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 ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
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安全保障談話

ささやかな里帰りの運転中…川沿いの国道を北上していると河川敷の処々で盆踊りのやぐらを組み立て中の炎天下…しかし注目したのは紅白の幕だ けでなく黒白の幕も設えられて…祖霊の出迎え、今年逝った肉親への慰霊が疎かにされない伝統もひとしおである。衆議院を通過し、参議院で会議 中の安保法制に対する小生の思想的現実的立場を此処に明確にせんとする次第…折しも真夏のBGMとして流しっぱなし学徒出陣保存会=高校野球 を漫然と眺めながらも思い出されるのは…昨夜のNスぺで肉声録音されていた20代の特攻隊員の話し方…遊就館や回天記念館で小生が実見した特 攻隊員の遺書はいずれも立派な漢文調の達筆であったが…およそ70年前に肉声で記録された其の話術は現代の其れとほぼ変わらない口語調に幼さが 残り、奇しくも現在の高校球児と呼ばれる人種の宣誓やインタビューへの応答と何ら変わらない身近な稚拙、という括目があった…8/6広島市長の平 和宣言には特筆すべき何物もなく頭ごなしに原爆の絶対悪と絶対平和を云うのみで詮無い愚説を呈したが広島県知事の平和宣言は…核抑止力の相互 均衡による平和実現という理念よりも、核兵器使用による地獄という現実を此処広島から直視せよと説くから此れには、現実に立脚した確たる思想 があり世に説く力があったと云えよう。ただし実際には、広島に来ても被爆の実相を感得しうるような要素を此の市長、県知事自らが払拭し、通常 兵器とは次元を異にする核兵器の問答無用の悲惨の国際的隠蔽に唯一の被爆地自らが加担しているとしか思えぬ背信行為をしている、と、以前に事 ある毎に小生は書いてきた。「客観展示にそぐわぬ」という浅薄なる配慮から原爆資料館から、被爆の実相を最もよく伝える被爆者人形を撤去した 事が其の証左である。その結果、被爆の実相を来館者に感得させる総本山たる資料館の中で重度火傷した市民の写真や泡を吹いた瓦、炭化した飯が 入ったアルマイトの弁当箱を幾ら見せられようとも通常兵器による被害という印象しか与えられない。語り部伝承と称して戦後生まれの素人への口 伝に予算を使ったりといった小細工をしても実相は伝えられないばかりか隠蔽に加担する背信に陥る…結局、経時による記録と記憶の劣化に抗しう るのは一流の「作品」だけであり、そうした作品に足る「被爆者人形」と「はだしのゲン」を巧みに隠蔽し続ける限り反核どころか核兵器肯定に資 する背信に陥っているのである。被爆の実相を伝承だけに終わらせず現代人の感覚にいちいち喚起/生成させるには、人形の撤去でなく、むしろ、ハ リウッド等の特殊メイク職人に、もっとリアルな人形を作らせて資料館に設置したり、あるいは資料館の一角で常時「ゲン」の放映会を行う、民放 でもNHKでも此の日だけはゲンを流す、それだけでよいはずである。ゲンの親父が下駄作りながら天皇批判する些末に拘泥してはならない。8/6にゲンについて言及したのはカープの大瀬良だけ、という体たらくである。

したたかな政権中枢の緊張感に配慮する知性はまず期待できない取り巻き連中、小判鮫の如き追従者、執行部の持ち駒=捨て駒に過ぎぬ俄か議員ど もが少壮愛国者を気取って意気軒昂なる悪目立ちに走ろうとも雑魚は雑魚なりに中枢の真意を嗅ぎ取る姑息に長けており…政権中枢は雑魚の戯言と して切り捨て、事態をいくら矮小化しようとも雑魚の言はそれなりに政権中枢の真意を代弁していると分析して間違いはない。政治権力を使って経 団連経由でマスコミの言論統制を実施すべしと強弁する議員もおれば、その会議体に同じく出席していた別の36歳の少壮愛国議員は、ツイッターで安保法制へ の反対論者を揶揄して戦争を忌避する市民感情を利己主義と非難することで戦時中の全体主義思想を蘇らせる言説を晒して平気である。

