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「あぶらだこ/adk years 1983-1985(1983-1985)pcd93130」小沢
自分の失態による事態の悪化の直接の影響なり責任をとらなければならない各立場の当事者は事態の改善に忙しくあれやこれや云う暇はないのだろうが、この事態にたいして関係ない、責任を取る必要のない部外者に限って、自らの安全な立場にふんぞり返って、枠組みの中で承認された一般的正義的言説を振りかざして文字通り無責任な浮かれ心に無自覚に没入するようにして、わざわざ言いたい放題罵倒してくる、自分の責任とはいえこちらはそんなのに対応している暇はないというのに…というような、人間の度し難い醜さが炙りだされる日々であった…。しかしこれはマスコミ民主主義の姿でもある…世論とは私刑である…(芥川)。枠組みに浸かって保身しながら枠組みの意向そのものを自分の意見のようにして振りかざす人間など信用してはならないし気にすべきではないと思いつつも、物理的音声として叩き付けられた衝撃というのは、理性によってはなかなか癒えぬものである…。自分も含めて枠組みから解脱した人間などいやしないのであるが…。
よく通る道沿いのブロック塀の庭から生える白木蓮の枝枝の新芽か蕾かが、早とちりなのかほころびかけている気がする。まだ早いぞ、と毎朝でもなく心の声をかける。
霧の深い朝、はるか上空の雲から、3本の電波塔がそびえ立っているのが見えた…ついに幻覚が現れたか。
朝起きたら、奥歯のあたりが全的に疼く…虫歯ではない。家人の指摘によると、小生、夜中の歯ぎしりがすごいらしい…何をそんなに苦しんでいるのか歯を食いしばってキリキリ音を立てながら寝ているらしい。小生は目が覚めているときよりも夢の中で、厳しくぎりぎりの現実に直面させられる場合が多い。日々の不安や恐れが、夢の中では現実になっているのだ。脱力した快眠を渇望する。
テオドール・W・アドルノの「ミニマ・モラリア」(法政大学出版局)を読む…ナチス政権成立後、彼はアメリカに亡命するが、これはその前後の、ファシズムとの対決を余儀なくされたフランクフルト学派として最高度に敏感ならざるをえぬ1940年代の著書だと思われる…今少し書き足りぬと思われる部分もあるが、ほぼ現在の状況に言及している…「死に至る健康」と題された章などは、卑近な例としては端的にNHK「会社の星」や「デジスタティーンズ」を理論的に批判するものだった。全文引用しないと分かりづらい書き方してあるので有志の方は全部読んでほしいが、無理やり抜粋引用する。
「陽気さとか、あけっぴろげな態度とか、如才のなさとか、避けられぬ事態への適応の早さとか、物事をくよくよ考えない実際主義とか、種々の形を取って現れる…」
「似たもの同士ともいうべき損なわれた社会と同じように正常なこうした心の状態は、いってみれば有史以前の介入の産物なのである。この種の介入は葛藤を生ずる前に心のエネルギーを萎えさせるのであり、後年見られる無葛藤な心の有り様は、こうして事前に決着がついているという事実、いわば集合的な権威の先験的な勝利を反映したもので、認識を通じての快癒の現れというわけではないのである。」
「溌剌たる元気とはちきれんばかりの精力を証明することに憂き身をやつしている彼らではあるが、見様によっては標本化された死体に過ぎない、ただ大往生とは言いかねる彼らの死亡について人口政策上の理由から彼ら自身には通知が出ていない、たとえてみればそんな具合なのである」
「円転滑脱に論理を運んでいる最中にうつろにぼんやりした様子がちらついたり、時に途方に暮れた身振りが現れたりすれば、まだしも消え去った生命の痕跡をそこに認めることもできようが、そういうことすらないのである。」
「それというのも社会的に要求される犠牲は全面的であり、(中略)事態は八方ふさがりというべきである。」
永久機関のように非現実的ですらあるにも関わらず実際には現実的対応能力に長けた、予め権威化された現状と齟齬を生まない健康的人間の、問題化されず告知され得ぬ人間性の死、という指摘は、既に、否、むしろ、ファシズム状況下のドイツ(そして、無論帝国主義的列強諸国においてさえも)で観察されるものだったのである。この章は当然ながらキルケゴールの「死に至る病」を念頭し、「死に至る病」がいかんともしがたい実存認識と現状との齟齬による病(「うつろにぼんやりした様子がちらついたり、時に途方に暮れた身振り…」)をいうのに対し、「死に至る健康」は上述のとおりだ…このあたりをもっと深めるためにキルケゴール再読したいが、ああ、またしても、どこに行ったのだろう。所持していたはずなのに、見つからない…また買うしかないのか、苛立つ。
