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「inu/メシ喰うな(1980)tkca-71438」 2010年4月10日 草より出でて草にこそ入れ
谷啓から草刈正雄になって洋物アンティークが多くなりあまり見ていなかったNHK「美の壷」を久しぶりに鑑賞。中国茶器特集。ああすればこうなる、といった技術的なことに全く興味が持てない小生、煎茶とか紅茶とか珈琲とか、技術を競うようなものを軽んじ、一方で、茶の粉末放り込んで湯を注いだあとは強制撹拌、という、技術も何も殆ど無い、ある種野蛮な抹茶の世界で遊んでいたが、そんな主義などどうでもよく、道具には心魅かれるのだから仕方が無い。紫沙茶壷欲しいいい。煎茶用の、小ぶり薄手の茶呑みを備前と萩で所持しているが、これらで呑む酒は旨し。
今週の楽しみは何よりも、珍しくモーニング巻頭を飾る「へうげもの」での、山田先生と細川護煕氏との対談であった。応仁の乱以前から続く名門細川家の当主にして元県知事、そして元総理にして現在は陶芸家の護煕氏(結構よい井戸茶碗を作っている…茶室も凄い…)、多くの方はご存知だろうが桃山一の知識人、細川幽斎の化身として漫画「へうげもの」に登場している。読まざるを得ないので詰まらぬコンビニで浅ましく貧しく立ち読みするに、仰天エピソードあるある。幽斎が息子の三斎(忠興)の茶会に招かれた際、懐からナマコを取り出し、忠興から差し出された濃茶に放り込んで飲み干したという逸話。最近、美術手帖の表紙で、会田誠とその仲間たちが全員ナマコを手にしている写真が使われていたが、その程度のことは安土桃山時代にやっていたわけだ。閑話休題、今朝、横川駅前で、「小松親分とその愉快な仲間たちご一行様」と書かれた、岡山観光バスが駐車していた。小松親分とその仲間たちは、岡山から広島の横川まで、一体何をしにきたのだろう。また、以前、歴史ヒストリアだったか歴史ヒストリエ(寄生獣?)だったか忘れたが、NHKの低俗歴史番組でも、明らかに「へうげもの」に触発されたのだろう、古織公が取り上げられ、山田先生も出ていた。また、松岡正剛が織部賞をだいぶ前から設立授与しているし、同じくだいぶ前だが漫画夜話にも「へうげもの」は取り上げられ、何にせよ現在、織部繚乱の気運の高まりが顕著である。(ちなみに小生は「へうげもの」と出会う前から茶碗収集に興じていた。出会った時は反発もあったがたちまちぞっこん)
「へうげもの」コミックス買って表紙カバーの所定の一部を葉書に貼って送ったら抽選で当たるという「へうげ十作」とか、何度も応募しているが全く当たりません。結構熱烈なメッセージを書き送ったのだが、残念である…。
茶人、古田織部正重然にしても漫画家、山田芳裕先生の「へうげもの」その他諸作品にしても、小生が本気で書き出したらきりがないので止めておいて、今宵は、ずっと以前に宿題にしていた、小生が推奨するNHK大河ドラマ「へうげもの」のキャストを、見切り発車で発表。無論、NHKでなくてもよい。
古田織部:オーディション(あるいは佐野史郎?野村万斎?何故かTOKIOの城島茂?いっそ石坂浩二に賭けるか、いや、違う…)
おせん:和久井映見 ◎
千利休:水木しげる ◎
織田信長:阿部寛 ○
豊臣秀吉:堺マチャアキあるいは金丸信
豊臣秀長:石坂浩二
おね:オアシズ 大久保佳代子 ○
山上宗二:チャゲ ○
高山右近:オダギリジョー
織田有楽:役所広司
細川藤孝(幽斎):細川護煕 ○
細川忠興(三斎):船越英一郎あるいは小日向文世
上田左太郎(宗箇):寺山修司
