忍者ブログ
 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
[21][22][23][24][25][26][27][28][29][30][31]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

国家主義者=愛国者=利己主義者=反社会契約主義者=反人権主義者=特権主義者=犯罪者

消音していても球場のざわめきが噎せ返るような陽光…空気は未だ温もらず…菜の花畑に入日薄れ見渡す山の端霞深しで…どこか弛んだ守備エラーが目に付くが…大勢としては取り敢えず森友一家を御取潰しに処して一件落着を決め込む手筈が功を奏しつつ…蜥蜴のしっぽ切りとは云え…其の尻尾も其れなりに有毒だから切って捨てる価値はあるとしても…本体の猛毒である御上は至って健在を決め込むしたたかさを目の当たりにして…アメリカの新興ファシストの尻の青い、徒に性急なだけの若さの取るに足らなさに比べたら、此の国の、腰を据えてゆるりと事を進めつつ少々の難局にも動じないしぶとさを顧みれば此の国の絶望の深さに改めて絶望…問題の幹…値引きの根拠である八億円分のゴミの有無…政権側は、総理が寄付したらしい百万円に関しては、百万円をもらった事実が存在すると主張する森友側に証明責任があると云う…此の論理は確かに正しい…やっていない、寄付していないという非存在の証明は不可能なのだから、存在を主張する方が、其の存在を証明する義務が生じるのは至極尤もである…だとすると、此の論法は政権側に翻って、政権側は、八億円分のゴミが存在した、だから国有地売却額を八億円値引きしたと主張するならば、八億円分のゴミの存在を証明する義務はたちどころに政権側に発生するではないか。百万円に関して政権が総理の関与を否定する其の論法が正しいならば、八億円分のゴミの存在を説明するのを拒否するのは筋が通らない…政権は未だに、処理費用八億円分のゴミは土中に存在したが、其の証拠を提出するつもりもないし必要も無いと強弁して憚らないのだから…此の程度の矛盾などものともしないのが政治権力なのだと云う事は百も承知だが、野党はこの辺をきっちり衝くべきであろう…其れと、問題の根っこの部分である、憲法違反、教育基本法違反の森友学園支持を公言した総理大臣はじめ政府与党の憲法違反、教育基本法違反へ加担した罪を国会の場で批判すべきだとめげずに繰り返しておく…此の事は、とある民放で微かに遠まわしに指摘する識者も居たのに少しだけ出くわしたが、此の論調が大勢を築くのに全く足りない状況なのは明白である…

森友が愛国主義の大義名分の下に、自分らは国家のためにやっているのだから少々の税金詐取など大目に見られるべきだし特別に優遇されてしかるべきだと悪びれる様子も無く公言する確信犯的態度で以て、国民の血税を横領し、しかるに国家をワタクシする事で、結果として彼らが一番の価値を置く国家の国力を危うくしている自己矛盾に陥っているのが白日の下に晒された此度の事件…此の件は、ある特殊な、常識をわきまえない不埒なごく一部の愛国者が為した悪行であって、他の一般的な愛国者は衷心より国家を愛する事で国家の利益になっていると云う、一見理性的な此の判断は誤りである事を以下証明したい…森友が特別な事例なのではない、いわゆる一般的な愛国者、国家主義者、あるいは正統保守主義者を自認する者は、其の思想的原理として、国家をワタクシして国民から奴隷的搾取を目論む国民の敵なのである。無論、森友のような尖兵右翼の論理としては、一時的には国民の税金を詐取している事にはなろうが大局的には将来的に国家の繁栄に役立つのだから、今現在の些細な犯罪などは目をつぶられてしかるべきだと云うのだろうが、当然ながら此の論法は自分勝手な私的な思い込みに過ぎないのだから公にも国家にも通用しない…いわゆる国家主義者(愛国主義者、天皇君主制主義者、ナショナリスト)が、如何に表面的には己の身を犠牲にして公に奉ずる美徳を吹聴しようとも、其の思想の原理として、結局はまことにちんけで詰まらぬ私的なる卑小なる利己主義に帰着するのである…

国家主義者の思想の原理は云うまでも無く、国民あるいは民衆あるいは人間の主権を否定し(=基本的人権を否定し)、国家と云う抽象的観念的制度に主権を認めるものである。抽象的国家に具体的国民が奉仕する事を要求するのが国家主義であり国家主権である。国家と云うのは必要悪の統治機構であり、統治とは何らかの中心乃至は中央がその他の全体を執行権で以て支配するものであるから、統治が中心である以上統治と云う実際の仕事を執行する具体的人間は全体ではなく、少数である。此の少数は、全体からの普通選挙だろうが神権的特権的世襲だろうが如何なる選択方法であろうとも、いずれにせよ全体から選択的に抽出されている概念の遷移を経ているために、必然的に全体から切断された存在である。此の少数とその他の全体との間の切断された関係や紐帯を、如何なる正当性や理屈で以て隠蔽しようとしても其れは空虚な虚飾、欺瞞に過ぎない。如何に公明公正な普通選挙であっても此の切断を隠蔽する事は不可能である。従って間接民主主義や代議制などと云うものは民主主義ではなく、民主主義とは直接民主主義でしかない。

(にも関わらず間接民主主義に依存しなければならぬ苦渋が政治制度として人間の血の通ったものになるのは偏に此の切断と云う実存経験に深く思いを致しているかどうかであって、最終的には個人個人の誠実さに掛かっている此の現実は、此の矛盾を知悉している事を条件としている…原初から民主主義を不可能性の下で捉えていたルソーの社会契約論が何故民主主義の古典たりえているのかは、畢竟此の矛盾を些かなりとも美辞麗句で誤魔化さず白日に晒した冷然たる誠実さによる…こうした切実なる困難から全く逃げずに、国民主権と云う、これまた矛盾に引き裂かれたルソー独特の概念を定立したルソーと云う人の、実にアクロバティックで奇跡的な思想の凄みと云うのは、勘のいい読者の方なら此処まで読めば感得されるだろうけども、其れは、直に社会契約論を読めば良く理解できる事であるだろう…)

