ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「robert johnson/the complete recordings(1930~?)srcs9457-8」 2010年5月15日 ハーフ・バースディ
昨晩、芸術劇場のキツメの演劇をつらつら視聴。美の壷だけでなく再放送が多いNHKだが、芸術劇場だけは毎回新しいように思う。時折容赦なく挿入されるジェット機の爆音が、いわゆる演劇的発声のわざとらしい大声抑揚を拒否する台詞棒読み朗読の台詞まわしを掻き消すのが、荒んでてよかった。
このところ、毎晩11時頃になると、向かいの一軒家から、男が小一時間ほど痰を大声で全力で吐き続ける声が、夜の街いっぱいに響きまくる。不吉な夜の底の口腔を赤々と乾いてひりつかせるほどの嗚咽じみた、ウグアァアゲロォゴグェアアアバゲオゴォォゲェェェェッッペッ、という声とも音ともつかぬ呻きを、毎夜聞かされる周囲の住人の一人の小生。
気がかりではあったがうまく使いきれなかったモヤシが、袋の中で白濁汁出してねっとり腐っていたし、追い討ちというのだろうか、牛乳も酸っぱい異臭を放ち、流しに捨てると白い塊がどぼどろと出てくる始末で、何とも気落ちする。
引き続く憂鬱の毎日の中、祖父が体調不良との一報あり、本日、広島護国神社という、戊辰戦役からの英霊と被爆者を祀る鎮護国家的ところに行く。健康長寿の御守を購入し、病気平癒祈願の絵馬を渾身の筆法でしたためておいた。見舞いの手紙に添える御守。
護国神社を包括する旧大本営の広島城を初めて見物するも、思いの他、天守閣内の展示物が盛りだくさんで多いに楽しんだ。
自由が丘青春白書を視聴しながらの執筆だが、相変わらず突っ込みどころ多い。ドラッグ問題の常態化と義理と人情劇はさておき(なぜエイドリアナに絡む、ナオミは!)、そうこうしているうちにラモーンズの話題もあったりして気が抜けぬが、誕生日から半年経ったら経ったでハーフ・バースディと称して祝おうとする心意気は大切にしたい。何かにことつけて祝うべきだ…。
ロバート・ジョンソン。サン・ハウスを師と仰ぐミシシッピ・デルタ・ブルースの祖の一人にしてブルースのバッハ的存在である。バディ・ガイとかハウリン・ウルフとかBBキングほどモダンになるともう耐えられぬ、しかし一方で、ロックの行き着くところまで逝ってしまったといえる極北の、レッド・ツェッペリンのin my time of dying(「死にかけの時」フィジカル・グラフィティ所収)ばかり聴いているが今の自分では筆力で立ち向かえぬほど心が弱っているから久しぶりに聞いてみると、滲みる。キースかブライアンか忘れたが、ローリング・ストーンズの一人が、ロバート・ジョンソンをバッハのようだと評したという。慧眼である。バッハは孤立した音の連なりを崇高幾何の法則に乗せて羅列したため(平均律)、後世においてその音の連なりが和音として一挙にまとめられた時、音楽の父と称されることになるのだが、ロバートの簡素極まりないリフの辞書的披露を、後世のロック芸から聴けば、自ずとバッハ的仕事を聞き出すということになるのだろう。
芸と皮肉を忘れた道化の落つる涙のように透明でぽろぽろのギターはリズムとメロディが狡猾に分かたれる前の野であり、緊密な同行者である、曾良のような。そこへ、楷書のように雁塔聖教序のように黒々と確かに光りながらも闊達な、しかし泥沼のごとく生温かいロバートの声が風のように歌う。地味な表声の末尾に、陽気な裏声が素っ頓狂。記憶が混乱しているかもしれぬが義太夫の、たとえば杵屋六三郎などを来週聴き直す予定である。
それはそうとスコラ、招聘されている、音楽に素養のある学生どもの飼い馴らされぶりはどういうことだろう。なぜ、もっと、テーマに関係なく無茶しないのか。かつてNHKの番組で(セイ!ヤングかヤング・ユーだったかユー)YMO時代に、集まった人と音楽する企画で、人々に音が出るものを持参させておきつつ、自作楽器を持ってきた者はいないか尋ね、いないのをしって露骨な失望と侮蔑の表情を見せたり、細野晴臣氏からの勧めもあって、日本刀をスタジオに鎮座させて衰え行く己の荒みを維持しようとしたり、全共闘の頃、新宿駅で環になってフォークソング歌う主義者たちに対し、そんな下らない音楽で革命が出来るのかと心底怒りを覚えて殴りかかったりした坂本龍一氏が、こんな、おとなしく飼い犬の幸せを享受するガキどものそつない対応に満足しているようであれば、そして仮に満足していないにしてもそれを表沙汰にせぬ大人の対応しているのであれば、彼自身の音楽的衰えも否めないだろう。
青春リアル、議論の内容は兎も角、掲示板の書き込みの代読が、本人の地声とはかけ離れたナチュラル系アニメ声なのが情けない。
会社の星の劣悪具合についても言及したくなったが、自分でも嫌になるし長くなりそうなのでこの辺で。
そうこうしているうちにデジスタが始まった。また下らないのか、不安でもなんでもない。
劣悪 大←会社の星>青春リアル>デジスタ
そして至上の番組、タモリ倶楽部という流れである。今宵は空耳アワード。
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL
この記事へのコメント