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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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カテゴリー「カテゴリーなし」の記事一覧

事態をこじらせる僥倖もあるのか

もういいよ、エネルギー的に落ち着く最底辺でいい加減落ち着きたい、其の上で初志貫徹に向けて腰据えて取り組みたい…と観念していた処へ、たいして望んでもいない僥倖がやってきて事態を一層ややこしくするから胸糞悪さで内的にのたうちまわる…自分が最底辺と思い込んでいた事態からより一層最悪な事態へ転落する訳ではないから表面上はよいのかもしれないが、むしろ此の呼び水のごとき僥倖が異次元の災厄を齎す布石なのではと云う疑心も暗鬼で…全ては自分の救いがたい早合点と勘違いが原因だから誰も責められないにせよ…

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たった一つの願いだからこそ叶わないのか…

たいして致死率の高くないコロナウイルスどころではなく、ましてや豪華クルーズに隔離された余裕ある人々のことなどどうでもよく、むしろ日新製鋼が三年後くらいに製鉄所を閉鎖する事の方が、恐らく自分の人生にとって浅からぬ大打撃を与える予感がする…現時点では配置転換で済ますとお茶を濁しているが三千人規模の人員全てを吸収できるはずもなく、早期退職やリストラの嵐は必至で、失業者が溢れかえり不景気到来は目に見えているからだ…其れは其れで頭が痛いが、いろいろあって、思うところあり、自分の生活の根底にある種々の懊悩と無関係とは云えないが…ほんの腕試しのつもりで、とある資格の受験に挑戦する…一週間ほど根詰めて勉強に打ち込み、なまり切った頭脳が久しぶりに活性化される爽快感は運動後の其れにも似ていたが…結果は最悪を迎える…テスト自体は、拍子抜けするほど簡単で、はっきり言って百点満点の自信すらある…しかしなまじ出来が予想外に良かっただけに、己自身をより徹底的に後悔と自責の念の泥沼に煮詰めさせる事になる…と云うのは…名前、書き忘れたような、と云う、今更ながらの疑念の勃発である…実際、結果などどうでもよかった。合格しようが不合格だろうがどうでもよい、ただ一点、悔いの残らぬようすっきりとやり遂げる事だけが、自分の唯一の願いだったのだ…しかし…名前書き忘れたかも、と云う疑念が時々刻々と現実味を帯びる今となっては、自分のたった一つのしがない願いに限って決して果たされない不甲斐なさに打ちのめされ…無自覚に無記名に至った事が宇宙の必然ならば、其の事は、齢40を過ぎて尚いまだ何者でもないと云う厳然たる現実の表出と受け止めるべきなのか、と発見めいた事を思ってもかえって胸糞悪い胸苦しさに始終苦しみ続けた数日であったが…懊悩が嵩じると其れに耐えられない心身が不可思議を起こすもので…ある種の欲望を捨てたと思っていても結局は捨てきれない荷物の重さ前後ろ(山頭火)、しかし其れでも結局最早自分は、此の先何かを得る事など不可能なのだ、いや、むしろ、何も得る事が出来ない者として選ばれた存在なのだと云う未練がましいのか図々しいのか既に訳が分からない想念に縋るようにもなって…最終的には、何者でもない自分をも引き受ける事でしか生きていけない自分を受容するしかない現実への諦念が沸々とする…テスト会場に行く途中…灰色の羽が一枚、二枚と落ちているのを目で追っていると、いきなり鳩の死骸に遭遇して、宗二の生首と対面した利休のように仰天して思わず目を背けるが…其の刹那に垣間見たのは、鳩の首が180度屈曲した裂け目から茶色いどろっとしたものが少量漏れ出ていると云うおぞましさ…もみじ饅頭で作った焼酎と云うのがあるが、あの感じの嫌なマットで不透明なドロドロである…此の不幸をきっかけに、去年、雀の生首に遭遇した経験も思い出し…どういう訳か歩道に雀の生首がちょこんと鎮座して心身喪失になりそうなほど仰天したが、思わず残りの体を探すとすぐ脇の茂みに首なし雀が横たわっていたのもおぞましさでしかない…戦慄此の上無い白昼の悪夢であった…結局…最早逃げ場はすっかり塞がれたのだろう…逃げ場なく、初志貫徹するよう選ばれた存在なのだと居直った処で慰めにもならぬが…二月の砂浜で細君とキャッチボールすると冷えていた掌に血流が蘇るささやかな気づきも後押しして…改めて、捨てるべきを捨てて初志貫徹に向けて課題に集中するしか…遅くとも三月までにこの一年の態勢が決まるはずだしそうしなければならないから其の間は情緒不安定だが、4月からは集中しなければ…時間は無い。

