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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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茶会記更新のお知らせ

荒み茶会記第一回~荒みの世の始まり~ を、茶会記に正式に掲載できました。以前はブログにのっけただけで未完成だったのを、ようやく、やり遂げた成果となった。今週も何とか一つ、課題をやり遂げた。また一つ、王道なきロック史に近づいた。また同じことをいうが、フランシス・ベーコンの絵への渇望が甚大だ…画集だけでは満足できぬ、本物が欲しい…ロックという音楽が理不尽にも絵画になったならばそれがフランシス・ベーコンだろう。牧野邦夫という画家の絵もすさまじくよい…戦時中の和製ブリューゲルが壇ノ浦の合戦を描いた時の惨劇リアルエロティシズムが全く新しい解釈だった…30年前の雑誌で既に老人だったから今はもうご存命ではなかろうが、藤井達吉という仙境の画人の絵も、よい…禍禍しくも妖しい黄泉の赤光に縁取りされた山水…焼けた鉄板地獄の上でひん曲がった枝を振り乱し踊り狂う紅梅の図…とはいえ数奇にかまけてばかりだったがこのところついに、「時局」が到来したようだった…自民党の憲法草案…表現の自由の条項に、看過できぬ文言が追記されていた…「公益および公の秩序に反する表現ならびに結社はこれを認めない」激甚なる怒りの沸点を久々に超えて思わず我を失う卒倒しそうであったがここは落ちついて、それでも、冷めやらぬ憤怒のわだかまりは否めず…思わぬ時局の到来に、そうした時局にがっつくさもしさに没入しはしゃぎたい欲求に直情したところで倒錯したマゾの惨めな手合いなのかもしれないがそれでも事を荒立てるに十分な事由があるだろう…自民党の改正案は、もう、明らかに、表現の自由は認めない、と言っているに等しい。立憲国家にあっては憲法とは代議制における権力行使者のやり口を制限するものであって、などという常識論はどうでもよい。多くの成文憲法を整備した近代諸国にあって基本的人権の天賦説を否定するものなどあり得ないし、それを考えても呆れてものも言えなくなるほどの封建性への回帰なのだが、いつの世でも権力は堂々とした態度であれば数百万の殺戮だろうがなんだろうが通せる、という昔ながらの思惑…えてしてファシストというのは経済政策がうまいものだ。かつてのアドルフもそうだった…札束を口にぶち込んでおいてものを云う気が失せたところで雁字搦めに縛りにかかるのがいつの時代でも彼らのやり口なのだから…即ち表現とはそもそも公益および公の秩序に反する事それ自体であって、そうでない表現はいわゆるプロパガンダに過ぎぬ、言わずもがなである…法によって承認されようがされまいが、表現は表現すればいいだけの話である。たとえば公務員は争議権が法によって承認されていないが、本当にやりたかったらやればいいだけの事だろう、人民の基本的権利は常に、承認されざる弾圧下の底辺から自力で(日本は別)勝ち取られてきた。しかし、国家が、この期に及んで、ついに、表現の自由を否認し弾圧に転じるは、国家の態度としては正直ではある。潔さすら感じるし、そういう意味では感服に値する。そういった潔さ感、割り切り感におもねるつもりは毛頭ないが…(「法とは常に最終的には権力の利益のために存在する」レーニンだったと思うが、出典を失念…)繰り返しになるが表現とは政経、芸能、諸科学といった分野に限らず現行秩序への批判と異議、破壊以外にあり得ず、民主主義と人権を現実化するための最低限の条件であり、絶対的に危うくも脆い、武力闘争の惨めから自らを自力で解放した唯一の人間の力である。現行秩序の追認と補強、宣伝は人間奴隷の憂さ晴らしが倒錯した悦びに過ぎぬ体制マゾの発露たる惨めなプロパガンダに過ぎぬ。分野は限らないとはいえ、これらは常にその本然上通底しており、もしそうでないといいきるならばあまりに楽天的犯罪的無知ゆえに一党派への太鼓持ちに成り下がる。政経、芸能、諸科学は通底しており相互貫入しているのだから如何なる表現も政治現場からの鉄の爪の標的になりうる…もう一つあるとすれば深山幽谷に自給自足の隠遁する風流趣味のみが安穏生存を許される。これまでのぎりぎりの、ある意味大人な感じの、理詰めで異物を排斥する強硬に偏らぬ立憲主義的な許容のされ方は、このご時世、人民にとっても国家にとっても生ぬるい欺瞞になってしまったのであろう。それほどまでに、もはや、立法、行政、司法の三権分立のみならず、国家、資本、消費の三権分立もすでに成り立たないばかりかこれらの結託と異物排斥がますます葛藤なくキツクなっているのだろう。その結果、人間のみが疎外されるという現状認識に、めらめらと、目覚めるしかないのだろう。国家資本主義(国家主導で資本をぶん回す、中国、ロシア型)と資本国家主義(資本主導で国家をぶん回す、アメリカ、韓国型)がブロック経済戦争状況で各国がこの二種に収斂し、やり合おうとも、この二種、同じ穴のムジナである。マグナ・カルタこの方ブルジョア革命が確立した立憲主義という、強固な原理に見えながら薄氷のような理念は(理念とはそもそもかように危ういものである。そういう危ういものに酔い、賭けるのが愚かにもしたたかな人間であった)、だれもが建前という衣服に過ぎないと分かっているにもかかわらず、衣服は人間ではないと当たり前のことを言いだした悪意ある馬鹿正直が、人間から衣服をはぎ取って猿に貶めようとしている。猿山の喧嘩…。それもよかろう、しかし、公益ならびに公の秩序、という文言、これも過去に幾度となく使い古されている手口だが、何の規定もできない、権力側の主観がいくらでも拡大解釈し適用できる危険極まりない文言である。無論、政府はそれを百も承知の、狙い通りである。要するに、憲法の承認を得て治安維持法の復活を可能にする文言である。表現は法の承認など関係ないとはいえ、治安維持法、これやられた日には、正直、キッツイぞ…理念の成果である権利はこわれものである。これを、壊れないように大事に守り続けたいのはやまやまだが、事ここに至れば、常にうっかり壊しながら、あるいは強力に壊されながら、自ら生み出さなければならない。諸君、時局が来た。とはいえ、書いてみると、どこにでも書いてあるようなことを書いた。

たこ焼きのたこに刺さらぬ爪楊枝

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