民主主義が不可能性を内在させている云々は余談として…兎に角、重要な事は、国家が統治機構、統治の制度である以上、其の国家の仕事である統治に携わる人間は全体とは異なる少数であるという事である。国家主義者らが、国家に主権を持たせるという事は、如何に観念的には、国民全体に奉仕する国家が主権を持つと国民全体にいい事があるように主張しようとも、現実的には直接的には、国家を運営する少数者が主権を持つ事に他ならない。少数者が所有する主権の事を特権と云う。此の少数者は国民に奉仕すると口先で強弁しようとも、其れは何の原理的根拠も保証も無い妄言に過ぎず、現実的には少数者が特権的に私的に恣意のまま主権を行使できると云う事である。そこは法律で以て制限を加えればいいと云う論法で、少数者の私的行為は公の行為に転移可能だと云うのは空虚空論に過ぎず、主権が少数にある以上はそんな法律は少数の恣意によって如何様にも改悪可能だから意味はない。国家主義者とは原理的に少数者による専制政治を肯定するものであり、即ち国民主権を否定して国民から主権を奪い奴隷身分に貶める輩である。国家主義者はこのように、少数者の特権でもって国家制度を執行するのだから其の行為は原理的に私的なものに過ぎず、公の事としての正当性は必然的に皆無である。従って、国家主義者のやる事為す事は全て、単なる利己主義の産物と同じなのである。従って、国家主義者は利己主義者であると云う、自己矛盾した厚顔無恥の帰結を晒すのであって、国家主義者には原理的に何ら社会的大義は無い。国家主義者は結局、利己主義的に国家をミスリードしてワタクシする事で国家本来の役割である、国民全体の生命、財産、人権の保障をないがしろにするため、国家主義者は、国家国民への害を為す者として、いわゆる一般的刑法犯罪者と同列である。云うまでも無い事だが国家の執行権が社会的に正当性を持つのは、主権が国民に有する場合のみであって、主権が国家や君主に有する場合ではない。此の事はルソーが社会契約論で証明している。

笑止を通り越して滑稽ですらあるのは…かような国家主義者が、主権者国民の集まりである社会に対して広く自己の思想への支持を訴える事であって…要するに国家主義を自認する者らは、眼前の大衆に対して、「私に、おまえら大衆とは隔絶した特権を与えてください。私の特権を認めてください。私に特権を与えて、其の特権で以ておまえらを奴隷にさせて下さい。お願いです、どうか、おまえらを私の奴隷にさせて下さい。」と云う内容の事を、眼前の大衆に対して真剣に訴えているのである。こんな事を「懇願」する人間を支持、肯定する大衆が存在するのか。しかし、実際、自民党が政権を取っていると云う事は、此の公言を肯定する大衆が存在する事を意味するのだから、滑稽を通り越してぞっとするしかないが、現実に起きている此の事は、何と馬鹿げている事だろうか。悲劇なのか喜劇なのか。

日頃は特定の人種や民族の人権や(国民)主権を否定し(人権とは普遍的なものである。其の普遍性を否定する者は、人権ではなく特権を肯定する者である)、自己の特権の正当性を社会に認めさせようとする国家主義者らが、いざ社会的に劣勢に立たされると、図々しくも、「表現の自由を弾圧するのか」「人権侵害だ」「大衆の一人を国家権力で弾圧するのか」などと手前勝手に、己の国家主義的思想で否定している人権や主権を手のひら返しで自己に都合よく肯定して、保身を図る様子は無様を通り越して惨めですらある。こうした、自己の思想に対する一貫性の無さも、国家主義者が単なるちんけな利己主義者に過ぎない事を証明している。国家主義者は、まさに日頃は国家主義者自身が、戦後リベラル云々と駄弁を弄して口汚くののしっているところの、利己主義者そのものである。国家主義者に人権や主権など存在しない事は先週証明しておいた。

拍手[2回]

PR

国家主義者、愛国主義者、ナショナリストを弾圧すべき正当性

鯛煮るや胸鰭は立つミモザ咲く

鼻糞やほじくり出された伊能地図

チャック・ベリーへの哀悼は当然の事としてもやはり驚愕したのはまだ御存命であったのかと云う今更ながらの失礼な認識を改めつつ…御冥福を祈るのみ…

火曜日のドラマ「カルテット」…第三回くらいから毎週欠かさず楽しみに視聴…近年稀に見る、非常に風通しの良い、間口の広い、自由度の高い巧みな脚本で…最終回、カルテットが稼ぎにならぬのに続けている事に対して、社会的正当性による虐待に打ち負かされた逆恨みのねちこさが倒錯的に社会的正当性の優位に胡坐をかかせた、およそ自堕落なほど一般的かつ流通的な批判の手紙が読み上げられた挙句での世間での悪評を逆手に取って集客したコンサートから一転、馬鹿馬鹿しい程在り来たりな夢オチのような怪しい一手で以て痛烈に、硬直した社会的正当性を軽やかに転覆させる手際は見事であった…カルテットを批判するあの手紙の主の、もっともらしい理屈も含めて、何の権威も立脚できない夢に過ぎないのだと…

森友問題…いわゆる愛国主義者たちを根絶やしにすべく此の炎に油を注ぎ続けなければならない状況…此の問題を長引かせる事によってあわよくば共謀罪を廃案出来れば御の字と云う戦略に立って…萌えいづる春の息吹に合わせてか問題の枝葉が茂り過ぎて根幹が見えにくくなっているから剪定する必要があるのだろうか…根幹の、幹の部分は…国有地の鑑定価格9億円が、ゴミがあるからと云う理由で8億円値引きされて1億円で売却されてしまった事における、そもそも撤去費用に8億円も要するゴミが存在したのか、もう、現時点では誰もあそこの土地に八億円分のゴミがあったなどとは信じていない状況にも関わらず、何の説得力ある証拠も提出せずにあそこに8億円分のゴミがあったと政権が強弁する始末であって…ゴミがあったのか無かったのか再調査するつもりもないと財務大臣が切って捨てている事からして、8億ものゴミなど存在しないのに虚構の理由づけと虚構の計算に基づいて無理矢理9億円を1億で森友に売った、と云う問題で…此の幹から一挙に種々の疑惑や虚偽報告や詐欺罪や経歴詐称や補助金詐取や園児虐待などの葉っぱや、あるいは総理府人による百万円の寄付云々という桜まで芽吹いて来て…今や疑惑の御花見の席取りでごった返す始末…

