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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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「captain beefheart & his magic band/trout mask replica(1969)wpcp-5738」 2009年9月27日 後添え


 国連総会、リビアの独裁者ガダフィ大佐のファッション、かっこよかったですね。髪型が、チェ・ゲバラに似ているし。遊牧民の矜持とばかりに、ニューヨークの公園に宿泊用テントを設置して、当局に撤去されたり。痛烈な米国、国連批判したとのことだが、その言葉がテレヴィで放送されることはなかった。パフォーマンスの部分だけが殊更取り上げられて。後でネットで調べてみればよいのだろう。
 情報に疎いばかりか、情報を得るのが苦手、ひいてはインターネットでも検索下手な小生である。学生の頃、配属された研究室で、そういえば、小生以外の学生らが、インターネットのサイトに絡むことで、大いに面白がっていた事、そして小生にはそれが何のことか分からず、且つ何のことかたずねるほど仲がよいわけでもないので、さして気にもしなかったが、取り残された感があった。なにやら、学生らが各自で独力で、そのサイトの文面を見つけ、そして口頭で、互いがそれについて知っている事を確認した上で、更に面白がって盛り上がっている様子なのだ。断片的ではあるが盗み聴くと、どうも、吉野家の牛丼で、ツユダクにしてくれ、と頼む客を揶揄する内容のようであった。それだけでは、何が面白いのか、いまだに分からない。「誰か、誰か教えてください。」
 勝手な、ひねこびた妄想かも知れぬが、人々は、インターネットで独自に面白いサイトを見つけて楽しんでいるのではないか、と疑っている。小生は、出会うサイトのどれもがつまらなく思え、結局、自分の書いたページばかり見ている絶望的状況にある。一度、面白いサイト、と入力して検索したが、どれもこれも下らなかった。そこで、情報上手のように思える久々に会った友人に教えを乞い、幾つか教えてもらった。酔っていたので殆ど忘れたのだが、リスナー何とか、というのだけ覚えていた。そこで帰って早速、リスナー、と入力検索するも、天文学的数のサイトが出てくる。海の中で針を探すようなものだが、その中から、スーパーリスナークラブというのに出会った。これが、友人が教えてくれたサイトのような気がするし、そうでないかもしれない不安があるがどうしようもない。見てみると、なるほど、こういった荒みかたがあるのだな、と感服する箇所もあった。全体的には、ポップスやらプログレやらの様々な情報を手際よく並べる感じで、そのへんに居る永久機関のような元気を嗅ぎ付け、小生の苦手なタイプではあるが、漫画ゴラクとかアクションとか、柳沢きみお先生(「翔んだカップル」とか)の最近の欲望系漫画に入れ込む様を読んで、小生の心の荒みようはまだまだなのかもしれない、と思った。モーニングとか、漫☆画太郎先生を読んでるくらいでは、まだまだ救われているのかもしれない、漫画ゴラクとかを、自分のものとしてきっちり読むようになって、新しい心の荒廃のステップが開かれるのかもしれない。しかし、そんなところ、行きたくない。
 音楽関係のサイトにろくなものが無いのは承知しているが、小生がなじむ数少ないサイトの一つとして、JOJO広重氏の「こころの歌・最後の歌」がある。共感、などといった行動の様式を拒否する内容であるが、やはり共感できるし、紹介されている音楽を全て聴いているわけではないのでそこのところは何ともいえぬが、音楽に対する姿勢、聴き方には信頼に足るものがある。

