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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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第五政治問題の証明

日増しに劣悪化を辿る時局なれど…梅雨入りとは名ばかりでこうも爽やかな週末を過ごしていると…殊更に気色ばむ前のめりの義憤もまた萎えもするし…其れに輪を掛けて…過日の茶会で堪能した数奇三昧の風雅交流の余韻が未だ冷めやらず…早朝には鶯がホーホケキョ、御昼時には雀がチュンチュラ囀る長閑に間の抜けた直近の状況、いつもだったら速攻でイラつきの逆鱗に触れようものを、通奏低音のようにしてどこからともなく草刈のエンジン音が小さく響き続けるのさえも国土の豊穣を想って好ましい風情にさえ感じられ…因縁の札幌ドーム日ハム戦でカープ三連勝で折しも楽天戦でも初戦を白星で飾るし…脳みそが生温かく神経が鈍麻した安穏を決め込むにつれ…生けとし生けるもの全てを言祝ぎたい心境である一方、底辺から時局に噛みつく鋭意は失墜免れず…仕方がないから恐らく思索に汗かかなくても何にも考えなくても解けるであろう、残りの証明問題を解いて御茶を濁したい…

此処数年で証明して来た第一~第四政治問題の題目を整理すると…

1.憲法は国の未来像を語るものではない。憲法で国の未来像を規定するならば、其の像は思想・信条の自由の範疇であるので、ある種の固定された思想・信条を規定する事になるので、思想・信条の自由を否定する事になる。云うまでも無い事だが憲法とは基本的人権(=国民主権あるいは平和主義)で以て国家権力に制限をかけるものである。

2.憲法21条の表現の自由に、公益及び公の秩序を名目にして制限をかけることは、公益云々を政権が恣意的に解釈し運用できるため、重篤なる表現の自由の破壊である。表現の自由は民主主義の根本である。従って、1.と同様に、表現の自由を否定する政権は民主主義を破壊する事を政治的目的としている反社会的集団あるいは組織的犯罪集団として、共謀罪で有罪とされなければならない。表現の自由を否定する者(レイシスト、ナショナリスト等)の表現の自由は否定、制限、禁止しなければならない。

3.選挙に行かない人間は自ら政治的主権を放棄し、自らを奴隷階級として宣言したに等しい故に、選挙に行かない人間からは基本的人権や公民権、主権を剥奪して奴隷階級に落とさなければならない。

4.国家主義者は原理的に利己主義者であり、反社会的存在(刑法的犯罪者あるいは社会契約違反者)である故に、国家主義は否定、制限されなければならない。
※国家主義者とは、国民主権を否定し、国家に政治的主権があるとする思想。反ルソーにして親ホッブズ的考え。あるいは、選挙の時だけ国民主権であり、選挙が終われば、選ばれた代議員に、国民の主権が「移譲される」として国家主権を正当化する者。
※ルソーによれば、国民の主権は「移譲」も「分割」もされない。「主権」が「主権」であるためには主権は国民のものでしか有り得ない。此の事は社会契約論で証明されている。

さて、第五政治問題として、以下を挙げ、今から証明したいと思う。

5.奴隷根性=特権意識
奴隷根性とは特権意識であり、特権意識とは奴隷根性であり、此の両者は人間の一つの相を二つの側面から云い表している過ぎない。もしくは、言い換えても結局同じ事だが、奴隷根性は特権意識を肯定し、特権意識は奴隷根性を肯定し、相互補完の関係にある。

此処で云う奴隷根性とは…現実として国家権力やその他諸々の階層における集団的体制による権力が生殺与奪の実力を行使して言論の自由を弾圧する全体主義状況において、其の状況に政治的抵抗を示す勇気が無い者、を意味しない。事が其処まで進行した場合には、人間個人の資質的心情に由来するような事で奴隷根性と規定するのは不可能であろう…しいて云えば、そうした全体主義状況の中で、状況から期待され強制される以上に、殊更に率先して其の状況を増強、加速させるような翼賛行動に邁進するような扇動的阿諛追従の輩は、奴隷根性と見なしてよいかもしれない。

しかし此処で更に着目するのは、むしろ、全体主義状況が完成していない状況、あるいは全体主義状況の網目がまだ覆い被さっていない階級らが示す行動にこそ、奴隷根性と規定すべき特徴が顕在化するのであって、そして、此れから証明される事になるが、「全体主義成立以前において奴隷根性を行動で示す者ら」こそが、(日本のように)政治的多数派を形成しがちな傾向であると、より広範なる全体主義の礎として、全体主義の完成に決定的に寄与するのである。

此処で改めて定義すると、奴隷根性とは、「全体主義成立以前」において、全体主義体制の現前化を先取りして構想し、其の妄想による不安(体制による弾圧を先取りして恐れる妄想)から、妄想が妄想を生む起点と動機となって際限なく現体制に率先して媚びへつらう輩、であるとしよう。こうした輩は、現体制に、全体主義を成立させる正当性を暗黙の裡に与え、全体主義完成を草の根で主導する大勢となるのである。全体主義の現前化の構想が先か、不安が先かはどちらがどうと云う訳でもなく、同じ現象が同時に起こると見てよい。

こうした奴隷根性の発生要因は、いつになるか分からないが次回の、第六政治問題「安心のインフレーション」に譲りたい。此処では、奴隷根性の現象的分析を続けるとして…此処で疑問が生じるのは、そもそも、全体主義の完成と、未完成を、区別できるのか、と云う問題である…客観的には、治安維持法あるいは其れに類する法律制定(共謀罪、憲法での言論の自由の否定、緊急事態における内閣の特権強化…)を以て、全体主義完成と見なされるが…社会状態の、絶えざる全体主義への移行現象と云う政治的現実を踏まえたら、其れは事を安易に捉え過ぎであろう…全体主義とは畢竟、常に先走る予感であり不安の先取りであって、体制の完成の線引きなどできない曖昧さこそが体制の本質なのだから…ならば、如何なる駆動力で全体主義へと決定するのかは、繰り返しになるが第六問題に譲るとして…

兎も角奴隷根性とは…自分は体制による弾圧の餌食になりたくない、あるいは勝ち馬に乗りたいと云う社会的不安と野次馬的功利主義を何にも増して先走って構想する結果…体制に媚びる行動を其の都度自動的に行い…そして、先走る不安が内的に構想する事で皮肉な事に其れの実現性すらも潜在させてしまっている全体主義が、文字通り不安の中で内的に肯定されている事を核としつつ、率先して媚びる行動の小さな積み重ねが…政治的感度に長けた体制側にとっては、そこはかとなく、一般大衆による全体主義肯定の雰囲気を読み取らせるのであって、そうなってしまえばもう、大衆の潜在的承認を得たと確信した体制側は、少しずつ統制を強める施策を小出しに大衆に承認させては、全体主義への反感を鈍らせる大衆鈍麻を施せばよい話だから、大衆と体制の区別の無い結託が熟成しつつ、後は単純な排除の論理と多様性の否定が進むのみである…心理的に説明すれば、むやみやたらな不安が全体主義を内的に構想する事が文字通り全体主義を潜在的に存在せしめ、其の潜在的存在は顕在化への欲望に反転して、無意識に現実化を欲望する事で全体主義を肯定させると云う話で、起こって欲しくない不安な事を構想して不安で居続けるのに耐え難い精神が、別の後天的原理で働く理性を取っ払って、いっその事現実になってしまえば安心にすっきりする、と云う人間精神のサガ、とも云える…

