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「das synthetische mischgeweb」春宵酔
月並俳諧一句
水の冷たさ心地よければ春近し
震災一周年という負の記念日を迎えるにあたって、日本中という訳でもないだろうが兎も角テレヴィ界という情報概念世界では朝から晩まで震災福島関係の映像で持ちきりである…ここまで溢れ返ると、震災原発復興関係の映像が、例えば明石家さんまあたりのどぎついバラエティ番組なんぞよりも心落ち着く番組としていつまででも視聴し続けてしまう…まるで「日曜美術館」や「新日本紀行」や「小さな旅」を、自分への思想的影響皆無ながらも見てしまう朝の安穏のように、津波映像や瓦礫映像、成人式を終えて福島の真っ黒に暗い盛り場で醜く爛れたおらび声をカラオケする、除染労働に携わる男とその妻が荒んで「俺らはマウス、実験台」「わたしら子供産んでやるよ(その子供が放射能の影響でどうなるかお前ら好きなだけ確認しとけ)」と酔いに任せて悲壮な覚悟を口汚くヤケクソに叫ぶ生命力繁殖力強そうな様を見続けると、心に馴染みながらしっとりと見てしまう…こんな見方への批判など幾らでも出来ようが、一個人たる小生のこの事実は、無かった事、にすることは出来ないし、させやしない。命や生活の危機に晒された困難時に他人から無償で助けられれば有難いし、そうした喫緊の状況から遠ければ何とも思わない、という、不連続たる人間の自由である。
記憶があいまいだが、会津若松城か鶴ヶ城は、屋根瓦が茶色だったようだ…青灰色の釉の瓦や銅葺きや鉛葺きや金箔押しの屋根瓦が一般的だと思っていた城の瓦界では、意表を衝く外観が忍べるだろう。そう、山陰から山陽の山間部の農家の屋敷によく使われている石州瓦のように…農家と云うのはみんな瓦が茶色なんだと思っていたが、自分で稼ぐようになって少し旅行するようになって世の中はそうではない、と、蒙が啓けたほどだが、今では、実家に近づくにつれて茶瓦が増えてくるのを目の当たりにすると、息詰まるような嘔吐感は否めない…あの茶瓦を見ると、過去の忌まわしい記憶が蘇ってくるのである…あの茶瓦を石州瓦というということも、焼物を学びだしてようやく知った事である。
いささか愕然としたのは、品物が揃っているので嫌々ながらたまに行くが内心その存在を忌々しく思っている近所の巨大ショッピングモールでの出来事…薄暗い屋内駐車場に駐車してある客の車を、若い男が、それ専用の器具を使って洗車していたのである…客がモールでショッピングを楽しんでいる間に、愛車を洗ってもらう、という新手の商売のようであった。ラグジュアリー感が漂う、七人掛けくらい可能なファミリー向け乗用車をピカピカに磨き上げる、茶髪の、ジャニーズのV6のように貧相な男…ここはまるでインドか、と思った。富の再分配の適正化を口先のみで制度化したがるのみで資本主義批判を巧みに忌避する格差社会論に拘泥するつもりはないが、走馬灯のようにいろいろ思い出した。
苦しすぎる雁字搦め個人無き共同体を封建制というならば、個人が生まれはしたが一方で個人対組織、個人対国家という対立構図が制度化したのが近代である。近代の発生には当然ながら貨幣経済の浸透の寄与が大きいのだろうが、個人が商売組織と対峙するに最も象徴的なのがバザールやパサージュやデパートやモールなのだろう(その反対で、封建制の農村で、しばしば蔑視されながら重宝もされた商売形式が、行商である。旅の行商人。消費者の共同体の中に、売り手の個人が突入するという…)…19世紀にはバルザックだか誰だか忘れたがデパート小説が書かれたし、そういえば大江健三郎の「万延元年のフットボール」にはスーパーマーケットの天皇(←しかも在日朝鮮人)という人物が暗躍、村上龍の「オールドテロリスト」には「モール」や「スコーン」(←小麦粉を焼いた土台に施された珊瑚のような凹凸に蜜や生クリームを埋設させて食う御洒落洋菓子)に異様な興味を示してくる、隷書体が書ける女が出てくるし、そして昨今では、地域社会と隔絶しながら直接地域の個人に消費を促すショッピングモールがのさばる現状に、資本と国家の日常的な非情なる剥き出しを見たのであった。かといって、小生が、例えば人情商店街のようなものを懐古しているのではない。
それにしてもこのCDは何なのか…アルバムタイトルも製作者名も極度に分かりにくい表記方法…電子音の畸形を取捨選択した音の粒が神経質なためらいと微細すぎる控えめな態度で無音の闇から浮沈する、いつ終わるともしれぬ虫の宴。承認制度から否定の烙印が無意識的に押されるのすらからもとっくに零れ落ちている無限広大なるノイズの世界の住人たちによる、飛散と狼狽と気まぐれの集中、そして希薄、誰も気にしない精神の余白の隅において丁寧でもある。鼓膜にいきなり着火させんとして耳道を突進してくるとち狂った糸トンボの形したジッポのような、小さい虫ゆえに可能な凶暴を、刹那と終局を暴力的に婚姻させながら劈いてくる。モツモツした音がよい…こういう音楽の分野は何なのか、などといった、分野へ格納することで理解した気になっている情報馬鹿への飼葉に過ぎぬ問いに答えるつもりは毛頭ない。
今週の言葉…
地獄で待つ者は、きっと楽器を持っている。 岩井志麻子「黒焦げ美人」
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