ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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気疲れ…
無事納車と相成ったものの…些末な諸事に翻弄されて、あまり気持ちよくない疲労がひどく…今週は休載…細君から猫とおじさんと云う猫映画を頼まれていたが首尾よく見つけられず…代わりに、ねこタクシーと云う映画を借りて鑑賞…最近は、ネコに言葉をしゃべらせる無粋な、ネコの本質を愚弄した人間中心の似非猫映画が多い中、此れはネコの本質を素直に引き出しており…何よりとってもカワイかったので細君の御眼鏡にもかなう…デブネコほどではないが少しふっくらした大人の猫ほどカワイイものはない…明日になったら近所の輩によって新車にメチャメチャに傷がつけられているのではと云う際限ない不安の日々が始まったが…其れにしても乗り心地はとても軽とは思えぬ、殆ど昔の普通車並の静粛感には感服…居住性も圧倒的に今までのより広く、此れに関しても昔の普通車並のようで、今までの、ゼロ戦のコクピットのような狭さに馴れていたため、寧ろ広すぎて全くそわそわとして、車体感覚がいまいち掴めないから…取り回しも、自然と大振りになってしまい…後ろが見にくいし…車をこする寸前のギリギリを狙わないといけない、クソ難しいウチの車庫入れをスムーズにこなすにはだいぶ時間がかかりそうだ…ふと、太平記でも読みたいな、と思って、自分なりの地震対策として天井までぎっちり積み上げた本の層の上部を脚立に立って探っていると…太平記の下に、啓蒙の弁証法なる本がある…買ったものの手に取り難い場所に放置していたから読まぬまま存在を忘れていたのだろう…著者はホルクハイマーとアドルノの共著…フランクフルト学派の画期的成果…啓蒙の弁証法とは啓蒙思想の自己崩壊過程のようであり…ぱらぱらとページをめくる度に、まさに現在の状況を預言した慧眼だらけ…ナチズムの経験から、個別の事象を読解し予言する事は彼らほどの知性であってみれば容易な事なのだろうが…どの程度理論的に書かれているのかが見ものである…もっと早く先に此れを読んでおくべきであったなと後悔しつつ、太平記と啓蒙の弁証法の併読を進める…文章としては平家物語の方が面白いのだが…太平記くらいになると、もう戦前くらいの文献とさして変わらない気がする語法である。それにしても…新車のボンネットの中を確認したく、開けたものの、閉め方が分からず…此れまでだったら、上からグッと押したらカチッと閉まったのだが…ぐいぐい押しても一向に閉まった感じがしないピンチに見舞われる…ボンネットの鋼板も、軽量化のためなのか最小限まで薄くしているから押すとメコメコになって力任せに押すのは憚られつつも、次第に募る怒りがまさって力が入る悪循環に陥る…見かねた家人がネットで調べてくれて…直ぐネットで調べる風潮の一端にもまた憤懣が着火して件の怒りに相乗するのだが…少し高い処から重力に任せて落とすようにするとバン、と閉まる事が分かる。解決はしたし、家人には感謝の念しかないが…自分が考え無しに無闇矢鱈にメコメコとボンネットを押したから、時が経つにつれて塗装がひび割れて無残な姿になるのではなかろうかと云う不安の軛を噛まされる。だからといって死ぬ訳ではないのだから気に病む事は無い、もうこんな事を気にせずに、素敵なカーライフを楽しみたい、と気分転換したがる内面の声は至って虚ろだ。まだ慣れない時期だからこそ、不慣れの根源である新車を要因とした、馬鹿げた勘違いによる不具合や事故の、愚かしいくらいけたたましく無様な逸早い発生の予感に苛まれる。始まった途端終わってしまう救い難い悲喜劇の、最短の始末。其れにしても、ねこがみ様の死が悲しすぎて、車の事なんかどうでもよくなる…生きているだけでただただ尊い。要所で控えめに流されたBGMのハワイアンも、此の映画が通じる生命の根源への気脈を滋味深く引き立てており…良い意味で癒される…海外旅行には一向に興味が無かった自分だが、最近は、富良野とハワイが気になる。富良野は国内だが…。
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