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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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春の陽気…

ぽかぽかした陽気に誘われて焼き芋を買いに行く散歩道…一際濃い香りを辺りに漂わせていた蝋梅の花は終わりかけ、路地植えの梅は今が盛りと薫風もさやかに、木蓮の綿帽子も一層膨らみを増す…五輪組織委会長の顛末…会長森は珍しく自らの言動に対して直接非を認めて謝罪したにも関わらず赦されず、しかし女性である新会長橋本は過去のセクハラ疑惑に反省の弁を述べれば不問に付されると云う、社会的扱いに対する差別は公的な男性差別のような気もするし、しかも此の傾向は日本国内だけでなく、国際社会と呼ばれる一部欧米にも共通する差別はいかがなものか…仮に男性候補者にセクハラ疑惑があれば会長就任はなかった事が蓋然的に言明できるから、男性差別の露呈と云わざるを得ない…普段は男性による女性へのセクハラを一刀両断に糾弾する野党の女性議員もなぜか新会長橋本の過去に関してはだんまりを決め込む露骨な男性差別ぶりである…自分の意識に都合のいい時だけ民主主義や人権を振り立てて相手を弾劾するくせに都合が悪いとひっこめるご都合民主主義だから、野党のリベラル意識が見透かされて馬鹿にされるのだが、野党が嘲笑されるだけならまだしも、其れによって民主主義自体が思想的に毀損されるから、リベラル派のご都合民主主義は保守派による民主主義への攻撃よりたちが悪いからいい加減にしろと云いたくなる。ただし森氏個人に対しては、過去の政治的思想の吐露において民主国家を否定する言辞を弄して憚らぬし、其の事についても、世間を騒がせた事については誤ったが発言内容自体を謝罪撤回した訳ではないから此度の失脚は遅きに失したと思っている。
加えて自分が気になるのが、昨今のコロナによる女性自殺者の増加を問題視する報道…其れ自体は確かに問題だから注目して対策を講じるべきと思うが、此の報道に際してしれっと巧みに男性自殺者のデータを削除して女性自殺者の推移グラフだけを見せるやり方に明らかに男性の命を女性よりも軽視しているとしか考えられない男性差別がメディアを中心に蔓延っている…なぜなら、男性自殺者はどの年でも基本的に女性自殺者よりも圧倒的に多いのが現状だからだ。男女両方の自殺者推移グラフを見せれば、明らかに男性の方が自殺者が多いのだから、基本的には両性共に自殺者を問題視すべきと云えども、此の明らかな性別による結果の差は、男性特有の問題に着目せざるを得ない事を開示するだろう。男性自殺者のデータをわざわざ隠すのは、女性自殺者のみを問題視したいと云う恣意的意図の現れであって、其の根底には、男性の命を女性よりも価値が低いとみなしている男性差別意識が、多様性だの男女平等だのを謳うメディアの偽善があると云う解釈が成り立つ。仮に女性自殺者が男性よりも毎年圧倒的に多い推移グラフであったならマスコミは、日本社会は女性の命を軽視しているとしてとっくに問題視して取り上げていただろうに、現実は逆で、男性自殺者が毎年圧倒的に多いが、しかし自殺者自体が問題になっても、男性自殺者が女性自殺者よりも多いと云う視点から問題視される事がないのは、メディアの男性差別を浮き彫りにする。こうした女尊男卑の考えは実は男尊女卑と表裏一体をなすのがジェンダー論の一般論だろうに…そうした洞察を欠いて漠然と世に蔓延る特異的な女尊男卑の風潮に流されて男女平等と云う理論を貫き通せないからリベラルを謳うメディアは偽善者として虚仮にされるのがまだ分からないのだろうか。実際、男尊女卑社会で特権を享受する男性はごく少数であり、他の大部分の男性は特権もなく奴隷のように酷使されて一生を終わる…其の最たる状況が戦争であり、国家主義に内蔵された男尊女卑は女尊男卑と相まって男性を戦場に駆り立てて死屍累々となった惨い死を遂げさせられた…当然、男尊女卑社会では全ての女性が卑しめられたわけでもなく特権を享受する女性もごく少数いただろう…要は差別社会において性差は見かけに過ぎず、人間自体が差別されるから、帰着すべきは人権と云う事にはなる…
