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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「旅の思い出 家⇒小倉⇒東峰村⇒小倉⇒大分⇒宮崎⇒鹿児島⇒熊本⇒小倉⇒家」


宮崎市平和台公園 皇紀二千六百年記念 八紘一宇の塔

日南海岸(サンメッセ日南)遮るものなき太平洋

シーガイア近くの植物園にて 謎の花

大越キャスター似の男衆に先導される花魁

もう終わったのに、また、宮崎への旅支度を始めかねない、まだ現実を受け入れられぬ危うい心。一旅終わればまたぞろ心旅づいてそわそわ支度しとうなる疼き、一つの終わりを心なしか紛らわそうとするも払拭出来ぬ虚ろな一抹は否めず…浮ついた悲しみに立夏、日増しに強うなる光に耐え難い鬱屈の影は濃くなるばかりに、逃れられはせぬ日常が淡淡と続くのであろうか…早くも色褪せつつある旅の思い出の断片を思い出すままに綴らんとする気概も消尽の嵐に飲まれようとするが、鼓動を失った、ミイラ化した遺骸で以ってでさえも綴らねば気がすまぬ、枯れて枯れて魅力をとことん殺いだ屑の如きでさえも残さずには居られぬ文草、飛び立てば速攻で離散霧消する宿命であってさえも…底の底まで見透かされた明るい気落ちのままに浮沈する片鱗の思い出にしばし…求めずして得られたお招きに便乗して己の立案なる計画も重ねつつ、福岡は東峰村での小石原焼民陶村祭を経由後、宮崎漫遊、鹿児島経由で帰路に着くという九州大陸一周の旅程であった。うたかたの記憶廻り、時の流れが澱んだ中での浅はかな目移りのままに…

どうせアマテラス系だからかつて一応現地調査してきた伊勢みたいに御高くとまってんじゃないの、鼻持ちならないんじゃないの、と半ば先入観で危惧しつつ期待は抑制していた宮崎の神域は…風土は…遮らない平原の広々した大作りのそちこちに点在する楠の巨木が一本あるだけで鎮守の森レベルに鬱蒼と古格、そして街道筋に居並ぶ椰子の木は神殿の列柱のようでいながら椰子の木気質の、のっぽりした能天気で柔らかい雰囲気に遥か高みで生温かい風に揺られており、そんな気分に包まれると、たとえ日没になろうとも漆黒の闇の深刻程遠く、ぎたぎたしい時局放談に興じる殺伐とした集中がほんわりほだされて…郷土の名物料理に舌鼓、百年の孤独に乾杯するあまりプチマコンド村気分、切迫する時局と政治、思想と芸術への悪態が氷解する南風の土地柄なのは、衰えが隠せぬ小生の荒みであれば、太刀打ちできないのは致し方なかった。伊勢神宮では威嚇的に直線的な教条的な杉の巨木が、まるで要人警護のように、とりあえず全ての参拝者を犯罪予備軍に見なす傲慢権力の証しなのに対し、東征なした神武を祭神に祀る宮崎神宮はぐねぐねおおらかに幾多も分かれては大地と虚空に枝を張る楠の巨木。どこまでも参拝者に優しい受けとめである照葉樹林文化。国家神道の神話的虚像を、その虚像の本来的脆弱ゆえに何が何でも護持せんとする依怙地のかたくなさがアマテラス=伊勢であり、記紀神話の一節の実在と想像のあわいながらもまだ大和王権樹立以前の一部族の長レベルであった、生々しい人間の息吹も想像に難くない神武=宮崎、などと想像はいくらでも飛躍する。ホテルに向かうタクシーの運転手氏も赤かぶ刑事中村梅雀のような柔和な風貌で、決してこちらから口をきかぬ小生発の沈黙に耐えかねて、といった、小賢しい空気読みなどとは違って、押し付けがましくなく、ほとんど車内ラジオの音声のように自分を消して柔らかく話題をふって来るのが心地好く、車からは鼻にかかった男の艶声がネオン街の作法を歌うムード歌謡、当たり障り無い話題は駅前の閑散から、中心部の繁華街の栄えの指摘、であって、兎に角感じがいい。

