忍者ブログ
 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
[183][182][181][180][179][178][177][176][174][173][171]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「軍歌のすべてcocn-20033」小沢




 冷蔵庫の中で乾燥しきった生ハムは、ただの生ハムよりも酒に合う。以前、常滑焼紀行で紹介した、ナウシカの黴の釉薬のぐい飲みで酒を進める…中也の、汚れっちまった悲しみのような、小汚いぐい飲み…今宵も長い夜になりそうだ。
 
 ブラウス収集家でもある小生。落語でも聴くかと思って大手レコード量販店に向かう途中のエスカレーターで、肩の根元から虹色のゴムで袖を支えている不思議なナチュラル乙女系ブラウスを発見、胸元のドレープや刺繍の上にまで何やら細かい細工を施している品物が気になったまま、その時は小生単独だったためと他の事で頭がいっぱいだったため見逃していた(その品が真に重要であるように思えて、且つ小生の気合が漲っておれば女物のブラウスだろうが猿股だろうが鷲掴みにするのであるが)…後日、このまま見逃しにするわけにもいくまいと発心し、寒気厳しく気乗りしない細君を連れて再見を試みる…過日はちら見程度であったが本日詳しく実見するに、うーん、これはあまり良くないな、と思う品であった。胸元の飾りの細工は、あえての仕業なのだろうが小学生が家庭科で初めて裁縫した結果のような拙さで無茶苦茶にブラウスの白地に赤い糸の縫い目が点在し、チャらい光り物が雑に縫い付けられている…さすがにこれを細君に着せるのは気が引ける…否、細君が嫌がろうが何だろうがそれに価値があればお助けするのであるがこれで値段が25000円はちょっと高すぎる…ということであきらめた。いや、本当は価値があったのかも、と思い返したりする逡巡が無きにしも非ず。

 先鋭的なものが決して嫌いではない。東京カワイイTVを拝見。萌え系の女子が握る寿司屋なぞやっている…アキバアイドルの方がステージ上で、かつてはファンの男どもが創始継続していたヲタ芸を激しく実演する模様…日曜日夕方の、ヒーローの男が正念場で「銀河美少年!」と叫ぶアニメも毎週見るようにしている。始めからアニメ化をあてにした作風のものばかり掲載した漫画雑誌ガンガン所収。敵の女性が、なんとなくこの銀河美少年に惚れてやられてしまう、切実に生死が関わる余地は無いという緊張感の無さであり、バトル場面であっても萌えの約束事に過剰に徹底的に終始する様は、予定調和という古めかしい言葉で批判する居丈高な態度を萎えさせて余りある新しさなのだろう。アキバやヲタ的なものが先鋭的かどうかという議論もどうでもよいのは十分承知しているつもりだが、自分としてついてゆく気が全くしない分野である。

 落語でも聴くかと思って行ったレコード屋ではなかなか落語CDが見つからず、仕方ないから軍歌でも聴くかと思って、ちあきなおみのシングル集(「喝采」がもう一度聴きたくて…)とムード歌謡ベストなどと一緒にこれを購入した。いずれ考究しなければならない対象だとずっと思っていた。聴くに、概ね軍歌の曲構成は、マーチ調の演歌であるといえる。戦争における出征の目的が勝利ではなく何故か死そのものに置換されているような悲壮な軍歌の楽曲から、日本の第二次大戦末期の崩壊へ向かう異様な情熱やアイロニーを考察できれば、という思いであったが、このたびのCDでは、どちらかというと軍部お墨付きの、上り調子著しい陽性の、単純なプロパガンダに終始した楽曲が多かった。各国特有の軍歌はあろうが、これほど、勝利という言葉が軍歌の中でほとんど見受けられない国はあろうか。かの有名な「露営の歌」でも、冒頭、勝てくるぞと勇ましく、と歌ったかと思えば、末尾では、戦する身はかねてから、捨てる覚悟でいるものを、鳴いてくれるな草の虫、東洋平和のためならば、なんの命が惜しかろう、と結ぶ…同じく有名な「麦と兵隊」(火野葦平?)ではもっと顕著に、勝利のあてのない大陸での行軍=戦争の徒労感が哀切である。いずれにせよ男声合唱団の分厚さがナショナリズムをきっちり高揚させる。「ラバウル小唄」のような、ウクレレがひょうきんな珍楽曲も、この音源に収録されているということはそこそこメジャーなのだろう。しかし最終的には万葉歌人家持の、有名な「海行かば」に収束される…歌詞だけ知っていて曲は初めて聞いたが、思っていたよりも荘重で堅固な作りであった。大君の辺にこそ死なめ、と聴く時、卑近の生活上では天皇とほぼ無縁である小生であってみても何かしらその気にさせてしまいそうな崩落への傾注への異様に薄暗く充実した情熱に押し流されそうになる…