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大規模通信障害の復活

ブログ屋さんが大規模な通信障害を起こしたため、此の数週間、アクセスもアップデートもできなかったが、ようやく復活したようだ。再び通信障害が起きないならば、次回更新は2月9日です。

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般若の仮面が取れたら、うろたえた人間の真顔があった修羅の道

精神状態は極めて悪い…今や、市場原理や国家原理や生命原理との戦いと云うよりも、宇宙との戦いと云うおよそ勝ち目のない戦いにステージが変化しているが…もう金輪際捨て去ったと思っていた世俗の幸せが、いざ目の前の、手を伸ばせばすぐ届く処にぶら下げられると云う新手の攻撃を受けて、其のダメージが此れまでになく回復しがたい深甚な損傷を私の精神の基礎構造に与えている…少々の困難を与えてもへこたれない私の信念を見て取った宇宙が、策を転じて一種陰湿な懐柔工作を仕掛けるとまんまと引っかかった私の俗な悟りの浅薄さが露呈する訳だが…要するに世俗の幸せと云う餌が眼前にぶら下げられた途端、つい其れを掴もうとしてのこのこと外に出た途端、慇懃無礼に其れは取り上げられ夢幻と化した事が、まんまと引っかかった私への実に効果的な嘲弄ともなったから、要するに「バーカ、こんなちんけな罠に引っかかってやんの、てめぇみたいな人間の屑に世俗の幸せが与えられる訳ないだろ、社会の底辺でおとなしく搾取されてろ、そしてさっさと死ね」と罵倒されたも同然であった事が、ありきたりな安手の嘲笑であっても其の内容を辞書的に受容しただけで心的損傷が直截でもあると同時に、結局手前勝手に悟り顔していたっていざ捨てたものが再度現れると餌に飢えていた家畜みたいに喜色満面で動揺する貧相な悟りでしかなかった事への惨めな自覚による心的損傷を受けて、云わば二重の意味での損傷だったがどちらかと云うと後者の方が深刻である。いずれにせよ二重の意味での貧相な自己の露見は、これまで辛うじて自分を支えていた精神構造の基礎部分をぐしゃぐしゃに瓦解させており…最早見るもの聞くもの全てに怯える手の付けられない衰弱が過敏な臆病を発現し、かつてはねのけたはずの、陳腐な無数の理屈に改めて間断なく攻撃を受ける始末…世界中からコンピューターウイルスの攻撃に24時間さらされているような…世俗の幸せと云うのも、結局は市場原理と国家原理で構成された生命原理を材料としているのだが…生命原理から根本から免れる事が、自分が生命であるゆえに困難だからこそ、此の種の懐柔工作が効いたと云う事なのだろう…そして、此れほどまでに精神状態が陰陰滅滅であっても数か月前に予約したクルージングランチはキャンセルする訳にはいかないからおめおめと乗船する…ぐちゃぐちゃに陰惨なる自分の精神に比して華やかなおフランス料理に舌鼓を打つにつれて、世間様に顔向けできない後ろめたさなどと云った、典型的に全体主義的な卑屈な思考に囚われていたのが、ワインに合う合う料理のおかげで鷹揚な気分で穏やかな海の広がりを眺める優雅な時を過ごす…しかし精神の弱り目は其れくらいで直るはずもなく…操舵室見学と云うオプションもあって、参加すると…国際通信旗の数々が棚に整理されていたり、女の人が航海士として先方の海の広がりを凛々しく注視しながら操舵しているのを見るにつけ…こんな風に、海と空に洗われるような職業生活が送れたらどんなに毎日が惨めな苦悩に汚される事なく爽快で素直な裏表無い毎日が過ごせるだろうか、と思い立ち、すがるようにしてさもしくもバアーと船乗りにどうすればなれるか調べたりして…国立の短大に二年寮生活しなければならず、年齢制限は無いからよしんば受験に受かって卒業できたとして、果たして船会社が、自分みたいに馬齢を重ねた、腐った生クリームみたいな顔をした無能な人間を雇うだろうか、二年の寮生活に加えて、仮に船会社に就職できたとしても夜勤の無い近場のフェリーや昼間の呑気なクルージングに乗り組めるとは限らず、数日か数週間、あるいは数年も航海しなければならないかもしれないのだから、其の間、家人はどうする、現実を見ろ、と気が付き…もはや、どのみち、人生の裏街道で初志貫徹するしかないのだ、ならばせめて卑屈に過ごして精神をこじらせるのではなく胸張って溌溂と野心を生きるしかないのだという八方塞がりが唯一の進む道であると改めて思い返された次第…志自体の理論的暗雲も底流としてありながら、人生において、私が志を成さんとすればするほど自分の最愛の人の心と体を確実に蝕んでいく、だからと云って志を止めたら私が死ぬ、いや、恐らく安穏と生きると云う意味で死ぬ、其れでも構わないし寧ろその方が推奨されるしそうすればみんなが幸せになるのは分かっている此の世で、其れでも志を止められない掻きむしられるような苦悩が自分をして鬼畜を生きる覚醒をもたらしたのだが、此の、呪いのように深甚なる鬼畜の所業を生きる上で…自分の顔を特殊な鏡に映せば般若の顔をしているに違いないと思い込んでいた…やり場のない怒りと悲しみが慟哭もできず同居して凍り付いた鬼の形相…そんな鬼畜になりおおせたと勘違いしたのが、足元を掬われた元凶だ…鬼畜気取りで志をもてあそんだ性根の至らなさだから、結局鬼畜の苦悩に耐え切れず、いざ眼前に、こんな般若的苦悩を全て矛盾なくきれいさっぱり解決してくれる世俗の幸せが現れたから、すかさず此れに幻惑された挙句に世俗の幸せの不可能性を思い知らされて今更にうろたえた無様を自他に晒したのであった…つまり、般若など所詮は仮面にすぎぬ…人間が鬼の仮面をかぶるのだ…仮面の中身は、いつでも、状況を消化できぬ人間の真顔…此れが現実だ…こうして化けの皮が剥がされた此度の顛末を、活かすも殺すも自分次第と云う無の境地の振り出しに舞い戻る狼狽の嵐が収まらぬ修羅の道を進むしか…。