しかし一方で此の問題の根っこの部分は、国会は元よりマスメディアでさえも無視され、文字通り問題の根っこが隠蔽される怠慢が目に余る…此の問題の根っこは、どう考えても、此の学校法人の教育内容であって…真っ先に非難されるべきは森友学園の教育内容が日本国憲法違反並びに教育基本法違反である事なのは誰の目にも明白だ。1、此の学校は園児に、旧帝国憲法下による教育勅語を暗証させている。先々週にも説明したが、教育勅語はいくら論語的友愛や孝行を述べ立てるにしても其の目的は日本皇室の存続なのであって(「~以て皇運を扶翼し、」と原文にあるだろ!)、国家と皇室のために、臣民が生命を捧げる事を美化しつつ要求して来る、国家と天皇が主権を持つ国家主義乃至は君主制によって国民主権と基本的人権を明白に否定した勅語なのである。従って森友学園が教育勅語を暗唱させる事は、国民主権と基本的人権を謳った日本国憲法違反である。だからこそ、オキュパイド ジャパンではあるが昭和23年に、教育勅語は教育現場で使わない事を衆参両院で議決しているのである。それに、2、此の日本国憲法を基本とした教育基本法では当然、国民主権と基本的人権の尊重を教えるし、加えて、教育現場に政治を持ち込む事を禁止しており、例えば昨年の、高校三年生の参政権取得に際して、あれほど学校内での政治活動や学校内で政治教育する事を神経質なくらい禁止していたにも関わらず、此の森友学園では、安保法案などの明らかな政治問題を学校の中で園児に教え込んでいるではないか。此れは明らかに教育基本法違反である。

従って、森友学園は明らかに日本国憲法違反、教育基本法違反、国会議決違反であるがその犯罪行為も顧みず、国民主権、基本的人権の尊重を否定する教育内容を確信犯的に実行する学校であり、此れは新設予定だった小学校でも同じ事をするのは明白である。そして深刻なのは、此の、明らかに憲法違反、教育基本法違反、国会議決違反の学校の教育を、こともあろうに多くの与党議員や其の友党維新の会が熱烈に支持しており、園児の教育勅語の朗誦への称賛を公言する国会議員も存在し、其の頂点に総理安部夫妻が存在すると云う事である。要するに森友を支持し、あるいは援助していた国会議員どもは日本国憲法違反に加担し、国会議員のくせに国会議決をも愚弄して加担する事で自覚的に国民主権と基本的人権を否定しているので主権者国民の敵である。憲法を守る義務のある国会議員どもが現憲法を否定し、旧帝国憲法を奉じて教育勅語を園児に暗唱させる事で将来の君主制的天皇制の復権を画策し、現憲法下で保障された国民主権と基本的人権を否定しているので、此の国会議員どもは憲法違反で議員の資格はないどころか主権者国民の敵である。従って、総理が此の学校の教育を国会内で称賛した事は、其の一事を以てしても憲法違反であって、国会議員の資格は抹消されるべきであるに加えて、国民主権と基本的人権を行政の長として公の場で否定したのだから国民の敵の頂点に君臨するのは確かなのだから森友との共謀罪で以て即刻告訴されるべきである。加えて森友を支持した国会議員、府議会議員らも憲法違反なのだから同罪である。与党側は、仮に総理が百万円ほど、森友側に寄付した事が事実だとしても何が悪い、何の問題も無いと開き直るが、寄付自体に問題は無くても、憲法違反の学校への寄付なのだから憲法違反に結託した有罪なのである。

一部メディアは、此の森友を、ごく特殊なカルト右翼集団として、いわゆる保守本道と切り離して問題を矮小化するゴマカシが見受けられるが…総理夫妻を頂点として政権与党自民党の赫々たる大物議員らがこぞって此処の教育を称賛しているのだから、つまり総理夫妻をはじめ保守本道である自民党の中枢議員が此の学校を支持しているのだから、此の森友の有様が、いわゆる保守本道の保守主義者、愛国主義者、ナショナリスト、そして国民主権を否定する国家主義者の実態であると云う事が今回の事件で明白になったと云える…従って保守主義者は国民主権、基本的人権を否定し、此の日本国憲法の原則を、たかだか100年前に過ぎない明治発祥の、虚構の狭量なる天皇元首制を日本の伝統などと欺瞞的に虚言しては此の浅はかな虚構の伝統を論理的根拠として国民主権と基本的人権を否定し、其のために種々の多様性を否定する輩である。こうした保守主義を思想の多様性として承認すると、保守主義自体が思想の多様性を否定しているのだから、思想の多様性自体が破壊され、思想・信条の自由は破壊されるだろう。従って、保守主義は思想の多様性の埒外であるとして、保守主義は思想的に弾圧されなければならない。此れが、保守主義を主権者国民の敵として、社会契約(国民主権と基本的人権の尊重)を破壊する者として社会的に正当的に、法的整備と公安的実力を駆使してまでも弾圧しなければならない正当性であり、論理的実際的理由である。教育勅語を奉じて基本的人権を否定する愛国者気取りに限って、自分が今まで自分が奉ずる国家から税金を詐取していた事を棚に上げておいて、自分が不利になれば基本的人権や主権者国民を盾に、己の保身を正当化する貧相で惨めな泣き言に此れ以上耳をかす必要はない。

