ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「peter ivers/terminal love(1974)wou2804」 2010年8月22日 一二三
まず激マズ寿司に直行。またしても不味かった。一体何時間廻っているのだろう、カツオの握りのネタが、乾燥してシャチホコのように、というと誇張だが兎も角反り返っている有様…。
あんなに楽しくも充溢したお盆休みが終り。今日まで休みなのに、明日から仕事、という現実が理解できない、途方もなく受け入れ難い吐き気のような気持ちであった。朝、目覚まし時計に起されてすごすご出勤するのと、同じく朝、特高の任意の呼び出しに応じて出頭するのと、どうちがうのだろうか…と思うが、よく考えると全く違う…。思えば休み期間中の弛緩した時間では、さしたる重要な読書は出来なかった気がする…昔からそうだ…学生の頃、試験前になると強烈に己のための読書をしたくなり、すると、熱烈な思想体験するのだった…こたびの休みの終わりには、日本プロレタリア文学集(全40巻)の第一回配本 初期プロレタリア文学集(新日本出版社)と、ドイツ神秘主義叢書 ゾイゼの生涯(創文社)が、夜明けまでの切羽詰った短時間で即効性を発揮してくれた…この即効性は、専ら小生の生活状況如何によるものと推測する。
甲子園、小生が思わずほくそ笑んだのは、鹿児島実業(鹿児島) 対 九州学院(熊本)であった。九州学院勝利の報に、思わず、西南の役の、越すに越されぬ田原坂(たばるざか)、という俗謡を思い出す…鹿児島は熊本には勝てないのだ…という根拠のない妄執…。
年端もいかぬ高校生の所業だからいちいち目くじら立てることでもないと思いつつ、怒りが勃発。所さんの笑ってこらえて、というテレヴィ番組で、高校の吹奏楽部が大会出場するレギュラーを廻って汗と涙頑張る、といった感じだった。(ダーツの旅はよい…)部員数が、大会に出場できる既定の人数より多いため、予め部内で、出場者(レギュラー)を決めるテストをするというのだ。顧問の教師が、誰が演奏しているか分からぬよう生徒に対する思い込みが評価に混じらぬよう壁を隔てて生徒に演奏させ、聴いて判断するという趣向。選ばれた者がレギュラー、選ばれなかった者が補欠、と規定され、選ばれなかった者が泣く、ということ。頑迷固陋な教師の、有体に言えば頭の悪い、ある許容範囲の美意識などこの際どうでもよい。問題なのは、既に吹奏楽部の者らが、こうした、自分の頭で再考されたことが多数決的に殆どないがために流通した、ある厳然たる収まり具合あるいは美意識に対して、既に、揃いも揃って盲従する惨めをさらしているということ…そのことは、レギュラーになれなかったからといって泣くトランペット担当の部員の愚が証明している…あの部員は文字通り図らずも、かような承認済みの、人間製の美意識(作品性)の増強に加担する役割を担ったのであった。
音楽に、レギュラーも補欠もあるか。なんとなれば、大会本番でなくとも練習でもよい、選別されたレギュラーどもが安心して、大衆にとって無害安全な楽曲を小奇麗に奏している最中、己のトランペットを、例えばブギャギュギュブワワブツツブギョギョインブグワアといった獰猛な音を吹きまくればよいではないか、しかしこれを実行するのは多少勇気がいるだろうが、せめて、これぐらいの反骨を思いつくことが出来れば、補欠の烙印押されたからといって泣くことはないだろう、泣いたという事は、従って、ブギャギュギュブワワブツツブギョギョインブグワアといった手に付けられぬ獰猛な音を、レギュラーたちの乙に澄まして統制された演奏をバックに無茶苦茶に吹き鳴らせば愉快な音楽になるに違いない、という芸の知が働かなかった証拠なのである、あの、補欠部員は…。この意味で、この補欠部員は、まさに音楽という芸道に照らせば真の意味で、補欠なのであった。あるいは、いずれ誠の音楽を本番する可能性があるという意味でも補欠であった。レギュラーどもは、教師に承認されたがゆえに音楽的に何の価値も無い奴隷である。
いまだ、悪趣味とは何か、系譜とは何かつまびらかにはせぬが、ともかく見切り発車で既成事実を飛び火させるべく悪趣味の系譜編。ピーター・アイバースという殿方。珍妙。アメリカ、1974年作。男声か女声かも判然せぬ、情けなくもおおっぴらに調子を外すのを厭わぬ声を気ままに、噎せるブルースをピンピン鋭利にエフェクトさせながらもアシッドフォークの、黒く静かな野獣の底なしの口腔に覗かれる、間が悪くだらだら間延びした暗闇。小動物が姑息にタガを外して工夫の効いた小さな音が控え目に逃げ出す苦み走り。ひよひよした自由。聴きながら車を運転していると、暑熱で少し頭がやられていたのもあるが、この愚駄愚駄リズムのアシッドミュージックのおかげで自律神経中枢がおかしくなったのか、2回も出会い頭で事故しそうになった、生き急ぎたくないけれども危うい音。
peter ivers :vocals & harmonica
buell neidlinger :bass & string bass
paul lenart :guitar
alice de buhr :drums
marty krystall :saxophone
kathy appleby :violin
sherlie matthews, marti mccall, lisa roberts, andra willis, jackie ward, dean rod :background vocals
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