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全体主義予防研究所の発足

自分が志している事の全体像を具体的に考察していくにつれ…とても自分一人では手に負えない仕事量並びに質が要求される事がいよいよ切迫して現実味を帯びてくる昨今であるから、いっそのこと研究所を設立して、各分野の専門知識を持つであろう優秀な研究員たちに私からテーマを与え、彼らには大いに研究してもらいたい、そうすることでより一層効率的に成果が上がるに違いないと云う構想だけは漠然と描いている…年に二回ほど会報と云うのか紀要と云うのか、理論と実践に関する結果報告の論文をまとめたいところである。無論、研究員らの研究配分は、私からのテーマを半分とするならば、自ら思いついたテーマを半分としてもよい。まずは設立趣意書や綱領を、所長である私がまとめない事には始まらないのだろうが、其れはおいおいの事として、さしあたっては研究所の名称だけは公にしておきたく…ネーミングと云うのが苦手なので、目的を其のまま明記するが、名付けて「全体主義予防研究所」、略称は「全予研」、英語表記は、グーグル翻訳にぶち込んだ結果、「Institute for totalitarian prevention」、略称は「INTOP」とでもしておく。全予研は、少なくとも思想的には、純粋なNGO乃至NPOと云えるだろう…協賛者を如何に募るかが真っ先に問題となるが…まずは叩き台として、私が先鞭をつける形で理論と実践に関わる展望をまとめないといけない。パソコンの切り替えなど、年明けからスタートダッシュでもう息切れの感はある…人生の新展開を見据えた惨めな鬱屈もありつつ、夕暮れにはまだ早い午後4時過ぎ…金色に晴れ渡る西空に対峙するように東の空は雨ずるような暗い曇天が垂れ込めていて、気まぐれなタイミングの大粒の俄雨が降ったり止んだりする不安定な大気であったから、虹が出た。恐ろしくきれいな虹で…駅から駅にまたがる大きさの光の円弧が現実とは何の関わりも持たないような異様感を露見させていた。日が没すれば満月でもあり…自然の非情は恐ろしいようで救いでもある。そして金曜日の夕方…何気なく見ていたNHK教育の、ひと昔前に流行ったスチームパンクなのか、いわゆる19世紀風のファッションで決めたそつの無い子役たちが音楽をテーマとした「ムジカ・ピッコリーノ」と云うような番組に、ハッチが登場していたから僥倖と云うか一種の瑞兆のように受け取った。バンド時代から十分其の萌芽は散見させていた、市井の仙人とでも云うべき底抜けに明るい思想を「旅のアルバム」以降完全に我がものとされていたハッチハッチェル氏がカントリーではフィドルと云うのか、ビオラかバイオリンに似た弦楽器から下世話に荒んだ音を陽気にかき鳴らす事で面白く胡散臭い個性の健在を自然に滲ませつつも、番組の趣旨に沿った役割をきちんと演じておられる事が、取るに足らぬ自分の人生の様々なる歴史性をも思い重ねさせるから胸に迫るものがあった。其の底抜けの明るさは、此の世界の底無しの暗黒から齎されている事を如実に表現出来ているからこそ音楽としての説得力を確保しており…テレビ番組だからとて隠蔽できるような偽物の本質ではないから、瑞兆だったのだ。何はともあれ、アメリカとイランの全面対決回避はよかった。さすがにトランプも其処まで愚昧ではなかったようだ。しかし予断は許さぬ状況は続くから原油高に正当性が与えられ…結局得したのは産油国や石油メジャーなのか。