以上の事から、今回の森友事件で、憲法草案からして明らかに主権者国民への敵性を露顕させた政権与党を責めるには、第一に森友の憲法違反、教育基本法違反に焦点を当てて、其れへの結託への罪として政権与党を論難すればいいものを、メディアや野党は何故か教育勅語批判に及び腰で煮え切らぬ態度なのはなぜか…それは、たとえ旧憲法での事であろうとも天皇制に言及せねばならず、何よりも此の国では天皇制について語るのは絶対のタブーであるからなのだろう(其の証拠に、天皇退位問題への与党の対応の、何とも馬鹿丁寧な事よ…残業時間規制と云う、国民にとって直接的に最も重要な事をあれほど強引に決定するくせに。100時間が過労死ラインだというのに上限を100時間未満にするという事は、過労死するまで、99.9999…時間は残業して働け、と云う事なのか。此の政権は国民の生命を軽視する敵性国家である。)…先々週、小生は「自発的配慮」と表現した事を最近はメディアや国会ではようやく「忖度」と云う言葉で表現しているが…決定的な物証がリークされない限り、組織内部が忖度で自動的に動く全体主義体制では明確な責任者や首謀者、指示者を特定する事は困難なのだから其処にこだわり続けているとうまく政権から攻撃をかわされて問題が立ち消えになるだけだ。忖度自体は悪い事ではないのだから、忖度自体で攻める事は出来ないだろう…其れよりも、政権与党が憲法違反に加担する方向で忖度した事が罪深いのだから、教育勅語という根っこの部分を批判しないと、此の問題が生まれた社会的意義は皆無である。

拍手[2回]

今週休載

所用に付き今週休載…次回は3/26です。

パックされ口噤みたり連子鯛

空蝉や一冬超えて壁に居り

拍手[0回]

挫けずに…

いつでも挫けそうな遣る瀬無い虚ろな不安でごっそり内臓を削ぎ落とされたような空しさにいつでも責め苛まれつつも…さっき書いた程の力量を再現する自信も払底しながらも此のまま潰えるのにはあまりに嘔吐感が催されるので再び森友学園の顛末…此の事件で政治家の具体的な関与を示す明確な証拠が出たらば其の方が事態は安寧と云うべきであって…此の事件の顛末の深刻さは…寧ろ…政治家の関与が事実として皆無であったとするとより一層絶望的だと云えるのであって…だいたい…テレビなどで誰もが喉元までその名が出掛っているのに決定的な証拠が掴めないものだから結局しらじらしく馬鹿の一つ覚えみたいにじれったくも「どうしてこんな事態になったのでしょうか」「より一層の真相究明が待たれます」云々などと締め括らざるを得ない状況になさしめている、自民や其の友党維新の会の強力な支持母体である老舗右翼団体日本会議の隠然たる影響力など誰もが分かっている事なのに直接的に此度の事件と結び付けて論じる事は出来ないじれったい欲求不満たるや…思えば戦後この方、リベラル的良識から事有る毎に持続的に弾圧されながらも数十年に渡って運動を持続してきた忍耐強さや行動力などは現在の日和見リベラルからすれば学ぶべきものがあると自戒、自責する次第…此の団体の思想の下劣は横に措くとしたらの話だが…其れは兎も角…想定される実相はこうだ…国家や大阪府の政治権力が思想的にも人脈的にも実際的に懇意にしている日本会議人脈の領袖の一人である理事長の強力な運動意識や行動力に気圧されるようにしつつ…理事長と政治権力との昵懇を嗅ぎ付けざるを得ない行政官僚らが持ち前の如才なさで、具体的な政治的圧力など無くても権力側の口ぶりに漂うものを何とはなしに感づいて「自発的な配慮」「率先した媚びへつらい」を発動させた結果、手続き要件に大きな不備があっても小手先の行政技術で無自覚にあるいは自覚的に自動的に推し進める日本的空気の為せる業、と云ったところではなかろうか…だとすれば具体的な政治圧力があった場合よりも、此の事は「全体主義の完成」を意味するのであるから、事態は絶望的であると云わざるを得ない…最早…政治権力が…殊更にあからさまな権力を顕在化させなくても、周囲が自動的に阿吽の呼吸で慮って事を進めてくれるのだから…阿吽の呼吸で自動するのだから具体的な指示や要請圧力などの証拠が残るはずも無いと云う訳である…云うまでも無い事だしテレ朝では一瞬だけだがきちんと云っているから此処で説明する必要も無いのだけれども…あの団体は教育勅語の何が悪いんやと大声で絶叫して人を面食らわせるから臆したのかほとんどのテレビ報道や記者は真正面からきちんと批判できていないから此処で改めて批判しておくが…教育勅語の中身にいくら友人家族仲良くしましょうと其れ自体否定しがたい事が説いてあろうとも、この勅語の目的は、まさに勅語である所以でもあるのだが即ち皇室の継続のために日本臣民はそれぞれ喜んで命を捧げなければならないと云う目的に貫かれているのであって、だから、幾ら友人家族仲良くする事其れ自体がいい事であっても、日本臣民にそうさせる目的が、帝国憲法の目的である皇室の継承の名の下に、現在の憲法で云う基本的人権と国民主権を否定するのが目的なのだから、現在の憲法で生きる我々が帝国憲法下での目的を肯定する事は自らの国民主権と基本的人権を否定する事なのだからあり得ないと云う事なのである。従って、友人家族仲良くしましょう親孝行しましょうと云いたいのなら殊更に教育勅語を持ち出す必然性はなく、せいぜい論語の素読で十分であるのに、わざわざ教育勅語を持ち出すという事は帝国憲法を称揚し日本国憲法が定める国民主権と基本的人権を否定する事を目的としているとしか考えられない。教育勅語は朕(即ち天皇)が臣民(即ち君主が作って一方的に押し付ける法律に服従を強いられる、人身売買こそ禁止されているが実質上政治的非主権者にして政治的奴隷階級)に与えると云う形であって…無論彼らは其れが分かっていて確信犯的にやっているのだろうが…此度の一件で十分明るみになっているが…だいたい、愛国者を以て任ずる声の大きい恫喝的連中に限って、呆れるほど自分勝手な、彼らが最も嫌悪する「個人主義的」行動に走るものであり…其の自家撞着にも無自覚なままに、其の矛盾を他人から衝かれると暴力的な大声で非論理的な戯言を突発的に其の場しのぎに主張しまくるし、あるいは恫喝的に相手を威圧する事で自己矛盾を誤魔化すと云う稚戯をさらして憚らぬ厚顔無恥なのであって…建築費を過大に申請して国家から過大な補助金をせしめようとする事で、補助金の枠は決まっているのだから当然他の必要とされる処には過小にしか補助金が行かないから、他人に迷惑をかけてはならないという教育勅語の内容にも反する事を平気でしようと意志するし(結果的には国交省は独自に建屋の査定を行うから適正額で補助金を出しているから詐欺罪には当たらないとの説もあるが)、此度の件でマスコミから追及されて答えに窮したら、おかしな事に日頃は帝国憲法称揚によって自らが否定している、現行憲法の基本的人権や表現の自由を持ち出して、己の主張を防衛しようとする個人主義的な支離滅裂さもしかりであって…ルソーも書いているが、自分が君主の奴隷になりたいのであればこれぞと思う人物の奴隷になればよいが、だからと云って国家制度としての君主制を肯定してその他の他人までも不本意に道連れに奴隷にさせる道理は全く無い(従って君主制に正当性は無い)。およそ愛国主義やナショナリズムほど普遍性に決定的に欠けるが故に個人主義的で亡国の輩、売国奴は存在しない。此れまで何度も書いて来たが…標的にしたグループ丸ごとに対して死ねとか殺すとか出て行けとか主張するヘイトスピーチや愛国主義、民族差別主義者らは、日頃は彼らの標的の基本的人権や表現の自由を斯様にも暴力的恫喝的に否定しているにも関わらず、自分らが非難される側に立つと手前勝手に基本的人権や、特に表現の自由を盾にして己の主張を正当化する。彼らの此の主張は、表現の自由を否定する事を、まるで表現の自由が齎す多様性の一部のように扱っているが、考えてみてほしい。表現の自由を否定する事が、表現の自由な多様性に含まれるとするのは論理的に矛盾しているではないか。同語反復になるが、表現の自由を否定する事は、表現の自由を否定する事なのであって、表現の自由を肯定する事ではない。表現の自由を否定する事は即ち表現の自由、乃至は表現の多様な存在を否定する事に他ならないのであって、表現の自由を否定する事は決して表現の自由の名の下に保護される事は決してありえない。従って、此処で改めて定立しなければならない事は、過去にも何度も書いて来たが、表現の自由を否定する者の表現の自由は否定しなければならない。従って、表現の自由を否定する如何なる言説や行動も制限乃至は弾圧されなければならず、憲法改正ですべき事はこの事を付言する事である。実質上園長の支配下にある、政治的に独立していない園児に政治的文言を強制的に朗誦させる事は園児たちの人権侵害そのものではないか。日本会議と自民党、維新の会との密接な関係しかり、森友事件しかり、ヘイトスピーチ団体が最近発展的に解消して、日本第一党と云う政党を結成した動きしかり、こうした一連の動きをアメリカ第一のトランプ現象に見られる世界的右翼化の一部と見る向きがあるが其れは違う。日本は世界のこうした動きに先んじて既に全体主義化が7割がた完成しているのであって、その意味では情けない事に世界右翼化の先進国である…この意味で未だリベラル勢力が顕在化出来るアメリカやフランスなどは後進国に過ぎない…日本の全体主義化の完成は憲法21条の改正だと覚悟していたがそんな悠長な構えを政権がする訳がなく…恐らく今国会で取り沙汰されている共謀罪が決定的な一手になる可能性が高い…だとすると最早…(続く)

