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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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安全保障談話 第二回

オッコトヌシ「わしの一族を見ろ。どいつもこいつも小さくて馬鹿ばかりになりよるわ」 『もののけ姫』

過日、もう既に夏の翳りに感づいた小生…春には夏、夏には秋、秋には冬、冬には春を感ずる感覚の鋭敏はいつも研ぎ澄ませておきたく…それから 程なくして夕暮れにはつくつく法師が…真夏の曇天…脳みそが…ぎゅむぎゅむ云うマシュマロに置換したような…カーテン閉め切ってのエアコン内 蟄居にうつつを抜かす午睡…何も考えたくない弛緩した麻痺した精神であっても…安室奈美恵が受注したらしきNHKのオリンピックテーマソングは… 生活排水の垂れ流しにしか聴こえない、なんの価値も無い糞楽曲で…精神の排泄化、だらしの無い寝下痢を催させる…それに引き替え此度の朝ドラ のトト姉ちゃんに宇多田ヒカルが提供した楽曲は…才能の格の違いを決定的にさりげなく聴かせる…前回の朝ドラのAKBの楽曲と比べると、音楽とし ての出来の良さが全く雲泥の差である。無論、AKBも、大人が聴くに堪えない、只の生活排水である…あるいは工業廃水か…ヒカルの曲は…いつか聴 いて驚いた、エヴァンゲリオン劇場版に提供した楽曲の質も素晴らしかったが、此度も…他愛ない鼻歌のように始まりながら…ふっと風に煽られた 木々の葉が裏白く思いがけない美しさを示すように…瑞々しい転調を開いて…一筋縄ではいかない人生の機微を掬い上げる歌詞を…何処にも行けな い根深い怨念と前向きさが絶妙にブレンドされた情念の深い声で小ざっぱりに歌うから…いちいち説得力を以て心に響いて…広島市長、県知事、総 理大臣の三役の演説…そろいも揃って演説が下手、と云うよりも、言葉などと云う、およそ「行動」と引き比べられた場合最も非力なるものを以て して、この世界の情勢を変革させる行動の起爆剤たらんと云う、無力なるものに賭ける無謀なる気概が全く欠けている…政治家のくせして、演説で 以て世界を変えようという目的意識がそもそも決定的に欠如しているから…何となくその場に醸成された雰囲気を壊さない程度の抑揚のない言辞に 終始して…戦後何十年も、何十回も、8/6と云う世界的な絶好の機会を、見逃し三振で済ませている堕落した怠慢である…それらと比べて…あのファ ンキーな声で、個々の人間の生活に誠を置いた論旨とリベラルな信念を、要領を得た言葉で理性的に的確に畳み掛けて来るのだから実際の政治的手腕はともあれオバマ大統領は演説家たりえている…一体何回見たら気が済むのか…もののけ姫を視聴…全ての場面で秒刻みで製作者の云いたいことがいちいち分かる…立派な作品である…それにしても…未来少年コナン、風の谷のナウシカ、もののけ姫(女尊男卑が目に余るが…ニュート ラルに出来ないものか)、と、これだけの、全般的に民衆を納得させる骨太の物語で以てして、市場経済にがっつり乗っかりながら、文明と自然と 国家に雁字搦めにされた中での人間性の樹立を芸術の粋を尽くして表現し尽くしていても…此の国は何にも変わらないどころか、急激な愚民化へ直 角行なのか…と云う、作品が素晴らしいだけに、絶望の色を深める…そうした絶望の地平=事象の地平でこそ生成されたのが風立ちぬなのだろうが …今日は駿論に深入りするつもりはなく…兎も角…衆院選で改憲勢力三分の二を取られて外堀を埋められ、此度の参院選で三分の二を取られて遂に 内堀まで埋められてしまった、最早野戦に討って出るのみ、と云う悲愴な状況なれど…そして大阪夏の陣の結末を私たちは知っているのであるが… 未来の歴史を作るのは過去ではなく現在の私たちである、と、無理やり奮起する次第である。