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低調の年始…

恐らく戦前のディズニーのミッキーマウスのアニメーションを鑑賞…抱腹絶倒の面白さに開いた口が塞がらない…昨今のアニメが殆ど手抜きに思える…間髪入れず次から次へと繰り出されるアニメならではの創意と見立ての数々に圧倒され、疲労感を覚える程…ゴーンの脱出劇は存分に楽しませてもらった椿事として安心できる話題だが…トランプのバカは一体何をやっているのか…自分には、タンカーや製油所襲撃など、去年から取り沙汰される事件がイランの仕業とは思えないのだが…其の真偽は兎も角、イランの司令官を直接殺害したとあってはお互い引くに引けない状況、ひいては戦争状態を惹起するではないか…トランプの、最近のイランへのでっち上げめいた言いがかりが、イランと敵対するイスラエル寄りのユダヤ系や福音派などの票集めという自己中心的なる卑小な目的のためだとしたら償いようのない馬鹿さ加減だ。イランとアメリカの戦争も最悪だが、其れ以上に最悪な事は、曲がりなりにも一応民主主義の盟主であるアメリカが、イラク戦争に引き続き今回も根拠薄弱なのに戦争へ突き進んだとあっては、恐らく中国、ロシアはイランに味方して戦争を抑制する立場を採るだろう、あるいは軍事的にも中露はイラン側についてアメリカを牽制するくらいはしかねないのだから、そうした構図が完成すれば、無謀な戦争をやりたがる民主主義国アメリカVS戦争を抑制し平和を希求する全体主義国中露、と云う構図が既成事実化し、すると、平和の破壊者である民主主義VS平和の擁護者である全体主義、となって、ますます全体主義の正当性が国際的に既成事実化するのは目に見えているのだから、トランプの愚劣極まる暴走は民主主義にとって致命的である。このところイラクの米軍基地がロケット弾攻撃を受けており、其れをイランのせいにしているようだが…単なる地元の武装組織による独自の攻撃なのではないか、サウジの製油所攻撃にしたって、イエメンの武装組織が自分の意志でやったと声明しているのに其れもイランのせいにするのは、確かに間接的にイランからの資金提供はあったのかもしれないが、イランがそこまで直接攻撃を指示するメリットなどないのだから、普通に考えれば地元の武装組織による単発的な独自判断と見るべきものを、イランのせいにするのは、イランに対する悪意ある執着があるとしか思えない。少なくとも国際社会を説得できる普遍的な理由など構築できまい…年末年始から胸糞悪いことばかりだ。年始からスタートダッシュで嫌な事にも取り組まないといけないからもう嫌気がする新年である。其れに関連して、ウインドウズ7のサポートが終わるって云うから仕方なく新しいパソコンを買ったので、そちらに移行するのにしくじれば、此のブログが更新されない事があるとお知らせいたします。IT業界からの一方的な搾取にも、本当はらわた煮えくり返るほど苛立たしい憎悪が煮え滾る思いである。

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続き

此の年末はとんだ災難に襲われてしまい…なんと、尿管結石とインフルエンザのダブルパンチと云う…ただし、どちらも劇症ではなくマイルドな症状ではあったのは不幸中の幸いでもあるが…3~4日ほど、一日に一回のペースで腹痛に見舞われると云う事があって、其のレベルは巷で聞くような結石による疝痛、のた打ち回り嘔吐するほどの異次元の差し込むような激しい痛みではなく、下痢や便秘前の、腹の内部がよじれるような大腸系の痛みの延長にしては比較的苦しいものであった。実際、日々出てはいるものの少し便秘気味と云う事もあり、恐らく数日続いた腹痛は其の種のものだと今では思うが、最後の腹痛は少し毛色が違う感覚はあったものの、其れでも、自分の感覚としては、此れまでにも腹を下した時に経験した事のある腹痛の延長のようなレベルと認識していた。ただし、其の痛みの前日は快便だった事もあるから、たいして出す物は無いにも関わらずなんで腸がよじれるような腹痛があるのかな、と云う怪訝な思いも抱えていた。其の痛みを苦しんでいる時、私は布団の上で四つん這いになったり横倒しの海老のように丸まったりしてムウムウ呻吟していた訳だが、自分の背後の夫のそんな様子に全く気付く様子も無く自分のパソコン仕事に集中している細君の鈍感力に半ば涙目で感心しつつ(細君はいわゆる過集中というか、全体の状況を漠然と且つ正確に把握する事は苦手だが、何か一点に集中すると其れ以外の周囲の様子への知覚を一切遮断する傾向にある…)、ようやくの思いで「私、苦しんでるのですけど…」と声を掛けるのが精いっぱいだった。腹痛が続いている事もあり、病院に行った方が良いと云う事になり…しかしそうこうしている内に痛みは収まったので、病院で待っていても居心地は悪かった。適当に整腸剤でももらえたら御の字、と踏んでいたが、診察は次第に尋問のような態となり…結局、発熱も無ければ下痢や嘔吐もないので消化器系は考え難いと云う事で、CTが撮れる同系列の病院を紹介される…そして行った先の待合で、マスクも無しに激しく咳き込み続ける患者が居て…最終的には恐らく其の人経由でインフルエンザに罹患した訳だが其れは後の話で、其れとは別にCTの結果で云うと膀胱出口付近に結石が写っていたと云う顛末であった。此の程度ならしばらくしたら自然排泄されますよと事もなげに医者には云われるが明らかに右腎が肥大しているしこんな石本当に尿道を通るのか一抹の不安は尽きぬが出す薬も無いと云うから自然に任せる事にする。其れから一顛末あったがそろそろ宿題に着手すべき…結論を云うと今は元気です。

