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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「junior wells/southside blues jam(1969)pcd-5278」 2010年4月25日 寒垢離

 
 錯綜と混迷を極める情報と上を下へと変化する外部環境の嵐の中で破綻を回避すべく絶対命令をこなす瀬戸際でまろび出てしまう決定的な自分の失敗というのを人知れず知った時、辛うじて積み上げてきた瀬戸際の生き残り戦略を全て覆す破綻が予感され、組織が組織的に後戻りできる段階はとうに過ぎ去り突っ走るのみでもうどうしようもなくなり、ひたすらその取り返しのつかない破綻を恐れと共に待つばかりの抑鬱状態にいたたまれなくなる。特定のことを忘れたくて京都の天神市への出撃逃避行を試みるも、車のバッテリーの充電とかその他やるべき事も満載で結局いつも居る布団の中で日の光拒絶しつつウゴウゴした一日。今宵も酒浸りにて、自分好みの酒器をたくましう妄想。
 小生が自らに禁じていた領域に否応無く踏み入れざるを得ぬのもやはりキツめの内外の嵐ゆえなのか、よせばいいのに釉薬調合の専門書を購入する始末。この道に踏み入ればもう抜け出せぬ、己の全人生が結集できる全知全能を注がせる、ある種悪魔的な世界ゆえ、他にもやる事がある小生は避けてきたのに、もう、小生の頭の中には、既存の陶芸界には無い、全く新しい釉薬配合が出来ている…もう、誰にも止められないだろう…誰か止めて欲しい!。
 とりあえずビールで体と意識をダルくほぐした後、備前の徳利と盃で独酌三昧自棄耽溺、本格的に酔いを進めるのは冷酒に限る。肴に、焼き鳥を丹波焼の俎板皿、枝豆を温泉津焼の鉄絵小鉢に盛る夏先取りの堕落ぶりである。その最中、坂本教授のNHKのスコラをねめつけるようにして視聴し、バッハのことがよく分かった気がした。楽譜が書いてある音楽理論の本なども一応学ぼうとしたが右から左に抜け、元来音痴の自分には調性の区別もつかぬゆえ、投げていたが、基本的なことを簡潔に説明してくださり、有り難い。
 対旋律というのは、良く知られた旋律を暗示させつつ、それとは異なる独立的な旋律を繰り出すということなのだが、俳句でいえば談林派の最盛期、蕉風でいえば其角なんかが得意とした「抜け」と呼ばれる手法である。これは相当高度な技である。対位法もよく分かった。楽譜とか長調とか短調とかが知的にも身体的にも全然分からずに音楽の事を書いてきた劣等感はかすかにあったが、結局、協和音と不協和音の区別は時代と共に変遷しており、協和音と不協和音を区別するのは音符ではなく、音楽を聴く人間自身であることを再認識したので、やはり今までのような文化文脈印象美的書き方でよいと確信した。小生は高校生の頃、調和とは独立である、と帰りのバスの中で恋愛相談してくる知人に箴言したことがあるが、同じ事を、今日、対位法の授業中で教授らが言っていたので懐かしかった。
 デジスタに投稿してくる、美術系高校生らの映像作品は全部つまらない。豚の屠殺場を見学するか、島尾敏雄の日の移ろいを読むことからはじめるべきだ。タモリ倶楽部は、一体何回目なのか、また酒のつまみ企画である。しかし、新種野菜で肴に挑むようだ。いずれにせよ至宝の番組である。

 ジュニア・ウェルズ。シカゴ・ブルースのやさぐれである。もっさり土がモロコシを伴奏にして歌うような他愛無い素朴朴訥歌謡だったブルースが、やはりバロックというべきかマニエリスムというべきか、歪みの美が聴き出される。特にこのジュニアは、奔騰する黒いアスファルトが強引にねじ切られるような熱い唸りを艶っぽく叫んだり、濃く臭い息を耳道に圧送してくる囁きを漏らしたりして、よくクロメられた黒漆の華やかさのようで実に鮮やかである。こうしたブルース歌謡の変遷は、先般ソウルについて述べたと同じように、専ら黒人内部の変化ではなく、殺伐きちがい白人がロックとしてやり出したキメラ音楽の誕生の併走にも要因があるだろう。ロックの荒みには至らぬとしても、同時多発的に、ブルースでも、荒みへの傾き(かぶき)が発芽するのだろう。手数が少なく捨て鉢な演奏がもたらす「間」が、黒々と猛々しい。
 闇夜の底で繰り広げられるブルーズジャムセッションはどこまでも色をも拒絶する黒であり、生温かく憩う盲目の獣(ブラインド アニマル)である。まるごと聴くべし。(注:ジュニア・ウェルズは盲目ではありません)
ブルースの人には、ブラインド何某と名乗る人が多く、これは邦楽の検校や津軽三味線の人と同様に盲目の人に強いられた生業という理由が大きいだろうが、いつか、ブルースとブラインド性(盲目性)を、音楽と盲目性という一般論から離れて論じたい。
 
 雑歌一謡

 目蓋閉じれど目玉は闇を凝視する夜空に溢れる春の湯に入れ
 
 junior wells:harmonica, vocals
 buddy guy:guitar
 louis myers:guitar
 otis spann:piano
 earnest johnson:bass
 fred below:drums

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