稲田や、小者の俄か少壮愛国議員(元自民党)などの一部自民党議員は、国家防衛のために国民は命を捧げるべきだと仲間内の講演会で公言して憚 らず、高市は放送法を悪びれず曲解してテレビマスコミの言論統制を正当化して憚らず、其れを報じる新聞は論理的に否定すれども大衆に問題喚起 できるほどの肉迫さに欠けた品の良い論旨に留まって事の深刻さを矮小化し、テレビマスコミは彼らの発言を相変わらず「過激な発言」と云う形容 語に収容する事で事態の深刻さを何か言葉尻の言い間違い、あるいは程度問題かのようにすり替えて同じく問題の質的な深刻さを隠蔽するのに巧みであるばかりでなく国家権力の思惑の手下に成り下がる犬である。そして自民党の仲間内ではこうした連中が、「立派な国家観をお持ちな方」(小池)として褒めそやされる気味悪い顛末もそこかしこで散見されるようになった。そうした状況を安倍や菅は黙認しつつ肯定しているのが今の自民党である。

今回云いたいことは此れだけである…「国会議員、国家公務員及び、主権者である国民から国家権力を仮託された者(以下 、国家構成員と称する)は、国防のために国民の生命、財産、基本的人権の犠牲を国民に要求する前に、国家構成員自らが生命、財産、基本的人権 を犠牲にして国防に努めなければならない」

上記の制度的論拠は単純である…啓蒙思想のおさらいであるが(あえて、民族的文化的歴史的に形成された内面性による統合作用は捨象している) …国家(国民を総合する組織体)は国民の生命、財産、基本的人権を保障するために其の存在が国民から許されている。国民は国家が不在である場 合、国内的には、根本的に劣悪な国民による万人に対する万人の闘争状態=自然状態に陥る事で国民の生命、財産、基本的人権は保障されない…更 に対外的には、領土的野心を持った他国からの軍事侵攻に組織的に対抗できない以上、戦略、戦術や軍事技術の結集の面で劣るので他国から占領さ れ、同じく国民の生命、財産、基本的人権が隷属のままに貶められる恐れがある…そうならないために、国家は存在が許されている、そして国家が 組織体である以上、ある程度の、即ち憲法の範囲内で国民の財産や基本的人権は最小限制限されることはあるので、国家は取りも直さず致し方なく 其の存在が国民から認められた必要悪なのである。従って、国家の目的は、国民の生命、財産、基本的人権を守る事である。従って、国家構成員の 仕事の目的も、国家の其れと同じであり、窮極的には彼らは、国民から徴収した血税で維持している生命と財産を、国民の生命、財産、基本的人権 を保障するために使役しなければならない。そのために国民は彼らの税金を払っているのであって、彼らからある程度の財産や基本的人権を制限さ れるのを法の下で甘んじて受容しているのである。そして憲法は、国民が国家に守らせるための最高法規であり、国家が国民のあらゆる自由を制限 する一般の法律とは別物である。