確か、日本兵のガッツが戦後の占領政策において日本人に敬意を齎し格別の配慮を招いたとする右派の論理について。連合軍の前線の兵士が末期の皇軍について何らかの情緒を思う事はあるだろうが…云うまでもない事だが戦争に勝った連合軍首脳が、戦時の作戦や戦後の占領政策を計画する時に、そうした情緒的な事に其の計画が左右される筈はない。重要な決定事項に関して彼らが重視するのは徹頭徹尾金と武力による政治函数である。占領された日本人が侮辱的な政策に我慢ならず再度本土決戦の構えを見せたからとて、そんな日本人の武力を恐れるGHQではないだろう。いくらガッツがあったからとて竹やり程度の武器しかないのはGHQも分かっているし、そもそも銃後の国民総出でガッツある抵抗など最早出来ない事は日本側の首脳こそよく痛感している事実であり、だからこそ本土決戦を断念して敗戦を選択したのではなかったか。尚且つ米軍には原爆さえもあるのだから、GHQが日本のガッツを恐れる理由は皆無である。従って、日本兵のガッツが戦後の占領政策に及ぼした影響はゼロとみてよい。其れなのにGHQがそこそこ紳士的な占領政策を進めたのは、単純に彼らがソ連ではなくアメリカだからで、啓蒙思想をアイデンティティとしている国だからに過ぎない(無論、労働運動や共産主義に対してはGHQは不公正な強権を発動するなど、例外は多々あるが)。

以上をまとめると、戦後体制の基礎を作ったのは占領下での憲法であり、其の憲法は形式的にはどうあれ占領下のものなのだからGHQの主権の下に作られたのだから、戦後体制による豊かさと平和の基礎は、第一義的に、其の当時の主権者であるGHQによるものである。尚且つ、GHQの政策に往時の皇軍のガッツの残像が情緒的に影響するかと云うと、情緒で戦争していた皇軍と違って、連合軍は金と武力の算数で戦争し政治をするのだから、此れも皆無である。従って、戦時の日本兵のガッツは戦後の平和で豊かな社会の基礎的条件を構成しない。戦後生き残った日本人が可能な正当な人生としては、ほとんど戦果の見込めない無駄で無謀な作戦に尊い命を惜しげも無くつぎ込んだ挙句犬死させてしまったと云う、およそ償い難い悔恨を胸に、二度とそうした事を繰り返さぬよう政治的に生きる事である。こうした痛烈な反省の念においてなら、日本兵のガッツが戦後の平和に貢献していると云える。しかし、右派の論理における、日本兵による戦後平和への貢献云々と云う言説には、個人の命の尊さを基礎とした真摯な反省は微塵もない。彼らの言説は、犬死させたと反省すべき痛烈な事実を無かった事にして、日本兵のガッツを、戦後復興と云う誰もが喜ぶ歴史的事実に根拠も無く短絡する事で戦争を美学で偽装した挙句、日本国が戦争に負けたと云う事実さえも隠蔽しようとして己を保身しているに過ぎない。自己自身において自己が確立できないから自己を国家にまで肥大的に一体化させて虚勢を張る右派特有の、国家の所業を全て美化する事で己の惨めさを慰める陳腐な保身に過ぎない。無論、往時の日本兵で通底していたであろう、家族を守るために戦わねばならぬと云う心情は慮るべきものである。ただし、そうした個別の心情が、日清日露から続く、戦争を惹起した政治情勢からみた場合、必ずしも正当性を得るとは限らない、極めて素朴に過ぎる程度のものではあろうとの推察は加えておきたい。