 女性差別をなくそうとするメディアの単眼的問題意識が男性差別を助長しメディアの正当性を無自覚に自ら毀損している事は、トランプ現象と同じ構造だろう。マイノリティ差別をなくそうとする単眼的政策の結果、マイノリティ差別社会においても基本的に特権を享受していなかった大部分の白人層を更に公的に差別する形で不利益を押し付けた結果不満を爆発させたのが、メディアの正当性に嚙み付いたトランプ現象なのだから。男尊女卑の中で長い間男性は特権を享受してきたのだから、男女平等の過渡期である今、女尊男卑の傾向を男性は我慢すべきとの言説も平気で蔓延るが、先述のように男尊女卑の世で特権を享受した男性は少数で、しかもそうした特権を享受した者は今や現役世代を退いた老人たちであり、大部分の現役世代の男性は男女平等社会の下で男性の特権を享受しないまま女尊男卑の不利益や差別の我慢を強いられるのだから、先の言説は現実を見ない不当な抑圧に加担しており人権思想からすれば誤りである。
女性差別の残滓は解消すべきだが、其の一方で、自分で選んで男性として生まれた訳でもなくたまたま男性である事を理由に不当な差別を受けているが、其の事に異議を訴えようものなら男のくせにと云った言説で抑圧を忍耐と云う美談で糊塗されて社会的に異議申し立てを抹殺されるのであれば今や男性は社会的弱者である。差別構造と云うのは、そもそも、異議を訴える事自体が反道徳的価値観として内面に組み込まれて差別を受領させられる意識にあったし、此れはかつて蔓延った女性差別やカースト制、儒教的分限意識の基本であろう…そうであれば社会による内的な差別意識の植え付けを「言い訳」にせず、かつての部落解放運動や女性差別解放運動の闘士の方々のように、不当な抑圧に悩む男性も、自らが社会的弱者である事にひるまず訴えるしかないのだろう…ただし、社会から弱者であると措定されて差別されてきた被差別部落や女性一般であれば社会的弱者としての現実と自己意識が合致して差別に抗する意識が生まれやすいのかもしれないが…男性の場合、社会から強者であると措定されながらも、そして強者と措定される事自体によって、差別に裏打ちされたプライドを醸成されながら其の命が軽んじられ不利益と我慢を強いられてきた歴史があるから、簡単に自らを社会的弱者と位置付けるメンタリティに至る事が難しいと云う特有の問題があるのだろう…此れも件の「言い訳」と云われればそれまでだが…かつて、女性差別に反対する女性の敵が男性だけでなく大部分の女性であったように、男性差別に反対する男性の敵が女性だけでなく大部分の男性であるはずだから、問題は根深い…その辺の方策は最新のジェンダー論が戦略的に取り扱っているはずだし、そうでないならジェンダー論自体が女尊男卑に囚われただけでなく同時に男尊女卑からも脱却できないお粗末な理論であったと云う事になる。
かつてNHKで、少子高齢化で行き詰った日本社会の活路を人工知能AIに聞くと云うNHKスペシャルがあって…スタジオの論者たちは、女性活躍だの男女平等だの子育て世代への支援だのと云ったよくある意見を垂れ流していたが…AIは、「40代~50代の独身男性」にこそ着目して対策すべき、と云う結論を出してスタジオを唖然とさせていたと記憶する…結局番組では、AIは人間には思いつかない結論に行き着く事がある、と云う事でAIの結論を無視して、何事もなかったかのように女性に着目した議論に戻っていたが、この辺りも女尊男卑の傾向が露呈していたと記憶する…おそらくAIの見解は正しいと思われる…なぜなら、此の年代の独身男性は恐らく其の多くが非正規雇用で奴隷のように搾取されながらこき使われては文句も云えず、文句を云う権利さえも社会的に否定された状態で社会に使い捨てにされがちだから女性からも相手にされず結婚も望めない状況を社会が見て見ぬふりして放置しているのが、少子高齢化の大きな要因であるのは間違いないからだ。自死に追いやられる男性が女性より多い原因は、男性自殺者が女性の其れよりも多い事実や件の年代の男性の不遇がメディアと共に社会に無視される事からうかがえる、男性差別が内面化した日本社会、あるいは国際社会(!)とやらの意識構造にある。此れが解決しない限り、女性差別の真の解決も遠いだろう。
少なくともリベラルを気取るメディアは、たかだか欧米を国際社会と同致して無条件に正当化しながら彼らのご都合民主主義(自分に都合のいい時や自分に関係ない時に限って民主主義を振りかざす)に踊らされずに、事実と論理に基づいて反論すべき時は反論する気骨を持ってもらいたいものだ。実際のところ、性差別の問題は労働問題や職業差別、ナショナリズムや生命至上主義と相互作用して解読は容易でない中、上記の議論も、其の全体像さえ素描できていないと自戒する。