 牛心隊長と彼の魔法楽団、と呼ぶことにする、1969年、アメリカ。もう、この音楽の一般的な位置付けや影響の系譜を述べたりして一般論で消化する意味はないだろう。そんな事に煩わされている場合ではない。専ら、自分の身体の一部として書きたい、そういう態度でしか望まれぬ音楽である。
 キツめの漫画(画太郎)やキツめの小説(嵐が丘、アミナダブ…)、キツめの詩(黒田喜夫、藤原定家…)キツめの侘び、キツめの謡曲、キツめの絵画(ドイツ表現主義、社会派、メキシコ壁画運動、蘇我蕭白、河鍋暁斎)そして何よりもキツめの音楽でしか癒されない。しまいには笑い出したくなるほど、無意味に追い詰められている。寧ろ、自分で自分を追い込んでいる。小生の場合ここで言う癒しとは励まし、と同義であるが、兎も角そういったキツめの芸を日々渇望、摂取する事でしか生きていけない、切実に荒廃した心。もっとキツめなのはないか、もっと、もっと、と飢える毎日。こういったものって、オーバードーズ(過剰摂取)とかあるのだろうか、ドラッグではないのだから、無い、と思って日々摂取に励んでいるが、本当はあるのかもしれない、そうだとしたら、もう、とっくに手遅れだろう、廃人だろう。社会社の空気を敏感に察知しながら処世する泡沫の日々、パソコンと机と人が整然する綺麗な空間や自然のような設備に追いまくられる労働者が居る空間で、途方もなく汚ない絶叫を上げ続けたらどうだろう。それこそキャプテン・ビーフハートのような。こんな妄想は、誰しもが内心思う蟠りであり我慢である習慣のような常態であるが、それをしてしまうという個人の発生は、誰もがしてしまってもおかしくない内的状況なのだから、内的な動機では説明つかない。こんな純然たる結果によって全ては変わる、そんな妄想に取り付かれる。特殊な外的要因などもありはしない日常なのだから、もうこれは結果でしかないのだ。絶叫するかしないか、という結果がすべて。こうしたありきたりな紙一重の毎日の中で、出社のため車中で、卑しくも癒されるために10年ぶりにかけた(賭けた)のが、牛心隊長の音楽なのであった。
 何もかもが分かった。隊長が、何をしようとしてこうなったのか、一声一打一弦の機微が、徹底的に分かりだす怒涛に苛まれ、朝っぱらから車という個室で一人、涙腺が熱く緩む。赤ん坊だったらこんな時大声で泣くのだろうか、赤ん坊が、牛心の音楽を心底理解して泣く、なんて事があるのか分からない、いや、あるような気もする、そんな事思いながら、いい大人なので堪えるのに必死で、仕事どころではない馬鹿馬鹿しさ。いったい、今まで隊長の何を聴いてきたのか。自責の念が厳しく強まる。
 率直極まりない、あまりに身近すぎてかえって分かりにくくなっていたが、一つの事実を、繰り返すが愚直に素直に、真っ当な方法で、隊長は示していた。
 ブルース=リフ
 ブルースとはリフである。リフとはブルースである。これがロックの肝心である。これを元手にロックすることがロックの、在り来たりな王道といえる。この事を何よりも理解し、実作し事実していたのが、牛心隊長であったといっても過言ではない。ジャズやブルースやR&Bをひたすら聴く、兎に角聴き込む事。隊長は、ハイスクール時代から、友人ザッパと共に黒人音楽のレコードをひたすら聴きまくっていたという。ロック創生期にあっては当たり前かもしれないが、ガセネタかもしれないし小生の妄想かも知れぬが、ザッパはブルースやR&Bのレコードだけで10万枚のレコードを倉庫で所持していたという。聴き込むとはこれくらいの数を言うのであり、当然ながら隊長も共にこれくらい聴いたはずである。そして本当は彫刻したかったが自分でも小銭稼ぎのため、ただのブルースではない、ロックをし出した時、至極真っ当な音楽を繰り出し始めた。それがミラーマンやトラウト・マスク・レプリカである。
 聴いてみるとよい、誰でも分かるだろう、彼の楽曲は、殆ど、リフだけで出来ている。この、ブルースへのある種過剰な忠実が、どれほど獰猛であることか。そしてこの事がロックに直結する。メロディとかサビ、などといったものは一切無い。あっさりと、牛心は、ポップスとロックの峻別をやってのけた。単純な話だ。メロディとかサビといった統制的なものにおもねる公共事業がポップスであり、アメリカ大陸における白人土俗という欺瞞(※詳細は過去のプロ愚小文を参照されたし)という恥の思いに苛まれながら役立たずの頓狂へと煽るのがリフである。けだしロックすべし、と、音でそそのかす牛心。ブルース起源のリフではあるが逸脱してしまうロック創始者にあっては、自ずとタガの外れたリズムへとさまようだろう。素手で、ガッと土から掘り出したような、ぶっきら棒な、しかし簡素なリフは、もう、ブルースという親の顔忘れた不孝者、即ちロックでしかありえない白人キチガイの、荒んだ、大谷吉継やらい病のように崩れた、揺れ揺れリフである。
 ブルースやビ・バップ、フリージャズのケダモノ性を、心ある白人が聞き込めば、自ずと醸造される音楽なのではないのか。これ即ち、過去に何度も書いたが、ブルースによるブルースのプログレッシブ化であり、ガレージと未可分の、ハードロックのあるべき姿であり、ロックの王道であった。ようは、当たり前のことをやっているだけである。風変わりな人が聞く高尚な音楽でもなければ人を驚かすスノッブな音楽でもなんでもない。凡庸こそが異端とレッテルされる、ままならぬ、唾棄すべき世である。以前、ガレージとサイケの両輪に跨るハードロック、という表現をしたが、何だか、牛心にあっては、もう、サイケという概念すら必要ないように思える。ある意味、ビーフハートの獰猛野生原初ロックの消化酵素として、ザッパが発明したのが、サイケデリアだったと言える。そういう意味では、矢張り、ザッパ的なるものをサイケ起源とした過去の論考と辻褄が合うだろう。(無論、ジェファーソンエアプレインやラブサイケデリコ、スーパーフライなどといった産業サイケは論外)
 それにしても、個人的な信念に基づいて、生活のための訓練を拒絶しながらもがっつり生きてきた、めしいの、つんぼの、片ちんばの、いざりの、せむしの、薄弱の方々が、音楽の何たるかが分からぬ制度に安住した腐った健常者から王権奪取したかのようなこの音楽には、チンドン屋や、かつての農村青年団(今は高齢者)が結成したジンタのような、素朴で他愛無いおかしみもあるし、祈りとも呪詛ともつかぬ、大地が割れて叫びだすような牛心のがなり声は、あの、オオカミウオのような顔したジョン・ケージが吠えたらこうなるのだろうと思わせる、野獣の声であり、癒される、励まされる。噛み付いたら決して離れぬしつこい凶暴である。
 そして、牛心の、凡庸にも思えるほど当たり前の事をやっている素直な、真っ当な王道ロック=ハードロックは、またしても、継承されず、系譜ならざる点在する系譜として、飛び石の一つとなった。しかも、とびきりの巨星として、今も燦然と一つ、輝く。この飛び石を布石に変える次代のロックを待ち侘びながら。
 (関係ないが、最近は、人間よりも動物が気になる年頃である。これは特に新しい視点ではない。確か、ベンヤミンかアドルノのどちらかが、今後は動物と子供が重要云々、と言っていた。東浩紀の「動物化するポストモダン」とか読まなければいけないのだろうか。もう、隣の芝生など見たくも無い、という閉鎖的な気持ちに、自ら鬱屈する。)

zoot horn rollo:glass finger guitar, flute
antennae jimmy semens:steel appendage guitar
captain beefheart:bass clarinet, tenor sax, soprano sax, vocal
the mascara snake:bass clarinet & vocal
rockette morton:bass & narration
drumbo:drums

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