山口と広島に共通する下劣なヤンキー気質に日頃うんざりしている身には、宮崎の人当たりの柔らかさが心地いいのである。あのヤンキー気質とは、誰の同意を得たわけでもない独自のルールを、階級的=肉体的弱者であると持ち前の嗅覚で嗅ぎ付けた他人に有無を言わさず押し付けてくる、偏執的理屈っぽさである。「おまえガンつけただろ」→「おまえが先にガンつけたからおまえが悪いからおまえはおれに謝れ」→「謝らないなら謝らないおまえが悪いのだからおれはおまえをぶん殴る。それはおまえの責任だからな」といった、暴力を背景にした因縁→謝罪要求、という、ヤンキーの中でだけは筋が通っているねちっこい理屈である。暴力の威を借りながらも、異様に理屈っぽく、自分は理屈的には間違っていないということを執拗に表明するのである、それはあたかも、非連続的に暴力を行使する事への臆病を隠蔽するのに必死なために。こうした連中の下劣ぶりはこうした理屈の押し付けばかりでなく、同じ構造で暴力を背景に理屈を押し付けてくる階級的強者(国家、産業、資本)に対しては尻尾振って媚びへつらう、という有様である。要するに山口、広島のヤンキー気質は国家権力の犬に過ぎないし、実際、見かけ倒しのツッパリ外観の主張とは逆に、体制への異議といった思想的気概などさらさらなく、時期が来ればその持ち前のヤンキー気質で、餌のように嗅ぎ付けた職制の中でそこそこ上り詰めて階級再生産(弱いものイジメ)に努めている体たらくである。

男の体格
背が低い、ガタイが小さい←山口県のヤンキー男<広島のヤンキー男<岡山の男→背が高い、ガタイが大きい

目には青葉。宮崎市から車で30~40分ほどか、滞在二日目、西都市に向かう。西都原古墳群とそこに敷設された西都原考古博物館が凄かった。広がる畑のあちこちの小山は全て古墳、形式以前に多様に試された古代の創意の跡…いかつい石版の外壁の西都原考古博物館…興味深い土器の形態と、装飾に堕する以前の切実な呪的必然が薫る恐ろしい紋様、鏃、しゃれこうべその他の出土品展示が齎す古代からの啓示もさることながら、それらに添えられた、というか主となった、パネル解説の文言が…強弱の効いたプログレッシブなフォント選択もあいまって、学術研究の解説内におさまるつもりなど毛頭無いとばかりに、文言創案者の、古代史研究を通した中での確かな人間洞察に基づく現代への力強いメッセージが迸り、見る者に叩きつけてくる。育ちのいい学術研究から、人間への主張が野蛮なくらいはみ出してくる。学問とは現在を生きる人間への問いでなくてなんであろう、古代史研究であれば尚更、といった気概が、熱いのである。展示の先先で、人間とは何か、どこから来たのか、どこへ行くのか、といった根源的問いを真正面から突きつけて来る真摯を確かにこちらも受け止めざるを得ないような、単なるパネル解説を超越しきった、熱いメッセージなのである。その一説を写真に撮ってここに正確に紹介したかったが圧倒されて撮影を忘れたので、知りたい方は、直に、西都原古墳群に行っていただきたい。うろ覚えを辿って文意だけでも伝えてもいいが、やはり、あの文章そのままでないと、あのパネル筆者の人間理解の確かさ(異常さ?)、は伝わらないと思うから。だって、パネルの冒頭に、何の前置きも無しに、「異貌である。」などと、独自の言葉を叩きつけてくる飛ばしぶりなのであるから。