次回は3月14日に発表します。

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次回予定

また書き忘れたので此処に追記…次回は2月21日に更新します。

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観梅茶会記

年末にホームセンターで、ビニル製の黒ポットに植えられる配慮さえも無用とばかりに土を抱えた根っこ剥き出しの状態で売られながらもまだ内に固く締まった蕾を幾つも付けていた白梅を購入…早速、以前ガジュマルを植えていたが野太くなり過ぎて別の鉢に植え替えたから空席となっていた萩焼の片口に植え付ける…一月下旬、目論見通り百花に先んじて開花し出したので観梅の茶会にいそしむ事にする…室内に持ち込むと、馥郁たる清楚な香りはどこまでも控えめで…温かみのある膨らみを孕みながら清新な筋が通っている其の香りは、温かさと寒さが平均化される事なくそれぞれの独立性がざっくり保たれたきめの粗い春の訪れの空気其のもの…



観梅茶会

日時 2021年1月24日(日)午後
場所 自宅
亭主 小生
客  細君
白梅 品種不明
鉢  萩 片口 櫛目波濤紋
水受 耐熱ガラス



涼炉  三脚、アルコールランプ
湯沸  コーヒードリップ用ケトル ステンレス製
菓子器 黄瀬戸風粉引片口 北海道
菓子  蕎麦ぼうろ 平和製菓 京都



茶  玉山塔塔加 台湾
急須 白磁
茶碗 赤絵、染付 永楽善五郎写
茶托 紅梅図彫刻 東山 刀 拭漆
盆  ビカクシダ図彫刻 東水 刀 拭漆

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予告

前の記事に書き忘れたが、次回は1月31日に更新します。

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年頭の徒然…

休日であればあるほど家の中でのんびりできない状況が続くため、今も睡眠不足による片頭痛を抱えながら執筆に集中できない…無策に愚策を重ねる日本の保守政権…其の愚劣ぶりは既に何度も書いて来た事で説明は付くので今更繰り返したくはないが…既に多くの識者から、コロナでの愚策ぶりと旧皇軍の愚策ぶりの酷似性は指摘されているし、実際、旧皇軍の愚策ぶりを史実と論理で網羅した「失敗の本質」と云うベストセラーを眺めれば否が応にも明らかだ…コロナに関する、最早悪意すら覚える安倍ー菅政権の魔術的な愚劣さの実例をいちいちあげつらえばきりがないが…其の一方で噴飯物なのは野党の無能なのんきぶりであり…与党が明らかな失政を重ねたのだから、この機に乗じて、野党は野党としてのコロナ対策を大々的に公表する事で政権の愚を根本的に暴露する事で次期衆院選への大きな布石とすべきものを…ひょっとしたら既に野党は独自対策を公表しているがメディアが黙殺しているのかもしれないが…政権の愚を逐次的に後から後からガミガミ非難していると国民から見られると、野党にありがちな代案なき批判のそしりは免れないだろうに…論理的かつ科学的かつ現実的かつ根本的なコロナ対策を野党が出すタイミングは去年の3月でも遅いくらいなのに、年が明けてもそうした姿が見えないのはどういうことか。猛省と早急なる行動を求める…コロナの事ばかり考えても気が滅入るので…細君が本を買いたいと云うので、自分もついでに漠然と課題として持っている本を買う事にする…今や自分にとって読書とは義務に過ぎず、趣味で楽しむ活動とは程遠くなってしまい、読んでない本や読まなければならない本が山積みだから、本の購入は重荷で億劫でしかないが…詩経か文選か楚辞などが古本屋であれば、と…文選の賦の全集があったので購入…日本語の何たるかが何も分かっていない小賢しいネットワーク主義者が、漢文の授業など何の意味があるのかなどとしたり顔でうそぶくが…はっきり言って漢語の概念の豊饒さと深奥とに比べれば日本語の意味のお粗末な簡易性が恥ずかしいくらいだ…本場でも簡体字が主流だから漢字の根源はだいぶ失われているだろうが…漢語が分からなければ日本語の真髄も分からない…無論、日本語にも漢語にはない、優れた構造があるものの…