拍手[1回]

全部消えて…

森友の件、諸々、物凄い長文を一挙に書いていたら保存にしくじって全部消えて…もう…やり処のない怒りが…

拍手[0回]

直接民主制実現のための奴隷制導入の提唱

漠然とした薄明りのような、何の頼りにもならぬ期待に迷妄するようにして、今取り組んでいる事は本当に新しい事なのだろうかと云う当然ながら不断に足元を掬い揚げられる心許なさを誤魔化し誤魔化ししながら、其れでも辛うじて何とはなしに此れは新しい事なのではなかろうかと云う根拠の無い確信がなびく後ろ髪の一本でも拾い上げたような気もしており…、それでもやはり、このまま進めて膨大な時間を無駄に供する事になりやしないかと云う警鐘は鳴りやまず、全く以てどっちつかずの宙ぶらりんを突き進まざるを得ない気分の悪さ、胸糞悪さに耐え続けないと、此の新しき境地は開けないのだろうか、と懊悩しつつ、今は何かしら希望の抜け毛一本拾えた事だけでも感謝すべきなのだろうが…少なくとも、新しきものに近づく栄光のようなものとはかけ離れて、至って惨めなだけなのは確かであるが…其れこそが新しき道のような救い難く奇怪な確信だけは専ら己自身から嘔吐のようにこみ上げては胃酸を飲み下すような苦い感覚に苛まれ…無論、一体何に取り組んでいるのか公表は出来ないとしても…其の一方で、かような根源的胸糞悪さなど端からスマートに忌避したそつの無さで制度内に承認されたやり口を飽きもせず垂れ流しては産業資本から誉めそやされては調子こいている連中が視界に入れば此れもまた誤魔化しようも無い忌忌しさにほぞを噛む思いがする偽らざる己の卑しさに辟易もしつつそんな卑しさにかまっている暇なぞないはずなのに仮に其の卑屈が空しさに転移すれば己への損傷は恢復し難い程だから、気を付けないといけない、どうにもならないけれども…此の空しさの問題の根源は調子こいた連中への妬みや、目先の泡立ちに浮き足立って右往左往するさもしい焦燥すら内発しない、連中のやる事など端から眼中に無い己の性分なのであって…使い勝手の良い焦燥でもあれば其れに乗じて救いようがあるのだろうが…すると、そこへ、無性に足元を切り崩してくる生活の暗雲だけは切実に肉迫し、早晩にも崩壊するのは薄々感付いているのにもう既に渡り掛けた橋が早速崩壊しつつあるのだから前へ前へ渡り切るしかないのだけれども、そこへ、すかさず、脳卒中か何かのような幻惑じみて歪んだ容赦ない現実の鉈がやって来てごっそり削ぎ落として来る具合に真っ白に意識が目眩と共にぐるぐる回って崩壊寸前と云う弱り目に祟り目の…心がずたずたにくじけそうになる…

