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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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宇多田少年

以前、宇多田ヒカルの実存覚醒前のアルバム、ハートステーションを酷評してしまったが、何度か聴くうちに、と云うよりも、何度も聴いてしまっている事実があって、要するに此れは此れでいいなと思うようになり…であるならば、ファントムによる覚醒以後が圧倒的に良いのは当然だが、だからと云って其れ以前の成果がおしなべて悪いという訳ではないのではなかろうか、と此れまでの先入観を一変させ、従って覚醒以前のアルバムも確認する必要がある、と確信的に狙いを定めたのであった。だから、追加でハートステーション以前のアルバムにも触手を伸ばし、微に入り細に渡って日々、浴びるように宇多田を聴きまくって、自ずと比較検討してしまった。其の結果、以下のような見解を持つに至る。音楽の点数評価など、其れ自体に意味はないのは十分承知、単なる自分の中での独断的かつ相対的評価に過ぎないが、こうなった。100点満点で…

三番目アルバム ディープリバー    65点
四番目アルバム ウルトラブルー    75点
五番目アルバム ハートステーション  85点
六番目アルバム ファントム     150点
七番目アルバム 初恋        200点

ファントム以降が百点の限界を超えたのは実存覚醒だから当然、しかもリミッターを振り切りながらも、リミッターを振り切ったファントム以上の作品を成し遂げた初恋と云う現実に、いまだに心の震えが止まらないのだが、注目すべきは覚醒以前であり、線形的にではあるが着実に実存の萌芽が育っているのがよく分かる…覚醒してしまえば不連続的に非線形領域に突入するのだが…覚醒前の線形領域をじっくり聞きこむにつれて聴取される実存の形成過程は自ずと宇多田ヒカルと云う人格の形成過程でもあり、剥き出しの人間模様を公開する生贄にならざるをえない芸術のサガに成りえている事の証左でもあり…今や取り返しがつかないほど宇多田にぞっこんとなっている…此れは一種の実存中毒とでもいうべきもので…ファントム以降の完全な実存に法悦したにも関わらず此れに飽き足らず、今のところ初恋以上の作品がないから、ハートステーション以前の、実存過程における現実に垣間見える実存を曲の端々に路傍の菫のようにいちいち見つけていく喜びにものめり込んでしまい、ハートステーション以前はこうした発見の悦楽を与えて止まない数奇者向けである。ただ、こうした評価を論証しようと思ったら、アルバムに収録された各楽曲ごとの、歌詞と曲の各個分析や相互作用分析を含めた実存評価が必要であり、当に自分の意識の中では其れは済んでいるが其れを書き出すと書籍になるので、此処では宇多田作品の特徴を成している一つの傾向を抜き出したい…其れは…女性として生まれた自分の意識に潜む少年性とでも云うべきもので…ウルトラブルーにおいて宇多田氏は自分の中の少年を自覚し、ハートステーションにおいて其れをジャケット写真の少年風宇多田に顕著であるように全面的に創作の駆動力として公開している…女性の中の内なる少年と云うテーマは少女漫画では一般的でありつつ…「アリエスの乙女たち」や「アルトの声の少女」の主人公は女性として生まれながらも内に潜む少年性が自ずと人となりとして表出するため、自己同一性が女性一本やりの単純に戯画化された女性からモテる、と云う状況と、其の事への違和感を基本設定として、主人公の内面が物語の中で展開されるのだが…そうした女性は意識に少年性があると云う事で、時に果断な行動力を発揮するが、かと云ってガサツと云う訳ではなく、寧ろ内なる少年性を秘めている複雑な精神性を生きているからこそ、思慮深い控えめさで所謂女性らしい振る舞いも板についていたりするから、そうしたギャップに萌える女子女子したクラスの女子から持て囃されると云う事だ。けれどもそうした女性は周囲からの表層的なモテとは裏腹に、性差に依存した特権とは縁のない、人間としての忌憚なき苦悩を抱えて後ろ暗い陰りを抱える誠実さが、芯が通っているが故に切ない人格を形成して目が離せない豊かである…そして、此処で谷崎潤一郎ばりに個人的で下世話な性向を露出して恐縮だが…小生は其のような、内なる少年と云う矛盾との葛藤や解消と云う動的過程を意識に抱えた女性にソソられると云う嗜好性を持っており…要するに、女性としての己に潜む少年を陰に陽に生きて葛藤する女性と、そうした葛藤を含めてソソられる、特に自我の性に漫然とした数奇者の男としての小生が存在していると云う現実にも、小生はソソられているのであり…宇多田氏にも目ざとく其れを嗅ぎ取ったのが、宇多田楽曲に惹きつけられて止まぬあられもない劣情でもあったりする。ところで、此の内なる少年は、専ら女性の中で規定された少年像であるから現実の少年とは対応せず、ましてや、女性性における男性性とも異なるだろう。また、単なる男性とも決定的に関係ない。更には、少女漫画に規定された少年として、例えば竹宮恵子や萩尾望都が描く少年があるが、あれが現実の少年と対応するかはいざ知らず、少なくとも女性の中にいる少年を描いたものではない。描かれた少年は神学校的寄宿学校でのホモセクシャルな関係などといった、資本主義社会にあっては非現実的だが、内なる少年と共に生きる女性は、社会とリアルに生きる存在でもあり…特に宇多田氏の内面の少年は其れを含む女性性とも相まって資本主義社会を生き抜く人間活動に冷めた視線を投げかけつつ、システムの中を生き抜く人間関係を肯定的に即ち躍動的に捉える…こうした内面は必然的に、性に対して偏らないため人間一般に対する視線も正鵠を射て公正であるから、凡百の歌手の性的特権的目線に内在する差別やへつらいとは一線を画す冷静透徹した社会性を保証している…覚醒前にこうした下地があったればこそ…、実存覚醒した楽曲では、一つの楽曲の中でワタシやボクやアナタやカレやワタシタチなどの多彩な視線が目まぐるしく入り乱れるバフチン的多声性を展開するだけでなく、遂には人間界に留まらず自然の視座をも獲得した豊饒の結果、多彩な視線は全て死で焦点を結び、死の焦点から万物の躍動を逆照射する慈悲を言祝ぐ実存覚醒へと至ったのであった。楽曲のこうした特質や変遷は、歌詞内容で読み取れるだけでなく、年を経る事に命を剥き出しにして憚らぬ巧みな歌唱方法や、男女を超越した天性の声…まさに少年性と表裏一体となった女性の、慈しみと力強さと儚さと陰りを帯びた明るさが混然とした伸びやかな色が深まる透明な声に集約されているから、小生は宇多田漬けとなってまだ抜けきらないでいる。いや、さすがに聞きすぎてようやく最近になって飽きてきたが…