其の一方で、絶対的正義とか理性とかどうでもよい、兎に角自分は体制の餌食になりたくない、と云う奴隷根性の保身欲求は、一旦体制側についた途端、愚かにも体制の餌食になった者らとは違って、自分は巧い事やって体制の餌食にならないように振る舞えた、体制にへつらう事で刹那的に惨めな思いをした事はあったけど一旦体制側についたら其れ相応の幸福をゲット出来た、あの、無意味に反体制を気取るお高くとまった連中とは違ってな、と云う特権意識を生むようになるであろう此の奴隷根性による特権意識が、取りも直さず全体主義の駆動力の一つであろう。そして、此の奴隷根性による特権意識が、体制に異議を唱える者を時に残虐に弾圧する正当性の根拠となっているのである。

多数派による多数派としての特権意識を奴隷根性と云ってもよい。

以上は、奴隷根性から始まって特権意識に至る道程を示したが、特権意識から始まって奴隷根性に至るのも、似たようなものである。まず、特権意識に二つあるとする。一つは、既に体制の中で特権を享受しつつ、特権意識を持つ者、二つ目が、一般大衆の中にあって特権を享受していないにも関わらず特権意識を自我の中で育んでいる者、である。

一つ目の特権意識について。此処で注意したいのは、特権とは、多数派側に存在するのではなく、多数に承認された少数が所有すると云う事である。多数派の「中」に存在する少数が特権を享受する。実際に特権で利益を受けるのは多数派の中の少数であり、其の少数を承認する多数派は直接的には特権は享受できない、と云う差がまず駆動力、奴隷根性へ至る駆動力として潜在する。こうなるともう、特権を実際に享受する少数派は、多数派の承認が無いと其の特権を維持できないから、多数への媚びへつらいを行動原理として表す事になる。いわゆるポピュリズムであるが…こうなると此の特権意識は、実際の特権自体を根拠としているために、其の特権自体を維持するために、多数派の思惑から外れたら命取りになると云う不安に先走って、率先して多数派に媚びへつらうようになる。いまだ多数派からの支持は失っていないのに先走って多数の意識を構想し、其の不安のままに多数のへつらうために多数からの少数の排除の原理を働かせるのは既に奴隷根性と等しいと云える。従って一つ目の特権意識もまた、排除の論理によって成立した多数派による全体主義から排除され弾圧されるのを「全体主義成立以前」に先立って構想し、不安のままに媚びへつらうのだから、其れは其のまま奴隷根性と等しくなると云える。別の云い方をすれば、特権を享受する少数の特権意識は、多数の中にあって多数からいつやり玉に挙がるか分からないと云う不安と恐れを心理と行動の原理とするから、上記と同じ帰結となる。

二つ目の特権意識について。今現在、特権を体制から享受していないにも関わらず自分だけは体制の餌食にはなりたくないし、体制の餌食になるはずがない、と思っている特権意識は、結局、自分は体制からの弾圧を回避できる特権を有していないのだから、此の者の特権意識を維持するためには、率先して体制側に入る事でしか、其の特権意識を守れないのである…体制からの弾圧を免れて、己の非力な特権意識を維持するためには、率先して体制の中に入り、体制に媚びへつらうしか道はないと云う皮肉なる帰結となるのである。従って、此の二つ目の特権意識もまた、「全体主義成立以前」に全体主義を構想して、全体主義から弾圧されるのを先走って不安がるのを心理と行動の様式とするために、奴隷根性へと帰結する。

奴隷根性と特権意識に共通するのは、全体主義を先走って構想する不安にまかせた、排除の論理と多様性の否定である。そして、全体主義を先走って衝動的に不安にまかせて構想する奴隷根性=特権意識が、取りも直さず、全体主義を現実化させる原動力なのである。
奴隷根性による特権意識、そして特権意識による奴隷根性の成れの果ては、他者の排除と多様性、基本的人権と国民主権の否定である。
よって、奴隷根性=特権意識である。Q.E.D.

まとめられなかったメモ

全体主義肯定=国家主義=利己主義=特権の肯定=基本的人権の否定
全体主義状況での勇気=特殊的勇気=英雄的勇気
全体主義未満での勇気=一般的勇気=良識の範囲=独立した自己=市民

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初夏の鳥取野点ツアー 茶会記

日時 2017年5月27日 土曜日
場所 鳥取市内
亭主 小生

第一席
場所 鳥取砂丘付近 砂浜
茣蓙 一畳分が二枚
客  讃岐国住 丹後国住 因幡国住

茶箱 緑色人工皮革貼化粧箱

席上揮毫
水滴 砂浜にて拾った貝殻 波打ち際にて海水を汲む
硯  砂浜にて拾った石
筆  かな文字用
墨  呉竹精昇堂
海水で墨を擦り…短冊にて亭主が発句奉り、砂に立て置く
「砂ならぬ海もありけり御茶乃泡  黒曜」

振出 図星形アッシュケース
菓子 明治屋ゆかり店製 金平糖 紅白中、白のみを精密ピンセットにて菓子器に移す
菓子器 日露戦役戦勝記念 軍帽と歩兵銃の図蒔絵紙胎朱塗盃 
    蒔絵にて一首「国のため尽くせり犠牲も・・・・・逢ふぞ嬉しき故郷の人」
    (「・・・・・」は読解不明)

茶入 アルミニウム製抹茶缶 ラベル剥がして
仕覆 手榴弾形
抹茶 宇治 至宝の昔
茶杓 黒木 亭主側先端を亭主手ずから小刀で尖らす
茶碗 焦げ黄瀬戸釉割高台高坏形 銘「明星」
茶筅 一二〇本立て
茶筅入れ 亭主手製 紙胎帯巻上にチーク風ウレタン塗布 カルビー製蓋付 裏に千代紙貼付
水筒 木目調蓋付ステンレス製に湯を入れて
水指 ボルビック350ml