もうあれこれ御託を並べるつもりはない…現状を素直に受け入れたらば自然と導かれる結論だけを掻い摘んで取り急ぎ提唱しておく事にしたい…政権与党は既に基本的人権と主権在民を否定した憲法草案を公表しているにも関わらず、其の政権与党が衆参で三分の二以上の議席を有している、と云う事は、政権与党に投票した人間たちは基本的人権や主権も必要ない、基本的人権も主権も放棄したと自ら率先して宣言したに等しいのだから、政権与党に投票した人間からは即刻、基本的人権と主権を剥奪すべきである。合わせて、有権者であるにもかかわらず特別な事情も無しに選挙に行かなかった人間は、此れも主権を放棄し、且つ、自らの基本的人権を守る意志を放棄したと自ら率先して宣言したに等しいのだから、選挙で投票しなかった人間からは、即刻、基本的人権と主権を剥奪すべきである。要するに、現政権与党支持者と無投票者は自ら主権と基本的人権を放棄したのだから主権と基本的人権は剥奪され、奴隷階級に落とされるべきである…

小選挙区比例代表並立制による得票数などは一切無視してかなり大雑把に計算してみると…全人口一億二千万人中、有権者がざっくり一億人として、投票率60%だとしたら無投票者が四千万人→奴隷。投票者六千万人中、与党支持者が其の三分の二で四千万人→奴隷。従って、奴隷階級が四千万+四千万=八千万人となる。奴隷という言葉が悪ければ臣民でもよいが、いずれにせよ臣民と云うのは権力が制定した法律に一方的に服従する事を強いられた人間の意味ではあるから実質は変わりがない…この計算で行くと人口の内訳は、市民(主権と基本的人権を自ら欲するが故に有すると当時に行使する者)=二千万、非有権者(基本的人権や主権を有するが行使できない者)=二千万、臣民=八千万、となる。当然ながら教育勅語に今も執心する森友学園と其の支持者は自ら自分らは臣民であると宣言しているから臣民階級となる。

臣民は市民の命令の下にとことん労役に服するとして、労役から解放されて政治と学芸に専念できる市民二千万人で直接民主制は可能だろうか…たとえば一つの議案に対して二千万人の市民がそれぞれ可否を表明し集計する事は現在のビッグデータ的情報技術を使えば可能であろうが、この場合市民同士の、お互いに対してのあらゆる横の組み合わせにおける議論がなされていないので合議とは言えない…そもそも議案を創出するのにビッグデータでは不可能で、何らかの合議による解釈や合意が必要なのだから…二千万人が、仮想でも現実でもよいから形式的にでも一堂に会した議論が何とかできないものだろうか…普通に此れを諦めて代議制を導入すれば簡単だが此れではせっかく奴隷階級を労役に専念させる奴隷制を作った意味がない…民主主義とは直接民主主義の事であり、代議員を選出したら民主主義は奴隷制に転落して成立しないから間接民主主義と云うのは欺瞞に過ぎぬし、たとえば現行の日本の間接民主主義は其の実際は貴族制に過ぎぬ事を既にルソーは理論的に示唆しているから、民主主義は古代の政治政体としてごく少人数の集団にしか適さない事もルソーは明言するが…そこをこう、何とか…統計学とか確率論とか代表値などと云うゴマカシとは隔絶した(確率など、人間の行動にとって何の参考にもならない…やるかやらないかなのだから)、もっと直接的に現実に即した高等数学的手法あるいは全く新しい言語学やら量子生物学的にぶっ飛んだ知見などを用いれば何とかなるのではなかろうかと漠然とした展望を抱きつつ…巧い知恵も無いが此れは方法論上の困難に過ぎず…方法が今現在現実的に困難だからと云って理論が間違っているとは云えない…其の方法上の困難は将来解決される可能性が無い訳ではないのだから…

今はただ…、ムッシュの死を悲しむばかりで…気落ちする…特に今日は踏んだり蹴ったりで…

拍手[1回]

いらつきが…

今週末もよい御天気で…こんな日に茶会が出来たらと云っても仕方がない事を…こんな日にせっかくやおら集中せんと気負ったところの出鼻をすかさずくじくべく、とち狂ったかのように集計をせまる老齢女性の訪問また再訪問攻撃に晒されては埒が明かずイラツキが嵩じる…締切にはまだ時間があると云うのに何故に激しく集計をせかすのか、おかげで気もそぞろに集計させられてうっかりミスした可能性がぐずつく、提出した今更になって泥沼の疑念がのたうつも、此の際知った事かと投げやりにな捨て鉢になる豪胆さが要求されるべきなのだろう…無意味な責任感に苛まれていても限られた自分の人生が無駄に搾取されるだけである…と云いながらもイラつきの余波は冷めやらず…莫迦犬の無駄吠えも止まず…ギョボォギョボォとくそうるさく…先ほどの集計事件の余波も胸のしこりのようにムカつきを再燃させ続けて未だに気持ちが悪く…それでも、ワカメの気の利いた風流な返事に少しイラツキがほだされたわ…塀越しに見える梅の花を眺めている処を家人から訊ねられて「きれいに咲いた梅の花に見とれていました」感心した家人の紳士が庭の中に招いて観梅談義に及び、「父からの受け売りです」とあくまでも控えめな態度のワカメ…其れに引き替え…昨日、ギガショッピングモールの一角をズムズム重低音とアニメ声で資本の憂さ晴らしの巣窟化しているゲームセンターの中を、社会見学がてらぶらぶら見物していると…「お金を入れるとゲームが始まるよ!」と云う文言が目に飛び込んで来て…其のあまりに直接的にして本質的な文章に衝突した結果、一瞬、資本論か国富論の一節かと思われて激しく幻惑されると云う経験が…客層は小中高生のゲーム小僧だけでなく、話には聞いていたが熟年老年男女も長っ尻で域内通貨のメダルを逐次的につぎ込んでいるぶす付いたのめり込みように済度し難い断絶感を覚える…こうした連中が皆自民党支持者に思える偏見に苛まれて…それはそうと、今日のサザエさんの脚本はかなり飛ばしている様子…随所で突拍子もない創意を繰り出して来る、時折起爆される、衰えを知らないサザエさんのハイクオリティ…めまぐるしく現れる時局についてもいちいち云いたい事が棘を為してくも膜をいたぶる具合で日々懊悩しているが…これまたとち狂ったかのように最近報道される北朝鮮の暗殺事件などは北朝鮮内部の権力状況による局所的事件に過ぎず少なくとも当事国以外にとってどうでもよい事件に過ぎないどうでもよい事件なのに何度も何度も貴重な報道時間を無駄に費やしている其の裏で、真に報道すべき重大事が軽んじられ見過ごされているのは確か…これまたとち狂ったかのように幾度も報道されている東京都知事の権力闘争や豊洲の失政などもどうでもよい、此の国の権力や制度の本質に関わる事件ではないからどうでもよく…(国家主義者である都知事小池の、次期総理を目指す権力劇場と云う意味では重要かもしれぬが)目下此の国において最優先で報道されねばならない問題は共謀罪法案による言論弾圧と、総理総裁夫妻と其の支持母体である極右日本会議の暗躍が顕在化した、戦前の皇国史観剥き出しの教育機関設立に絡む土地売却に絡む種々の疑惑等ではないのか…ついに社会契約論を読破した小生が此の時局を論じ始めたらきりがない絶望に苛まれるので其れは其れとして、瑞穂の国小学院で思い出したが返す返すもトワイライトエクスプレス瑞風の、何とも云えぬカッコよさといったら…あんなにかっこよい車両は満鉄の特急アジア号以来である…何回か書いて来たが…見れば見るほど深みを増す緑の車体に金のラインが映え…古のジオン公国を想起させる、先頭車両の潔くワルそうな重層的手すりのライン…蚤の衾、と云う野草を摘んで上野焼の一輪挿しに生ける…