山時鳥、初鰹。宮崎滞在一日目、宮崎では何をさておいても訪れなければならぬ軍国遺構、平和台公園の八紘一宇の塔をきっちり見学する。GHQの命令ですぐさま爆破されていてもおかしくなかったこの塔の来歴は別途調べていただきたいが注目すべきはやはりこの独特の建築様式である。表に「八紘一宇」、裏に「皇紀二千六百年」と、深く刻まれている。曲線をなるべく排し、しかし直線の組み合わせがモダンな切れ味を流行することもなく、強いてあげればロシア・アヴァンギャルドやイタリア未来派、たとえばタトーリンとかそういった様式に近いのかもしれぬが(ファッショやナチス革命で称揚された未来派/ファシズム芸術と、ロシア革命を牽引したロシア・アヴァンギャルド芸術の親和性、類似性についてはイーゴリ・ゴロムシトク著「全体主義芸術」に詳しい)このいかつい石造塔は宮崎の風土に晒されて湿った風雨に少し角が取れて地被類もはびこり、往年のアンコールワットのような蒸した趣きも醸している。戦争終結をしらずそのまま数十年も東南アジアのジャングルで一人、皇軍戦争を続けて、ついに発見されて帰還命令を受理した横井さんとか小野寺さん、といった、戦後復興に浮かれる当時の日本人にしてみれば後ろめたい、不気味極まりない存在に近いのかもしれない。そして、一党独裁の、中心を基点とするファシズムやスターリニズムと違って、中心なき総体としての有り様であった日本軍国主義はまさに言葉の正確な意味において「全体主義」の理想形なのであるとしたら、それを標榜するこの石塔が、安易に未来派やロシア・アヴァンギャルド芸術に似る筈も無いのである。異貌である。としかいいようのない。小生はこれを、日本軍国様式、と名づける。この八紘一宇の塔に近い雰囲気を、小生はこの国の国会議事堂に嗅ぎ付ける。あれも本当に異常な建築である。薄気味悪く、確かな発信源から他を圧する分かりやすい煌びやかさなど皆無ながら、路傍のような洗練の無さがむしろぬぼうと、まさに民衆の底から湧き上がった不気味な化け物の如き草の根の圧制の象徴…なのである。国会議事堂の建設年代などこの際どうでもよい、国会議事堂も八紘一宇の塔も、日本軍国様式建築であるとここに認定する。八紘一宇の塔は過去の遺物ですむかもしれぬが今も政治の表舞台である国会議事堂でさえも軍国様式建築であるという事の意味は、改めて留意した方がよい。ちなみに小生は日本軍国主義下での戦争画の復刻版を収集しているが、それとあわせて、ゴロムシトク氏には、日本軍国主義様式建築の考察も、彼の全体主義芸術論に加えて欲しかった。

柔らかい宮崎の風にほだされて酒食に和む初夏の淡い夕暮れ…宮崎市内の飲み屋街の発達ぶりはまことに好ましく、風雲急を告げて午後4時半頃から始めた。一軒目は郷土料理をおさえた正統個室系居酒屋、名物チキン南蛮(もも肉)の甘味と酸味の諧調よろしくタルタル、地鶏の炭火焼は、塩胡椒に頼らず、直火によって肉にまぶされた炭の苦味が鶏肉の確かな旨味を甘く引き出して噛めば噛むほど旨し、風土ゆえに焼酎ばかりで日本酒は無かったが、たとえ地元で産せずとも他所の日本酒を置けばいいものをそれをあえてせぬ、という郷土料理への凛としたこだわりに筋が通った店であり、よかった。あまりのうまさと気分のよさに日も暮れぬ内から鱈腹飲んで食ってしまい、言葉の大敵満足へ…腹ごなしに…初夏を先取りする花魁道中見物、そしてフルーツ大野…極楽とか天国というのは洋の東西を問わずどこか抽象的で説得力の無い捉え方が多いが(地獄はその逆)、フルーツ大野は、まさに具体的な天国、といってもよい。マンゴーパフェ、マンゴーアイスを食す…この世の物とは思えぬ絶佳。ハワイや沖縄などのトロピカルとは趣が異なる、どうにも宮崎としかいいようのない優しい柔らかい妙境である。それでいて西都原考古博物館のように、人間精神と歴史への芯の通った洞察も揺ぎ無く示すのであるからたまったもんじゃない。商店街の古格ある喫茶店で休憩…外観の調度品の古格に騙されて入店すると腐ったダシ汁の臭いに満ちた喚起の悪さ&糞不味い珈琲、下らんフォークソング親父バンドのメンバーらしきマスターのおっさんが常連のおっさんとビール飲んでダベリに夢中でこちらに気付かず、という組み合わせの劣悪純喫茶店に何度も騙されたことのある小生であるが、店名を失念したがこちらは…空気もよく、店内も清潔に整えられ…接客、珈琲共によし、皆と琥珀色の時を過ごす。小生は珍しい水出し珈琲を注文。ザラメは数粒、カップの底に落とすのみで混ぜてはならぬ、を信条としている。イベント会場で祭りの後の上気した名残りを少し味わった後、日暮れの冷えもあってアイリッシュバーに潜り込む。黒ビールと4種のチーズピザを所望…イエスの往年のヒット曲などがかかり、いささかのんびりたゆたい過ぎていた精神が刹那、括目する。

