ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「the rolling stones/their satanic majestiers request(1967) abkco8823002」 2009年6月14日 紫陽花忌
6月8日で、アキハバラ無差別殺傷事件から一年たったようだ。このプロ愚を始めた日にちが6月8日なので、関連した動きについて物申す。
おとつい、NHKで、50代とおぼしき劇作家の男性が、20~30代の劇団員を指導して、アキバ事件と関わろう、アキバ事件を理解しようとする演劇を催しているのを取材していた。この劇作家は、事件を起こした男と同年代の者らを演劇を通じて指導しながら、個々の団員が現実に抱える問題(ふれあいとかコミュニケーションとか)とやらをもどこかに導こうとしていた。小生、あきれ返り、またしても憤激しました。
そもそもその劇作家がやろうとする演劇は、既に権力=大衆から承認された「人間」や「舞台」や「世界」といった概念を再認した様式であり、一方、そのような承認から最も遠い処に居た犯人=彼であるから、そうした「表現」であの事件を「理解」しようというのが、甚だしい勘違いである。また、劇団員は既に承認された組織でありコミュニケーションが安泰である連中であるから、彼のやり場の無い絶対的孤独とは関係が持てないだろう。劇団員が「彼」を「表現」するのは不可能であるばかりか欺瞞である。何かしたいのであれば、まずそうした認識が必要であり、そうした認識があるならば、演劇などという旧態依然の形式は採れないはずだ。
また、劇作家がアキバ事件を念頭に置いた演劇を団員にやらすことで団員の社会的負の部分を救おうというおこがましさにビックリである。団員たちは救われたいのであれば、まず、指導者の地位で人に指図するこの劇作家を倒す、追放する、あるいは無視することから始めなければならない、と団員に言いたい。あのような「表現」で事件を「理解」しようとする指導者=劇作家の欺瞞、現代的なメッセージを送ろうとする卑しさを攻撃することを優先すべきである。指揮者無きオーケストラを幻視せよ。
しかし団員らはそのように蜂起することなかった。予め設えられた舞台の上で、既に承認された現代的メッセージなるものでしかないメイド服着て踊りまわり、涙流しながら指導者=劇作家にこびへつらってあくまでも劇を通しての自分探しに夢中という醜悪を見せつけた。団塊ジュニアらの奴隷根性、ただの無知不勉強による保守性はどこまでもおぞましく絶望的である。
ローリング・ストーンズのサタニック・マジェスターズは、ビーチ・ボーイズのペット・サウンズ、マザーズのwe're only in it for the moneyに匹敵するアルバムであり、サイケデリアの最重要アルバムである。ロック史一般において本作は、時のサイケ流行におもねったストーンズの迷いであるとかサイケデリアアルバムとしても要領を得ぬ駄作であるとかの否定的評価が多いと思われるが、小生は断じてそうは思わなかった。このアルバムを聴かずしてサイケデリアは語れないが、逆に、例えば英国の叙勲バンドのサージェント・・・などはサイケデリアを聴くに当たって全く不要といってもよい。たとえ、サタニック・マジェスターズが、創造力や構成力からあくまでもロック的立場から決別したためにサージェント・・・に触発されてサタニック・マジェスターズを創ったとしても。否、ローリング・ストーンズは、いわゆる創造力や構成力、即ち珍奇な手法を思いついてその思いつきに基づいて創作したり他分野と思われる手法を自分野に取り入れることで珍奇を衒うといった、思いつき→行動(創作)、といった図式を拒絶するバンドであるので、サージェント・・・に触発される、といった事は見掛けの説明に過ぎず、しかしそうした影響とも関係なく才能が独創した、といえる創造神話からも遠い有り様、としか言い様の無い、土に草が生えるように肉を鍛錬した愚直なのである。そう、鍛錬の結果ですらない捨て鉢である。そもそもローリング・ストーンズほど、英国においては、土臭く土俗しているバンドは無い。対してクリームのブルースロックなどは全く鼻持ちならないが、クリーム批判はまたいずれする。
繰り返しになるが、種々思い付く面白げな音を、思いついて、構成して一つの楽曲にするのではなく、兎も角音楽の中で専ら音楽的に音楽を鍛錬した不様の肉と土の区別がつかなくなった処にある彼らの音楽から、すさんだ不況和音や、小さい音やら、叫びやらノリの悪いリズムが世界のように萌え出てしまったのがサタニック・マジェスターズであり、これはストーンズの音楽の本質と一致するからして彼らの経歴の迷いの産物ではない。サイケデリアのあるべき低調なる生活態度から、土臭い欠伸が絶叫でもあって、どこまでもひねこびた怒りと安らぎを野生するサタニック・マジェスターズ。繰り替えすが演奏は、特にチャーリー・ワッツのドラムは致命的にノリが悪いが、その悪さが殺伐を生み、倦み、呆れ果てたサイケデリアの白人キチガイ的土俗を構築する。物凄いリズムを生む訳でもなく誰もが好むメロディを生むわけではないが、力任せというほど力も無いチンピラ風情が、木とか弦とかをひたすら何かしているだけで、筋の通った、あるいは筋しか通っていない単調を押し通すのがストーンズであった。文章にたとえると分かりやすいかもしれないが、このサタニック・マジェスターズは、繰り返しが多く何がしたいのか分かりづらい悪文であり、決して明瞭流麗な名文ではないのである。しかし、いつも土に起き伏ししている柱が通っているから悪文であっても音楽的不利にはならず圧倒的であり、小生をして聴かす。
浪漫や憧憬から逃げ果せる白人的土俗は欧州には無いだろう、アメリカーナである。そして、なぜローリング・ストーンズが英国なのか、なぜアメリカではないのか、がロックにおいて重要な謎であり事実である。音楽に国境は無い、などという認識はあまりに甘ったるい。これはロックが内包する厳然たる矛盾として、常にこの居心地の悪さを感じ続けることがストーンズを、ひいてはロックを聴くことに繋がるだろう。それがロックを聴く事の肝心である、あるいは英国特有の、ヤイバである。
以上、サタニック・マジェスターズになぞらえて、繰り返しの多いわりには要領を得ぬ悪文で綴ってまいりました。
ミック・ジャガー ボーカル
キース・リチャーズ ギター
ブライアン・ジョーンズ ギター
チャーリー・ワッツ ドラムス
ビル・ワイマン ベース
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