程よく曇った青天なれど…初夏の日本海は未だに荒く…むしろ刺々しい程の…人の声を掻き消す波音…そして、執拗な悪意すら覚える、絶え間なく体に吹き付ける潮風の無情といったら…此処で茶入の蓋を開ければ確実に、どんなに亭主が身をかがめて風から守ろうとしても懐まで風の舌が抉り込んで来ては虎視眈々と抹茶四散を狙う潮風の餌食になるは必定だが茶の湯故開けない訳にはいかず…案の定、開けた途端、抹茶がドハっと撒き散らされ…否…斬られた、と云うべきなのだろう…血飛沫ならぬ茶飛沫が小生のズボンの太腿に扇程の面積に散り付けられ…慌てて其の茶飛沫を拭ってしまった狼狽の態は、まだまだ亭主としての未熟を露呈したものとして反省点に数え挙げられるとして…風の一瞬の隙を衝いて茶碗に抹茶を入れるも、茶杓に盛った茶の半分以上は鳥取の浜風へと散逸したのであった。自然の中で茶と親しむ、などと云う悠長な風流気分に喝を入れられるかのように、無情なる自然が容易ならざる対決姿勢を鮮明にして来た、のっけから挑戦的な野点となり…人間の営みに頓着する筈の無い自然へのたじたじの体で自ずと成果の挙がる茶会であった。吹きすさぶ容赦ない日本海の波風の中で、ただ一つの句が立ち、ただ一つの碗中にあえかなる茶の泡が点つ…願わくば此のはかなき茶の泡、此の数奇があの日本海の荒波程に溢れ出さん…ぎりぎりの一座建立…短冊はそのまま、砂浜に刺し置いて、次の茶席へと旅立つ…。


第二席
場所 湖山池 青島 展望台の、屋根付きあずま屋の椅子に腰かけて
客 同上

墨蹟 落書「暴走」
   (あずま屋のコンクリート製床に、地元マイルドヤンキーが引っ掻いたと思しき…)

菓子と茶 同上
釜 チタン製カップ
風炉 コールマン製ガスボンベと着火装置

展望台と云いながら周囲を小高い森に囲繞されて眺望は望めないあずま屋だが、其の閉鎖性故に、お誂え向きの、公共且つ天然の茶室ともなり…第一席の水筒の湯ではやはりぬるかった不如意を解決すべく、風が少ないのを見計らって湯を沸かせる、静かな時間…折しも、床に刻まれた不穏なる墨蹟「暴走」を見おろして鑑賞しつつ…虫の音と鳥の囀りが静寂を際立たせる。
次の茶席のため、水筒の余ったぬるま湯を、ガスボンベで沸騰させて、再度水筒に戻しておく用意周到自画自賛。


第三席
場所 湖山池 青島側 青島大橋の近くの、葉桜の木の根元
茣蓙 一畳分が二枚
客 先述御三方に加えて、御夫人御二方

菓子と茶 同上

席上揮毫
硯 池の岸に転がっていた、ちょうど硯形をした石を拾って、直接、池の水を汲む
池の水で墨を擦り…
短冊にて亭主が発句奉り、客座にて回覧 「池の中にこもる緑や虫の音  黒曜」

掛け軸 蟹の図 御客の画 亭主の表装 
    亭主の発句後、残りの墨で御客に画の落款を所望し、快諾。葉桜の枝に掛ける

再度 菓子と茶 同上

今回の野点茶会は、本来なら二月に行う予定だったが…折悪しく大雪に見舞われて交通機関が遮断された故中止に相成り…其の後、客の御一人からの文に、其の未会となった茶会の後に舌鼓を打つ予定だった山陰の蟹を惜しんでか、蟹の画が添えられていたのだった…其の出来栄えと、お流れとなった蟹鍋への執着と云うおかしみを讃えて、小生は手ずからに、其の蟹の画を表装して掛け軸に仕立てたのであった。しかし、其の画は元より手紙の主からすれば手すさびの挿絵に過ぎなかっただろうから画竜点睛を欠いて、落款が記されていなかったので、表具として締まらない感じは否めなかった。そこで、其の御流れとなった真冬の茶会の雪辱の意味もある此度の初夏の茶会の場で、此の画に落款を所望したいと画策していたのであった。しかしながら、一度中止となった茶会を髣髴とさせる、しかもわざわざ表具までされた蟹の画を此度の茶会で持ち出すのは未練がましい無粋へと堕して茶会を台無しにする可能性も高く…従って、茶会の流れの中で時宜を得たら御披露目せんとして茶箱に其の掛け軸を忍ばせてはいたが…逆を云えば、茶会の流れにおいて此の掛け軸をわざわざ持ち出すのはふさわしくないと小生が判断したら其のままお蔵入りとすべき、優先順位の低い代物だったが…事此処に至ってまさに運よく機が熟し、機を逃さず御披露目の本望を果たし得たのであった。夏に向けて濃緑の葉桜の木陰が頭上を覆って自ずと天然の開けた茶室となり…其の枝にかけた掛け軸が、風に揺れる風情も新しく…其の先には満ち満ちた池の水が広大で…人事景趣の交感した、寛いだ雰囲気に、一座建立相成る。暮れかかって金色に輝く池の水面に風が渡り…宴の夜へと向かう。

反省点としては、抹茶がダマになるのをおそれて、撹拌を入念にやり過ぎたがため、些か茶がぬる過ぎたように思う処である。適度な撹拌時間の練習が必要だろう。更に、茶会中に茶箱が開きっぱなしだと其の場が些かごちゃついて見えるので、必要最低限を除いて極力閉めておくべきであったと反省する。

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今週休載

所用につき今週は休載いたします。次回は6/4です。


五月雨やえんどう豆のサヤ太る

五月雨やとぎれとぎれのセレナーデ

ほころんだ猫は陽溜まり草枕

土嚢をも突き破る草剣に風

十六夜に追われてヤクルトさんが来た


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人生のしみ…

あれこれ仕度していたら時間がなくなったので時局の話はさておいて…目下心の枷になっているのは…先週お助けした革靴の事でやきもき…勇躍早速本革のお手入れを入念に致さんと、さりとて事前に知識を仕入れる慎重さに欠ける浮き足立った先走りの執着のままに…靴を買った店で革を保湿しつつ経年で艶を与えるクリームと、靴底の革に柔軟性と防水性を付与するらしき、アンメルツヨコヨコの形状をした油液を買い込む…胸元から銀鎖をじゃらりとさせた、ポマードでオールバックの三つ揃えの縦縞スーツを仕立てよく着込んだ店主から豚毛ブラシ等も勧められたが舞い上がって這う這うの体でそそくさと帰ったのがいけなかったのか…布でええやろと甘く見て、今にして思えばあまりに質が悪いから雑巾用に切り刻んだ濃紺の布団カバー(洗濯すれば色落ちしてその他の衣類を真っ青にする、破れやすい、毛玉だらけ、そのくせ吸水性はなくて雑巾としてもあまり役に立たない)を切り刻んだ雑巾でまずは手持ちのクリーナーを擦り付けると一瞬、革の表面がさっと青く染まった瞬間小生の眼球表面が真っ青に血走って…その後どう対処したのかほぼ記憶に無い程内的恐慌状態に陥りつつ茶会用の白いさらしでクリーナーとクリームを塗り着けたり伸ばしたり空拭きしたりを盲滅法にやりまくった結果…十円玉大の仄暗く青いシミが何とはなしに、念願の革靴に沈着しているように見えてしまい…しかし其のシミは、比較的視力がよい小生がさんざん光の角度を検討したら辛うじてごくうっすらと見えなくも無いレベルであるし、何となれば其れは小生のしくじりのせいと云うよりも、元元の革の風合いの一種としての自然な色合いの変化とも思えなくも無く、なぜならば手入れをしようと発起する以前はさほど革の表面を観察していず、靴磨きを思い立ってから、殊更に革の表面を神経質に見るようになって、其の結果、革の表面の微妙な差異までもが過敏に見えるようになった、と云う、観察能力の激変があるのだから、其のシミが小生のしくじりのせいなのか、革本来の元元の色合いなのか、最早区別は付かなくなっていると云う現状は理解するにしても…一度しみついたシミのような疑念は理屈や感覚のゴマカシで払拭しようにも、払拭しようとすればするほど、限りなく薄い其のシミが心の中では無性に焼印されたかのように解決し難く濃く見苦しく感じられて耐え難い思いが募るばかりで…こうした執着は健康に良くない、多少のシミは侘びに適うではないかと思うのも露骨な付け焼刃で隔靴掻痒は否めぬ…因果な事になったものだ…時が解決してくれるのを待つしかないほど…救い難い執着が酸のシミのようにあくどく深く浸透して、心の平穏が蚕食される此の感覚…革靴の魔性、恐るべし…

