ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「inu/メシ喰うな!(1980)tkca-71438」 2010年4月3日 ガチ桜
小生が生活のための銭もらっているところの歓送迎会が催され、人間らしい言葉は一切放たず、嘲罵の対象でこそあれその攻撃性が決して汲み取られる事のない無言を黙秘のように貫き、不味い酒であった。同じ日本語であっても、周囲の人々が何を喋っているのか全く理解出来ない状況では、自ずと考えが尖ろうというもの。今宵はまた清め酒である。自分が闘わなければならない真の敵は、自分に匹敵するものとして堂々と渡り合いたいと思わせる敵ではなく、自分や自分がなすべきことにとって本当にどうでもよくそれを敵にすることすら自分にとって恥だと思わせるような下劣な下衆であることを思い知った。北斗の拳でも、敵と書いて友、と読ませているではないか。ケンシロウの真の敵は、ラオウやサウザーなどのそれなりに立派な漢たち(敵=友)ではなく、ジャギやアミバ、あるいは弱きものをいたぶるしか能が無い、黒王号に踏み潰されてしかるべきマッスルモヒカン雑魚どもであった。ニーチェも似たようなことを言っておろう。だから、忍耐強く向き合って倒したとて徒労感しか残らぬような、つまらぬもの相手に、忍耐強く向き合って倒さなければならない、報われぬ戦いを強いられているのだろう。青春リアルとか会社の星とかを、見なければならないということなのだろう。エグザイルとかファンキー・モンキー・ベイビーとか湘南の風とか聴かなければならないのだろう。心から嫌だ!
一寸先は闇という生活路であるから、思いついたら吉日、12月4日に書こうと思っていたことを、今日、書く。12月4日はフランク・ザッパの命日、南瓜忌である。松尾芭蕉の時雨忌、芥川龍之介の河童忌、太宰治の桜桃忌、ということで、ザッパのレーベルのパンプキン・レコードにちなんで、小生が勝手に命名しました。
街角の影や田舎の日向にひっそりと、あるいはあからさまに存在する、放置された珍物件への視線あるいは路上観察というのは、少なくとも日の本においては1970年代、赤瀬川原平氏の「超芸術トマソン」に端を発したがこれはダダや物派といった美術的範疇での視線であった。この視線は現在でも大竹伸郎などが引き継いでいるが、続いて1996年、美術というよりもジャーナリスティックな仕事として、都築響一氏が「珍日本紀行」を発表。そして最近では「なにこれ珍百景」というテレヴィバラエティとして親しまれている、という系譜でよかろうと思う。
ヴィリニュスのザッパ像、について語りたい。蝋人形などを除けば、これは、世界で唯一のザッパの銅像である。それが、何故かリトアニアにあるというのだ。ヴィリニュスとは、リトアニアの首都である。「珍日本紀行」の続きとして、目下続行中である「珍世界紀行」ヨーロッパ編でこのことを知った。以下の文章は、都築氏と小生の声が入り混じり、あえて引用を明確にする必要はないと思っている、都築氏が、畸形児や収容所やカタコンベやアウトサイダーアートなどのディープヨーロッパを取り上げる中で、このザッパ像を記録した心と小生の心は同行するものだからだ。
1989年ベルリンの壁崩壊に始まり、ソ連支配下にあったエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国が1990年独立宣言、1991年ソ連邦崩壊であるが、このヨーロッパ編ではリトアニア大量虐殺犠牲者博物館の事も報道されている。700年以上もの民族の歴史を継承するこの小国リトアニアは、ナチスによる占領解放後、強大な軍事力を背景にソ連の支配下に置かれ、1944年ソヴィエトKGB本部が首都ヴィリニュスに設置されたが、このKGB本部が先述の博物館の前身である。誇り高い、ソ連へのレジスタンス運動者たちは、「人民の敵」としてひっきりなしに拉致され、むごたらしく拷問、処刑された、このKGBで。その拷問の苛烈、非人道的ぶり否人道的ぶりは、この本を読んでいただけたらとよく分かると思う。あまりのむごたらしさに言葉を失うだろう。軍事力、などという政治用語は使うまい、端的に、人を殺す能力に長けた大国が、人を殺す能力に劣る小国を、その殺人能力によって肉体も心もを徹底的に苦しめいたぶり弾圧し、傀儡にしようとする様は、動物の捕食行動とは異質であり、あまりに人間的であるという意味で人道的ですらある。非人道的ではない。ナチスのユダヤ人虐殺も白人の黒人奴隷化もアメリカ人のインディオ虐殺や原爆投下も日本人の中国人虐殺も、人道的な行為であるという事実認識から始めなければならない。
そして、人を殺す能力を承認された国家が合法的に執行する、「正しい」とされる圧制に対する抵抗、肉親や愛する者が理不尽に殺された者らが絶望的に個人的な憎悪憤怒を刃にして各地で突発される抵抗は、それこそまことに忍耐強く、文字通り命がけで行なわれた、親から子へ、子から孫へと、確実に、リトアニアの人々は、抵抗を止めなかった、如何に圧倒的劣勢であろうとも。統計で分かる範囲で、1944年から54年までの間に、4万人がレジスタンスに身を投じ、内2万人がソ連秘密警察に虐殺されたのだった。これも氷山の一角であろう。
