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「kinks/kinks kinda kinks(1964,1965)vicp-5328」小沢
恒例になりつつあるが小生の書斎に未虫が発生するようになって当惑している…窓ガラスの結露がひどくなり室内の湿度が高まるとこいつが何処からともなく繁殖してくる…未虫というのは小生が勝手に名づけた生き物であり、大きさ0.2㎜ほどの肌色の虫である…シャープペンシルや小生愛用の雲龍硯、収集物の盆灯篭や竹炭ループタイ、果ては備前の徳利にまで疎らに、時に密集しながら蠢いている。毎晩小生がティッシュで拭うのであるが、職から帰るとまた同じ箇所に生息している、抜本的な対策を講じる知識も努力もできないまま、毎晩愚かしく同じことを繰り返している。気持ちがおかしくなりそうだ…。
苦行に耐える菩薩の爪痕のようにくっきりと厳しい、痩身の月がこうこうと照る冷たい夜である。確実に最悪だろうと思っていたことが確実に最悪だった、新年早々から職では碌なことがなかった。制度が制度として自立しているのであればそれを袖にすればよい話で簡単ではあるが、制度というのは人間を宿主にするものであり、血の通わぬ制度は存在しない。持ちつ持たれつ生活する人間の血が本質的に通った制度であるからこそ安易に敵とは措定し難く、拘泥してしまうのだろう…情緒ある人間の生身として現象する制度を容赦なく張り倒すことは、その、他でもない眼前の人間を言葉ないしは拳で張り倒すことができるかどうかという肉迫した問題にすり替わる…結局組織として生活のお世話になっている眼前の人間を…。金がもらえることだけでも有難い事ではあるがそれ以外は被侮辱意識と加害者意識と吐き気しかない賃金時間である。職に対する内的隷属を強いる自己実現だの自己啓発だのといった欺瞞的洗脳に縛られるよりは、上記のような、働く喜びなどといった概念がはびこる余裕のない、心理的には資本論が示したような底辺の労働状況に居る自分の生活の方が何だかはるかに清々しい気持ちだ(マルクス/エンゲルスは産業革命後における労働者の疎外という問題意識によって働く喜び的なものの付与の重要性を意識していたような気がするが)…未練がましい開き直りかもしれぬが、自分が研ぎ澄まされるのは確かだ…
はびこる未虫を酒で洗い流したモダーン酒器で虫睨みでNHK会社の星、オフィスでのファッション特集をじっとり鑑賞…先述の内的隷属の是非を問うレベルですらなく、最早、どのようにすればその媚びを昨日よりも高められるか、という率先した媚びのスキルを磨く、俄かには信じがたい番組である…会社というのは町工場の旋盤工やら遠洋漁業の漁師さんやら派遣社員やらいろいろいるだろうに、総じて、いわゆるオフィス系の、生産現場からほど遠い小奇麗な若手社員しかでてこないのは如何なる料簡であろうか。
キンクスのファーストとセカンドが一緒になったものである。ずばり変態、というバンド名、初っ端から、タガが外れたように素っ頓狂な、後味の悪いリズムを焼け糞に繰り出し、踏み潰された虫が踏み潰されながら不屈の目つきでがなり立てる、汚いだけの虫の声を乗せる…ジャケットは、朝のニュース番組の小倉智明のように分別ありげに気持ち悪く手を組む彼らは朱に染め抜かれ、朝焼けか夕焼けか想像させる…小生は朝焼けが滴っているのだと思う…希望の無い、陰惨なる朝の、既に腐った光を馬鹿馬鹿しくも神妙に浴びる彼ら。気ぜわしくも余裕のないけたたましさの、愚連た鰹のような生きのよさは荒みに荒んでいて、よい。荒んだ生活しているとマックやら激マズ回転寿司といった荒みスポットについつい足を運びがち、ロックもまたしかりである。余裕のある人間が癒しを求めるのであり、荒んだ人間はさらに荒みを尖らせるため荒んだ作物を摂取する…こんな人間の荒んだ欲求を音楽において初めて提案しえたのがロックであった。ジャズではまだ足りなかった…繰り返しになるが民俗生活に根ざした黒人アフロ音楽に恥知らずの白人が頭ごなしのリズムを介入させた時、安住を許さぬロックが生まれた。キンクス=変態どもは、英国ひねくれのエッセンス元祖と見なされるだけでなく、ロックという、疎外されながら良くも悪くも大きい音楽の蕊として聴かなければならぬ。
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