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感動を新たに…

冬ってこんなに寒かったっけと云う思いとようやく冬らしい寒さが訪れたと云う思いが交錯しながら、やはり冬が寒いと身が引き締まってよいと感慨も新たに…冬に山間部に雪が降ってこそ日本の農業は豊作へと導かれるのだから…山の雪解け水の鮮烈な冷たさが懐かしく…自分の意識に、ビッグバンの宇宙背景放射のように余波を与えている感動は既に何度も書いたが主に二つ、一つは風立ちぬで、もう一つは2016年?の紅白歌合戦での宇多田ヒカルの花束を君にの歌唱であったが…日本国内で小賢しい演出や衣装、人気に浮かれた華美な状況に対して…遠くロンドンのスタジオから誠に簡素な装いで己の歌のみを届けた宇多田ヒカルに日本人の浅ましい虚飾はばっさり斬られた訳だが、斬られた事にも気づかない愚民ばかりだから現今の救いがたい政治状況を呈している事は兎も角として、さすがに何度も見たせいで記憶された感動は薄れつつある風立ちぬを補うようにして、私とは別の意識で宇多田ヒカルのCDが欲しいと云い始めた細君の提案に乗っかるようにして、それならば花束の歌が載ったものにしようと云う事で、あの感動から数年たった数か月前に購入したのが「ファントーム」であった。其の結果、畢生の名曲「花束を君に」も当然含めて殆どの楽曲が凄まじくよくて…一言で云えば、感動を禁じえなかった…完全に実存を身に付けたから、何を作っても感動を禁じえぬ完璧な仕上がりで、世界に対する生命の永劫回帰がむき出しで活動している芸術の真骨頂を、セールスでの成功に規定されたポップスでやり遂げる至難の技…無論、本人の並々ならぬ努力の賜物とは云え…今此の瞬間に存在しないかもしれないが存在しているが存在しないかもしれないが存在していると云う実存でしかない生き物、つまり死にゆくものでしかない生き物への、世界と生き物の側に立った深甚なる悲しみと慈しみ=慈悲が通底している…ファントームに収録されたアルバムの中の幾つかの佳曲を思い出すだに感動の滂沱の心涙がとめどなく…其れで、しかし、一方で数奇者でもある小生は、要するに、「ヒカルの実存をもそっとワシに聴かせろや」とでも云った、いぎたなくメタフィジカルな欲望を駆り立てられ…宇多田氏は完全に実存を身に付けたのだから絶対に次のアルバムもよいに決まってると踏んで、最新アルバム「初恋」も入手し聴取に及ぶと…これまた期待に違わずどころか圧倒的に上回るほど、感動を禁じえなかった。自分でもよく分からない涙が溢れる、と云う表現はよく聞くが、小生の場合は、自分で其の意味がよく分かっている涙が心に溢れるのであった…其れで、今度は、過去にエヴァンゲリオンの劇場版に宇多田氏が提供した楽曲が、映画の世界観とも相まって非常によかった事も思い出し、其の曲「ビューティフルワールド」を収録したアルバム「ハートステーション」もこの程入手したのであった。此のアルバムはファントームの前作にあたる。