独立後、西側の退廃音楽などに触れる機会は皆無だったに違いないそんな誇り高い人々の、心を鷲掴みにしたのが、ザッパの音楽だったのだ。無論、ザッパもマザーズも、北欧にはよくツアーしていたが、リトアニアには入国した事はない。開放されたといえど西側文化の流入乏しい頃、アメリカを旅した一人のリトアニア人が、60枚程度あるザッパ&マザーズのアルバムの内、ごく数枚故国に持ち帰り、友達と何度も聴きこんだ。300人ほどまで膨れ上がったファンクラブの会員らは、「リトアニアの自由を試すために」、ザッパ像の建立を思いついたという。なんと言う「正しさ」だろうか。小生、心が熱く打ち震え、不覚にも朝の通勤の車の中でこのことを思い、こらえ難く涙がつうっとこみ上げてしまった…。前述の「正しさ」と比較していただきたい。
ソ連崩壊後のロシアでは、西側文化流入の象徴として、ビートルズを聴く若者ら、というのが喧伝されたのは記憶に新しい。なんという違いだろうか。結局、そういうことなんだ、と、徹底的に納得したのだった。共産党による官憲政治の窮屈や非情がロシア国民にまで及んでいたとはいえ所詮為政者として自国の資源利権や政治的威風の確保といったくだらないエゴで、周辺小国に人殺し軍事介入を無神経に行い、気に入らない異民族をなぶり殺しにして憚らないしその実体を知ろうともしなかった多くの欺瞞的ロシア人が、そんなことで罪が消えると思っているのか西側文化に飛びついた目先の餌が、やっぱり、ビートルズの音楽であったのだ。対して、真に虐げられ、それでも抵抗を止めず、命がけで独立を奪還したリトアニアの民の、切実な心の糧となって、荒々しく響いたのは、励ましたのは、他でもない、ザッパの音楽だったのだ。
思えば、直近の例として、9.11アメリカ同時多発テロの後、ニューヨーク市民によって象徴的に歌われたのが、イマジンだった。あの、植民地支配者の中産階級のボンボンが夢見る生温いアナキズム讃歌を。このアメリカ人の欺瞞への批判は坂本龍一がぼんやりとやっている。対して、オサマ・ビン・ラディンや、先頃ロシアで自爆テロをしたチェチェンの黒い未亡人らは、街を爆撃され夫が殺されたからといって、イマジンなど決して歌うまい。きっと、ザッパを聴いているはずだ、と希望的観測する。また、ビートルズ来日、という現象も、結局は、戦後民主主義の欺瞞の象徴でもある。戦時中、生徒らを特攻隊に強制志願させていた在郷軍人会出身の体育教師が、敗戦後、手のひら返して民主主義を吹聴して歩くみじめな欺瞞…。せめて黙るべきであったのだ、戦後、この体育教師は。マザーズも来日しているが、良くも悪くも事件にはならなかった。
こうした歴史的事実が、この両者の音楽性の全てを語っているというのは過言だろうか。この、ロシアとリトアニアの差異は、ビートルズとザッパ&マザーズとの間の、音楽性の決定的差異から来る。小生が、この王道なきロック史において、専ら両者からの音楽的印象を基礎にして書き綴り、幻聴していた理論が、既に、歴史的事実として証明されたといってもいいだろう。歴史的事実におもねたくはないが、心強く思う。この両者の音楽性の違いは何なのか、は、このブログを遡って読んでいただけたら分かると思う。今後も読んでいただけたら分かると思う。いや、英国の叙勲バンドとザッパの音源を聴き比べればよいだけだ。一つだけ強調するとすれば、本ブログの主題の一つである、「アメリカ音楽の点在する系譜」ということが如実になった事である。国家間交流や地理的距離から見ても英米から遠い辺境にあり、無論メジャーなロック史から殆ど孤立し、情報もなく、しかし渇望するリトアニア人が聴くに足ると感じ入った音楽が、英国のあの叙勲バンドなどではなく、点在性の最たるものとして王道なきロック史で議論してきたザッパであったということだ。殆どゼロから生まれるようにして、中央から遠く離れた未開の荒野で、点在性は勃発し、少数であることにくじけぬよう激励するという、ロックのロックたる証しだ。
リトアニアのザッパファンクラブの人々はコンサート(といっても、当時リトアニア国内に数枚しかなかっただろうザッパのレコードをひたすら再生する)やフリーマーケットで資金を調達するとともに、市議会にザッパ像建立を提案。市議会では、「リトアニアがロシア文化圏から西欧文化圏へと移行する象徴になる」という、ちょっと違う気がする理由で可決。かつてレーニン像やスターリン像といった社会主義の偉人たちを得意とした地元の彫刻家が完成させ、地元の業者がウオッカ一瓶で設置工事を請け負った。1995年12月16日、ラジオ局がザッパのレコードを大音量で流し、軍楽隊が賑やかにマーチ演奏する中、多くのヴィリニュス市民を集めて除幕式が盛大に行なわれたという。その2年前、1993年12月4日、遠いリトアニアでの事などつゆ知らず、ザッパは前立腺癌で亡くなっていた。
ハードロックとパンクの関係を今一度丁寧になぞるために、INUの「メシ喰うな!」について論ずるつもりでいたが、重要な事を書ききったので、今日はこの辺で。また来週に順延します。
町田町蔵:ボーカル
北田昌宏:ギター、パーカッション
西川成子:ベース
東浦真一:ドラム、パーカッション
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