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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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しれっと

今月いっぱい休載と云いながらもしれっと書き進める其の心理の浅ましさを露悪させようとも最早左様な心理の惨めを隠蔽する綺麗事に依存出来る ほどの執着力すらも…砧で徹底的に叩き延ばされた人生苦にあっては失墜を免れないからこそいぎたなく漏出する不潔なのであって…洗濯機に接続 する水道の蛇口からの水漏れは、業者召喚によって修理完了したが…あっちが立てばこっちが引っ込む人生苦の鼬ごっこなのか今度は洗濯機と蛇口 を繋ぐジョイント部品から水漏れがぽたぽたしており詮無い…これは洗濯機の付属品が原因なので水道業者を頼る訳にもいかず…しかし洗濯機メー カーの三洋電機は今や他企業に吸収合併の末消失…取説記載のお客様センターに電話して部品交換可能なのか一抹の不安…事をきちんと終わらせる 事の困難…愈々以て神経は衰弱…とは云えこうして書いている以上持ち前の人生苦が解決したのかと云うと、坐して解決する道理も無く寧ろ無性に 手をこまねいては重篤化の一途を辿る窮屈が…昨日は鑑定団はなく畜生、と憤りを鬱屈を内に込めていたが今日は鑑定団二本立てと云う拷問にも似 た意表に…睡眠を徹底的に妨げられる憲兵得意の拷問にも似て激甚なる昼間の眠気をおしてまでも苦しく視聴…仁阿弥道八の急須がまた出て来て網 膜を射られる…ほとんどミジンコのミイラみたいな珍妙且つ飄逸しかし洗練を拒否した糞みたいな道八の急須よの…昨日は公営の植物園に取材がて ら…大温室には常軌を逸した熱帯の珍植物群が…奇怪な食虫植物も充実…資料写真を撮りまくる…環境に左右されているようでその成長の仕方や形 態ののびのびした、出鱈目にも見える度肝抜く自由三昧ばらけぶりに爆笑する…しかし三連休初日晴天にも関わらずお客さんは少なく…維持してほ しいと強く願う施設である。いつの間にか炬燵布団に身に覚えのない赤い染みが…

いつの間にか事ある毎に報道系テレビ番組の画面下に、番組編成が恣意的に取捨選択したに過ぎないツイッタ―が垂れ流され…無論それは新橋駅な どでテレビ局取材者によって捕まえられた大衆の一部としての生身の人間に意見を聞く形の延長でありながら…そららは政治的主権者としての匿名 の大衆の意見として、それらへの批判は予め免除された形で特権的に肯定されている…たとえ如何に愚劣なる意見であっても…無論、テレビは多様 な意見(といってもたかが言説である以上多様性など皆無)を均等に取り上げて並べるのが仕事でそのいちいちに批判を与えるのは視聴者が己や周 囲の人間と意見を直に戦い合わせる内になされたらいいということなのだろうが実際は此の国において市民が社会的政治的な事に関して日常茶飯に 討論することなど殆どなく、テレビやネットで垂れ流される意見を己の中で無批判に吸収するだけなのだからテレビで匿名大衆の意見が特権的に無 批判に垂れ流されるのは限定的にせよ影響がないとは云えない…匿名大衆の意見を垂れ流すならばそのいちいちを批判に晒しうる仕組みを構築しな いといけないだろう…そうでないと匿名的大衆という存在性のみに立脚した特権を許す事になり、言説の屑ばかり放出されるだけで説得力ある論理 性あるいは独立した意志は何時まで経っても形成されないのだからいうなれば純正全体主義に資するのみで、政治的に自立した個別的人間としての 主権者の醸成を妨げる惨めばかり増進される…