すると、此れも予想していた通り、はっきり云って論評に値しないレベルであり…宇多田氏が全然実存を身に付けていないがための、自己の限界に自らも辟易しているような迷作駄作…曲の展開も、アレンジも、歌詞も歌唱も皆、月並みなポップのレベルには達しているが、裏を返せば其の既定路線をなぞっているだけで、要するに何もかもおざなりの無思考に陥っている…意中の曲のビューティフルワールドは悪くはなかったが…凡百のポップ歌手と違って賢明な宇多田氏だからこそ自己の限界を痛感していたのだろう…ハートステーション発表後、所謂人間活動と称する活動休止期間に突入するのもむべなるかな。其の間に、常軌を逸しながらも自らを導いた母親藤圭子の自死や自身の再婚、出産と云う経験に立ちながら、当然、世界と音楽の実態を真摯に内省し続けたに違いない…生命の死と誕生を間近にする過酷な経験を通過した者が皆実存を覚醒する訳ではなく、斯様な過酷な体験をありふれたものにして実存から目を背けて愚かなままの者が大半なのだから、宇多田氏の不断の思想的努力があったればこそ覚醒したと云うべきだろう…其の結果、八年もの沈黙を破ってファントームを作成した実存過程が小生には手に取るように分かる…デビュー当初は其れなりに和製R&Bと云う事で画期的だったものの、其れ以降は自身が確立した歌い方に漫然と乗っかって歌う事しかしてこなかったのが、ファントーム以降、その都度楽曲ごとに真新しく完全に自分の足で立って歌を歌う事が出来ている…其れに伴い、必然的に実存を開示する詩的効果を天衣無縫の囚われなさに至った自由度の高い語彙と確信的に的確に実存を言い当てる言葉の選択が生き生きとした歌詞世界を披露するし、当然曲の方も、鮮烈な転調や展開をものともしない創意工夫が自然でさえあるし、アレンジも控えめさと大胆さがきめ細かく工夫されており…聞けば聞き程味わい深く…世界内存在に規定されながらも存在了解によって実存が隠蔽された現存在を生きている感じがする…要するに、国家と経済の原理が息詰まりを呈して困難を極める人間の現在を生きる事が肯定的でしかない生の謳歌、キラメキと、其の深い悲しみと…ハートステーションとファントームの差、つまり実存の獲得の有無で斯くも段違いによくなったのが、最新作初恋では更なる深化を遂げており…感動を禁じえなかった。強いて云えば宇多田氏に足りないのは笑い、ユーモアであろう…悲劇よりも喜劇の方が難しく、且つ闇自体が光る強度は強いものだと思う…光を見続ければ闇が見えるし、闇を見続ければ光が見える事については当然知悉しているだろう…だからこそ光と闇の認識論を超越した笑いに着目し、深刻の度合いを増した初恋の中で「こりゃなんだーコリアンダー」と云うオヤジギャグに打って出て見事にスベる寒々しさを提案したのも、宇多田氏が次なる活路を見出すためのもがきであったと思いたい。笑われるのではなく笑わせる真の女性芸人は其の困難故にいまだ居ない。話は変わるが…手塚先生の「アドルフに次ぐ」で特高から取り調べを受けるゾルゲが「私は国際共産主義者である」と告白するように小生も告白しよう、私は筋金入りのインテリゲンチャである、と。大衆の気持ちが分かるふりするために自らをインテリゲンチャであると規定する事に臆する典型的なインテリゲンチャの見え透いた欺瞞が通用するほど生ぬるい世の中ではないだろう…どう取り繕ったところで自分は一流ではないにしてもインテリゲンチャである事には変わりないのだから…まあ漫画のゾルゲみたいに泣くほどのことではないが…気持ちが分かったり分からなかったりする他者との関係が問われる社会との格闘から逃れられないのだから。