来年正月早々には、注文した「総員玉砕せよ」がウチに届く予定…読み返すつもりはないが…戦争の現実が次々と無かった事にされそうな世の流れだから、保管しておくために…。

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続きの延期

体調すぐれず…昨日の続きは12/29に再開したい。

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政治問題演習

気付くと今年もあと一週間ほど…やり残した事が多すぎるし、人生的、肉体的危機が遂に鮮明化した年の瀬であった。ふとテレビで表現の不自由展其の後についてやっていて…右派の支離滅裂な論理に対してアーティストたちは、完全に及び腰の態で其れに対し正確に論破する気概が全く見られず表現の多義性などと云う逃げ口上でその場をしのごうとする惨めな体たらくだったのを見るにつけ、云いたい事はごまんとある訳だが…結局、幾重にも折り重なった誤りの塊である右派の論理を批判するために解きほぐす弁論をしていると結論を云えだの要領よくまとめろだのの野次に潰されて終わるのだから、確かに厳しい戦いなのだろう…あの場で起きた事の全容について微に入り細に渡って論述すべきなのだろうが、此処では右派の論理の一つを批判する。其の命題は、「今日の日本の平和があるのは戦争で命を投げうって死んだ日本人のおかげ」と云う理屈である。此の論理が正しいのは、日本が戦争に勝ち、戦後も主権を維持できた場合に限られる。一応、鬼畜米英と呼ばれて恐怖を煽られ、仮に負けてそんな鬼畜である米英に占領され日本が国家としての主権を奪われたのであれば男は皆殺しにされ女子供は奴隷にされると云う可能性がまことしやかな場合において、命がけで米英と戦って彼らによる無慈悲な侵略を退ける事に成功した暁に、日本が今日に至るまで国内の平和を樹立出来たのであれば、あの命題は正しい。しかし、日本は多大な戦死者を犠牲にしてさえも戦争では負けているのが現実である。負けた結果、日本は国家としての主権をGHQに奪われ、いうなれば其の生殺与奪の権をGHQに奪われている事になる。日本は主権を奪われGHQの命令に従わざるを得なかった以上、戦後の日本の礎を政治権力において築いたのは他ならぬGHQであって日本人ではない。日本は負けたため、政治の原理から云うとGHQからどんなにひどい目に遭わされても文句は云えない奴隷状態なのであり、しかしそうはならず、基本的人権が保障され外交や内政において平和が維持されたのは、ひとえにGHQの温情であり、憐みであり、理性のためである。GHQが、啓蒙思想を中核的信条とする英米によって運営されたからこそ、今日の日本の平和の基礎が築かれたのであり、仮にソ連に占領されていたら東ドイツの例で分かるように、人権や経済において豊かな平和を享受できなかったであろう。こうした反論をした場合、右派は次のような理屈で反駁する。連合軍は日本軍との戦いにおいて日本兵の命を惜しまぬガッツを思い知らされており、再度本土決戦と云う事になったら面倒だから、GHQの占領政策は紳士的になった、つまり、日本兵のガッツが今日の平和の礎を築いた、と云う理屈である。しかし、此の理屈は幻想に過ぎない。なぜなら、沖縄戦…何より核が…と、此処で、急激に体がだるくなり…体温を測ると、37.3℃であり…自分の平熱36.5℃に比べて明らかに発熱している…昨日訳あって病院に云った処、激しく咳き込む女性患者と遭遇したのが原因だろう…続きは明日に持ち越し。