ここで、領土が、国民の生命と財産と基本的人権を保障する基礎的条件であると見なされるとする。そうすると、領土的野心を持った他国が自国の 領土を軍事力で占領したがっている懸念が現実的であるとすると、其の他国が別の情報から、現時点で国民の生命云々を隷属し軽視する可能性があ る以上は、自国の国家、具体的には自国の国家構成員は、国民の生命云々を守るために存在するため、他国の侵攻を食い止める行動をしなければな らない。其れが彼らの仕事だからである。しかるに国家構成員が、他国の侵攻を食い止めるために、自分らの生命、財産、基本的人権は温存してお きながら、口先だけで、国家防衛と云う大義を目くらましにして自分らは国民の後ろで保身しながら、論理的追求を許さぬ雰囲気を煽り立てた上で 、国防のためには国民の生命云々を犠牲に供するのも辞さぬ言辞を吐くなどと云うのは、国家構成員自らが自分らの仕事を放棄していると公言して いるに等しい厚顔無恥の怠慢である。国民の生命云々を防衛するのが仕事であり存在目的である国家構成員が、国民の生命云々を防衛するために、 国民の生命云々の犠牲を要求する。矛盾であり、国家構成員が自らの仕事と存在意義を真っ先に放棄している腐った怠慢である。何度も書くが国家 構成員は国民の生命云々を守るのが仕事である。其の国民の生命云々を他国の侵攻から守るために、其の国民の生命を犠牲にしてもよい、つまり守 らなくてもよいと云っているのである。矛盾である。此の矛盾に耐えきれず目を逸らす輩が、思考停止の大義名分の御題目を捲し立てて、国家に国 民が命を捧げて当然、と云う論調を熟成させるのである。そうでないならばこうした国家構成員、いや、もう、手っ取り早く云えば、要するに自民 党は、国民の血税で以て自分らの生命、財産を維持してもらいながら、国民の生命を他国からの攻撃の犠牲に供し、自分ら国家構成員は、攻撃に晒 される国民の後ろで安穏を託ち、国民からもらった生命と財産を温存して平気な、いわゆる恩をあだで返す保身の輩であり、明らかに国民の敵であ る。

繰り返すが稲田などの一部自民党員は、国民の血税で生計しながら更に国民の生命を犠牲にしてまでも己の保身をしっかりしたいと無意識に思 っている、特権階級意識の裏返りであるからこそ、ああした言辞が平気で吐けるのである。特権階級は国民主権の敵である。こうした輩を飼っている自民党は国民の命を軽 んずる、国民の敵である。実際に命を犠牲にさせられる国民の後ろに隠れて、号令の掛け声ばかり大きいだけで自らは命を賭けずに保身する自民党 員の云う事に、国民に命を捧げさせる権利も説得力も皆無である。

そもそも自民党が云う国家防衛と云う言葉における国家と云うのが既に具体的な国民と 遊離した、何か抽象的な、恣意的な文化観、歴史観に基づいた美意識に過ぎず、…国民の命を犠牲にしても、あるいは犠牲にすることで、国民とは 別格の、国民よりも上位に位置する、彼らが云うところの国家という抽象物が守られる、と云う妄想をしている節も否めず、そうならば元より民主 主義の原則から逸脱したナンセンスで全く説得力はない。