前者の主張は最早今時局において単なる言説レベルではない現実と化していると見るべきであって、その証拠に、経団連が最も肩入れする労働者派 遣法改悪に関する世論調査をマスコミは公表しなかった、少なくとも安保法制に係る世論調査程には頻繁に公表せず、スポンサーの経団連の意向に 服従し視聴者市民=大多数の労働者の幸福追求権を侵害した事実から覗える。既に、政権=経団連結託共同体によるマスコミ言論統制は現実に行わ れており、それによって労働者搾取が公的に認可され、即ち国家が国民を使役する倒錯的人権弾圧が制度的に承認され国家が国民への敵性を帯びた 制度犯罪が明確になったのである。安保法制どころか、小生としてはむしろ労働者派遣法に関して国民は広くわなわなと怒りに打ち震えるべき、そ れぐらいに国民全般の第一たる生活が国家=経団連即ち一部の封建的世襲政治家と資本家の恣意によって搾取され彼らの私腹肥やしの助長に国民全 般の人生が奉仕させられるこの上ない侮辱を強いられる結果を看過したことになるのである。選挙区という票田=石高を一族郎党=後援会組織で以 て代々世襲する民主的封建政治家の問題や、大企業がその傘下の中小企業が製造する部品なり材料なりを安く買い叩く事で文字通り搾取する資本主 義的階級制については別稿に譲る。大企業の社員の給料が傘下の中小企業の社員の給料より絶対に高い、という事実を見れば一目瞭然である事を指 摘するに留めたい。

後者の少壮愛国議員はそのブログで現日本国憲法の三大原則「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を、彼の考えるおよそ陳腐な日 本主義に立脚して否定する処から思想的確信犯であるにしても、その思想の粗末さたるは、人間を主体とした歴史と現実への生々しい感覚を欠いた「空疎」な「知的稚拙」に由来す る…およそ戦争を介した、国家と国民の関係というものを「利己主義」などという意味作用の単純な用語でまとめて何事か言い当てた感に得意であ るという知的脆弱性は滑稽を通り越して情けない。こういう輩は、生まれながらの下級国民は戦争に行って私が考える国益に奉仕すべきだが私は高貴だから戦争に行くべきでない、と考える、有権者国民を愚弄して憚らぬ選民思想、特権階級意識の持ち主であって、元より国会議員の資格は絶無である。戦争という現実に端から対峙する気のない保身の輩に限って声高に戦争への奉仕を説く、だからこその「空疎」であり、思想に値しない「知的稚拙」なのである。こうした下劣者の出現は歴史の凡庸ではあるにせよ…。この輩は持ち駒とはいえ政権中枢の議席数に組する、立法への小さくない影響力を思えば、滑稽を越えて戦慄すべき、 切迫した政治的危機と捉えざるを得ない。国家は本来国民の生命と財産を守るために存在する必要悪の制度である。しかるに其の逆に、国家が国民 にその生命を要求する時、如何なる残虐と人間蹂躙、計り知れない侮辱が起こるか、という現実の歴史に思いを致す誠の知性と歴史感覚に徹底的に 欠けた、薄っぺらい愛国気取りの常套手段が、国家と云う妄想を実物のように奉り国民と云う現実を蔑にする国民の敵になって愛国気取りする有害なる愚昧なの である。国家や文化を考えるにしてもその根幹たる人間を主体として考える現実の知性に欠け、国家や文化という概念を主体として考える妄想に流される愚昧のなせる業である。とはいえこうした腐れ愛国雑魚どもの国家主義的言説は彼らのその場限りの思いつきに過ぎないのではなく、寧ろ、自民党の憲法改正草案 を根拠としているのだから、驚くに値しない。その事については以前、大分の文章で明確にした。

自民党の憲法改正草案では、天賦人権説を否定し、人権を 国家や民族の歴史性文化性の下に相対化する、そうした思想的操作自体が国家的恣意である其の恣意の下で、人権を国家の恣意の下に弾圧する事を 明文化しており、公益と公の秩序という、国家的恣意を動機として言論、表現弾圧が可能な条文に改悪する事を広く世に宣言しているのである。労働者派遣法でもこの憲法改正草案でも同じことだが、自民党の手口は、国会の答弁や条文草案外のQ&A集では、労働者搾取にあたらないし 表現の自由等を侵害するものではないとその場しのぎに上手く言い訳するが「実際の条文」では労働者を搾取し表現の自由等を侵害しているのである。国民は日本語の文 章の意味が読み取れない馬鹿ども、というふうに馬鹿にしているのだろう。自民党の憲法改正草案はその意味ではヒトラーの「我が闘争」と同じである。彼らが今後やろうとしている事は全て公表されているのである。従って、政権与党、自由民主党は国家主義政党である。自民党は全体主義政党である。自民党は国民の敵である。自民党は、憲法三原則の内少なくとも二つを破壊するつもりであり、即ち国民主権を排して国家主権を奉じ、 基本的人権を尊重せず国家の恣意の下に侵害する国家主義政党である。その事は、雑魚の失言に俟たずとも、公表された憲法改正草案から、明白で ある。

