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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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再びハードロックの夢「セルアウト」



過去に遡って調べると2010年10月3日にこのザ・フーのセルアウトについて中途半端な記事を急場凌ぎで仕立て上げ、煩う悔いが疼くのか2012年4月1日、再びセルアウトが小生の心に浮沈、しかもこの場合は小生がいまだ懲りずに懐中に温めているハードロック論のプロローグ「ハードロック編第一夜」と掲げていた以上、このセルアウトがハードロックという絶えざる蘇生の肝心の滋味である事を急進的に示唆するものであった事も今更ながら了解される。それに留まらず2013年8月4日、再度セルアウトが小生の精神に召喚されている模様、とりわけあてどない、浮ついた心持とその裏腹の遣る瀬無い激情がそつなく形象化される事のない失墜の日常においてこそすかさず招来される具合であり…そして終わり、そして再びそのほぼ一年後の2014年8月3日現在、ハードロックへの拙い気運と共にぼんやりと昇華されるのがまたしてもこのセルアウトに他ならず、こうなるとある種の呪詛に漸近するような…再び車中で浴びるように聞いたところでいたずらに感無量寿光、無暗な感動の清流が腐った心臓から血抜きするだけで最早言葉如きに立脚したがる、地獄の底に気まぐれに降りた蜘蛛の糸の如き頼りにならぬのだけが明白な赤裸々な功名心すらも無事の諦念に圧せられて払拭の態、そうした心境でこそただ聴かれてしまうセルアウトという音楽の、清冽と邪気がころころたまゆらに漱がれる風情に真率なる心情が乗り移る…それゆえ、こたびも、セルアウトひいてはハードロックの真髄について何事か言及する努力の成果が啓かれず、結局、ハードロックの泡沫の如き寝言を弄するに終始するのであった。

事件

隣々の馬鹿犬が朝は午前七時から夜の午前零時まで断続的にキャンキャン泣き止まぬ騒音迷惑被害が耳に疼き、あまりの苦しみに、内耳~外耳までの聴覚ユニットをごっそりユンボで無許可に乱暴に掘りくり返されているような苦痛と憎悪が激情に達して今朝その家に勇躍押しかけた。ペット可の木賃宿とはいえ鳴き声騒音による他住人への迷惑は入居契約上許されてはいない。ただ愛玩されるために生きている室内犬、こしゃまくれたダッグスフントかマルチーズの仕業なのは分かっている。小生「御宅の犬が朝から晩までうるさいんですよ。何とかしてくれませんかね。この次は大家さんを通じてそれ相応の措置を取りますから、とにかく静かにさせて下さい。夜中までうるさいのは非常識にもほどがありますよ。よろしくお願いします」隣人から、「すみません」、という言質を取ったがどうなることやら。しかし風鈴や目覚まし時計のような発生源が特定出来ぬ相手ではないので組みやすい問題であるから多少気楽だ。それでも馬鹿犬の感情のままにいつなんどき吠えまくられるか分からぬという、日常を支配されているような惨めな状況への憎悪は消えぬ。

少し穏やかなひとときだから、波の無い内海にぽっかり浮かぶ多島のように、覇気無くメモランダム。

徳永英明が山口百恵の「さよならの向こう側」をカバーしていた。彼の形振り構わぬ商売方法についてここであげつらう言葉すらも汚辱される気がして何も云う気になれぬがそれは棚に置くとして、単純に彼のカバー歌唱は本家の歌唱に優るべくもない代物ではあった。仮に百恵の楽曲を歌って、彼女にひけをとらないばかりか凌駕しうる歌い手、を想像した場合、それは小椋佳をおいて他はないであろう。

最早…歴史を学んでいる場合じゃない…歴史に直面し立ち向かう時が来た。時局である。

家を建てる者たちの見捨てた石。
それが礎の石となった。
これは主のなさったことだ。
私たちの目には不思議なことである。  マタイ福音書

国力の拮抗した国家間闘争の現状(遅れてきた国家資本主義国によるネオ帝国主義)において…今、この場で、ある国を説得させるのに科学的データというのは何の役にも立たない。DNAだろうが衛星写真だろうが動画撮影だろうが、いかにプレゼン上手の尾鰭で飾ろうとも、その説得力など、立て板に水、無効に過ぎない。科学的データだろうが神の啓示だろうが、より高次の承認=権力構造が不在である限り、「捏造だ」の一言に付されるが落ちだからである。所詮「科学的」とされている言説でさえ、百年後はいざ知らずこの現在では、承認構造に依拠した相対的主観的言説に過ぎないのが、国家間闘争の現場において否応なく了解させられる。ウクライナでの民間航空機撃墜にしても、東シナ海~南シナ海での中国船衝突にしても…当事国どうしの証拠提出合戦の不毛…歯止めは効かない。

岡山市立オリエント美術館での鑑賞は至福であった。岡山の数奇者の遺品を丸ごと収蔵したらしき常設展示…紀元前四千年前や五千年前のペルシャ、メソポタミア地域での出土品の、たとえば土器や古代ガラスなどの、圧倒的造形力。鳥の胸のふくらみを見事に再現した豊かな造形から、ガンキャノンのように突拍子もなく二本の注ぎ口が突き出た素焼き水注など…目を移して、その近くの明日香画廊という処で催されていた現代の陶芸作家の作品を瞥見するに…何とも貧弱で創意に乏しく縮こまって小狡くまとまっており…人間性の退化という厳然たる事実を思い知らされる。

美術館での鑑賞というのをこれまではずっと…どうせ如何に逸物であっても、ルパン三世にはなれぬ小生が触手をのばす事は不可能だからいたずらに物欲が虐待される苦しみを舐めるしかないから意味がないと思ってはいたが…最近は愈々枯れてきたのか…所有、という事が重とうなって…所有せぬ悦び即ち、見る事しかできぬ悦び、へと際立ち、物との対峙が純化されて、美術館鑑賞にもそそられている自分が居る。明治細密工芸の収集に特化した、京都の清水三年坂美術館が気になる。

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