いずれにしても国民の命を守るために血税で存在させている国家構成員自らが、国民の命 を守る努力を怠り、其の努力を行動で示せていない段階で、国民の命を危険に差し出す事の正当性を吹聴し、自らは安穏を決め込むのであれば、こうした国家構成員は全く 無用であるばかりか、国民の敵である。 ならば、国家構成員はどうしたらよいか。其れは、他国からの侵攻があった場合(ありそうな懸念をなくす事前の外交工作も含む)、国民の命を他 国からの攻撃に差し出す前に、まず真っ先に国家構成員自らが、自分らの命を賭けて、防衛なり外交交渉に努めるべきなのである。無論、日々、外 交努力や防衛努力は進めているのだろう…しかし更にまず問われるべきは、自民党員半分や国家公務員半分が、過労や心労で過労死、憤死、悶死す るくらいの外交努力はしたのか、渾身の知恵を絞って行動に移した上で、命を賭けた、あるいは命を犠牲にした外交交渉を中共とやりあったのか、 と云う事である。そして、しかし其れでもどうにもならず他国、要するに中国からの尖閣侵攻が始まる場合に、残りの自民党員(当然、総理、閣僚 を含む)と国家公務員全員は、尖閣諸島に集結して防衛戦を戦い抜き、あえなく玉砕したのか、と云うことである。領土防衛のため自民党員と国家 公務員全てがまず真っ先に命を投げ出し、自らを犠牲に供した時になって初めて、私たち国民の中から、命懸けで守るべきものを明確化した中で、 自らの意志で命懸けの戦いを開始するであろう…自分の命は自分で守る、自分にとって大切なもののために戦う、こんなことは民衆にとっては至極 当然の事であって、自民党から上から目線で教唆される筋合いはないのである。ましてや未だに全く国家防衛のために命を賭した努力をしていない、 あるいはそうした命懸けの努力をした結果を出せていない現時点の段階で、保身にばかり巧みな、国民を馬鹿にした自民党からは云われたくないも のである。せいぜい安保法制整備で日米同盟の罅割れを補修した程度で(野党には出来ない成果ではある…)、根本的な尖閣危機の解除には至 っていないし、中国は軍事恐喝のフェーズを監視船から軍艦へ上げているではないか。国民は血税で以て国家構成員の生命や財産を維持させ、ある 程度の基本的人権などの制限を受けている。その替わりに国家構成員は、其の生命や基本的人権を犠牲にして国民の生命を守らなければならない。 其れが彼らが国民に負託された仕事である。そこまでは出来ない、命まで賭けるのは交換条件に当たらないと云うのであれば、国会議員なり国家公 務員を即刻辞めるべきである。特に自らの命を賭けて国民の命を守る意志の無い自民党議員は即刻辞職すべきである。背後で国民を煽り立てるばか りで自分は何もしない自民党議員は即刻辞職すべきである。愛国気取りの自民党議員よ、貴様は自分の命を賭して国民の命を守る意思はあるのか、 もし、あると答えるとしても、其れは口先以前に行動で示さなければ、ただの保身と煽動の輩と同一視されても論理的に文句は言えまい。行動で示 さず口先だけで示すのであれば、ただ国民の命を軽視する煽動家に過ぎない国民の敵である。彼らは選挙の度に国民の前で拡声器で宣言するではな いか、「身命を賭して此の国を良くしていきたい」「命懸けで此の国を守りたい」などと。従って、自民党議員が国防のために人民解放軍と外交、 実戦両面で戦って死んだあるいは殺された、と云う事実が無い段階で、自民党が国民の命を国防名義で要求してきても、其れは前述のように単なる 自民党議員の仕事放棄と潜在的な特権階級意識の露呈による民主主義の否定、税金泥棒、自らの存在意義否定であって此れらを総じて国民の敵であ る事を明言しているに等しいのであるから何の説得力は無い、と此処で銘記したい。

さて、此処で、行使したくてうずうずしている軍事力を毎年増強しつつ、1億人くらいの自国民が戦争で死んでも為政者の良心は痛まないから内面 の良心には期待できそうにない、命の価値が低い、戦争する金も資源も結構ある、そして領土的野心に溢れた国が、他国の領土を軍事力で奪おうと 狙っている、いざとなったら軍事衝突も辞さない他国があるとする…中国の事であり、此れを取りあえずAとする。

領土的野心はないが、A国から領土を狙われているから外交、軍事両面で防衛の強化を強いられているが、なるべく戦争を回避しうる外交的説得手段 に知恵を絞っている国Bがあるとする。(無論、領土問題に端を発した戦争というものは両国とも、他国から不当に領土を奪われていると思っている 、即ちAとBの立場は相対的なものに過ぎず、自国はBで相手国はAに見えるものであるが…)簡単な図式を如何に示す…

①A vs A⇒戦争
②A vs B⇒戦争または平和
③B vs B⇒平和

①揉めている二つの国があって、其の両国ともAであるならば、戦争以外に道はない。当たり前である。
②Aという国があり、もう一方がBならば、戦争の可能性は含む緊張が存在するが見かけ上平和である…
③無論、両方Bならば平和である。

