ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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虫唾
こんなことばかり書いていては駄目だ、ロックにおいても言及すべきことはまだまだ残っているのだし、いや、そもそもネット上で週一回文章を載せる暇が本来の自分にあるのか、少なくとも自分だけでも追い詰める思索なり活動なり実行しなければならぬ時に、慰みにもならぬ駄文を垂れ流す暇が何処にある、もう潮時なのかもしれない、しかしロックに関してはまだ本題について格闘していない、それには多少の未練はある、ゴミ箱の中で繁殖する蛆に過ぎぬとしても…こんなことを云うと本当に情けない人の言い分みたいで情けないが、来週こそは、茶会記の更新またはハードロック論または悪趣味の系譜または、困った時の実験音楽編、はたまたノイズ編の開始、のいずれかを何とかものにしたい。宣言すればするだけすべてを裏切ってしまいそうであるが、そもそも誰に対する約束なのかも不明、混迷である。
車中、発作のように陛下の容体が気になり出して自身もモスバーガーに含まれる生の玉ねぎを食した故に腹痛に襲われ不安定になった細君がラジオのニュースを聴きたいとせがみ、CDからラジオに切り替えると、オレンジレンジという、糞よりも下劣なおべっか音楽を商業の源流から垂れ流して憚らぬ狡猾な無恥を陽気に無自覚に振りまく、欺瞞を呈するのに必要なごく僅かな注意力すらも丁寧に拭い取った、違和感の曇りがうっすらもない透明な、無罪安全なる毒ともいうべき順応ラップバンドの曲が流れてきた。あきれ果てたことに「オレンジレンジは10周年♪オレンジレンジは10週年♪」という、自らのバンドが10周年であることだけを連呼しつつ内輪の盛り上がり感に過ぎぬことが社会に共有されて当然とでも言わんばかりの下衆極まりない歌であり、内心、激昂し、即刻ラジオを消した。天皇の容体が気になること→オレンジレンジ、というのが必然のようにも思えて、言いがかりなんだけれども不当に忌々しく思った。本当は、言いがかりなんかじゃない、必然だと確信している。全ての現実は道理であるというヘーゲルの言葉を思い出す。
と、ここらで、ウヰスキーの水割りの二杯目をこしらえる…東萩駅で埃をかぶっているところを連れて帰った、ゴシック教会の内陣のようなガラス器で…午前0時50分頃…
資本主義と共産主義と無政府主義の関係を戯画的に、手っ取り早く5分間で知りたい人は、大杉栄の「鎖工場」という短い文章を読めばよい。時間にして5分間で読める。主義も理論も組織も否定し、群れることなく点在する野獣の活動こそに現実をとらえる…上記三つを頭で否定するのは簡単だが、野獣の活動に徹する困難さといったら…棍棒で殴られるという社会の反応をも面白がるという浮ついた理性は許容しているようだった活動家、大杉氏…。そうした理性ないしは批評性をもかなぐり捨てる真の野獣性を標榜したらば、どうなるのだろうか…アナキズムに変にこびり付くロマンティシズムもとっかかりを失って滑り落ちるのだろうが、だからどうなのか。それは、自分がやるしかないのだろう。自分がやるしかない、その事が、(存在するとすれば)アナキズムの唯一の原理であると、大杉氏は単純明快に云う。
虫唾が走る○○大学の白熱教室…これもまたどうしようもないが、しかし、今宵は、東ドイツ国民に問うた「民主主義に満足しているか」に対する答えの円グラフが大理石の色分けだったのは、よい。
欧米からの輸入家具屋で、小生がずっと欲しがっているアメリカ製の椅子を細君に見せる。オリーブ色の革を真鍮の鋲でバスバスに留めた素敵な椅子…13万6500円…とりあえずまだ売れていないことだけを確認して帰るが、その店で、イタリアの掛け時計が目に留まる…朴訥な浮彫が施されたそれは白蟻に喰われた跡が所々残っており、どうしようもなく心がざわつく…木質をトンネル状に微細に食い荒らす白蟻の、木を食んだ痕が何とも侘びておるではないか…人知れず目頭が熱くなる。なるほど、木材というのは白蟻に喰われると美しいのか、さすれば、それを、何とか彫刻で再現できないものか…創意は湧けど技能が追い付かぬ、歯噛みする思いである。いつかは…。いや、いっそ、自分が彫るよりも白蟻にやらせればいいだけの話じゃないか。よし、それでいこう。彫刻家と白蟻とのライバル関係、という、妙な問題点が浮上してきた。これは重要だ。
なんでも鑑定団の再放送を見ていると、「偶然大吉」という言葉が出てきた。珍重されているある種の小判のことなんだけれども、詳細は省くが、なんともいい言葉だ。江戸時代の人はすごいな。