そんな宇多田氏の新曲が、前作Qに引き続いて、このほど公開されたシン・エヴァンゲリオンでも聴けるというのも必然であろう…庵野監督と云う天才の作品にひけを取らぬテーマソングを提供できるのは、宇多田ヒカルと云うもう一方の天才をおいて他ないのだから…美味しんぼで、中東に赴任予定の夫婦がフグの白子を食べられなかった現場に遭遇した雄山と士郎…フグの白子の代替対決となり、士郎はタラの白子を提案したが、雄山の牛の脳みそに完敗…フグの白子と云う一級品の代わりを持ってくるのにタラを持ってきたところで、いくら生きが良くても二級品は二級品でフグには勝てない、ならばフグの白子に匹敵する全く別の一級品を持ってくるべき、例えばモーツアルトの音楽に対してシャガールの絵画、と云う風に…と云う話だった(フグ、タラ、牛だったか、うろ覚え)。天才には天才を引き合わせねばならず…例えば宮崎監督の風立ちぬでジロウ役が務まるのは宮崎監督に匹敵する天才庵野監督をおいて他なかった事も改めて思い出されて、庵野監督と宇多田ヒカルの再タッグに執念深く興奮している…因みに士郎は挽回するために、中東でも入手可能な羊の脳みそを持って来て一矢報いたが…其れは兎も角として映画を、もう、絶対見に行きたい。恐らく三回は映画館で見るだろう…実はエヴァのテレビシリーズを見返してもいて…予習はばっちり…昔、理論生物学を名乗ろうとしていたら郡司ペギオに先を越されたが、ならばと思いついた別案も、ネルフの副指令冬月教授が京大の形而上生物学教室にいたのを知り、また先を越されたと、半ば嬉しく残念がる。

次回は4月4日です。

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