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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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ハードロック編 第二夜



 シメジでも加えてみるか夢の雷

 亀虫が夜明けのカーテンに御座候

 白き吐血かフロントガラスに鳥の糞 

 どんよりとして、もう、やる気が失せた。このところ立て続けに淡淡斎好み宇宙コロニー形車軸釜や蜂図彫刻煤竹茶合、イエスの公演チケット等、己の欲する物を所持することになった。しかしながら、落語の帯久じゃないがそれがケチのつけ始めで。薄薄怯え、もう、これからいいことなんかないに違いない、不幸なことしか起きないに違いないと思い込んでいたところへ、案の定、そらやっぱり、さもありなんとばかりの北叟笑みが何処からともなく聴こえる…仕事中に75kgほどの資材を台車で運搬中、やっぱり荷崩れを起こし、足場の悪い処で荷組みをやり直していると腰をかばう為に変な姿勢で荷を引っ張った途端、右脇腹を、さっと懐に飛び込んできた猛禽類の鋭い嘴で抉られたような鋭い痛みが走り、痛みは残るものの腰じゃなくてよかったと己を慰めながら平日はだましだまし働くが、土曜日の朝、起き上がろうとすると、右肩と右脇腹に、どうにも堪えきれぬほど鋭痛が走り、起き上がるのに至極難儀する…単なる筋肉痛だろうと思うも、経時で悪化している様子から、骨や関節への損傷も予想され、不安は募る。日曜日、痛みはおさまる気配を見せぬので、思い切って病院へ。日曜日も営業しているそこに行き、レントゲン…指触での所見でも分かることだが痛みは、背骨から脇腹に伸びる肋骨と、その肋骨とつながって腹を包むようにして胸骨へと至る軟骨との、その接合部およびその近辺の筋肉の損傷によるのだろうということであった。結局、レントゲンでは肋骨は映るが軟骨はよく分からぬらしく(肋骨の異常は無し)、肝心の、軟骨と肋骨との接合部や軟骨の損傷の詳細は分からぬわけで予測でしかなく、どうにもならぬということで何となく曖昧なまま、痛み止めと湿布をもらう。

 労災、という言葉がよぎる…。よぎるのは、数年前の出来事…まあ、労災なんだけれども、20代前半の、まだ首筋に幼さの残る技術部員の男が、グラインダーでの研磨作業中に指を切創、救急搬送され数針縫うという労災があった。緊急で開かれた安全委員会に、頭数合わせで組合側として何となく出席した小生は、各委員列席のもとに、病院から戻ってきた彼が事情聴取のため出頭してきた現場に立ち会ったのであった。彼は、なぜか、泣いていた。20代そこそこのいい年した大人の男が、何を泣いているのだろう…と思った。まさか、傷口を縫うのが怖くて泣いているのじゃあるまい、もう病院ではないし、公の場で、人前で、何事なのだろう、と怪訝に思っていたが、彼の、長身を濡れそぼらせてしゅんとしょぼくれた態度を、幾分意地悪く見透かしてみるに、どうも、つまり、会社=世間様を騒がせてしまった自分の不甲斐無さへの情けなさが嵩じて、自責の念で泣いているようなのである。責任関係はどうあれ、ともかく怪我したのは自分であるのに、何故か自分を責め、周囲の委員でさえも多少の当惑はあれどなんとなくそれで心情的には事がおさまった具合の満足げなのである。満更でもない感じ。彼…何故に、そこまで求められもせぬのに、組織的なものに恭順を示すのか。最近の若年層の、率先した媚び、というものの小汚さ、を思い出したと同時に、製造業特有なのか、個人の人生の安泰が目的のはずの職場の安全が、いつの間にか組織の安全へとすり替わっているのではないかと持ち前の率先した媚びによって過敏に先取りし、過剰な悔悛の態を見せるに至る倒錯した安全意識、そうした媚びを好材料とばかりに組織固めに具するしたたかな組織の姿、というのを垣間見た。反吐が出る…。

ハードロック論「肯定の歌、永遠の歌、未来の歌」
       (「yes songs, the song remains the same, who's next!」)

