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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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国家主義者=愛国者=利己主義者=反社会契約主義者=反人権主義者=特権主義者=犯罪者

消音していても球場のざわめきが噎せ返るような陽光…空気は未だ温もらず…菜の花畑に入日薄れ見渡す山の端霞深しで…どこか弛んだ守備エラーが目に付くが…大勢としては取り敢えず森友一家を御取潰しに処して一件落着を決め込む手筈が功を奏しつつ…蜥蜴のしっぽ切りとは云え…其の尻尾も其れなりに有毒だから切って捨てる価値はあるとしても…本体の猛毒である御上は至って健在を決め込むしたたかさを目の当たりにして…アメリカの新興ファシストの尻の青い、徒に性急なだけの若さの取るに足らなさに比べたら、此の国の、腰を据えてゆるりと事を進めつつ少々の難局にも動じないしぶとさを顧みれば此の国の絶望の深さに改めて絶望…問題の幹…値引きの根拠である八億円分のゴミの有無…政権側は、総理が寄付したらしい百万円に関しては、百万円をもらった事実が存在すると主張する森友側に証明責任があると云う…此の論理は確かに正しい…やっていない、寄付していないという非存在の証明は不可能なのだから、存在を主張する方が、其の存在を証明する義務が生じるのは至極尤もである…だとすると、此の論法は政権側に翻って、政権側は、八億円分のゴミが存在した、だから国有地売却額を八億円値引きしたと主張するならば、八億円分のゴミの存在を証明する義務はたちどころに政権側に発生するではないか。百万円に関して政権が総理の関与を否定する其の論法が正しいならば、八億円分のゴミの存在を説明するのを拒否するのは筋が通らない…政権は未だに、処理費用八億円分のゴミは土中に存在したが、其の証拠を提出するつもりもないし必要も無いと強弁して憚らないのだから…此の程度の矛盾などものともしないのが政治権力なのだと云う事は百も承知だが、野党はこの辺をきっちり衝くべきであろう…其れと、問題の根っこの部分である、憲法違反、教育基本法違反の森友学園支持を公言した総理大臣はじめ政府与党の憲法違反、教育基本法違反へ加担した罪を国会の場で批判すべきだとめげずに繰り返しておく…此の事は、とある民放で微かに遠まわしに指摘する識者も居たのに少しだけ出くわしたが、此の論調が大勢を築くのに全く足りない状況なのは明白である…

森友が愛国主義の大義名分の下に、自分らは国家のためにやっているのだから少々の税金詐取など大目に見られるべきだし特別に優遇されてしかるべきだと悪びれる様子も無く公言する確信犯的態度で以て、国民の血税を横領し、しかるに国家をワタクシする事で、結果として彼らが一番の価値を置く国家の国力を危うくしている自己矛盾に陥っているのが白日の下に晒された此度の事件…此の件は、ある特殊な、常識をわきまえない不埒なごく一部の愛国者が為した悪行であって、他の一般的な愛国者は衷心より国家を愛する事で国家の利益になっていると云う、一見理性的な此の判断は誤りである事を以下証明したい…森友が特別な事例なのではない、いわゆる一般的な愛国者、国家主義者、あるいは正統保守主義者を自認する者は、其の思想的原理として、国家をワタクシして国民から奴隷的搾取を目論む国民の敵なのである。無論、森友のような尖兵右翼の論理としては、一時的には国民の税金を詐取している事にはなろうが大局的には将来的に国家の繁栄に役立つのだから、今現在の些細な犯罪などは目をつぶられてしかるべきだと云うのだろうが、当然ながら此の論法は自分勝手な私的な思い込みに過ぎないのだから公にも国家にも通用しない…いわゆる国家主義者(愛国主義者、天皇君主制主義者、ナショナリスト)が、如何に表面的には己の身を犠牲にして公に奉ずる美徳を吹聴しようとも、其の思想の原理として、結局はまことにちんけで詰まらぬ私的なる卑小なる利己主義に帰着するのである…

国家主義者の思想の原理は云うまでも無く、国民あるいは民衆あるいは人間の主権を否定し(=基本的人権を否定し)、国家と云う抽象的観念的制度に主権を認めるものである。抽象的国家に具体的国民が奉仕する事を要求するのが国家主義であり国家主権である。国家と云うのは必要悪の統治機構であり、統治とは何らかの中心乃至は中央がその他の全体を執行権で以て支配するものであるから、統治が中心である以上統治と云う実際の仕事を執行する具体的人間は全体ではなく、少数である。此の少数は、全体からの普通選挙だろうが神権的特権的世襲だろうが如何なる選択方法であろうとも、いずれにせよ全体から選択的に抽出されている概念の遷移を経ているために、必然的に全体から切断された存在である。此の少数とその他の全体との間の切断された関係や紐帯を、如何なる正当性や理屈で以て隠蔽しようとしても其れは空虚な虚飾、欺瞞に過ぎない。如何に公明公正な普通選挙であっても此の切断を隠蔽する事は不可能である。従って間接民主主義や代議制などと云うものは民主主義ではなく、民主主義とは直接民主主義でしかない。