拍手[2回]

青空を持て余して…

何の事は無い…もう一週ずれておれば春一番も過ぎて春先の穏やかな御天気に恵まれたのであるが…今更過ぎ去った事に対して恨めしく詮方ない繰り言を並べても今の己を徒に空しくするのみで…先週が今週であれば今頃は成ったはずなのに、とまたぞろ愚痴が沸き出でて…果ては責任問題まで執拗に捏造しかねないのは…昨晩ふと目に付いて未練がましく家に連れて帰った北条ワインなる…鳥取の砂丘産の葡萄酒を痛飲し過ぎた軽い二日酔いのせいもあるのだろう…さわやかな飲み口なれどふくよかな余韻をもたらす良いワイン…だいたい、前回の茶会の折にも運悪くカープ優勝の日とぶつかり、何かと算段を崩された被害者意識が後を引いており…何か小生が茶会をやろうとするたびによくない巡り合せに見舞われるのではないかと云う卑屈な思い込みにかかずらうほど深刻な性分ではないにしてもこう符号が続くと勘ぐりたくもなるがそれはさておき…先週末の山陰豪雪のせいで鳥取での茶の湯がパーになってしまった事を、最早後悔も出来ないほど過ぎ去った事なのに、虚構の妄執にはまり込んでは鬱々している不健康…辿り付けば何とかなると思っていたがたとえ偶然辿り付いていても当地はさながら社会的に公認された災害レベルの大雪だったはずなのでそこで悠然と雪見の野点など仕込み、それが秘密裏に成功すればまだしもしくじって雪中遭難にも陥ろうものならそれ見たことかと手ぐすね引いて共同体からはみ出た異物をリンチしたがってうずうずしている恐慌状態の民衆から袋叩きまで行かないまでも小さな顰蹙が無責任に過剰に重なったネット炎上での吊し上げにも遭いかねず…そうならなかったのは此度の事で以下の真実を顕示した茶の湯の神様(陸羽?)のおかげなのか…結局特急が止まって鳥取には行けなかった此の事実は即ち…鉄道が止まるほどの気象条件では野点は不可能である、と云う、鉄道と茶の湯の線形的対称性なのであった。その結果は致し方ないとして今更鎌首持ち上げた悔いとしては昨日今日のいい感じの御天気で…先週、中止決定後にすぐさま来週末でのセッティングを敏速に決起したならば今頃事は成ってほくほく顔のはずなのに、と云う心にもない仮定であって…しかし先週のあの時点では今週末も雪の予報だったのだから、先週程の大雪は予想できないにしても幾らなんでも万が一同じ轍を踏む愚行を侵すは蛮勇も甚だしく、自分一人ならまだしも他の茶友をも巻き込むのであってみればかような軽挙妄動は許されるはずも無く、此処は一旦仕切り直すのは、全く常識的な判断なのであった…しかし茶において常識的判断などと…臓腑から冷や汗が滴るやましさは否めず…そして今、青天下の個室で一人やり場のない空しさを秘めて恨めしく虚構の妄執を編み込んでいるのであった。こめかみを痛ませながらワインをがぶ飲みしたり、気になっていた高価な書籍を買い込んだりして豪遊しているのは細君が実家に帰った隙を衝いての所業であって…懸案だった書籍の購入のため街に繰り出し、空海の三教指帰と、明治期までの此の国の代表的百科事典であった和漢三才図会の一部(東洋文庫)を入手できたのは手柄であった…ついでにCP対称性について一般向けに紹介してくれる小林博士のブルーバックスと、結構古いアルゴリズム辞典も連れて帰り…本当は最新の数学雑誌を入手したかったがうまく見つけられず…実務でプログラマーを目指す訳ではないのでアルゴリズムの思想的評論を読みたいと思っていたが実際本屋で手に取って選ぶと、あれこれと社会的文脈の中で頭よさげにかっこよく論じたものよりも、具体的なアルゴリズムの事例に直接触れる方が得るものが多いと感じた次第…最近は大学初等の線形代数を漫然とやり直しているが…練習問題を解く能力はとっくに喪失しているが数式や定理の字面を追うだけでも、量子力学やヒルベルト計画~ゲーデルの不完全性定理の概要がおぼろげながらに分かるような気がしてくる…贔屓のカレー屋で定番のチキンカレーを食すひととき…相変わらずのボリュームと、盤石なるルーの堅固な仕上がりに満足…事に乗じてDVDなども借りさえしており…深更、先週亡くなった谷口ジロー氏を偲びつつドラマの孤独のグルメをDVD鑑賞する至福のひととき…ゴロウの舌にかなう誠実な居酒屋での脇役として昼間から酒をたしなむ石倉三郎が刺身を付けていた醤油皿が小生所持の物と同一だったので僥倖驚愕…もう一枚借りた、新海監督の過去の作品、雲のむこう、約束の場所も夜更けまでワイン痛飲しながら鑑賞…高畑監督、宮崎監督、庵野監督らとはまた全く異なった激しい作家性が一貫している稀有なアニメーション監督の誕生を言祝ぎたい…君の名はについてはいくつか云いたいことはあるがそこに目をつぶっても肯定すべき強烈な作家性を発露できているのは確かな事だし、其れは諸手を挙げて言祝ぐに値するものであった…どこか気持ちがやきもきしているのは詰まらぬ町内会の小問題を引きずっているからで…年度で最も重要な総会の出欠表の回覧板を大分以前に回したはずだがまだ戻って来ず、しかも其れより後に回した、通販や健康ウォーク絡みのどうでもよい回覧板は速攻できちんと回覧されて戻って来たのだから、出欠表が戻って来ないのは何らかの異常事態が班内で惹起せられていると考えるのが自然であり、解決のための対応行動を取らなければならない必要性を前にして俄然億劫なのであった…来週末には家一軒ずつ回って回覧板の在り処を突き止めねば会長への提出期限に間に合わない、と云う…めんどくささが