いよいよ大正琴を衝動買いしようと思って本通りの琴・筝専門店に行ったら、17時過ぎていたために閉まっていた。残念。一説には、大正琴というのは、日本人が発明した唯一の楽器であるらしい。
つまらん、労働者狂歌を一つ。
出勤に限りて先々青信号真っ逆さまに落ちるがごとく
ついでに生活小唄を一つ、
妻が眉ととのえたまふ小鋏は元は吾が鼻毛切りなり雀の子
車中、発作のように陛下の容体が気になり出して自身もモスバーガーに含まれる生の玉ねぎを食した故に腹痛に襲われ不安定になった細君がラジオのニュースを聴きたいとせがみ、CDからラジオに切り替えると、オレンジレンジという、糞よりも下劣なおべっか音楽を商業の源流から垂れ流して憚らぬ狡猾な無恥を陽気に無自覚に振りまく、欺瞞を呈するのに必要なごく僅かな注意力すらも丁寧に拭い取った、違和感の曇りがうっすらもない透明な、無罪安全なる毒ともいうべき順応ラップバンドの曲が流れてきた。あきれ果てたことに「オレンジレンジは10周年♪オレンジレンジは10週年♪」という、自らのバンドが10周年であることだけを連呼しつつ内輪の盛り上がり感に過ぎぬことが社会に共有されて当然とでも言わんばかりの下衆極まりない歌であり、内心、激昂し、即刻ラジオを消した。天皇の容体が気になること→オレンジレンジ、というのが必然のようにも思えて、言いがかりなんだけれども不当に忌々しく思った。本当は、言いがかりなんかじゃない、必然だと確信している。全ての現実は道理であるというヘーゲルの言葉を思い出す。
と、ここらで、ウヰスキーの水割りの二杯目をこしらえる…東萩駅で埃をかぶっているところを連れて帰った、ゴシック教会の内陣のようなガラス器で…午前0時50分頃…
資本主義と共産主義と無政府主義の関係を戯画的に、手っ取り早く5分間で知りたい人は、大杉栄の「鎖工場」という短い文章を読めばよい。時間にして5分間で読める。主義も理論も組織も否定し、群れることなく点在する野獣の活動こそに現実をとらえる…上記三つを頭で否定するのは簡単だが、野獣の活動に徹する困難さといったら…棍棒で殴られるという社会の反応をも面白がるという浮ついた理性は許容しているようだった活動家、大杉氏…。そうした理性ないしは批評性をもかなぐり捨てる真の野獣性を標榜したらば、どうなるのだろうか…アナキズムに変にこびり付くロマンティシズムもとっかかりを失って滑り落ちるのだろうが、だからどうなのか。それは、自分がやるしかないのだろう。自分がやるしかない、その事が、(存在するとすれば)アナキズムの唯一の原理であると、大杉氏は単純明快に云う。
虫唾が走る○○大学の白熱教室…これもまたどうしようもないが、しかし、今宵は、東ドイツ国民に問うた「民主主義に満足しているか」に対する答えの円グラフが大理石の色分けだったのは、よい。
欧米からの輸入家具屋で、小生がずっと欲しがっているアメリカ製の椅子を細君に見せる。オリーブ色の革を真鍮の鋲でバスバスに留めた素敵な椅子…13万6500円…とりあえずまだ売れていないことだけを確認して帰るが、その店で、イタリアの掛け時計が目に留まる…朴訥な浮彫が施されたそれは白蟻に喰われた跡が所々残っており、どうしようもなく心がざわつく…木質をトンネル状に微細に食い荒らす白蟻の、木を食んだ痕が何とも侘びておるではないか…人知れず目頭が熱くなる。なるほど、木材というのは白蟻に喰われると美しいのか、さすれば、それを、何とか彫刻で再現できないものか…創意は湧けど技能が追い付かぬ、歯噛みする思いである。いつかは…。いや、いっそ、自分が彫るよりも白蟻にやらせればいいだけの話じゃないか。よし、それでいこう。彫刻家と白蟻とのライバル関係、という、妙な問題点が浮上してきた。これは重要だ。
なんでも鑑定団の再放送を見ていると、「偶然大吉」という言葉が出てきた。珍重されているある種の小判のことなんだけれども、詳細は省くが、なんともいい言葉だ。江戸時代の人はすごいな。
いよいよ大正琴を衝動買いしようと思って本通りの琴・筝専門店に行ったら、17時過ぎていたために閉まっていた。残念。一説には、大正琴というのは、日本人が発明した唯一の楽器であるらしい。
つまらん、労働者狂歌を一つ。
出勤に限りて先々青信号真っ逆さまに落ちるがごとく
ついでに生活小唄を一つ、
妻が眉ととのえたまふ小鋏は元は吾が鼻毛切りなり雀の子
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