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「incapacitants/new movements in cmpd(1996)arcd-092」
岡部 喜代子
横田 尤孝
白木 勇
大谷 剛彦
以上、四名、此度の衆議院選挙と合わせて実施される最高裁判所裁判官の国民審査で小生が即刻やめさせるべきとして×印をつけた裁判官(判事?)である。情報源幾つかあるだろうがやはり各家庭に届けられる選挙公報を読んで決めるのが筋だろうと思い、小生にとっては衆院選より肝心である国民審査に臨んで、きっちり読もうとするも、司法家の文章と云うのは事件の機微に分け入るためなのか帰結が分かりづらい…各裁判官の判決事例を読む…決め手は、地方公務員の一種たる学校の教師に日の丸への尊崇と君が代斉唱を義務付ける業務規定が、上位の法である憲法十九条(思想、良心の自由)に反しないか否かの裁判で、憲法と矛盾せずとの判決を下した裁判官である。法学上の解釈の分かれは承知しているが小生は基本的人権の天賦説を擁護する立場である。憲法の根幹にして基盤をなす基本的人権は法によって保証されるものではなく犯すべからざる尊厳であって、法によって明文化されているのだから法改正すればなくせる類のものではない…義務によって補完される必然の無い、無償の権利である…公務員だから国家の公僕だから君が代斉唱しろ、それが嫌なら公務員やめればいい、という論調は、日本国民だから君が代斉唱しろ、それが嫌なら日本人をやめろ、非国民がっ、という極め付けに雪崩れ込むのはいつでもたやすいことであるし、同義の事を云っているのである…安倍、石原、橋本…言語道断である。いつの時代にもいるが口だけで煽り立てて自分では何もせぬ連中…徳富蘇峰か…国民の生命財産の保護を目的とした国家が(本当はそれも嘘っぱちだが…)国益、国防を具に国民に犠牲を要求する…そうした矛盾が、きれい事ではすまぬ国際情勢だというならば…徴兵制も構わぬ…ただし、有事の際にはまず一般国民を招集する前に、天皇家全員、国会議員およびその親族、行政省庁の管理職およびその親族の全ての親族、警察、司法関係全員とその親族が一兵卒として二等兵として戦争の最前線に立つ、老若男女関係なく、そして有事の戦術的指揮系統を任されるであろう自衛隊およびその親族は即刻全員自殺するか、石打の刑に処されるという法律を成立させるならば、徴兵制も構わぬ、ただし小生は命かけて忌避する。日本国家、国土、文化文物全て滅びてもよい、この国の累々たる文化や言語は小生一人で立派に暴発させてやる、それくらいの気概で日々、怠惰に、精進している…自民大勝の悪夢が、明日、正夢になるのか…とりあえず、古本屋で、「安心のファシズム-支配されたがる人びと-」という岩波新書を購入。あと、メキシコ革命の本と、世界の名著「ブルクハルト」「ヴォルテール、ディドロ、ダランベール」(←フランス革命の思想的背景の研究のため…今更)。さらに、辺見京子の句集「黒薩摩」。インパクトあり過ぎの題、手に取らざるを得ない…ななめ読みでも濃厚かつ静かで熱い句が多いが、じっくり鑑賞したい。
先週の非常階段は耳に心地よい、重低音の建造物破砕系のスクラップジャンクノイズであったが、インキャパシタンツのこのアルバムは物理的に器官としての耳を痛ませる、金属とガラスの尖端が過度に嫌な感じに擦れ合う、痛い超高音の電流を接続してくる…目は覚める事請け合い…埋没する絶叫も無意味に電化されて、内面の無い、ただ騒がしいだけの叫びの化す…ちょっと慣れてきた…高速の風切り音…電子の光速…細かすぎて平坦…暮れになると訃報が多い…小沢昭一監修の日本の放浪芸のビデオを昔大学で見た事あり…欄干の無い橋を一人渡る、仕事道具をつめた木箱を背負う菅笠姿の放浪芸人の遠隔ショットの荒涼としながら暖かいフィルムの味わいが忘れられない…何とか自分で入手せねば。軽率、という言葉が気になる。
ままならぬ事のみ盛ん年の暮れ
来るべき「荒み」雑誌創刊にむけての荒み事例の収集というテーマもあったが、ほとんど下劣紙一重の事例を見つけた。尼崎事件で拘留中に自殺した首謀者格の女性の正面写真並みに飯が不味くなること必至⇒ 「ブ活」
t.mikawa
f.kosakai
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