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五月晴れ…

かねてより事有る毎に物色していた革靴を、清水の舞台から飛び降りる覚悟で購う…目ぼし付けた其の店に陳列してある意中の革靴を数か月前から監視下に置きつつ…機が熟したのを見計らって店内突入し、縦横無尽に店内で其の靴のサイズ違い三種類を履いて歩き回って試着三昧…其の靴の履き心地を入念に確認に及ぶ…どうも、以前手に取って目視した時と比べて形状が設計変更されているような気もしないでもなく、其の多くがシュッと先が尖がっているため小生の足形状に合わない最近の靴と異なり、カモノハシの口ばしのように先行きが幅広い形状に邁進していた其の靴の姿勢を高く評価していたが…其の靴が昨日になっていささか流行りの形に近い感じで若干先がシュッとしているように今更ながら思えるのは、やはり売れ筋の形状に変更したためなのか、しかし其れでも凡百の、先がシュッとした革靴よりはカモノハシに近い形状が保たれているので御の字として購ったのであった…そうは云っても、今日、近所のスーパーまで歩いて確認した処、結果としては履き心地に大きな問題は無く、後は革が馴染むのを育てる課題と云うか悦びが待つばかりではあった。些か歩き疲れて帰宅後野球中継を垂れ流しながらうたた寝ならぬ、布団に横臥した正式な昼寝に及び…爽快極まる五月晴れ、時局に毒付く気概も失せて…折悪しく連休中の暴飲が祟ったのか口内炎も真っ盛りで…今日は国際情勢を概観したいと思っていたが来週…まずは、英国のEU離脱から数えると、ロシア、中国と云う二大ファッショ国家の存在を下敷きとして…フィリピン、トルコがファッショ独裁に突入し、アメリカにファシスト大統領が誕生するも賢明なる議会や司法、メディアが粘り強く抵抗するが一進一退の状況を呈しつつ、オーストリアでの首長選挙か国政選挙で極右政党を退け、続くフランスでも何とか極右を退けて中道政権が誕生し、事情は欧州とは異なるも韓国でも中道左派政権が誕生という事で、それだけで云えば、世界中の国家主義台頭の動きに対して多少はリベラル勢力が白星を重ねているように見えるが…と、取り急ぎ今週は此処まで。

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岩の国から

麗らかな五月晴れ、連休の事始を飾るに相応しく、錦帯橋祭に馳せ参ずるのは、祭り本体が目的ではなく、其の協賛事業として催される掘り出し市であって…葉桜も既に色濃く、日差しは初夏の眩しさの中、橋を渡る強風は何か透明な一匹の竜神の腹が無造作に擦り付けられている程、長く、強靭な風に苛まれつつ…目当てにしていた逸物にはたいして出会えなかった意気消沈…来る茶の湯に備え、旅先まで持参するのに茶筅を保護するために、いわゆる茶筅筒、あるいは其れに見立てられるイカシタ品物との度肝抜く邂逅を期待して物を漁る晴天の午後なのだが…茶筅筒其のものはおろか、見立て可能な、お誂え向きの品物に遭遇する事は無く、丁度良い大きさであっても錫製で重過ぎるし、材質の軽さは良くても茶筅が入りそうに無いなど、帯に短し襷に長しの態で…最も、茶筅筒目的というのも目的が特殊に過ぎたのであろうとも自戒しつつ…分解可能な白木の天目台と、透かし彫りとエキゾチックな着色が施された印度の真鍮の器を連れて帰る…持参した手作り弁当を、錦川の清流や大名行列などの賑わいを眺めながら、黙々と頂く至福の時…次の目当てである岩国屈指の古本屋、文化教材社を数年ぶりに再訪…数年前、道教系の書物をお助けして誠に勉強になったから、其の時買い渋った、同じシリーズの道教系書物を全巻買い上げようと云う腹づもりだったが、そんな都合よく残っている筈も無く逃した魚の大きさに身悶えしながら、其れなりに満足出来る出会いを齎した諸諸の古本を連れて帰る…絶対に面白いに決まっている安岡章太郎の「流離譚」、中国古典新書の「唐宋八家文」と「画論」、戦前の物理学雑誌と、同じく戦前の女子用修身の教科書(「二の一 隅ツル子」と記名有り…一瞬、ライブハウスのオーナーさんの御先祖かと早合点したが字が違うので他家の方だろう…無責任な国粋扇動家、徳富蘇峰がイカツイ大言壮語で、「今」に通じる空虚な国家観を披瀝しているよ)、東洋文庫「光悦うたい本」の復刻版、ぶっ飛んだ構図が往時の少女マンガの自由を再確認させる、竹宮恵子のSFサイコロジック少女浪漫「ジルベスターの星から」、それから、三島の「英霊の声」…2.26事件を夢幻能に仕立てた台本も所収…誰も付いて行けない、きちがいじみた三島の創意の炸裂…と、此処で小生が書く時点で、三島の、皮相なる現代社会に対する内的憤りの核みたいなものは、其の良し悪しは別としても、理解は出来る気がするのである…とても付いてはいけないとしても…総じて三島が恋い焦がれて止まない青年将校というのは、非現実的で実戦感覚が全く感じられない、ある意味独自過ぎる故に歴史的にも社会的にも民衆的にも容易な解釈を拒む不可解な美意識の産物であるが…其れは兎も角として、今日の尖兵右翼が、三島ほどの気概と覚悟と学識と造詣を併せ持つのなら一聴に値しようものだが…実際の昨今の国粋扇動者らの浅薄なる体たらくと云ったら酸鼻を極めるほど貧相で惨めな、凡そ論評に値するものではない下劣である…森友学園は…学園への天皇行幸の事実など存在しないのに(宮内庁がはっきり否定している)、天皇陛下が学園に行幸したと云う事実を捏造して公表、吹聴したり、更には、補助金詐欺やら何やらで理事長辞任に追い込まれた会見の時、ぬけぬけと何ら悪びれる様子も無く「耐え難きを耐え」などと、昭和天皇の終戦の詔を平気で引用してうそぶき…自身の、補助金=税金詐取が原因で理事長を辞めざるを得なくなったと云う、身から出た錆びの、あまりにチンケで小汚い反国家的所業の結末に対して、右翼扇動家からすれば畏れ多い聖断であるはずの、そして苦渋の決断が忍ばれるはずの、終戦の詔という神聖なる物を引用する事は、彼らが日頃天皇陛下万歳と唱して敬愛して止まない皇統を愚弄する事に他ならないではないか。恐らくそうした不敬其のものが彼らの本質だからこそ、其れを全く意識せず無自覚に、あの場でああした発言がぽろっと出るのであって、即ち、自称天皇崇拝者のうっかりミスなどではなく、彼らの主義の原理的本質が露顕したと言う事なのである。いわゆる君主主義者というのは表層的には君主を尊崇し滅私奉公も厭わぬと大言壮語して憚らぬばかりか滅私奉公と大政翼賛を他人に正当化しさえもするが、其の本質として、原理的に、必然的に、彼らが表層で大事にしている君主の存在を軽侮し、愚弄し、嘲笑し、私腹を肥やすための道具として利用しているに過ぎないし、利用している事になるのである。君主主義者だけでなく国家主義者も同じ帰結である。その証明は既に数週間前に書いたので此処では繰り返さない。

