ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「再び、ブルー・チアーと13フロアーエレヴェーターと」 2010年5月29日 罷免
カントに限らないかもしれないが幾何学の明証性を基礎にして認識や理性を保証しようとする論法や幾何学の明証性そのものを、どうにも疑わしく且つ我慢ならなく思っていた小生であるが、今読んでいるショーペンハウアーも、小生と同じ疑いと怒りをもっているようだった。証明は哲学の基礎足り得ない、とまで喝破したショーペンハウアーが主著「意志と表象としての世界」を書き上げたのが30歳かそこらだったことを思い、改めて自分を不甲斐無く思う。いや、30という数字は自分の妄想かもしれない、自分の記憶には一切自信が持てない…。
シモーニュ・ヴェイユは親鸞ほどラディカルではないしジョルジュ・バタイユは道元ほどクリティカルではないな…とぼんやり思うも、後者のバタイユに関しては、いつかクるだろうと思って座右していた内的体験が、昨晩、キた。内的体験が、己が滝壷にでもなったかのように吸収できてしまう夜。
年度始めに掲げたように、まだまだ王道なきロック史の名において書くべきことは目白押しなれど、逡巡する心、低迷する意志甚だしく、怠け心なのか、いかんともしがたい性向なのか、この一週間は、ブルー・チアーと13フロアエレヴェーターしか聴いていない。あるいはこうした荒みの音しか聴けないほど、いろいろと追い詰められている。所帯を持って大きく変わったことは、部屋で一人で音楽を聴き込む機会が失われたのか、家人がいるためか一人孤立を決め込むわけにも行かず、そうしようとする気持ちが削がれてしまい結果として音楽を、肉体を移動させずに聞くことが少なくなった事であったが、一方で、車を運転中に聴くことは今も続けられている。部屋でじっくり聞くのもいいが、疾走中に聞くと、ギンギン研ぎ澄まして聴くことができる。特に湿度の高い雨天ではスピーカーの調子がいいのか空気の問題なのか音が分厚く聞こえて乙ではある。
さておき、過去に本ブログでレヴュウした13フロア~とブルー・チアーを再び取り上げることになったとはいえ、特に新しい見解が加わったわけでもなく、先に書いたように、単なる逡巡であること容赦いただきたい。
13フロア~。竹ほどもある太くささくれ立った茎を持つ猛々しい草の疎らな群れが風を自ら巻き起こして鱗粉、苦沙弥三昧。一斉に逆立つ銭苔。
ブルー・チアー。三人ではない、三匹でもいいがむしろ三頭の男どもが、行き着く先は仄暗い地獄だと決まりきっている緩い緩い坂道を、延々と全速力で下り続ける、その目は、既に何かが見えているかのように確かな焦点を捉えていてぶれず、その実、何も考えていず、しかつめらしい不敵な面魂を粗くたぎらせるだろう。ノイズをノイズのまま楽曲の素材として鷲掴み浮彫にさせる、まるで、音というのは何もかも決定的にノイズなのだと云わんばかりだ。そしてあけすけなリフの怒涛。ノイズが秩序立つことでノイズから脱却したのが音楽や和音なのだという胸糞悪い修身ないしは世界創生神話をもっともらしくのたまう良民には、ブルー・チアーがやろうとしたことなど分かるまい…。分かる人には分かるし、分からない奴には決して分かるまい、という捨て鉢な怒りの気持ちにさせるのは、昨今以異常に多い、過去の売れ筋楽曲のカバーである。カバーが悪いのではないし、己のなすべきことを校正するのにカバーは有効だろう、無論、どの楽曲をカバーするかも、己が試されることになるのだが、コンビニテレビ音楽で垂れ流されるJ-アーティストどものカバー曲の露骨な売らんかな精神はピョンヤンの金日成像のように高々している…。
ここではたと気がついたが、ブルー・チアーは過去にまだ記事にしていなかった。最重要バンドの一つゆえ、気力が充実している時に再挑戦したい。
先週のスコラのフリージャズ編、多いに噛み付きたいことがあったが宿題ということで。今週も、ドラム&ベース編とあってみっちり釘付けである。
猫舌の小生は、茶、カレー、ラーメン、飯、その他あらゆる料理の「熱さ」というのがもう我慢ならなくなってきた。腹減っているから早く喰いたいにも関わらず、出来立ての料理というのは小生にとって尋常ならざるほど熱いから、食べられず、フーフーしたり、しばらく待ったりしなければならない惨めさ。自分が外食で、幾ら不味くとも回転寿司を選ぶ理由の一つは、熱くないからといっても過言ではない。そんな自分にとって、最近広島や呉でブイブイ言わせているつけ麺というのは、麺かツユのどちらかが冷たいので、麺を辛いツユにつけたらほどよい温度になっており食べやすい。大いに励ましたい、重宝する料理の一つである。カレーのように熱いとその辛さの折角の重層性が熱さによってまったく感知できないが、つけ麺のぬるい辛さはしっかり味わえるので香辛料やダシの組み立てが鮮やかに楽しめる。あらゆる料理よ、熱くなるな!
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