の如きものの添付ファイルを確認すると、依頼人の意図もあって程よく改変されてはいたがそれはよいとして、恐れていた事が現実にはなっていた…得心できなかった原因というのは、書かれる文を書いている人間の立場が曖昧だ、という事で、個人的な思いに起因する秘密保持もあるので事情はばっさり割愛して説明すると、

①その文が、作品の作者自身が書いたものなのか、
②その作品の展示会の主催者なり後援者(美術館の学芸員のような立場)が作品のよさをアピールするために書いたものなのか、
③主催者ないしは後援者から依頼されたどこぞの批評家が書いたものなのか、
④そうした事情とは何の関係もない小生自身の気持ちを書いたものなのか、

④は論外なので途中で没としたものの、それでも小生自身は①~③のどの立場でもない被依頼者なので要は①~③のどの立場に小生が成り替わって書くべきなのか、書く前に熟慮すべきだったし、欲言えば依頼された時にそこんところにピンと来て咄嗟にその疑問点を明確にすべきだったのである。しかしそれが遅きに失したがためにかの見取り図では、一体どの立場の人間の言葉なのか、非常に曖昧になって、恐らくそれを読む人には理解し難い、場合によっては不遜な印象も与えかねない感じになっていたのであった。パンフレットに、その文章を渡した後から追記された顔写真の構成からいえば、①が要求されているらしいが、小生は②の気持ちで書いているため殆どは②の文章となっているちぐはぐが気に障るし、ところどころ①と、③、④が垣間見える。①は依頼者が補筆したものである。そしてこれは今回固有の事情だが、作品の作者=依頼者でもなければ、依頼者=主催者でもなく、作者=主催者なのは確かだが、作者=依頼者ではない事もありつつ、後援会や美術館的な、ある種公的に独立した名と立場を有した後援者が存在しないので依頼者=後援者でもない、という、考えれば考えるほど没入するややこしさもあってこうした混乱の起因ともなったというのは、ややこしさの事実は確かなれども、過言だろう。もっとややこしくなるのでもっと面白くなるから更に説明すると、小生への直接への依頼者は存在するものの小生としてはその直接依頼者がもっと高次の依頼者の事を慮るゆえの依頼だと知っている故に当然ながらその高次依頼者の依頼に叶うよう書くわけであるが前述の通りその高次依頼者が一体誰なのか、的確するのが困難な状況なのでもあった、しかしそれは必ずしも的を射る必要がある類ではなく要はそれぞれの曖昧な立ち位置の関係者各位がまとめてウィンウィンになればいい文章を書けばいい話で、しかしそれをするには矢張り、他ならぬ誰に成り替わって書くべきか特定する必要はあった…要するに小生が咄嗟に問えばよかっただけの話なのだから。それはともかく、とはいえ、このような後悔の念を書きたいがために冗長に甘んじたのではなく、見方を変えれば興味深いものであり、その文章が結果的に、なんとも多角的な、例えば雪舟の達磨の絵とかピカソのキュビズムのような、様様な視点が一箇所に同列に凝集した奇怪な文章に、図らずもなってしまった、という事の北叟笑み、なのではあった。

最近、とみに鳴き止まぬことを覚えたような近所の馬鹿犬。恐らく二つ隣に飼われている、以前から居る馬鹿犬の仕業なのだろうが、以前はここまで鳴き止まぬ事は無かったのに、どういうわけか最近になって、一声吼えるだけでは済まず、小生の聴覚ユニットごとビリビリを震わす犬特有の轟き声の不快さといったら、堪え難く、こしゃまくれた、短足胴長の、無闇に周囲に怯えきった目をした頭の悪い西洋犬という正体が分かっているものだから、この馬鹿犬が朝っぱらやら夜更けに夥しく吼えまくり始めると、この馬鹿犬の首を鉈でぶった切る真っ赤な鮮烈映像を幾度も想像するようになっている。先週苦痛の頂点を極めたが如き休日ごとの不在住人による目覚まし時計音、対策として抗議のビラをアパート中に撒くと息巻いていたが結局いまだ無為を託つのは単なる怠惰もありつつ御近所問題は深刻化すると血を見るのも必定、毎週レンタルして見ているリーガルハイにも御近所騒音問題による刃傷沙汰があったし、ここは一呼吸置いて、もし今週も同様に目覚まし時計が鳴り止まぬなら、よいしょと立ち上がればよい、性急は禁物、と己を嗜めたからでもあって、首尾よく天の配剤か今週の日曜日には目覚まし時計は鳴らなかった。安堵し、小生の激昂した、無為の念力が通じたかと、本気で思っている。