慌しくホテルにチェックインし、フジグランで買い込んだ酢豚弁当と青菜の白和えをベッドの上で一人もそもそ腹ごしらえ…此れから苛酷な、長時間に渡る音圧地獄(岩国ロックカントリーでの4/29のライブイベント「超次元ロック」)に耐え抜くために、自覚的にしっかりと酢豚を腹に溜め込む…話は変わるが前衛芸術家の故 赤瀬川原平氏のエッセイで、非常に興味深い記録がある…1960年代のある日、氏と其の仲間達でネオダダイズムオルガナイザーズと云う美術集団を立ち上げる最初の会合の時、会場の一室があるビルの外階段に通じる出入り口の擦りガラス越しに、何やら怪しげな人影がうろうろしているのが見えていたらしい…気になって開けてみると、当時既に気鋭の評論家だった瀧口修造氏(澁澤龍彦氏かも?)がばつの悪そうに立っていたと云う…喜んだ赤瀬川氏らは、せっかくだからぜひともお入り下さい、と勧めるのだが、瀧口氏は、いえ、自分は此処で結構です、と言い残して中に入らずそそくさと帰っていったと云う…翌日の新聞で、瀧口氏は、ネオダダイズムオルガナイザーズ結成と其の美術的意義についての記事を発表していた…赤瀬川氏が思ったのは、瀧口氏は、この1960年代の日本において、本当に「ダダイズム」の名を冠した美術団体が旗揚げされたかどうか、此の程度の事なら伝聞を事実として認識しても事足りるのに、わざわざ、自分の目でしっかり「確認」するためだけに足を運んだのだ、しかし其の会合に自分が参加する事は美術の「歴史」に影響を及ぼすことになりかねない、と云う批評家独自の奥ゆかしさ故に入室は遠慮しておきながらも、「結成された事実」だけはきちんと「確認」すると云う、実に控え目ながらも、些かいやらしいほど強烈に生真面目な瀧口氏の批評魂を赤瀬川氏は感得したのであって、其れを読んだ小生も、瀧口氏の奥ゆかしいのと同時に貪欲な批評のあり方の不気味なおかしみと、その事をきちんと嗅ぎ取る赤瀬川氏の鋭敏な感覚の邂逅に、素朴な感動を覚えるのであった。

瀧口氏の研究熱心には及ばないにしても、此度のライブで小生としてわざわざ立ち会ってまで「確認」すべき事は、予め明確にしていた。何故ならば、日頃時局について書いてばかりいるように見えても、其の影ではいつだって音楽について思いを廻らしているから、自分が聴きたい音楽のあり方と云うのは否が応にも造形されるのであった。

確認事項はこうであった。
「楽器を演奏する事で音が出ているのかどうか」
「楽器を演奏する事で音を出さなければならない」

要するに、楽器の演奏が聴きたいのではなく、楽器を演奏する事で音が出ているかどうかが試されていると考えているのである…此れだけでは大変わかりづらいので以下説明すると…当然ながら、此処で云う「音」と云うのは、通俗的な意味での音波としての音ではない、演奏すれば音波としての音が出るのは当たり前なのだから、此処で言う音とは、其れとは通底しつつ隔絶した、「本質的な音」「根源的な音」であって…楽器を小器用に巧みに演奏する事に執心して没入し、其の外部で鳴る根源の音を予め体制的に排除したような、社会的歴史的に愛玩され承認されたような、うまいこと演奏された音、きれいな音というのは当然飼い馴らされ媚びへつらって来る宮廷のデザートに過ぎない…其れはクラシックや歌謡曲のみならずロックバンドといえど楽器を扱う以上は逃れ難い陥穽であろう…しかるに本質的な音とは…まず以てうるさいものであって、断末魔や産声のみならず、とりわけ動物が音を立てる時というのは切迫した状況で止むに止まれず「出す」のであって…畢竟、其の音は根源的に、状況への「抗議」であり「異議」であり「抵抗」であり…其れは、始点を産声として終点を断末魔とする、抗議でしかありえない、誠にうるさい、耳障りな、しかし其れゆえに耳をそばだててしまう「音」なのである。ならば、こういった本質的な音はどうやったら出るのか、ただ楽器を演奏するだけでは駄目ならば、例えばわざと下手に、あるいは天然で下手に演奏すれば其れが本質的な音なのか、兎に角大きい音ならば其れが本質的な音なのか、と云うと、そんなマニュアルが存在するはずも無く、元来マニュアルどおりしたら出る音なぞ本質的であろう筈が無い。どうすれば本質的な音が出るのか一聴衆の立場から云えば皆目見当がつかないけど此の現場では本質的な音が出るかもしれないと期待するからわざわざ相応のチケット代を払って確認しにやって来るのである。