ともあれ宮崎の空気にほだされ過ぎた…もっと話す事はあるのではなかったかと反省は少しあるが、あまりがっつく歳でもなかろう…と、老いが忍び寄る。普段は時局に対してぎりぎりした怒気に憤死せんばかりに言語化した殺伐したイラつきを抱えているのだが…旅先での不粋を厭うばかりに、いや、それとは関係なく、要するに、暖かく穏やかにゆったりと、心がほぐれ、ほだされたから致し方なし。マンゴーパフェみたいな具体的な天国が存在するのだから。順番が前後したが洋酒天国、という店名のウヰスキーをのませるバーでも寛いだのであった。ここでもまた、琥珀色の時を上質に過ごしたのであった…。スコッチ三杯、ストレートの至福。

此度の旅の汚点になるほどではないが誤算だったのは宿泊先として小生が予約したスーパーホテル宮崎である。コスト削減を目的とした、露骨なサービスのサボりを、「ロハスなホテルですから」などという美辞なる言い訳を各所に張り出して誤魔化してくる傲慢な態度…安いならまだ我慢するがあの値段でこの低劣サービス内容は噴飯ものであった。まず、あの値段で、激せま。便所一体型の風呂場は待庵の床の間ほどの狭さで何するにも壁に手足をどかどか打ち付ける。室内に異常な濃い臭気が充満しており、それをホテルも分かってか空気清浄機が設置してあるが、入室した時の悪印象は最後まで拭えぬ。朝のバイキングは残飯の寄せ集め風。漆喰でも塗るつもりなのか、フノリみたいにべったりしたスクランブルエッグ…ねちゃつくミートボール…「ロハスですから余分な食材は調達するつもりはさらさらないから遅く来て料理がなくなっていても新たに作り足すことはしませんよ、且つ食いっぱぐれても朝食代は戻しませんので悪しからず。なにぶんロハスですから」という、ムカつく但し書きが大書された朝食会場。ロハスって何だ。調べてやった。ライフスタイル オブ ヘルス アンド サステイナビリティ。健康で持続可能な生活様式。えげつないケチをいうのではない。

五月の快晴、日南海岸の奇岩景勝「鬼の洗濯板」を眼下に眺めながらサンメッセ日南に。船舶の少ない大洋を一望する丘に並ぶ日本製モアイ像…イースター島のモアイ像利権とうまい事癒着した日本の実践的宗教思想家(京都一燈園系)が創建した不思議施設である。わけあって、此度の旅の主要目的であった椰子の木の構造が分かるような写真撮影をつぶさに敢行し、目的を達する。

