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反芻編
下線部追記
ひと雨ごとにもののさびしき夏の暮れ
迷妄須らく晴れぬうちにも晴れたり曇ったり夏と秋の逡巡いつしか季節は過ぎ去る道行き。定まらぬ竹馬千鳥に踊り場こそ山中の隠居かはたまた飛び込み台の土壇場か己でも名状しがたく、差し当たってのしのぎにご笑納の段。過去にこの電誌で綴ったことがあるこの音楽を、性懲りも無くまた聴いている。諸芸能の中でもとりわけ音楽は、反芻して聴くということが聴取の常態にして大事である…と書きながら、何だか今宵は酒の力を借りてもいまいち筆が進まぬな…と心苦しく、自分の所持していた微力なる能力であっても失われるのが恐ろしい気持ちに苛まれ、まことに強い物欲まみれの自分には私有財産の否定なぞできっこない、ましてや身体能力の喪失はどうなんだろう…生活さえできれば手足の一本ぐらいは無くなっても構わないが何よりも聴覚の喪失だけは過敏に恐れ、テレヴィの音量はなるべく小さく、必要なければ消音しているし、音楽鑑賞の際も、昔日はヘッドホーンで鼓膜に直接爆音圧を叩きつけていたが、昨今はほどよい音量で耳に優しくするようにしている保身ぶりも顕著である…彫刻を始めた手前、特に自分の指先の健康管理というのに意識が尖らざるを得なくなっているのも事実である…職場に貼りまくられた、一瞬の不注意で一生台無し、といった意味の安全標語…今までは何の興味も無かったが、今となっては、身につまされる、いたたまれぬ恐れを以て関知せざるを得ぬ…これからという時に、こんなことで台無しになってたまるか、という、怒り混じりの閉塞感の憎しみ悔しみに率先して苛まれる…過去に二人ほどの労働者の手首を潰した機械を日常的に使っている。安全装置が二重に設置してあっても、基本的に人間が介在する時、一切の絶対安全はあり得ない。いきなり筆が走り出したのは無音で流しているテレヴィから会社の星が垂れ流されているからで、炎の夏合宿、なぞやっているのを目撃、ドスにも似た憤怒が突沸したからである…まず、出演する若手営業たちが、皆、そこそこ整った容姿と顔であるのが気にくわぬ…今に始まったことではないがテレヴィに映る人間はだいたい小奇麗に整っている…嫌らしい、優生学的、社会進化論的選別が行われているんじゃないかと思うと滅茶苦茶にしてやりたくなってくる。既に社会化制度化された相対的主観に過ぎぬが学校のクラスのうち一人か二人かは容姿や顔が醜い人物というのがまさに存在していたはずであり、それは社会にまで敷衍されうる事実である。管理された公園の芝生で、積極性を試す練習のようなのをやっている…「遅い鈍いトロいは誰でもできる!」などと叱咤する女講師…5.15、2.26、虎の門事件、血盟団事件といった世相でなくても心の持ちようによってはいつだって切迫した世の中である。一人一殺、という言葉が夜這い星のように心をよぎり、ケロイドのような記憶の汚い傷を残す。関係ない市民まで殺傷に及ぶのは論外だが小生はピンポイントで対象を絞り込んだテロリズムを支持する者ではないかどうかここは有耶無耶にしておくが、今、この日本でテロリストが狙うとしたら天皇でも閣僚でも資本家でもない、あのような媚び上手な若手元気連中と彼らを食いものにするバブル世代のセミナー講師や上司なのだろう…まずは話し合いで解決してほしいものではあるが…「会社の星に出演すべきではないよ、一緒に会社の星を粉砕しよう、自分が馬鹿にされているのがわからないのか」と云ったところで納得されるか疑問だ…否、むしろ、小生が会社の星に出演し、小生が三島よろしく繰り出す番組批判の演説が放送されるように元気若手営業に協力を申し出るか…あり得ぬ…文藝春秋で村上龍が連載しているオールドテロリストという小説も、こうした内容なのだろう、と簡単に一読した限りではあるが思った。やる側もやられる側も、どこまでもチープでコンビニエントで短絡的な、すべてがあからさまで事象の表層を裏付ける深い事情も理屈付けもあり得ぬ現在、みたいな。世代間闘争などどうでもよいが、思えば、世代間闘争を真正面から標榜した芸能の嚆矢としてはロックをおいて他はない。ザ・フー「マイ・ジェネレーション」。木金の休日にはNHK高校講座を見てしまう。
何を云いたかったかと云うと、エレクトリックプルーンズをまた愛聴してしまったということである。自分の音楽的精神を形成しているのは、ザ・マザーズのサード、ザ・シーズのファースト、the 13th floor elevators、そしてエレクトリックプルーンズのロストドリームの4つである。日本酒で酔えば酔うほどコメカミや首が痛いのはなぜだ。エレクトリックプルーンズについては過去に詳述したので書き加えることなど今更ないが、何度でも聴いてしまう…何度聴いてもよい、聴くたびに発見がある…と悦に入りつつ何度も何度も聴くうちに興奮が磨滅していった音源はいくつあろうか。こんなにも情けない、みじめな、ヘドロの中でしか生活したことがなく晴天の爽快など概念としてすら知らぬ捨て鉢な連中の荒みきった音楽を自分が好んでいるとは、しかも、むしろそうした音楽しか最早聴けなくなっているとは。こんなにも弱弱しくひねこびた、度し難い音楽を。改めて愕然とする。特殊に荒くれた奏法を新規に創発させているわけでもなく、ポップで在り来たりな演奏、へなへなで肝心な部分で力が入らぬ脱力も意図的ではなく基本的には演奏をこなしているのにささくれ立つ闇の獰猛を放つ男どもの癒しようも無く苦しい、間の抜けた歌である。いきなり気ぜわしいロシア民謡を一斉にがなる頓狂おさまりがたし。
数年前の荒んだ時期、ナチュラル雑誌を熱病のように購買熟読、一度に5冊ほど購買していた週が何度も続いた時期があったがこれが再燃。これについても書き出すときりがなさそうだし、「荒み」を標榜する小生が何ゆえナチュラル雑誌を?という説明責任も付随すれば今夜は徹夜、ナチュラル雑誌とはいかなるものか知らないかたのためにキーワードを。ナチュラル。オーガニック。アースカラー。プレーン。モノトーン。心地いい。カントリー。…
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