其れでは何故に「楽器を演奏する事で」なのか。本質的な音云云ならば、市場や歴史において洗練され承認された楽器よりも、その辺の任意の自然物や非楽器の器物や道具から音を出したほうが、本質的な音が出やすいのではないか、と考えるのも普通である。確かに其の可能性は否定しないが、しかし、時折ワークショップだとか、観客参加型で似非民主主義気取りのスマートな、しかし空虚な自己満足に過ぎぬエコなイベントなどで遭遇しがちかもしれないし、竹輪で尺八のような音を出したり、シャベルを叩いて津軽三味線風の音を出したりといった目くじら立てるほどでもない大衆演芸の他愛の無いものもあるかもしれないが、兎に角、自然物を使って、流通する楽器のような音を出す事ほど醜悪なものはないと云い置けば事足りるであろう。既に形容してしまったが即ち楽器とは、市場的歴史的社会的に許認可された発音装置であり、そういう意味では体制に飼い馴らされた道具である。しかし、其れが音を出す道具である以上、其の音は常に、本質的に顕現しうる可能性を秘めているのであって、とりわけ、体制内道具に過ぎない楽器から、体制への異議を原理的に申し立てる本質的な音が出た時、此の発音行為は必然的に体制内革命と云う社会的意義を持ち得るし、其れが過大な意味付けだと云うならばあるいは「異議=意義」を生成させて社会との格闘の現場に初めて立てるとも云えるだろう。また、楽器で音を立てることを反体制云云と云った社会科学的意義に押し込める事をせせこましく感じるならば、斯様な音の社会性は、生そのものや人間そのものに由来する世界への異議を根源とすると考えてもよい。まとめると、「楽器を演奏する事」で「音を出す」事の意義は事のほか重大だと云わざるを得ないのである。特にロックは、電力と云う、文明と資本のリンパ液(文明と資本の血液は貨幣としておく)によって音を増幅変調させる事を基礎としているのだから、いよいよ以て電気楽器を使って音を出すという事に意味と責任が生じるだろう。だからこそ、此の御時勢も意識しつつ、「楽器を演奏する事で音が出ているのかどうか」確認しに来たのである。

時局が切迫した社会的人間にとっての優先順位をまとめるとこんな感じである。

自然物による本質的な音 △
自然物による飼い馴らされた音 ×
楽器による本質的な音 〇
楽器による飼い馴らされた音 ×

Dead Vaginas…パンキッッシュな力相撲で押して押して押しまくると表の曲とリズムが汚く摩滅して、自ずと空中に赤裸々になる核心のリズムが直接聴衆の脊椎と強制的に共鳴して背骨をバキバキに折れ兼ねない方向性を示しつつ…こうした方向性で云えば、比較に意味は無いとしつつも、山口住のめがほんずの方がより徹底的に高速で構造を築きつつ同時に破綻させる膂力あるいは馬鹿力において勝っていたと思い出すのであった。結果としては、恐ろしく凡庸な力技による物凄い遠回りによって、ごくごく刹那的に、「楽器を演奏する事で音が出ていた」。あるいは、「本質的な音が出ていた。」其の意味では誠に痛快であったが、斯様な力技を駆使するバンドは幾つか散見されるようで…例えて云えば…常温常圧では起こり難い化学反応を無理矢理起こすためにガッツリ設備投資して高温高圧条件下で無理矢理反応させる、其の効率の悪さを愛すべき聴き処とすべきなのは分かってはいても、此の反応系ではあまり此れ以上可能性が無いのではなかろうか、と思う次第で…似たような論旨の事は過去にも書いた事があるが…可能性と云うよりも多様性が制限される凡庸さと云える。

そして、前のバンドさんが後片付けしつつ、次のバンドさんがしつらいを整えるインターバルの、御歓談の時間に…誠におぞましくも…野太く過敏な暗闇を執拗に爪弾く、聞き覚えのあるギターに俄然神経が興奮を抑制しきれないままに…脅迫的に逼迫の度合いを徐々に加速度的に増すドラムが地獄の夜明けを告げては…ポンキッキのガチャピンじゃない方の、毛むくじゃらの化け物ムックがじわりじわりと首を絞められつつある野性のきちがいじみた声が断続的に此の世の悲惨を告知しつつ、別の彼方では小さな蒟蒻の妖怪みたいなのが猿轡かまされながら手が付けられぬほど場違いなはしゃぎを遠くから揚げている時点で此れはあれだ、小生の精神の核の一部を形成しているthe 13thフロアエレベーターに違いないのであって…何度も聞いた事があるのに再度新鮮な気持ちで半ば聞き惚れながら今まさにムックが絞殺される寸前の断末魔が揚がる、一番盛り上がる最も聴きたい箇所に差し掛かった処で、此の、BGMとしては格が高すぎる13thフロアエレベーターの名曲が容赦なくぶち切られ、ジゲンオルガンが始まったのであった。

たまたまなのだろうがあのエレベーターの名曲をぶち切って此れから聴かせてくれる音に一体どれ程の自信があっての所業なのかと一瞬憮然とした気分を持て余しつつ確認作業に入る…音量、音数は此れまでよりも控え目ながらも…最早、音量、音数にいたずらに依存する事無く…しかし誠に的確に「無駄な音」が出ていると云うべきか…今回聴いた限りでも、去年か一昨年に聴いた時に小生が感得した、ジゲンオルガンが達した境地の本質は維持出来ており、其の実相は去年か一昨年に記述しているので過去のブログを確認願いたいが、其の本質は維持されていると云う事は、確認の結果は、「楽器を演奏する事で音が出ている」のだが、今回特筆すべき事は、「無駄なく無駄な音が出ている」、と云うべきであった。…此処で云う「無駄なく」と云う意味は、下手な鉄砲を数撃てば当たるではなく、的確に自覚的に、ある意味狡猾なまでに冷静に的から外すと云った強烈な意志の現れであって、其れによって出ている「無駄な音」と云うのは、「的=飼い馴らされた音=ただの楽器の演奏」、ではなく、即ち「本質的な音」なのであって、此の本質的な音は生命の根源でもあるのだが、其れを何故無駄と云うのか、其れは常に生命が根源であればあるほど己の無価値を告発され続け、あるいは異議し続けると云う偽らざる現実、あるいは偽り続けるしかない現実と対峙する事そのものが生命の根源の姿であって音の本質だからである。もっと云えば、生命あるいは人間が感じないと存在しない音の本質だからである。無駄である事を隠蔽しないからこそ無駄でしかないのが無駄な音の謂いであり、此れが、音の本質である。このように本質的に無駄な音と云うのが、はたして盲滅法に、偶然任せで出るだろうか。其れは原理的に不可能であって、それこそ、生命の根源と、逃げずに対峙し、自覚し得る明確な意志、ある意味凡庸なまでの、当たり前の意志があって初めて無駄な音が出せるのである。なぜならば此の意志は普遍的に生命の根源=異議申し立て其のものだからである。無駄な音とは、余計な音、なくてもよい音と云う意味ではなく、自ら無駄の底辺に身を置く事で無駄でしかない状況を暴露する音、其の暴露を隠蔽する宮廷の音を告発する音である。