次回は1月10日です。

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紅葉への嗜好性の発露

元来、恐竜、仏像、紅葉の三点セットに積極的な興味を抱くことが出来ず、一般的に其れらはそれぞれにおいて人々から好まれる背景を擁するのだろう、確かにそれぞれは凄いのだろうとは理解できるが其れが自分の数奇心を否応なくそそるかと云うとてんで他人事としか思えない認識でいたが…なぜ此の三つがセットなのかは措くとして…けれども、今更ながら晩秋の樹木の紅葉の風情にそそられている自分を此のところ発見したのではあった。二週間ほど前…来るべき電気自動車の到来と表裏をなすガソリン車の末路を思っていっぱしに高速を転がしたくなり、仕方ないので紅葉の名所だとか云う山間のダム湖に出かけると…寒々しいほど晴れ上がった青空を背景に紅や黄に色づく山容が、べたながら美しく…油絵にでもしとうなる興が沸いた…同じ目的で来たらしいバイクのライダー連中やファミリー層、アベックなどを見るにつけ、此の人々は今私が深甚に己を創出しているほどの感動を自家薬籠中のものにしているのだろうか、などと云った傲慢な評価さえ内心に起こしたのであった…つい先ほどまでは其処にいた誰よりも紅葉への無理解無関心を託っていた男の、誰よりも浅薄な手のひら返しの心情の変化を顧みる事のないまでに…まるで、渋滞に巻き込まれた雄山が「馬鹿どもに車を与えるな」と中川に云うまでもなく独り言のように吐き捨てた時のような、自分も渋滞の一因になっているくせに他人の車による渋滞を許せぬ傲岸なる特権意識…そんな美意識の傲慢に遊びつつ…いつか描きたいとずっと思っている寿司の油絵の事をまたぼんやりと思ったりした。大トロ二貫が奥からぬっと突き出るような構図の、こってりした紅色を乗せた油絵…マグロだけでなく、鯛や海老、煮蛤、軍艦巻きなどのシリーズのフィナーレに、寿司桶にびっちり十人前くらい詰め込まれた寿司の油絵の大作に取り組みたい…しかし、其のための手始めのキャンパスを一枚買ってはいるものの白地のまま早20年は過ぎようとしている…

次回は12月20日です。

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秋晴れの朝

先週の土曜日は1000メートル級の山に登山…登山前に、山を見上げながら、最寄りの道の駅で売っていたおふくろ弁当で腹ごしらえ…握りこぶし大の天むす三つに唐揚げ、こんにゃくの煮しめなどの溢れんばかりの田舎風情のボリューム…そして風のない秋晴れの中、山道で登山者に寄り添う野生のリンドウの花…紺青の花は奥ゆかしくも野趣が落ち着くたたずまい…一面に白金色に渡るススキ野原を切り裂くようにして頂上に直結する山道は風化しつつある花崗岩が露呈して険しく、這うようにして登る…うっかり意識が呆然とすれば其のままひっくり返って数百メートル下まで転落するような、そんな道…何度も諦めかけながらむしろ諦めて下りる方のリスクが、其の急峻ゆえに懸念され最早登らざるを得ず…山をナめて靴底が平べったい靴だったから下りると滑落する危険が大きく…山頂へのアタックを決してついに登頂したらば…360度一面に広がる山波…遠くは山陰の風力発電群にその向こうの日本海まで遠望…しばし山上の至福を味わった後、帰りは、距離はあるが緩やかなコースで下山…親子熊の出没情報もあるクマザサの森を抜けるため、一応、枝で武装…思えば去年の月見茶会キャンプも、自分にとってエポックメイキングな人生の画期であったが…此度の登山経験も、自分の感性を刺激した重要な体験でした。