本阿弥光悦:ビートたけし、あるいはシベリア文太あるいは荒俣宏
小堀作介(遠州):さかなクンあるいはピーター
加藤清正:具志堅用高
福島政則:アドルフ・ヒトラーあるいはホンコン
茶々:堀北真希 ◎
出雲の阿国:壇ふみ ◎
柳英子:沢口靖子 ○
長谷川等伯:武田鉄矢 ○
加藤景延:タモリ
長次郎:笠 智衆 ○
へち貫:坂上二郎 ◎
弥助:ジェロ
荒木村重:グレート義太夫あるいは清原
松永久秀:三船敏郎
石田三成:ゲッベルス
柴田勝家:ボルマン
岩佐又兵衛:玉袋筋太郎
徳川家康:伊藤四郎あるいは足利義満あるいは吉田茂
蒲生氏郷:寺尾聰
伊達政宗:市川亀次郎
寺沢広高:コブラ
石川数正:西田敏行
本田忠勝:田中角栄
明智光秀:原敬
前田利家:江頭2:50
丹羽長秀:大平正芳
…
いやあ、これはひどいドラマになりそうだ。肝心の主役が決まらず、致命的である。小生、役者さんの名前や仕事について殆ど無知であり、できれば水戸黄門や大岡越前あたりの地味にあくどい悪代官や材木問屋の役者の名前が分かればよいのだが。○が小生一押し、◎は小生にとって決定事項である。困った時はたけし軍団とナチスの幹部と大正、昭和の政治家頼みというひどい有様である。
中でも、千利休役に、至宝の漫画家、水木しげる氏を推す。隻腕の利休、という、ドラマならではの全く新しい展開が生まれよう。茶聖にして茶鬼、千利休を演じられるのは、最早、並みの人間では駄目だ、日の本が誇る妖怪級の人間、ということで、もう、御大水木しげる先生のご出陣を願うしかあるまい。侘びを啓蒙しつつその茶風は水の如く澄ましきった厳しい対称性を信条とする利休自身が隻腕であることで、非対称性の美を見出す織部流の萌芽ともなるという、苦悩と爆発のストーリーだ。そういえばジョン・ケージも、「手は一本あればよい。二本もいらない」と言っていた…。
ただ、いざドラマ化すると、毎週、やきもきするのだろうな、と勝手に心配している。他番組でもどうでもよくないが、この「へうげもの」で、稽古用とか称する、京焼とかの下らぬぺらぺら茶碗など出そうものなら怒り心頭必定であるから、日の本中の美術館から国宝と重文を全部ガラスケースから出して撮影に使うくらいの気概はドラマ上必須である。道具の良し悪しの分からぬプロデューサーが担当になるくらいならドラマ化は即刻中止すべきである。NHKはこれまで、ドラマにしろ知識番組にしろ、出てくる茶道具は最悪最低のものばかりという悪しき実績があり、何度も失望させられたので、恐らく物の分かったプロデューサーなど一人もいないのだろう、と思うと、NHK大河ドラマという枠では多いに不安である…。頼むからいい加減勉強してくれ。松下政経塾でも茶の湯くらいは必須科目として勉強しているぞ。
やらなければならないこと、やりたいことをメモ替わりに列挙。
執筆
読書
手作りTシャツ
こってりした寿司の油絵をシリーズで描く。ごりごり浮彫した金の額縁に飾る。
書道具収集 書体の研究、練習、表装
とびきりモダーン陶器の収集
美濃攻め
越前攻め
四日市万古攻め
相馬駒攻め
茶釜、手あぶりのお助け
北野天満宮の天神市へ出陣
マクドナルド実録
ファミリーレストラン実録
ウィルガード茶会
帝釈峡紀行アップデート
高野山茶会アップデート
小顔のアラフォーが気になる(はしのえみ、渡辺まりな、永作博美)
子供と自然NHK番組批判
エステティックの結末
琴を買って、エフェクター&アンプを何とかして繋げ、カフカの「変身」のグレゴール・ザムザ=虫のように激しく弾く。
琴、尺八、笙、床柱、欄間に虫や花や木や貝や竹を彫刻、拭漆。