とはいえ、…安保である。まず掲げるべきは…他者(他国)との粘り強い言論を諦め姑息な内向的保身に先鋭的に引き篭もる時、武力への依存が始 まる…。此れを前提としながらでも、近隣国への対応には、他者性が問題となるため、己自身の内の思想的練磨だけでは事は足りない。結局、はっ きりせねばならぬのは、尖閣をどう思うか、であって…その前に、当然ながら日本国家としては、対外的に領土的野心を剥き出しにして軍備拡張を 続ける中国のそうした政策の背後にある彼らなりの国内事情、不安、怯え、歴史的背景なども勘案しながら、どっぷり肝胆相照らす話し合いを必要 とせねばならない…そのために、そうした深甚なる話し合いができ、遅れて来た国家資本主義国として頑なな態度の相手の胸襟を開かしめる器量と いうか有徳の士が外交担当者に必要である。前世紀の帝国主義戦争の経験を経て、いまだに、寧ろ今更に旧来の帝国主義的手法に固執する中国…何 とか領海を広げて出来るだけ資源を独り占め確保しつつ軍事的優位性も確保して10数億人の不満を抑え続けねばならない必死さも汲んでやりつつ 、そうした内向的怯えと対外的攻撃性の緊張を対外的条件だけからでも緩和してやらねばなるまい…一体何に怯えているのか、ほぐしてやりながら も友好の門は閉ざしてはならない…核存在下での国家間有事=戦争の無益だけはせめてもの前提としつつ、外交当事者間の、頭突き合わせた生の話 し合いでこそ醸成される、理屈を超えた信頼感をすぐに構築できる有徳の士を輩出できない劣化した民度であっても、話し合いの機会は切らしては ならないのが大前提である。しかし現実は…いまだそこまでの関係は築けていない。これも現実である。懸案の歴史問題、経済関係強化など一つ一 つの問題を愚直にやりおおすのは外交官僚が当然ながらしっかり遂行するとして…話し合いで尖閣問題が早期決着できれば安保法制など無用である 。互いに自分らの原理原則の建前を遠くから声明し合うだけでは互いに引くに引けず文字通り水掛け論以上には進まないばかりか言論への絶望だけ が増す悪循環を生むであろう。それは避けねばならない。

結局、尖閣と云う具体物を取り巻く現実だけは何をするにも現実的にとらえなければならないのである。だから、尖閣を中国に譲って事を収める、のも一つの手では ある。此れも否定するつもりはない。安保法制反対論者がどこかラブ&ピースに空疎で非論理的なのは尖閣という現実への見解が欠けているからで ある。彼らが結局尖閣をどうしたいのかよく分からないのである。尖閣を中国に譲るというのであれば反対論者の行動にも一貫性、正当性、説得力 はあるのである。既に石垣島の漁業者には中国漁船の違法威嚇的操業の被害が恒常化しているが、尖閣を譲ることで済し崩し的に近海の漁業権を奪われて 沖縄漁業者の生活が脅かされ、漁獲規制というものを知らない中国漁民に根こそぎ海洋資源を簒奪され(小笠原の赤珊瑚事件を思い出せ)、その他 海洋地下資源も独占されたとしても、戦争よりはましだというならそれも正しい思想である。尖閣が奪取されるにしろ割譲するにしろそうなったら 免れない日米安保の形骸化に伴って米中結託が現実化したものとして中国の漁船団が数にまかせて大挙、沖縄から九州近辺までの日本の排他的経済水域は確保されなくなるであろう…数十隻の中共の艦隊が控える数百隻の巨大漁船団に対して、数隻、よく集めて十数隻の海保、海上自衛隊艦船に 何ができるか。事実上沖縄までも中国に割譲を余儀なくされたとしたら、1、2年は沖縄の自治が認められようがその後は香港の例にあるように中共の独裁に甘んずるというのであればそれも思想であり、正しい選択である。歴史的に基地問題の混迷や旧皇軍による住民への蛮行の記憶もあって昨今掻き起されつつある沖縄アイデンティティという熾火を尊重し沖縄独立へと進むかもしれない岐路に沖縄人民自身が立った時、現実的には、日米による基地問題を抱えながら曲がりなりにも憲法で保証された言論の自由の中で種々の問題解決に挑むという遅々たる相変わらずを選ぶのか、日米が去ればすかさず駐留するだろう人民解放軍/中共による絶対的言論封殺を選ぶのか、どちらかである。どちらを選んでも沖縄人民の意志ならばそれは正しい。何度も云うが、尖閣は中国に譲って、領海や排他的経済 水域を確定して紛争の火種を消した後に、他の領海領土は専守防衛に徹するというならそれも正しいのである。そうした態度で果たして火種が消え るのか、弱腰に付け込んで更なる要求も突きつけるかもしれぬという疑心暗鬼は現時点ではきりがないが…。尖閣を譲るにしても守るにしても、生の話し合いによる、ある程度でもいい、100点でなくてもいい、そこそこの信頼だけでも成立させないと疑心が幾らでも暗鬼を生んで問題の解決には至らない。