次回は11月29日です。

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潮時の兆し…

新たにツイッターを始めた事で、いよいよ此のブログの意義が薄れつつあり、去就が改めて問われつつある…今やチームの要である会沢を育てた石原の引退も思えば…自分にとって此のブログの役割は終息に向かいつつあるのは確かだ…とは云うものの、やはりツイッターだといちいち思考が細切れにされるから窮屈感は否めず…自堕落に垂れ流せる場所も其れなりに重宝するというもの…最近のファッション業界…特に女性もののほとんどが、肩口がだらしなく落ちたものばかりが席巻しているのはどうした事か…なで肩の華奢な女性がああいうものを着ると愛らしく見えるから流行っているのだろうが…全ての女性がなで肩ないしは肩幅がさほど広くない訳ではなく、中には肩幅の張った女性もいて、そういう女性がああいうものを着ると体型は本来華奢でやせ型であっても異常に恰幅よく見えてしまうちぐはぐな印象を表現してしまうのであって…細君がそんな状態であり…しかし巷には肩口の落ちた服しかないから、服を買い替える事が出来ず、今はひたすら此の異常な流行が過ぎ去るのを待つばかりで、新しい服が買えない細君が不憫でならず…そして其ればかりか、女性ものだけならまだしも、何をとち狂ったか男性ものの服まで肩口が落ちているものが散見されるようになり…油断するとそんなだらしない服を買わされそうだからたまったもんじゃないとファッション業界にストレスを溜めている。最早、個別の政治的事象についてコメントする気は失せ、本格的な対抗手段の構想にしか興味ないが…いよいよ牙を剝いてきた政権菅…忸怩たる思いは募るばかり…学術会議問題も…説明しようと思えばできるが…もうバカらしさが先に立つ…こんな事にかける時間は自分にはないはずだ、と。

それにしても…森友疑獄の財務省公文書改竄事件で…権力中枢の悪事の実行犯として加担させられた事への無念の憤死を遂げられた近畿財務局職員の方と、「風立ちぬ」の黒川主任の風貌が似ているのはどういう事か…「日本が近代国家だと思っていたのか」と嗤う主任の言葉が改めて現在の底なしの政治状況に突き刺さる…突き刺さるが、一本の縫い針が底なし沼に刺さるだけで沼自体は無傷のまま、微力の針は吸い込まれるばかりの絶望感もひとしお…と云うのは…またしても風立ちぬのDVDを借りてしまい…繰り返し三回は見てしまったがゆえ…さすがにそこまで見ると0.1秒ごとの表情や展開まで覚えてしまい…多分、映画館も含めると15回以上は見ていると思うが…0.1秒ごとに精密に表現された監督の作品に込める意図の全てを受け取っては感涙するのもいい加減にしなければと思うようになったからで…無論…此の時局、此の期に及んで風立ちぬを何度も何度も見る事に対する思想的退廃の歴史的意味、例えばプロレタリア文学弾圧後、人間の内面に向かわざるを得なかったサナトリウム文学の現実逃避的限界だとか、そういう事については私自身が最も知悉している事だから他人から指摘されるまでもなく、…しかしそうした矜持への見栄にもまして、精神が緩んで弱っているのか、無論作品の凄みも要因の一つながら…とにかく0.1秒ごとの全画面に発揮された作品の意図の全てに感動してしまうから致し方なく…しかしようやく、ひとまず飽きる事が出来て、無事返却できたのは一歩前進と思いたい。