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気疲れ…

無事納車と相成ったものの…些末な諸事に翻弄されて、あまり気持ちよくない疲労がひどく…今週は休載…細君から猫とおじさんと云う猫映画を頼まれていたが首尾よく見つけられず…代わりに、ねこタクシーと云う映画を借りて鑑賞…最近は、ネコに言葉をしゃべらせる無粋な、ネコの本質を愚弄した人間中心の似非猫映画が多い中、此れはネコの本質を素直に引き出しており…何よりとってもカワイかったので細君の御眼鏡にもかなう…デブネコほどではないが少しふっくらした大人の猫ほどカワイイものはない…明日になったら近所の輩によって新車にメチャメチャに傷がつけられているのではと云う際限ない不安の日々が始まったが…其れにしても乗り心地はとても軽とは思えぬ、殆ど昔の普通車並の静粛感には感服…居住性も圧倒的に今までのより広く、此れに関しても昔の普通車並のようで、今までの、ゼロ戦のコクピットのような狭さに馴れていたため、寧ろ広すぎて全くそわそわとして、車体感覚がいまいち掴めないから…取り回しも、自然と大振りになってしまい…後ろが見にくいし…車をこする寸前のギリギリを狙わないといけない、クソ難しいウチの車庫入れをスムーズにこなすにはだいぶ時間がかかりそうだ…ふと、太平記でも読みたいな、と思って、自分なりの地震対策として天井までぎっちり積み上げた本の層の上部を脚立に立って探っていると…太平記の下に、啓蒙の弁証法なる本がある…買ったものの手に取り難い場所に放置していたから読まぬまま存在を忘れていたのだろう…著者はホルクハイマーとアドルノの共著…フランクフルト学派の画期的成果…啓蒙の弁証法とは啓蒙思想の自己崩壊過程のようであり…ぱらぱらとページをめくる度に、まさに現在の状況を預言した慧眼だらけ…ナチズムの経験から、個別の事象を読解し予言する事は彼らほどの知性であってみれば容易な事なのだろうが…どの程度理論的に書かれているのかが見ものである…もっと早く先に此れを読んでおくべきであったなと後悔しつつ、太平記と啓蒙の弁証法の併読を進める…文章としては平家物語の方が面白いのだが…太平記くらいになると、もう戦前くらいの文献とさして変わらない気がする語法である。それにしても…新車のボンネットの中を確認したく、開けたものの、閉め方が分からず…此れまでだったら、上からグッと押したらカチッと閉まったのだが…ぐいぐい押しても一向に閉まった感じがしないピンチに見舞われる…ボンネットの鋼板も、軽量化のためなのか最小限まで薄くしているから押すとメコメコになって力任せに押すのは憚られつつも、次第に募る怒りがまさって力が入る悪循環に陥る…見かねた家人がネットで調べてくれて…直ぐネットで調べる風潮の一端にもまた憤懣が着火して件の怒りに相乗するのだが…少し高い処から重力に任せて落とすようにするとバン、と閉まる事が分かる。解決はしたし、家人には感謝の念しかないが…自分が考え無しに無闇矢鱈にメコメコとボンネットを押したから、時が経つにつれて塗装がひび割れて無残な姿になるのではなかろうかと云う不安の軛を噛まされる。だからといって死ぬ訳ではないのだから気に病む事は無い、もうこんな事を気にせずに、素敵なカーライフを楽しみたい、と気分転換したがる内面の声は至って虚ろだ。まだ慣れない時期だからこそ、不慣れの根源である新車を要因とした、馬鹿げた勘違いによる不具合や事故の、愚かしいくらいけたたましく無様な逸早い発生の予感に苛まれる。始まった途端終わってしまう救い難い悲喜劇の、最短の始末。其れにしても、ねこがみ様の死が悲しすぎて、車の事なんかどうでもよくなる…生きているだけでただただ尊い。要所で控えめに流されたBGMのハワイアンも、此の映画が通じる生命の根源への気脈を滋味深く引き立てており…良い意味で癒される…海外旅行には一向に興味が無かった自分だが、最近は、富良野とハワイが気になる。富良野は国内だが…。

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