NHKのアーカイブズ的な番組での鶴見俊輔の言葉に改めて篤く励まされる気持ちだ…日日の俗事にてんてこまいで忘れがちであるがしっかり心に銘記せねばなるまい。もう…遊びではない。テレビでさっと出て来た言葉なので字句の正確は問わないで欲しいが文意は「日本の軍国主義者らは戦時中、法的手順をしっかり遵守しながら戦争遂行に必要な法律を着実に作っていき、その歩みは最後まで止めなかった」…ベトナム戦争から米国兵を脱走させる教唆の疑いで、官憲に媚び扇動される世論の「法律を守れ」という非難に反論しての、鶴見氏の、思想家としての面目躍如たる言だ。全体主義においては法律が、人民の生存と権利を脅かす悪の権化だ、そうした状況で法に従えということは間違っている、ということ…もはや…時局時局ゆうて、およそ教科書どおり歴史的必然の公式の再現のように繰り返されている時局を発見して喜んでいるレベルの、その程度の面白がりに興じている「時局」では無くなったのである…それこそ「今時局において!」(←本土決戦を覚悟しての竹槍訓練時に在郷軍人出身の体育教師が述べる訓辞の冒頭でよく使われる言葉、という文脈を思いたまえ)衆参ねじれると国事が何一つはかどらないし過半数与えるとすぐさま独裁に転ずるこの国の未熟な代議制に嫌気がさしているどころでもなく、既成事実化した独裁政権は矢継ぎ早に国民のためと言いながらその実、国体という観念を第一義として保護して甘汁吸わすべきは資本の階段を上がるのに長けた目ざとい特権階級のみ、その加速を外患(国民国家間で資本主義を駆動力として引き起こされる資源と国境の分捕り合戦)が後押ししてくれるという…相も変わらず…第一次大戦から百年経った現在、国民国家の自作自演の茶番劇を強制的に演じさせられる圧制の陳腐…考えている場合じゃないのでここでこの話は中断するが…

当世処世気質(とうせいしょせいかたぎ)→朝、出勤前にはシャレ乙オーガニックカフェみたいな所で、アンテナ立ってエッジの利いた異業種の、同じような階級の人々と交流する朝活、とやら。金曜日の夕方には気の合う仕事仲間とメタボ対策かねてフットサル、なんとなればビールをコップに移さずに、ビール瓶や缶に口つけて飲むアメリカンスタイルで飲みながらシャレ乙なスポーツバーでワールドカップ観戦、帰りに侍ブルーのユニフォーム着たままカラオケでアナと雪の紹鴎、もとい女王(アナと雪の女王、略してアナ雪)をレリゴーレリゴーと発情猫のように熱唱、土日はママ友&子らも含めて都市型バーベキュー。(これを読んでる人で武野紹鴎を知らない人はいないでしょう)全部虚像だ、そんなの分かってる。

本当はいつだって、二郎のことを思っているのだった…いまだに…毎週、リーガルハイを近所の、文化を儲けで割り切るのがうまいツタヤに返したりまた借りたりするのが習慣となっているが…ナオト・インティライミが画面に出て来ると感情に針が刺さって気持ち悪くてすぐ変える日常…マジでそれが聴こえてくると頭抱えて吐き気を催しつつ堪忍ならず「いいかげんにしろ」と絶叫しながらあてもなく突撃しそうな自分を店内で抑えるのがやっとで、不快と殺気立ちで自分が切り刻まれる殺伐に襲われ納まりようが無い心を持て余すのだが…前にも書いたがアナ雪の歌であって…発情した猫のような、アメリカ語特有の汚い発音を箍を外して臆面もなく張り上げるキチガイ沙汰が罷り通る専横には…発情した猫の鳴きはまだいい…春霞の夕暮れも冷めやらぬ、まだほの温かい春の夜…家々の屋根から猫たちがいぎり立てる具合は好ましいくらいで…むしろ猫に失礼なくらいだ…それが聴こえてくれば耳栓すればいい、という論理は、この国が嫌なら出て行け、非国民っ、という国民国家のナショナリズムの野蛮さが際立つ言説と同じであり正しい者が出て行く道理など無い、衆に恃んで厚かましい軍事的楽曲をポップ的頂点に祀り上げる衆愚昧こそ出て行け…

