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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the big soul of john lee hooker(1962)」 2008年8月31日  友引 カツオ

 ジョン・リー・フッカー。敬愛するブルースマンの一人である。そういえば鴎外の娘の森茉莉はブルース好きだったようだが、中でもジョン・リーはお気に入りだったようだ。しかしこのアルバム、ブルースと言えるのか。単調な女性コーラス、オルガン、ホーンの持続に乗りもせず、構わず、何事か唸っているだけのようである。ミニマル・ブルースという分野があるならばまさにこれがそれであろう。ブルースの語法を無視しがちになるほど気ままに、よい声でしゃべるように歌う、歌と喋りを区別せぬようなジョン・リーの驀進。

 しかしながらブルースとはそもそも、その辺の黒人がぼそぼそ言っているだけのような、あっさり単純で、素朴なものでなかったか。B・B・キングになるともうロックであり、様式になりきれぬぎりぎりの崖っぷちがその所在であるブルースとは縁遠くなっている。現在でも続いているに違いないがその当時でもまだ色濃かったに違いない差別の対象である黒人の声を真似ようとした、そうした人種蔑視の側から見たら恥知らずこの上ない白人の若者が発する、黒人っぽい発声を当の黒人が真似て、ソウルなる音楽が生まれたのではなかったか、と小生、仮定している。恥知らずの連鎖である。

 1990年代の終わりか2000年初頭に、因島出身のポルノグラフィティという、既にバンド名からして恥をさらして憚らぬポップバンドの歌詞には、大学の知友共々、"愕然” とした記憶がある。僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったっていうのに、と聴いた時であった。確かに月に行ったことは大変難儀で、かつ偉業かもしれぬが、そうした成功を成した目上の世代を顕揚しつつ自分らを振り返る屈託の無さ。高度経済成長にまい進したけど、学園闘争とか、社会制度への反抗も一応したよ、と免罪符のように政治運動を若気の至り、よき思い出に収束させる恥知らずなあの世代に対し、何ら気負いも無く、そうした世代に対する口には出さぬ反抗のような心すら芽生えぬほど、何も考えたことが無く学んだこともないような、恥を知る知識知能もないような新しい世代の出現への、恥の思いであった。無論、小生とてこうした恥の思いあるいは態度を見限ることも可能であるがそれは飽くまでも批評的立場にならざるを得ず、しかるにポルノグラフィティとそれを気負い無く聴ける連中にはそうした批評的態度すら必要がないほど恥がないのであり、愕然とするしかなかった。こんなのを脱構築とでも言うのだったら馬鹿馬鹿しいにもほどがある。この連中と小生はほとんど同世代ではあると思われる。
fuggar.JPGthe big soul of john lee hooker(1962) pcd-5267

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