胸中なりやまぬ歌心にまかせて野点未遂を失望連吟…

枯草や砂にうもれて頼茂敷

枯草や雪にうもれて頼茂敷

さだめなき砂にうごかず枯尾花

さだめなき雪にうごかず枯尾花

砂原や波太ふして雪布団

砂浜や雪にうもれて海深し

雪ぬけて青空みたり湖山池

雪の海に茶の湯おぼれじ湖山池

特急で雪につっこむ茶の湯かな

特急で雪についえる茶の湯かな春きたるのち砂に野たてよ

拍手[2回]

今週休載

故あって今週休載…次回は2/19です。三島の金閣寺を読んでいると本当に鼻血が出て吃驚した。

拍手[0回]

様々なる不調…

アメリカの移民難民制限について日本がとやかく云う筋合いはないだろう…日本は欧米以上に事実上制限を設けているのだから…とは云え十把一絡げに特定の国籍で以て外国人の入国制限すると云うのは個人や法人の様々な事情を一切無視した、人権に対する冒涜ではあるが…事此処に至った以上は日本は経済はある程度捨てても日米安保維持が為されるのであれば僥倖と思うべきであろう…ひとまず国防長官から現状維持の言質を取ったのは大きい成果であるに違いないが(去年の安保法制が一応布石として効いているのだろう…何が何でもあの時期に安保法制を成立させた自民党の卓見だけは称賛すに値する…)、そんなものはトランプの気まぐれで如何様にも反故にされる可能性は払拭しきれぬのであって…トランプの真意云々と騒いでいても此のファシストはその時思った事をポンポン口に出しているだけで、徒に真意云々と用心深く深読みしていると無暗に振り回されるだけで足元を救われるだけだろう…此のファシストに真意や裏はほぼ無いと見ていい、思っている事を公言して即実行する、其れを妨げる者は抵抗勢力=反民主主義として断罪さえすれば事が成就するのだから…バクーニンが云うように民主主義的に承認された専制は歯止めが効かない…其れがファシストの非凡たる故で凡人が凡人故にいらぬ深読みして憶するが故の凡人が翻弄される所以である…トランプが大統領に就任したらある程度まともになるだろうなどと無根拠な臆見を述べた連中の愚昧ぶりたるや…ファシストと云うのはいつの時代でも有言実行なのは分かり切った事だろうが…ファシストは自分がやりたい事はいつだって明言し、書物に著して何一つ公に隠す事無く、一般常識や良識に囚われない暴言に民衆があらぬ憶測を掛けて惑わされつつ無根拠の楽観視で自らを安心させる自己満足に閉じ籠る内にファシストが権力を握れば有言実行するのが常なのだから…此れを食い止めるにはファシストの言葉の意味をありのまま率直に受け止めて選挙で落とすしかないのだがまた繰り言を述べても詮無い…取り敢えず日米安保維持の言質が取れた背景を深読みすると…アメリカ軍部官僚の立場は、在日米軍撤退は彼らの御役所的権益縮小(使える予算縮小)を意味するので東アジアでの現状の軍事バランス維持を支持する一方、今の処国内情勢の対応に頭が一杯なトランプからすれば東アジアに関して、自分が任命したばかりの武官の意見の揚げ足取りするのも億劫なので取り敢えず武官の意見を尊重しておいた、といった浅すぎる現実、信頼も誠実も期待できない浅はかな現実が実情であろう…従って、元元東アジア情勢に興味のないトランプからすれば中国との取引次第で幾らでも日米安保を反故にするのに何の躊躇も無いと考えておいた方がよい…スタップ細胞とか佐村河内&新垣氏で騒いでいたあの頃が懐かしい…来週末はよりによって大雪か…そんな事だろうと思っていたが…首尾よくいくだろうか…何かしらんが力士の髷結をさせられる夢にうなされ…30年以上使用しているが全く壊れる気配を見せない日立の掃除機の絶望的な重さに耐え兼ねて…シャープの最新モデルの軽量コードレス掃除機ラクティブエアを清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ってみたが…誠に使い勝手がよく痒い処に届いていて…シャープもなかなかいい製品を作るじゃないか。

拍手[0回]

忍者ツールズプロフィールは終了しました

HN:
々々
性別:
非公開

04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ロック史最新記事

(03/03)

ブログ内検索

最新トラックバック

忍者アナライズ

Copyright ©  -- 仄々斎不吉 --  All Rights Reserved

Design by 好評ゼロ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]