問題は②であるが…図式で明らかなように、Aからの軍事圧力に対抗するためにもう一方のBがAに変われば、此れは①となって戦争の悲惨が待ってい る…此処で枢要なのは、如何にBがBに踏み止まり、②に踏み止まって、あわよくば③の状態に持っていけるか…其の胆力、意志に掛かっている…Bの 武器は言論である。言論と云うのは確かに、…如何にも武力と云う実力に比べてひ弱である…何を云われても無視すればいいだけの話なのだから、 ひ弱である…ペンは剣より強しとは安易にはいかないものである。しかし外交交渉とは言論のひ弱という、言論への絶望を己の核としながらそれでも尚言論 に頼るしかない絶望の中から吐き出される言葉にこそ、あらゆる社会的政治的理屈を超克した人間の誠が顕現するのではないのか。

此れは外交交渉 に限らず、言論を稼業とするあらゆる者に当然共通すべき信念であるが…言論は、論理で以て説得力を構築することで相手を説得しようとする…其 の論理は何らかの論拠、根拠を前提として組み上げられるが…言論の壮絶な批判力が躍如するところであるが言論自体がそうした根拠の根拠は存在 するのかを一度問うてしまえば、その先は真っ暗であり、根拠の根拠など存在しないのである…従って根拠の根拠性には何の論理的説得力は存在せ ず、従って何らかの根拠に基づいたあらゆる言論に説得力は存在しないのが現実である。そうした薄ら寒い根拠の無力性を隠蔽し、根拠の絶対化に 寄与しているのが、煩瑣な文化的歴史的経済的社会的科学的生命的理屈なのだがそれらは根拠の無力をひたすら覆い隠す泡に過ぎない。従って、 根拠に基づいて相手を説得しようとしても説得力は存在しない。 よって、説得しようとする此方にも説得力はないのと同時に、説得されまいとする相手の言説にも何の説得力も存在しないのである。双方ともに異 なる根拠をぶつけ合って正しさ合戦をしても埒はあかないだろうが…根源まで突き詰めれば双方ともに根拠の不在が露呈するだろう…そうした時に 、初めて、根拠の不在と云う双方の共通が生じるのである。言論を命とする者は…このように、…己の言論の無力をさらけ出した丸裸で以て相手に 無力にぶつかりながら、相手の言論を無力にする、かような認識を持った信念がまず枢要だと云っているのである。理屈をぶつけ合っても埒はあか ないし相手は頑なに次次と、無根拠性を隠蔽する別の理屈を持ち出し続けて埒はあかない。逆に己の無根拠性を相手に晒しつつ相手の無根拠性を根 気よく掘り出してやる事で、相手の無根拠性も炙り出される事に相手もそこはかとなく気づくのである…そうした時に初めて、小賢しい理屈を超え た共通の「人間」なるものが顕現するだろう…そうした時に初めて、相手は、胸襟を開くのである。即ち、転回的に、根拠に基づかない捨て鉢の、 なけなしの無力の説得=言論にこそ、説得力が存在するのである。そして、国家構成員に命懸けの外交努力をしたのか、と問うているのは、上記の ように己を晒して、つまり真の意味で命懸けで言論という無力に己を賭けて説得したのか、ということなのである。言論の、かような無力に向き合 えず、論理的な自己保身に走って浅はかな上っ面の装飾的理屈に右顧左眄する者が、言論に賭ける努力を無責任に放棄して、②の状態をさっさと① に切り替えて、言論の代わりに国民の命を差し出す人命軽視に走るのである。かような輩には言論を稼業にする政治家や議員を務める資格は無い。 言論の無力、根拠の無さに立って相手と向き合えば…人間を束縛する諸々の理屈という軛から解き放たれ…解決に導く何らかの知恵や方策も生み出 されよう…今はあんなだが、仮にも老子と荘子を生んだ国である…希望は無いわけではない。別に、言論の無力を意識することに、高度な知識や知 性など必要は無い。実に簡単な事実を、受け入れるだけである。釈迦もキリストも同じことを言っているし、誰にでも持ちうる信念である。しかし、己を無力に晒す、命懸けの信念ではある…言論で以て稼業とする政治家が結局言論を信じる信念、即ち言論の無力の基底から立ち上がる信念すら持ち得ないから、ごろつき紛いの好戦的な他国から軍事や物量を見せつけられたら惨めな周章狼狽で浮き足立ち、本来己の仕事である事態の収拾を手っ取り早く放棄して、事態の責任を国民に転嫁してはこんな時だけ国民に主体性を与えて国民の全体的な命の奉仕を正当化することで…より一層言論への信念はないがしろにされた挙句、戦備えを過激に仕上げて戦争勃発、そして結果的には国民の命をどぶに捨てる所業になる…此れが、今も昔も変わらない、愛国気取りの扇動家が亡国の輩に等しい事の実態である…言論の無力に一旦死ぬ勇気も無ければ、己自身の命をかけて、彼らが云う国家を守る勇気すらも無い臆病なる己の卑小を大きい声でひた隠しにしながら保身する…此れが、愛国気取りの政治家の実態である。