兎も角ツタヤに行くとキャリーさんやらあのアナ雪が否応なく聴こえるのだが(キャリーさんはOK)同時に、最近DVDが解禁となったため、「風立ちぬ」の歌が…荒井由美の傑作「飛行機雲」が聴こえてくるのであって…あんな歌を十代かそこらで作った荒井由美という芸能者の、早熟と聡明が冴え冴えとして人間の死を鎮魂する…骨だけの歌…逃げず死と向き合った、だからこそ凛として、理解している、優しい歌…「飛行機雲」と「優しさにつつまれたなら」の二曲には本当にかなわない、と思う。思い出すだにまた泣けてくる、飛行機雲という歌もそうだし、風立ちぬという映画のことも…心の中の、いつだって震えている部分には、いつも、あの堀越二郎と節子の物語と飛行機雲の歌が棲んでいるのだった…消費されないとはこういうことだ、商品の中で消費されないのは芸術と文芸と映画だけである。ここであの映画の内実に迫ろうとは思わないし、去年映画館で四回も見て、それから一年近く経ってまだ心の中で折に触れて反芻している浸った自分の状況では如何なる批評も全く無意味なのだから…所詮小奇麗なだけの映画じゃないかと言おうと思えば言えるのだがそんなことじゃないのだ。そんなにぞっこんならDVDで風立ちぬを借りてしまえばいいじゃないかというとそう簡単じゃない、借りて見るのは出来るが…あまりに思いすぎて、直にまた映画体験するのが恐ろしいのである、案外がっかりするんじゃないかという恐れが皆無なだけに、今はまだ、見られない。その代わりにさもしくも、おめおめと、リーガルハイの他に「コクリコ坂から」を借りてしまったのであった。これは一度金曜ロードショーで見ており、あまりの劣悪ぶりに唖然とした記憶があるのだが、たとえこの駄作と接する惨めを介在してもいい、無意識裡に、少しでも「風立ちぬ」に靡きたいがための所業なのである…そしてコクリコ坂を見てみると、分かってはいたがひどいものだった。「昭和レトロでござい~」「昭和レトロ入荷しました!」「ねっ、ねっ、昭和レトロですよ、昭和レトロ、好きなんでしょ、ねっ、ねっ」ダメ押しで「昭和レトロっ!」といったポン引き商法の披瀝の連続である。反体制闘争が女子的お掃除によって矮小化され戯画的に懐古的に無害化されて体制のトップと会談したら「いい大人っているものだな」で終わり、闘争を昭和レトロ雑貨商品に仕立て上げて、見たいものしか見ない、商品としての過去と未来にしか興味を示さない現在の資本と消費大衆におもねる、幾らなんでも反体制闘争の血腥い歴史を馬鹿にしすぎだろう。上っ面だけの雰囲気作りに終始して…まあいい、これが目的ではなかったのだから…気持ちは専ら「風立ちぬ」に靡いているのだから…コクリコ坂の主人公の男と生徒会長の水沼の関係が、風立ちぬの二郎と本条の関係を彷彿とさせて、萌えた。萌えたから、コクリコをDVDで2回見た。メルは可憐だ。

そういえば「コクリコ坂から」の男の主人公の声は岡田准一であったし、彼といえば黒田官兵衛、鳥取城の兵糧攻め、そして鳥取城マスコットキャラクターとして歴史の真実を告げに来た「かつ江さん」の公開と、市民からの苦情殺到による公開中止というマスコットキャラとしての死刑宣告の顛末…だいたい小生が何を書くか予想つくだろうから今宵は長くなりすぎたので今回は割愛する。

ナゲッツvol.4。ある種の仏画や曼荼羅では本尊は梵字のみで表わされ諸仏は相応に姿形を描かれながらも本尊を取り囲んで礼讃しているが如きなのだが…軽々しい、ただの普遍的=陳腐な意味だけの文字が、見る者にそれ固有の強烈な印象を残しうる絵図を忌避して、本尊足り得るということ…世界への感度が極大になるのが信仰であり(「目にうつるすべてのことはメッセージ」やさしさにつつまれたなら/荒井由美)、殉教によってイメージされるような、信仰とは何か一つ事に頑なになる態度とは異なる。だからこそ、重く煩雑な修行と貢物によって救われるのではなく、ただ念仏を唱えるという、あまりに他愛無い、それこそ寄る辺ない、吹けば飛ぶような粗末な行為への専修が、信仰によって極大になった感度にとっては深甚なる力すなわち意味、を持つようになるのであって、だから、もう、今回は、バンド名を列挙することで充分な、歎異抄的心境なのである。この「意味」も当然ながら吹けば飛ぶような粗末に過ぎないのだが…

the chokolate watchband
the leaves
the brigands
the barbarians
sam the sham & the pharaohs
the strangeloves
the kingsmen
tke knickerbockers
wailers
harbinger complex
the dovers
the charlatans
the mystery trend
clefs of lavender hill
the monks
the sonics
the electric prunes 「get me to the world on time」←小生はエレクトリックプルーンズのこの曲に出会うために生まれてきた。
the other half
richard & the young lions
paul revera & the raiders
we the people
the lemon drops
fenwyck
the rumors
the underdogs
the standells
the zakary thaks
gonn
the bees
davie allan & the arrows

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