(にも関わらず間接民主主義に依存しなければならぬ苦渋が政治制度として人間の血の通ったものになるのは偏に此の切断と云う実存経験に深く思いを致しているかどうかであって、最終的には個人個人の誠実さに掛かっている此の現実は、此の矛盾を知悉している事を条件としている…原初から民主主義を不可能性の下で捉えていたルソーの社会契約論が何故民主主義の古典たりえているのかは、畢竟此の矛盾を些かなりとも美辞麗句で誤魔化さず白日に晒した冷然たる誠実さによる…こうした切実なる困難から全く逃げずに、国民主権と云う、これまた矛盾に引き裂かれたルソー独特の概念を定立したルソーと云う人の、実にアクロバティックで奇跡的な思想の凄みと云うのは、勘のいい読者の方なら此処まで読めば感得されるだろうけども、其れは、直に社会契約論を読めば良く理解できる事であるだろう…)

民主主義が不可能性を内在させている云々は余談として…兎に角、重要な事は、国家が統治機構、統治の制度である以上、其の国家の仕事である統治に携わる人間は全体とは異なる少数であるという事である。国家主義者らが、国家に主権を持たせるという事は、如何に観念的には、国民全体に奉仕する国家が主権を持つと国民全体にいい事があるように主張しようとも、現実的には直接的には、国家を運営する少数者が主権を持つ事に他ならない。少数者が所有する主権の事を特権と云う。此の少数者は国民に奉仕すると口先で強弁しようとも、其れは何の原理的根拠も保証も無い妄言に過ぎず、現実的には少数者が特権的に私的に恣意のまま主権を行使できると云う事である。そこは法律で以て制限を加えればいいと云う論法で、少数者の私的行為は公の行為に転移可能だと云うのは空虚空論に過ぎず、主権が少数にある以上はそんな法律は少数の恣意によって如何様にも改悪可能だから意味はない。国家主義者とは原理的に少数者による専制政治を肯定するものであり、即ち国民主権を否定して国民から主権を奪い奴隷身分に貶める輩である。国家主義者はこのように、少数者の特権でもって国家制度を執行するのだから其の行為は原理的に私的なものに過ぎず、公の事としての正当性は必然的に皆無である。従って、国家主義者のやる事為す事は全て、単なる利己主義の産物と同じなのである。従って、国家主義者は利己主義者であると云う、自己矛盾した厚顔無恥の帰結を晒すのであって、国家主義者には原理的に何ら社会的大義は無い。国家主義者は結局、利己主義的に国家をミスリードしてワタクシする事で国家本来の役割である、国民全体の生命、財産、人権の保障をないがしろにするため、国家主義者は、国家国民への害を為す者として、いわゆる一般的刑法犯罪者と同列である。云うまでも無い事だが国家の執行権が社会的に正当性を持つのは、主権が国民に有する場合のみであって、主権が国家や君主に有する場合ではない。此の事はルソーが社会契約論で証明している。

笑止を通り越して滑稽ですらあるのは…かような国家主義者が、主権者国民の集まりである社会に対して広く自己の思想への支持を訴える事であって…要するに国家主義を自認する者らは、眼前の大衆に対して、「私に、おまえら大衆とは隔絶した特権を与えてください。私の特権を認めてください。私に特権を与えて、其の特権で以ておまえらを奴隷にさせて下さい。お願いです、どうか、おまえらを私の奴隷にさせて下さい。」と云う内容の事を、眼前の大衆に対して真剣に訴えているのである。こんな事を「懇願」する人間を支持、肯定する大衆が存在するのか。しかし、実際、自民党が政権を取っていると云う事は、此の公言を肯定する大衆が存在する事を意味するのだから、滑稽を通り越してぞっとするしかないが、現実に起きている此の事は、何と馬鹿げている事だろうか。悲劇なのか喜劇なのか。

日頃は特定の人種や民族の人権や(国民)主権を否定し(人権とは普遍的なものである。其の普遍性を否定する者は、人権ではなく特権を肯定する者である)、自己の特権の正当性を社会に認めさせようとする国家主義者らが、いざ社会的に劣勢に立たされると、図々しくも、「表現の自由を弾圧するのか」「人権侵害だ」「大衆の一人を国家権力で弾圧するのか」などと手前勝手に、己の国家主義的思想で否定している人権や主権を手のひら返しで自己に都合よく肯定して、保身を図る様子は無様を通り越して惨めですらある。こうした、自己の思想に対する一貫性の無さも、国家主義者が単なるちんけな利己主義者に過ぎない事を証明している。国家主義者は、まさに日頃は国家主義者自身が、戦後リベラル云々と駄弁を弄して口汚くののしっているところの、利己主義者そのものである。国家主義者に人権や主権など存在しない事は先週証明しておいた。

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仄々斎不吉
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非公開
自己紹介:
 数寄の天下を獲らんがため号するは、仄々斎不吉。

 三千家(裏千家・表千家・武者小路千家)及び諸家茶道流派に例外無き教条点前に豪を煮やす一方、近代数寄者(益田鈍翁、高橋掃庵等)以上に見立ての幅が広がった現代茶会に更なる侘びの新風を吹き込むべく研鑽を積む。

 利休の、無産有産といった階級をも併せ飲む侘びの骨頂に根ざしながら、そうはいってもありがちなブルジョア金満足だけは厳に慎みたい労農茶人。

 草木に臥してなお風雅を愛でる仲間であるために、茶の湯だけでなく、路上観察、テレビ跋渉、音楽及び納豆評論、 30人31脚批判もこなす趣味人にして愛陶家。 猫舌。


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