折しも中国漁船が250隻ほど尖閣周辺に集まり、海警船が領海に侵入したとの報がある…こうした事態の切迫に際して…戦備えに汲々するのが手 っ取り早く思われがちではあり、抑制ある備えは必要悪なのであろうが…一見遠回りに見えようとも、結局は、言論に賭ける事が最も近道である。だいたい、日中双方に顔が効く、大陸右翼みたいな胡散臭い私人はおらんのか。そんなのが出しゃばる事態はとうに過ぎているか…なんなら、日本国政府が正式に招聘するならば、小生が習近平と話しても よい。戦備えに用いている金、人員、時間を別の事に使えれば、一体どれだけの問題が解決できるのか、其の薔薇色の未来の利を説いてもよい。実 際…軍事衝突で国民の死者が出たならば、国家が始めた戦争が国民の戦争になり、国家の戦争が国民の戦争として具体的に主体化されると、…憎悪 の連鎖による悲惨しかない。国家構成員は国防のため死んでもよいと書いたし、国家構成員と国民の命は理性で分けるべきだと小生は考えるし、国 家構成員の死を起爆剤にして国民の命の全体的な奉仕(当然、基本的人権もこの時点でとことん蹂躙される)を正当化する国家の言説は、前述の理 由から許してはならないが…其れでも、国家構成員が戦死すれば、係累血筋縁者による憎悪の連鎖による、国民自身による戦争の主体化が始まるだ ろう…だからこそ、何よりも言論での努力を此れほどまでに猛烈に希求しているのである。死ぬなら相手の武器によらず、専ら言論の無力に言論的 に死ぬ、あるいはそうした言葉を吐く心労過労によって自ら憤死すべきである。其れによって人間が、生きるのである。

オッコトヌシは作中で、巨大なイノシシを化身にした山の神の一つとして描かれているが…最期は悲愴なる玉砕に猪突して祟り神になりかけるが… 漢字で書くと御言主、なのだろうか…此処まで此の論考を読んでいただけたならば、オッコトヌシの言葉の痛烈を深甚に受け止められるであろう。

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仄々斎不吉
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自己紹介:
 数寄の天下を獲らんがため号するは、仄々斎不吉。

 三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)及び諸家茶道流派に例外無き教条点前に豪を煮やす一方、近代数寄者(益田鈍翁、高橋掃庵等)以上に見立ての幅が広がった現代茶会に更なる侘びの新風を吹き込むべく研鑽を積む。

 利休の、無産有産といった階級をも併せ飲む侘びの骨頂に根ざしながら、そうはいってもありがちなブルジョア金満足だけは厳に慎みたい労農茶人。

 草木に臥してなお風雅を愛でる仲間であるために、茶の湯だけでなく、路上観察、テレビ跋渉、音楽及び納豆評論、 30人31脚批判もこなす趣味人にして愛陶家。 猫舌。


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