ただ、思い返してみればアドルノの云う、社会的健康者への死亡通知というテーマは多くの芸能者、とりわけ文芸の徒が群がる餌でもあり、ともすれば村上春樹でさえもそうした素振りを示しもする凡庸な問題意識でもあったが、凡庸化無害化させられる成り行きについての考察に、ポストモダニズムも含めて多くのインテリゲンチャが自家撞着的言説を資するのみの、「八方ふさがり」である…。
身も蓋もなく憔悴しきっているかに見える小生であるが、家人から、「鼈甲釉っ!」と声を掛けられると僅かに気を持ち直すことができるゲンキンなものである。こんな時こそ数寄に走ってしまう。薩摩焼の図版をねっとり眺める…薩摩焼の一角をなす川内焼…伊万里まがいの半磁器への染付が主だが、少なく伝世する鼈甲釉の酒注や六角皿というのに頗る心を鷲掴みされるではないか…いわゆる唐三彩に想を得たのだろうがあまりに独創的だ…黄色、黒色の釉が混沌と分布しながら交わらぬ蟠りの輝きに穿たれる緑、時に白。薩摩には、いわゆる黒もんや白もんのみならず蛇蝎釉や鮫肌釉といった、俄かには信じがたい器肌への追及もあって、現地調査が必要である。来年、絶対行く。宝玉の類では、ダイヤなど自分にとっては屑同然であり、値段関係なく、瑪瑙のほうが心ゆすぶられる…概して鉱物系よりも、真珠、珊瑚、琥珀、象牙そして鼈甲といった動植物系の宝を称揚したい。
あぶらだこの初期音源集である。小生は、自分が愛飲したいビールとして、世の中に無いから「エラスムスビール」というのを勝手に夢想、主著「愚神礼賛」をものしたエラスムスの図像を配したラベルを家人にデザインしてもらっていたが、このアルバムのジャケットもエラスムスであるという、因縁。
疲れたので多くが語れないが、自分が今まで語ってきた全部の言の葉を捧げれば、このアルバムについて如何ほどか言えたことになるかもしれないし、それでも足りないかもしれない。要するに、あぶらだこは、小生が所望してきたロック=ハードロックというものの、一つの決定的な到達点であると宣言する。サイケデリアの、不用心に手を出せば不意に平穏を破って噛み千切ってくる凶暴性の深い平和と、一方で何の用意もなく無鉄砲にやり出した乱れを拙く尖らせるガレージの乱れに乱れた粗暴というのが音楽的に骨身にしみてこそ繰り出されるであろう、破壊と同義である構築性を矛盾のまま、積極的に自分らの街を自分で空襲した後の爛れて壊れたビル群家屋群が総出で統率なく暴れまわる移動の無さで嘆きも滑稽も汚いハードロックである。そうしたことを体現する、人間やめた時から人間が始まるような獣のしゃがれ声絶叫。低姿勢で攻撃性をとがらす。日の本土着のサイケを模索してやまぬ珍珍歌詞世界、右肺と左肺を交互に高速で正拳ツキしてくる生き急ぐリズム。脊椎の一つ一つが、椎甲板をかなぐり捨てて無茶苦茶に激動する魅惑の変拍子の怒涛。ノイズが楽器を弾くとこうなる。度を越した爆音が耳を聾する時、果たして今まで聴いていたのか、と、音楽と聴覚の前提を真っ先に切り崩してくる力技のようでいながら、腰砕けで芯が通っていず、まっさらな愚かである。あぶらだこを以て、ハードロックは現存する、と言える。繰り返すが世俗的にはロックの王道のようでいて、実際にはその本質的ギリギリ境界線綱渡り音楽たるゆえに権威的流布を拒み拒まれながら忍ばれ、水平線を越えようとする無謀の渇望にあって幻聴されたサイケ=ガレージ=ハードロックの中の、一つの点在するバンドである。以上、パンクという脈絡を使わずにあぶらだこについて述べてみた。あぶらだこやジャングラーズは、パンクやハードコアの文脈を通ってハードロックへと還り咲くありようであり、それはそれでよいと思うが、小生としては、もう一つの素直なルート、即ちガレージ性のプログレッシブ化をもってハードロックをやるという、在り来たりなようで実は危うい音楽を聴きたいと熱望する。そのためには、ラブ&ピースなどという体制の許容範囲にすぎぬコマーシャルに誤魔化されずにサイケデリアの本性に耳を澄ます必要がある。サイケについては過去のブログを遡って読んでいただければわかると思う。しかしながらパンク文脈からも離反せざるを得ないあぶらだこの音楽は、ハードロックの点在性をも意味した。
これは初期音源であるが、その後の彼らの音楽は、日の本サイケデリアが依拠すべき土民主義とでもいうべき妙境を提示しつつばかばかにしていった。いずれ詳論する。この場合の土民主義というのは、初期アナキスト石川三四郎が、既成の村落共同体による反国家を言いながらも資本の利にかなう農を称揚するに過ぎない欺瞞的農本主義に対抗するものとして、時に実力行使も辞さず不逞にもしたたかに支配勢力と抗った、日の本の歴史に通底する土民の生活にアナキズムの萌芽を見た思想である。
あぶらだこのような音楽を聴くと、スカコアとかメロコアとかモンゴル800などの欺瞞表現が本当に腹立たしくなってくる。
ヒロトモ:vocal
イズミ:guitar
マルイ:drum
ヒロシ:bass
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