 ハードロック編唯一の問答は、これだ。

 問:「イエスがレッド・ツェッペリンに聴こえ、レッド・ツェッペリンがザ・フーに聴こえ、ザ・フーがイエスに聴こえる時、私たちは何を聴いているのか」
 答:「それは、ハードロックである」

日曜日の夕方…天ぷらの化石のようにほとほと情熱が枯れ果てているので、致し方なく、今後の論の進め方、というよりも本論を形成するのに必要な下地作業の項目を並べる。本来ならばそうした下準備は終えた上で更に己の中で十分時間をとって寝かし、熟成させてからしかるべき時に本論に差し掛かりたいところであるがそんな余裕は毛頭ないので、練習帳と本番の区別なく露骨に恥じらいも無く晒す破目となる…かようにもったいぶったところでそこで云われる本論というのも、結局、既に筆耕した上記の記念碑じみた問答以外に何もないのであるが、間を遊行揺籃するしかない気ぜわしい人間の性ということで全てを棚上げして真顔で散らかしたい。

 歌詞の日本語訳を己で実施すべし。英語の辞書的な意味ぐらい理解できていればよいが、語学力が小さい小生では残念ながら、ぱっと見て分からない単語というのもある。そこで、この年で中学生じみた努力も辞さず逐語訳を施し、しかる後にイエスならイエスを聴く小生ならではの精神の軌跡を通して、自然として既に存在するイエスの音楽に匹敵する翻訳詩をまずは構築すべし。その翻訳と英語歌詞がマクドナルドのダブルチーズバーガーセット並みに己の意識において渾然と分かち難く、よく熟れさせること。いままでは己の怠惰故に歌詞の意味と楽曲の音楽性を切り離して、音楽性のみを味わってきたが、ロックは歌であることによるロック特有のいかがわしさ猥雑さから、このハードロック論において疎かにすることは、如何に怠惰な小生といえど、出来やしない。主としてこの3アルバムの全歌詞を、翻訳ソフトなど使わず、己自身で、歌うべし。

 この論では、イエスとレッド・ツェッペリンとザ・フーを、まさしく同時に聴くこと、というのを課している。彼らを同時に聴くこととは何か、ということを探求する予定だ。この事が便宜上、論を進めるための方法でもあり目的、あるいは結論にもなってはいるが、しかしそのことが何かしらの大上段の箴言ないしは己の生き方や共同体を組織立てるのに有用な勅語になりうるはずも無く、空回りに過ぎぬのは闇雲に幻聴している。件の記念碑といっても、それは土中を基礎とするものではない、何かのSFであったような、宙を漂泊する黒い石のようなものである。それも、既に粉々に砕け散っているといってもいい。我々が住む銀河はまさに空回りしているではないか。太陽系や銀河の中心はそれらの系を統べる中心にあらず、見かけの糸目に過ぎない。とはいえ、この、まさしく同時に聴くこと、というのを、彼らの音楽と対峙しうるまでの、啓蒙ならぬ迷妄思想にまであられもなく乱れさせるには、ただ言葉を紡いでいるだけでは興が乗らぬ。しかるに、本当に、3台の録音再生装置で以て、同時にこの三つのアルバムの音を再生させ、実際に小生が聴く必要があるだろう。全く新しい聴点(視点)が出現するかもしれない。差し当たって再生装置を2台しか所持していないから、まずは、可能な組み合わせをやってみるのもよいだろう。以下の聴き方の組み合わせを順不同でやる予定。あと1台、設備投資が必要。2台の再生装置から同時に空間に音を放出するのもよいし、2台からそれぞれイヤホーンを耳に繋げ、例えば右耳からイエス、左耳からザ・フーを心に注入するとまた違った状況になるかもしれぬ。何となれば耳が三つ欲しいところだが。

 ○イエス
 ○レッド・ツェッペリン
 ○ザ・フー
 ○イエスとレッド・ツェッペリン
 ○レッド・ツェッペリンとザ・フー
 ○ザ・フーとイエス
 ○イエスとレッド・ツェッペリンとザ・フー


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