 兵士が戦死する時、天皇陛下万歳と言って死ぬ者などいなかった、嫁さんの名前やお母ちゃんお母ちゃんと叫んで死んでいった、と身近な老人やNHKスペシャルなどで取材された老人が証言する。まるで、これが戦争の真実だった、といわんばかりに、である。小生も確かにそれは真実なのだろう、と思う。しかしながら、こうした言説が、戦後になって語られる事自体において、戦争の真実(そんなものがあるのかという疑問もあるが)を隠蔽しているように思えてならぬ…。かような、確かに目撃した事実のみを正しいと認識する素朴な意識が、実は戦争の餌食になりうるのではなかろうか…天皇陛下のために、あるいはお国のために死ぬ、という途方もなく抽象的な言説もまた、政治的現実において実効力を振るったのも間違いない。

 雑なとらえ方であるが不景気や民族、宗教対立、資源の争奪といった生存権に関わる不安を国家規模で受け止めた場合に勃発の萌芽が見いだされるのであろう戦争は、自分の命が危ないというプリミティブな危機意識からも発祥するし、さらにはそうした危機意識から端を発しながらいずれは言説として幾らでも増殖し機能する何かしらの抽象的な理念をも駆動力とするようになるのである(八紘一宇やアーリア人種の優等性や…)。商品と貨幣の関係のように。戦争は命への危機を起源とするし、あるいは、初めは命への危機を起源としながらもあっという間にその起源をぶった切って独立独走しうる理念からも戦争は栄養を直接もらうのであり、なんとなれば命への危機という極めて具体的であるはずの事も理念化抽象化されうるのであり、疲れたので思考ができないがいろいろあって、最終的に、命の維持が目的であるはずの戦争が、命の死を目的にし始めるのである…勝利を見失って死を目的化し始めるような陰惨な情熱が、大局的戦略が失われた戦争現場での逐次対応に追われる中での特攻といった戦術を、追認し助長し始める…初めは追認する役割だったそうした情熱が、ついには目的と化する。戦争終結の報を受けた上官が、それでも特攻出撃の命令を直ぐには止めなかった、そして若い兵士を文字通り無駄死にさせたという逸話はいくらでもある。他にもいろんなことはあろうが、今宵はすべて列挙する気力はない…いずれにせよ、抽象性よりも具体性に価値を置くような、具体と抽象を弁別するような浅はかな思考をしていると戦争にしても政治にしても芸能にしても何も分からないだろうと云える。最後に、「海ゆかば」を記す。

海行かば水漬く屍
山行かば草蒸す屍
大君の辺にこそ死なめ
返り見はせじ

大伴 家持 作詞
信時 潔 作曲
佐伯 亮 編曲 

収録曲
「軍艦行進曲」
「暁に祈る」
「露営の歌」
「若鷲の歌」
「ラバウル小唄」
「ラバウル海軍航空隊」
「加藤隼戦闘隊」
「空の神兵」
「荒鷲の歌」
「月月火水木金金」
「愛国行進曲」
「燃ゆる大空」
「日本海軍」
「日本陸軍」
「敵は幾万」
「雪の進軍」
「戦友」
「父よあなたは強かった」
「勝利の日まで」
「麦と兵隊」
「梅と兵隊」
「同期の桜」
「異国の丘」
「海ゆかば」

結局、落語はなぜか日本人のジャズコーナーの隣にあった。どういうことなのだろう…。談志の芝浜を購入。
 

拍手[0回]

PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

この記事へのトラックバック

トラックバックURL

忍者ツールズプロフィールは終了しました

HN:
々々
性別:
非公開

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ロック史最新記事

(03/03)

ブログ内検索

最新トラックバック

忍者アナライズ

Copyright ©  -- 仄々斎不吉 --  All Rights Reserved

Design by 好評ゼロ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]