此の凡庸此の普遍性は、先述のデッドヴァギナズの凡庸とは方法を異にしており、例えば極端を云えば、デッド~が、高温高圧での火力発電で、大掛かりな設備で水を液体から気体に変えて其の蒸気でタービンを回して電気を作るという力づくで遠回りながらも汎用性の高い方法であるのに対し、ジゲンオルガンは、水素と酸素を反応させて水と電気を直接作るという、実に明快で直接的な、在り来たりな物質を使った方法なれども、いざ実用化となると難易度が高いのか汎用性が低く希少性ばかりが目立つと云う事がある。例えば水は、地球の生態系において欠かすことが出来ないが同じ分子量の物質と比較すると様様な特異性を有する奇怪な物質と云わざるを得ないが、其の水を、ロック、として照応させると…デッド~は、其の起源が問われないまま受容された、既にある水(=ロック)に外部から無理矢理エネルギーを加えて相変化させた上で其の変化を力学的エネルギーに変えてタービンを回して電気(=音)を作る。対して、ジゲンオルガンは、まず其の現場で自らは触媒として働きながら、水素(=ガレージ)と酸素(=サイケ)の爆発的反応を起こして、水(=ロック)と電気(=音)を生成する訳で、ジゲンオルガンの凡庸さは凡庸ながらも、其の時其の場でガレージとサイケと云うロックの起源を明示しつつ、ロックと言う本質の音を生成しているのだから必然的に其の水(=ロック)も電気(=音)も新鮮そのものであるし、新しさしか存在しないのであろう…本質的な音というのは新しさでしかないのだから…いや、そこまでではないかもしれないが…

わけが分からなくなってきたが其れは兎も角として、ベースは常に挑戦的に何しでかすか分からぬ手が付けられない変態弁才天としてライブごとに本地垂迹しては悪ふざけにも程がある親切な、人懐こい天衣無縫であるし(ベースが弁財天の琵琶に見える)、また、他バンドのような、バランスよく様様な太鼓への打撃を八方美人に配分するリズムへの依存あるいは自堕落をきっぱり排除した此のドラムの叩き分けは、時として執拗に、目的があって目を付けたある太鼓のみを執拗に叩く事に平気で傾倒し、時として捨て鉢に色んな太鼓にばらける感じで、時に無駄な一撃を入れるべきタイミングを、楽曲の破綻寸前まで虎視眈々と一瞬待つ事も厭わない老獪な余裕(=しくじり寸前)も聴き取れて、かと言って音なら何でも云い訳でもなく、此の音が求めるべき音か、あるいは宮廷のデザートになっていやしないか常に峻別する社会的意識も要所で布石しつつ…両者とも緩急自在に開かれたやり口だからいつ聴いても新しく、可能性と多様性が開かれる無駄の底辺で暴れるのを怠らなかった。ジゲンオルガンが其処までの境地に至ったか否かは実際保証できないにしても(本質とは、保証されるものではない。常にぶれているものだ)、こうした希望的観測を書かせるに足る可能性と多様性を開いている演奏であったのかもしれなかった。思い切りやるときは自身も痛みを伴いながら相手のほっぺを思い切りはつり、相手の肉を集中して叩く残忍も憚らず、流す時はいい加減に開いて寛ぐ様だったのを緩急自在と云っているが、だからといって上手い演奏という訳ではないのはもう説明する必要は無いだろう。当事者から云われるまで、今回は、あの脳天をつんざくキーボードが故あって無かった事に気付けなかったのは小生の痛恨の不覚であった。思えば、キーボードを足蹴にして音を出すと云うあのスタイルも、人手不足と云う事情故なのは分かってはいても、西洋の伝統(=キーボード=音階の統制的配列)に対する、尾崎紅葉の金色夜叉的演劇(熱海海岸で貫一がお宮を足蹴にする名シーン)にも見えるのはあながち比喩的な意味では済まされない本質が露呈している気もする。

とすると、Radical Faceはどうだったのか…立派な手練れでありつつロックの本質は十分滲み出せていながら…やはり、其の修練への生真面目さが、楽曲の破綻を恐れる壁になっていたのは否めなかったのか…

計5バンドを体感後…将棋でいう処の感想戦に入る…初夏の地下のライブハウスでのビール旨し…海老蔵は一刻も早く、自身の事件を材に取った平成歌舞伎18番「六本木酒場過誤」(ろっぽんぎさかばのしくじり)を上演すべき事、さもなくば伊藤利尾介との決着をつける事で朝鮮半島情勢の緊迫を鎮静化させるべしとの衆目一致をみる…頃合いを見計らって、一度炎上したが近所で復活を果たした居酒屋さんで五橋のヌル燗を嗜みつつ、時局批判に怪気炎…目玉焼きを乗っけた焼きそばが、酒で疲弊した胃を癒す…他愛のない料理ながら、こんなものでいいのですよと心の中で熟した快哉を叫ぶ…二軒目たぬ吉に潜入…一件目と同じく、誠実な御店…五橋の冷やともろきゅう、そして雅な品名が心ときめかせる「磯の松原」(海苔の上に梅肉と納豆を乗せたもの。自分で巻いて食べる)を注文…心に沁みる一時…翌日になって、たぬ吉で提案すればよかったと少し悔やんだが、改めてしめやかに…ムッシュかまやつとTHEEE BATの女性メンバーの方の御霊に…、献杯…。

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今週休載

夜の地下室の、ロックの国へお参りに行ったり…せっかくの五月晴れを持て余しつつ…昔はガバガバ飲んでいたビールも、最近は何か体に合わなくなってきたのか、酔いとは異なる、質の悪い怠さに襲われるようになり…意識がぼーっとして…今週は休載…ふとつけたNHKの、完全な大本営発表ぶりに少し心の火花が散ったが…今宵は引火する気力も失墜して…

