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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「delaney & bonnie/home(1969)pcd-4421」 2009年11月22日 天然


 風邪引きそうなのでビールで喉を消毒中。
 開運何でも鑑定団で最も重要な企画は言うまでもなく出張鑑定であるが、そこでの楽しみは地方の骨董数寄の腕試しもさることながら、出演者の老人の首元にきらりと光るループタイである。司会が松尾伴内か住田か、あるいは女性アシスタントが新妻さと子か青木直子かも重要であるが、女性アシスタントが、ループタイの老人の首元にマイクを近づけ過ぎるから折角のオシャレが見えにくく、残念であった。
 すごいループタイを思いついたことをここに公表したい。牡蠣殻のループタイである。藤壺などがこびり付いてまだ呼吸しているような荒々しい、磯の匂いぷんぷんの日本産の大きい牡蠣殻まるごと一個に金具を取り付け、野太い荒縄を通して首元にガッと据え付けたならば、何といかした装いだろうか、と夢想している。牡蠣殻のループタイなど売ってないだろうから、自分で作る所存。真似してもよいですが、それは、小生が実行に移してから後にしてもらいたいものだ。
 裁判員制度のニュースも下火であるが、一瞬だけ流れたニュースのこと、裁判員の一人が、裁判官に、発言を控えるよう注意されたようだった。その裁判員は、被告人に対して、いかにもな上から目線で、事件の真相究明とは無関係な単なる人格批判を繰り返したという。
 裁判官が、裁判の終わりなどで被告人に人格的な批判したり先の酒井法子事件では主文などが書かれた文章を酒井氏本人に再読させるといった教育的な施しを行なうことが多々あるが、裁判官が被告人に、人間個人の人格に対して物を言う権利の法的な根拠は何なのか。裁判官は事件を法的に判断する権能しか与えられていないはずである。法的根拠を最も重んずるはずの裁判官が、法的根拠もないばかりか名誉毀損で訴えられても仕方ない、裁判官の主観でしかない曖昧な教育的態度は許しがたいばかりか違憲であると常日頃思っていたが、一般市民から選ばれた裁判員の一人が、国権を傘に着て人を裁くという立場に浮かれ、居丈高に、弱い立場に居る被疑者に対して、侮蔑的な言辞を弄したというのだから、云わんこっちゃ無いと小生、久々にほくそ笑みました。
 裁判に市民感覚を、という美辞麗句の裁判員制度であるが、面接などを経てそれなりに良識を備えた市民を選別しているつもりなのだろうが、選別できようもなく、どうしようもないアホ市民が裁判員になってしまったのだ。そしてこともあろうにその低劣市民は、自分は正義を執行して悪を懲らしめる立場に立ったと幼稚な勘違いをして、目先の、取り合えず犯人にされているが推定無罪の前提であるべき同じ市民と裁判所外の市民に対して、まことにもって愚かしい態度を晒したのだった。大衆というものの、権力におもねる事に恥を知らない、救いがたくも愚昧なる基底というものが剥き出しになった事件であった。隠蔽されていた、市民というものの荒んだ下劣の露呈を見る度に、ささくれ立った小生の心は清々しくなります。
 ただ、小生が気になったのは、その愚劣市民が、いかようにして面接などの選別を潜り抜けて裁判員になりおおせたのか、そのノウハウである。偏った思想の持ち主は落とされると聴いているので小生などは候補になったとしても落とされるのは必定、しかしそこを何とかして裁判員になりたい、そしてなった暁には、裁判の本番で、被疑者の取調べの可視化が成されていない中での供述証拠は全て無効として全員無罪を宣言するためである。そもそも、自白に証拠能力はない。
 最近自分が触手を伸ばしている、否、毒牙にかけているナチュラル系おしゃれ雑貨界に関して多いに思うところあるが、紙面が尽きそうなのでエステの件も含めて先延ばしの人生逃避行。書物的肉汁たっぷりのメルヴィルの白鯨を再読中だが、筑摩の世界文学全集の脅威の三段組は、淡白な日の本の古典ばかり読んでいた最近の小生にはきつく感じつつも、パタリロ読んで馬鹿笑いしている夜更け。

 さて、デラニー&ボニーのファーストである。1969、アメリカ。アルバム6枚作って離婚するが当時は夫婦白人ロックであるばかりでなく、スワンプ、あるいはサザンロックの嚆矢である。バッキングはスタックスが誇る黒人プレイヤーの数々。ポスポスいう陽気なドラムが印象に残る。カントリーやゴスペルやブルース、ソウルやR&Bを自家薬籠中にするというと簡単そうに思えて相当な難行であろうに肩肘張らずやっているように聴こえるほっこり出来立てのロックであり、スタックスが純粋黒人音楽から一歩出る賭けに出たロックアルバムの最初がこのアルバムだったのもむべなるかな、である。カントリー調の歌唱や楽曲を得意とするデラニーに対して、内臓吐き出さんばかりのソウルフルを歌い上げるボニーの掛け合いを、こってり煮込まれた豆料理のようなアレンジ演奏が手堅く盛り上げる。デレク&ドミノスに結実するクラプトンとの関わりなどどうでもよいが、この地(アメリカ南部)この時代の、サザンやスワンプといったロックのルーツ回帰運動は70年代初頭にしても、その発生の早さは、ようやく溢れ出したばかりのロックであったろうに、何とも目まぐるしいばかりである。どこまで煮えたぎれば沸点に到達するのか分からぬこの状況下でロックのマントル対流の速さは味噌汁並みである。そしてこのアルバムは1969、そうしたルーツ回帰の起爆剤となっただけに、カナダのザ・バンドとは別の、揺るぎ無い、アメリカ音楽の良心的発露であった。ザ・バンドの試みについては別稿を要する。
 友人の家に上がりこんで、しばしばこのアルバムかけながら、ピーナツを肴に1リットルの缶ビールを昼間からあおっていた記憶あり。生ビールがおいしくなる音楽である。

bonnie bramlett: vocals
delaney bramlett: vocals, guitar
donald duck dunn: bass
al jackson: drums
bobby whitlock: keyboards, vocals
william bell: background vocals
steve cropper: guitar
eddie floyd: background vocals
isaac hayes: background vocals
booker t jones: keyboards

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