竹やぶの、生きている竹全てに虫や花や木や竹や貝を彫刻する。生長する端から、下へ下へ彫刻を施す。 …
さて、INUの「メシ喰うな」である。1980、日の本、大阪。ロック初期からパンクという概念はあったし、それとは関係なくプログレッシブ化への反動保守としてパンクを捉えるのもあまりに狭量不正確ではある。民族血液をじかに沸かせるようなアフロリズムやブルーノートへの顕著な決別と(見掛け倒しだが)、頭ごなしに頭でっかちな頭で考えたようなけたたましい白人リズムに、新時代の荒みを聴取すべきなのも分かる。ロックの美とは荒み(すさみ)である、とここで宣言しよう。また他方で、パンクといってもロンドンの丸出し荒みとニューヨークの斜に構えた荒みとでは違うという論議も、現地の実情とは離れた、東欧や南米や韓国や日本のようなロック辺境での生真面目概念化でもある。ほとんどメタルのような音楽もパンクと云ったりするルーズさが欧米にはあるのだろうが、だからといって欧米を本家本元としてへつらう理由も無く、中央なき辺境での自立した先鋭的解釈もまた一理あるとしたい。
総じてビートロック的単線の構えで踏ん張りつつ、飽くまでも喉に刺さる小骨の如く効果的な攻撃性を繰り出すやり方は、ロック史において特筆すべき事ではあった。別の側面から聴けば、パンクのようにポップス内での殺伐の造作に留まらずプログレへの視線も憚らぬいかがわしい無節操がモダンポップの真骨頂であるといえよう。ただし、セックスピストルズ後期に聴かれるように、結局、幾らでも例外が垂れ流され、よって、例外しか勃発せぬ王道なきロック史ということにはなる。だから、決してパンクを否定しているのではないし、むしろ愛聴するものだが、過去の、そして未来のロックを聴くためには、拘泥すべきではない。これとて、断腸の思いで云っていることである。
そして、こうした概念操作にうんざりした果てに、ハードロックという、巷間でもほぼロックと同義語ゆえに、何も言っていないようなものが靄かかって聴こえはしないか。こうした、あまりに大きく曖昧模糊とした決定不能性の考えを通して聴くことこそが、ロック史の、ひいては王道なきロック史の主題となるであろう。無論、こうした聴き方がいつでも全体主義的統制の危機にあることを、パンクの小粒がぴりりと教えてくれることも、肝に銘じたい。晴れることの無い散乱のままに、聴きたい。
本作は、パンクといっても、実にモダンな奏法、楽曲を備えている稀有な作品である。そして真新しく尖っている。不逞の負け犬が負けながら確実に牙城を崩す殺伐をきちりと備え、ギターソロしようものなら怒号と物が飛んできたプログレ受難の時代にあって、恐らく技術的に高度な高速指さばきを、インプロヴィゼーションの楽観権威を拒否しつつ楽曲に収納している。イカシタ歌詞も日本語だから理解できるし、それが曲になるとロック次元が一層華やぎ、よい。その後の町田氏の文業については割愛。毎日2時間以上は英語の歌詞を聞いていた頃も5年以上あったが、英語を全く習得出来ぬ潔い無能ぶりの自分である。こんなものを聴くと60年代のガレージなどが、確かに、当時(80年代)、旧態の頑迷固陋に聴こえたのだろう。しかし、廻り巡って、ハードロックとしてのガレージはどっこい先駆けて蘇ることが、今後、語られるだろう。パンクと共に。
町田町蔵:ボーカル
北田昌宏:ギター、パーカッション
西川成子:ベース
東浦真一:ドラム、パーカッション
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