一応、次回は、予告通りまた二週とばして、11月8日です。

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ツイッター開設の経緯

本来、こうした経緯は其れこそツイッターに記載すべきなのだが…此のブログでこんな事を書いている理由が、ツイッター開設を遅らせていた理由でもあり…小生はご存じの通り、体系を組み上げ、体系を分析するようにして物事を考えるから、自然、文章も長くなり…ツイッターのような細切れの文章と云う制限が課された媒体は思考の連続性=体系にとって不自由であり、自分には相応しくないと云う懸念のためである…しかし…制限なく自由に思惟を垂れ流し続けて早10年以上…自由ではあるが最近は自堕落な指の運動へと成り果てている状況に対して…何かしらの転機も必要に感ずる思いが沸々と沸き上がり…加えて…当初は此のブログも其れなりの責任感を以て他者に伝える価値のある事を伝えんと気張っておったが…いつしか自由自堕落に甘えてその態は霧消、今日に至る訳で…其の一方で、全予研としての活動も、せめて形だけでも開始したい時局への切迫感はむしろ本腰入れて深まるばかり…しかし全予研の媒体としては此のブログは自堕落の垢にまみれており…心機一転、別の媒体に其の役割を担わせたい…そして其の際には…自堕落とは一線を画した、オフィシャルな縛りを心理的に自分に課したい…と思った次第。しかし企業や官公庁の公式ツイッターは数あれど、オフィシャルだからと云って堅苦しい広報ばかり記載するのではなく、ツイッターが創発した短文縛り形式が誘発するのか、思わず書き手の真意や真情がまろび出るのもツイッターの真骨頂なのだろう…そうした遊びを許す特徴もまた、所詮何か書けば地が出る必然を抑圧するのも不自然に思える小生からしたら其れなりに好ましくも思い…従って、全予研としてのオフィシャルな姿勢を基調としつつ、時折真情を吐露しながら、端的に物事を表現する練習がてら、全予研の公式ツイッターを始めた次第であります。

とは云うものの…ツイッターの個性を規定する短文形式に甘えて細切れの独断論を無責任に披歴してしまい、自らの思惟の普遍的妥当性への説明責任を放棄してしまいやせぬかと云う懸念はあるものの…其れに関しては…もう実際の処、自分の思惟と其の普遍的妥当性を説明するには…最早ツイッターどころか、ブログにも収まりきらぬ状況であるから書物の執筆へと完全に移行しており…従って、ツイッターにもブログにも、世界の根源をまさぐる自分の思惟の根幹を論証する事は不可能であると割り切って其れらを扱うしかないと思っている…

すると、此のブログとツイッターとの兼ね合いが問題になるが…始めたばかりのツイッターに重きを置いて、当面は総合的な重要度をブログ:ツイッター=1:2ぐらいに規定して、進めたいと思う。当面はツイッターでオフィシャルな気持ちを表明する練習に励みつつ…しかし其れだけでは息が詰まるやもしれぬし、此れまで此のブログが其れなりに果たしてきた能力に未練もあるので…全予研として相応しくない、小生の個人的な内面のよしなし事や個人的な事件に対する取るに足らぬ感想などのはけ口として此のブログは延命させるだろう。しかし、元より真率なる自己の表出でしかない言語活動において二足の草鞋を履くほどの器用さに自信はないので…自分の気持ちが熟せばツイッターか、やはりブログか、どちらか一方に集中する事もあるだろう…両方やめる事もあるかもしれないが…

そうした状況の下、毎週、両方とも更新する時間は無いので、しばらくは以下のような更新計画で進めたい。基本は此れまで通り毎週日曜日更新するとして…

10月4日 全予研ツイッター
10月11日 全予研ツイッター
10月18日 王道なきロック史ブログ
10月25日 全予研ツイッター
11月1日 全予研ツイッター
11月8日 王道なきロック史ブログ
…以下、方針変更まで続く。
急遽、所定の日程まで更新できなくなった場合は次週に順延する旨を更新日までに表明する。

それと、全予研のツイッターの@以下のところを変更したので、以前のもので何らかの登録めいた事をされている方は、上記のリンクから行くとよいと思います。悪しからず…。

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