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新じゃが

新じゃがの、小さいころころしたのを一袋百八円で買い込む…皮ごとテリテリした煮っ転がしを作製せんと旬に欲深く目論む旬の週末…ぽかぽか陽気にほだされて時局の、最早危機を通り越しての純正全体主義体制の補完状態に頬かむりしてやり過ごすしかない惨めな絶望に自己憐憫する胸糞悪い自家中毒で自虐する惨めがそこまで熟成されたら決起出来るのか…いずれにせよ事態がこうなったのには主権者である自分の責任であり、此の純正全体主義体制を批判する事はそっくりそのまま自分の臆病な不甲斐なさへの批判として帰って来るのだから気勢は鈍り、情けないだんまりを決め込むしかない…自民独裁体制を祈願する狡猾なる政権は当然ながら…憲法21条改正で言論の自由を抹殺すると云う最終局面に向かう前段、あるいは露払いとして、閣議決定で決まったも同然の共謀罪成立によって国民から言論の自由を剥奪する決定的な一手を繰り出すのであって、此の政権の立場から云えば当然の措置であり、小生の如き一部の人権擁護主義者の、憲法改正の国民投票の動きになったら動けばよいという、不利な時局から目を背ける自己慰安の悠長な及び腰逃げ腰の思惑に付け込んで、実務に長けた政権は、速攻で先手を打って、共謀罪によってあらゆる組織的反体制運動を政治権力で以て封殺するのであったか…と思い詰めたらもういざという時に楽に死ねる薬があればさっさと服用したい軽率な焦燥に駆られるが如何ともし難く…国家主義者は私を滅し公を奉ずると云う大義名分によって最終的には論理的にも思想的にも社会的にも国家を私物化する、幼稚なまでに矛盾した貧相な実態を露呈させる、政治的には文字通り国民主権を否定した専制主義者であって、一部の特権階級の利益と保身のみを追求する私的政体である事は先々週証明した処で…リベラル勢力がそこそこ健在で、議会が大統領独裁を封ずる上できちんと機能しているアメリカをうらやましく思っている場合ではなく…主に資本家と軍人から成るトランプ政権…極右思想的スパイスも当初はまぶしていたようだが実務に劣る故なのか一旦極右思想アドバイザーのバロン氏は遠ざけつつのようで…どう転ぶかよく分からんがシリアや東アジア情勢など興味ないかと思っていたら、内政の行きづまりを糊塗するためかミサイルぶっ放して安易な目くらましに打って出る…深く探るべき真意など皆無の、政治的老獪さに欠けた浅知恵の思いつきほど、意表を衝くものはない…とは言え、外交的にも内政的にもあそこで一発ぶっ放さないといけないタイミングだったのはよく分かる…選挙中のロシアとの内通疑惑を国内的に払拭しつつ、外交面でロシア、中国になめられないためにも効果的ではあった…また、北朝鮮への関与をアメリカが明確化した事で表層的には東アジアでの中国の覇権にアメリカが介入的に釘を刺す影響も期待できるから日中直接対決の懸念による日本国内の軍国主義化への潮流が少し和らいだという意味では有り難いがしかしだからと云って其れは表層的な事象に過ぎないのは誰もが承知の事であって、基本的には東アジアに興味が無いトランプが外交的メンツに拘泥する筈も無く、今はたまたま議会の抵抗によって文官を制御出来ないから直近の軍人たちの意見だけは取り入れて政権維持を図っているトランプだが、基本的には米中露の悪の枢軸による此の国の内憂外患の危機的状況に目下あるという状況は変わらないだろう…今はたまたまの小康状態…

メモ

戦前の、家父長制=父親による家族内専制政治(父親の意向が絶対!)
現代の、絆制家族主義=中心なき、家族内全体主義(家族が大事!)

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旬…

初夏の陽気に誘われて、気の早い素麺を茹でる…つるつるとのど越しも爽やかにテレビで野球観戦の…安眠貪りたい、まったりした午後…調子に乗って旬のアサリなどを購う…いそいそと塩水を作製してアサリを入れ、塩抜きに挑戦するも…異変を察知したのか皆一様に口を噤んで断固として砂を吐こうとせぬ頑なさで抵抗の姿勢を最期まで貫くが無情にも酒蒸しに…飲酒用ではない、下等の料理酒のみを無造作にぶち込んで鍋で蒸すと、一枚また一枚と逃げ場のない鍋の中でカタカタと殻が開く音が…食すに美味でない筈も無く滋味深く臓腑に浸み渡り…誤魔化し無用の調理方法が功を奏して…旨みが濃縮して皿に溜まった汁をすする…砂は運よくあまり入って無くて…今までは、休日の土日は御惣菜で済ます事が多かったが最近になって店屋物の間違いのない味付けがどぎつく感じられて耐え難く…少々面倒でも天然の味を生かした料理を自分で作った方が、噛みしめる薄味から滲み出る食べ物の有り難い豊穣の風味が感度よく感じられて…断然此方の方が豊かな食生活である。今後とも旬の食材を念入りに追っていきたい。

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春闘…

先週の文章に追記…追記部分は下線部で表示しているとして…今更ながらハラワタ煮えくり返るのは…春闘でテレビで話題になるような大企業、有名企業などは既に十分たんまりがっぽり給料をもらっているのだからこれ以上のベースアップなどは絶対必要ないのに歯止めの効かない強欲なのか際限なくそうした大企業に限って給料を上げるから、そうした大企業が、「もうお腹いっぱい。これ以上食べられないよ~」と云って、脇に控える中小企業におこぼれを投げ与えるのをひもじく物欲しげに惨めに待ち続ける中小企業にはいつまでたってもおこぼれにありつけない、なぜなら金は幾らあってもお腹いっぱいにならないから…中小企業の製品を安く買いたたいて搾取し、其れによって構造的に私腹を肥やす大企業が春闘でベースアップされる必要性は全く無い…大企業が、其の傘下の中小企業、サプライヤーより給料が高いのは明白なのだから…大企業において自社がベア出来る余裕があるならば、政権得意の経済介入によって大企業が中小企業から日頃ねちこく安く買い叩いている部品などを大企業が高く買い上げるようにすれば中小企業もベアが可能だと云うものを…聞く処によると…中小企業が自社努力によってベアしようとすると、大企業から、「そんな余裕があるくらいならもっと部品を安くしろ」と云ったえげつない要求、干渉があると云う…そうした不当かつ隠然たる干渉と云う形においても、中小企業は大企業から搾取されていると云う…ごく少数に過ぎない大企業の社員はたいして金に困っていないのに政権は大企業のベアばかりをわっしょいファッショいとばかりに応援するから政権から承認を得られたと忖度する大企業ばかりがベアで肥え太って如何にも日本全体が春闘で給料が上がっているようなマスコミでの印象操作ばかりが欺瞞と虚飾に満ちて横行する羽目になる…此れは無論、中小企業の製品を大企業が安く買い上げて組み立てると云う製品構造、産業構造自体に由来するピラミッド、俗にいうシャンパンタワーを自明の構造として承認しているからだが、当然、此の構造は自明でも絶対的正義でも自然の原理でも何でもない…どの部品も最終製品の品質に欠かせない価値があるものであり、其の部品一つ取って見てもそれぞれに設計と製造の創意と努力がある限り、組み立てだけが最高の価値があるものとして高給を取る理由にはならない…ある一つの製品について、最終組み立てや設計だけが高い人件費を取り、其の発注を受注する部品会社は安い人件費で買い叩かれ搾取される現状に疑問を呈するならば、ある一つの製品に携わる人間全てが同じ給料にならなければならない理由も成り立つのではなかろうか…無論、原価はそれぞれの部品製造元で固定となるとして、労務費、売価の調整は必要になるだろうがそうならば単純な多項連立一次方程式を解けば何とかならないのか…完全なる平等は現実的方法上困難としても、少なくとも組み立てと部品との賃金格差是正する努力を否定する論拠はあまりない…同じ製品を協力して作っているのだから…人間を尊重する政治的意志が介入する余地はある…句境を催して…

南風にもり盛り上がる雪柳

ひからびたミミズSの字金具2個

跳び箱を跳んだ形の雀の死

すみれ咲く道割りて尚いく処

ラスター彩れんげ躑躅は飛び火して

日本国民の声なき声
「どうか、奴隷にさせて下さい」
「そんなに奴隷になるのが嫌なら、此の国から出て行け」
「奴隷にあらずんば人にあらず」
「オレは奴隷になりたいんだっつーの!」

と、そうこうするうちに、高校生の七割が官憲による、容疑者への自白強要に肯定的、との、胸糞悪いニュースを垣間見る…反吐が出る…

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