それはそうとしてテレビはそのようにして、匿名の大衆に対して無際限に、ただ匿名の大衆であるという事のみに立脚して批判から免れる特権を与 えると同時に批判免除特権に起因する主権を与えると同時に中心無き権力の醸成を保障するのだが…そうしたテレビ界にあって、「有吉とマツコの 怒り新党」というテレビ番組が画期的なのは…テレビにおいて従来は批判を許されない特権を与えられていた匿名の大衆の構成員から寄せられた意 見に対して、有吉とマツコデラックスという個人たる有名人が己の見識を駆使して容赦なく批判を下す、という、およそ反民主主義的番組構成にあ る。従来においては例えばバラエティ番組などでいわゆる素人イジリというのは散見されたが其れは飽くまでも番組が求めるお笑い的雰囲気に其の 素人が即興で合致しうるかどうかを、番組が結果した雰囲気で以て事後的に評価するという雰囲気的なものであり「生身の言論」を介した「批判」 にまで至らなかった。しかし怒り新党においては、匿名の大衆構成員が社会や世の中に対してある程度言葉で論理的に示した言説に対して、有吉や マツコが、彼らの言葉で以て論理的に返答し、たとえ否定的であっても言葉の綾でごまかす手加減などなく時としてばっさり切って捨てる容赦の無 さも披瀝するから、「大衆を批判の対象になし得ている」と云っても過言ではない。怒り新党という番組は、「匿名的大衆は批判の対象から免除さ れるという特権」を大衆から見事に剥奪してくれた。匿名的大衆を批判の対象にはなし得ず、徒に批判免除の特権を与えて無際限に匿名大衆の意見 を肯定してきたテレビにおいては稀有な現象である。無論有吉やマツコらも匿名大衆あるいは既成権力からの反撃を察知する神経はタレントとして 一流の繊細であるから批判に用いる言葉は繊細であり、芸風としての当意即妙を維持しつつ、人生経験に根差した多角的視点で論理の硬直化を巧み に緩和させながら批判の核心を的確に射る論理の構成力はずば抜けているからこそ、批判に晒された大衆はぐうの音も出ないばかりか匿名大衆は正 当な反論を繰り出す能力も築き得ないために、番組が炎上する事無く続いているのだろう。

ちなみに中心無き権力という言説…今やポストモダニズムの功罪として、かような言説を弄して悦に入る瞞着に浸る余裕など全くないだろう、此の 荒んだ時局にあっては…自民党が政権を奪還して早々、経団連会長は、これからはどしどし自民党さんに献金させて頂く、と公言しており、…その 後の政治状況、とりわけ労働状況の劣悪化と経団連優遇政策を見ればどこに中心があるか誰の目にも明瞭である。だいたい選挙期間での金品のやり取りは贈収賄として禁止されているのに選挙が終わったら特定の階層による利益団体が政治家に金をやる、これを贈収賄と云わずして何であろうか。献金の内容が種々法律で管理されているといっても、贈収賄がいくら法律で管理されようとも贈収賄以外の何ものでもなく、むしろ法的にある程度承認されているゆえに政治的に悪質である。政治家は特定の団体から献金を貰ってはいるが其の特定の団体のみを利するような政策を作ったことは無い、広く国民のためになる政策を作っている、などという子供だましの詭弁が通るはずがないではないか。現状では法的に承認されている此の政治献金という制度はどう甘く見ても贈収賄以外の何ものでもない欺瞞である。無論、人間が献金し人間が政策を作る以上、其の人間の意志決定の原因を認識論的に論ずるならば中心は無いと云えようが…しかしそんな事で「見かけ上の権力の中心」を免罪していたら此の見かけ上の権力の中心の私腹を肥やすばかりでその他大勢は惨めに搾取されるばかり、という身も蓋も無い現実は、認識論的正当性では解消されないくらい、其の現実は切羽詰っているのである。権力に中心は無いなどと述べて悦に入っている事は、身に迫る生活苦という惨めな現実からすれば生温く高尚な甘えに過ぎず、其ればかりか、其れに付け込んで「見かけ上の権力の中心」はそれこそ民主主義的なる「中心無き権力」を隠れ蓑にして幾らでも、国家のためと云いながら国民をなだめすかしながら誤魔化しながら私腹肥やしと搾取を正当化する口実になる。もう、目の前の権力を直ぐ叩かなければ生活できないほど、余裕はない、此れが現実なのではないのか。

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