宮崎に辿りつく前、小倉から日田彦山線を20駅ほど南下、最寄駅彦山駅から無料シャトルバスに乗って着いた東峰村にて小石原焼民陶祭りに参戦していた。なぜ小石原か、というと、ここには、民陶の小石原焼と、茶陶の高取焼の宗家が共存しており、一か所で民陶と茶陶の両方の旨みが楽しめる按配だからだ。そこでの出来事をいちいち列挙する余裕はないが一つ象徴的な出来事として、小石原焼中央展示場の出口に一羽の鳩が轢死していたのであった。この国の民の、古代から続く、焼物に対して余裕なく凶暴なまでの強欲の、悲しい犠牲者なのであった。展示場前の道路は焼物祭りに殺到する殺気立つ民衆の車で大渋滞である。そんな車に、何も知らぬ一羽の鳩が、無残にも轢き殺されたのだ。自分もその一人とは言え…狂ってる。そう、つくづく思う。闇市での物資を詰め込んだように重すぎるほど小石原焼&高取焼の獲物をリュックに詰め込んで肩が千切れんばかり、大陸からの引き揚げ船に間一髪で乗り込むような切迫した困難を幾つも乗り越え、辛くも彦山駅から小倉に戻って一分の遅れが命取りになる特急の乗り継ぎミッションコンプリート…特急ソニックと特急日輪を乗り継ぎ…長すぎる苦行の日豊本線…宮崎着21:19であった。

宮崎市のシーガイア近くの植物園にも連れて行って頂く。何から何まで重ね重ね感謝。ここで珍植物の貴重な資料写真を十分なほど撮影できて思わぬ収穫であり、有難い。しかしこの宮崎市においてさえも…メガショッピングモールのイオンの魔の手が。どこまでこの国を駄目にする気なんだイオンは…(イオン批判は長くなるので別稿に譲る)イオンの駐車場に入りたがる民衆の車による、忌忌しいイオン渋滞に嵌って、帰りの特急霧島に遅れるのではと内心焦らされるが、間に合った。古墳群と博物館に感化された帰りの昼食で宮崎名物「きっちょううどん」。漫然と汁を吸ってふやけたのではない、確かな意志を以て麺の配合と処方を工夫して麺を柔らかく仕上げた喉越しの優しさ、澄んだダシ、雪の如く白い天かすの清らかさ。コシ一辺倒の讃岐うどん覇権への穏やかな叛旗。

宮崎から特急霧島で鹿児島中央まで、そこからは九州新幹線と山陽新幹線を乗り継いで帰路に就く。特急霧島の車窓から見える桜島の雄大。堪能したJR九州は、鉄道での旅を楽しむ、という積極的姿勢に溢れているが、博多からの山陽新幹線が関門海峡を抜けた途端に気付いたのは…通勤列車あるいは出張列車へと、一気に疲労しきった、つまらない灰色の、うなだれた客がぎゅうぎゅう詰めの、トンネルだらけの新幹線、である。鬱屈した現実がのしかかる。先は真っ暗。

ウクライナ、南シナ海、そして尖閣…海外の各地で悪い歯車が一つずつ一つずつ噛みあっていき…事態は確実に悪化の方向へと舵をきりつつある外患は、翻って国内での、資本と国家への従属を強いる搾取と統制化を自明のものとして突き進める内憂を容赦なく完遂するであろう…そうした国家=資本による弾圧行動は直接的に異物に目を付けるであろう…「暗い時代」全然人ごとじゃないし、過去の話ではない。そういう時代を生きるという事を、小生は今、専ら小生自身のみの責任として受け止めようとすらしている。時代の流れに逆らう個人の無力が切実に露わになってくる。八紘一宇の塔も、古代から戦争と殺戮を続けてきた人間の生き様を見つめる西都原考古博物館での人間への激しい訴えも、実際の処、全く過去の遺物ではないのだ。むしろ今、この時局においてこそ正直に対峙すべき主題である。

会談での大筋合意内容

刺身は醤油を、納豆は葱を味わうためのものと心得よ。

こんな句を見つけた。辺見京子句集「黒薩摩」所収(昭和五十三年七月十日 発行)

西都原 三句

野火の果てうちかさなりて古墳群
犬ふぐり古墳のしめり持ち歩く
猪買ひに来て日向路の野火に遇ふ

5月11日掲載予定を、予定を繰り上げて5月9日にアップデートします。次回は5月18日です。

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