小生個人の見解は、尖閣を中国に割譲する必要はないしそうしてはならないと考える。少なくとも現時点では南シナ海での既成事実作りに注力し東シナ海では現状の緊張関係維持を容認していると思われる中国に、わざわざ過剰な貢物をする道理は何もない。それをすれば、弱腰にはとことん付け込む大陸人の野性を思えば済し崩しの漁船団殺到と相まって国境確定による周辺事態の安定化も困難になるだろう。とはいえ軍事バランス逆転を狙って一国建艦競争に突っ走る中国の動きを話し合いで止められない現実があるならば安保の備えもやむなしと考えなければならない。武力に頼らずとも己の言論一つで以て中国の動きを止められると豪語する有徳の士があれば直接間接に、在野でも中枢でもいいから、しかるべき地位と実績を以てそうした活動に邁進していただきたいものである。そうした有徳の士の不在を嘆きながらも、そうした活動を自分自身で遂行する気が無いのであれば口先だけで安保反対する道理はない(尖閣割譲を許すならその限りではないが)。苦渋であるが、小生とて、そうした有徳の士に立候補する志は皆無であるという現実なのである。小生には小生にとってやるべきことがあるのだから。それに、何よりも石垣島の同胞の事を思えば、現状も既にひどいのに更に中国船籍による周辺海域での乱獲や漁船の数に物を云わせた威嚇的操業に拍車がかかるのは必至なのだから、尖閣割譲などもってのほかであり、同胞の事を思えば尖閣防衛しかないだろう。話し合いへの絶望は事態悪化の真の原因となるから厳に戒めねばならぬが、今の処、話し合いでは、中国による軍拡と尖閣奪取という脅威を除けていないという現実だけは重視せねばならない。脅威が続こうとも現状が維持されるならまだよいが、その保証も無いのである。この現実は究極の処、話し合い自体への絶望状況ではなく、日中双方の、肝と腹で以て言葉を吐く人物、有徳の士の不足という現実を示しているのである。言論を吐くのは取りも直さず人間なのである。

しかし尖閣を譲る気はない、けれどもラブ&ピースで安保法制反対というのであれば、現実に尖閣奪取を外交と軍備の両現実で以てちらつかせる中国への対処を 無視した妄言に留まり、「権力への意志」に長けた狡猾老獪なる自民党並びに中共はびくともしないし、それのみならず国民運動にも成り得ないだろうし尖閣は奪われる可能性は消えない。先述した、36歳の少壮愛国議員が、戦争反対ならば日本の国会ではなく中国、北朝鮮大使館前ですべき だ、とつぶやいたが、此れは確かに正しいのである。後で詳述する必要があるかもしれないが、自民党が、かつての左右両陣営を混淆しうる多様性 を働かせた与党でなく、国家主義政党へと徹底的に偏った現在にあって、今必要なのは、酸いも甘いも噛み分けた「権力への意志」をどっしり備えた健全なる中道左派の擁立である。民主党はその役にたりえていないのが自民党の国家主義化、昨今の政治状況の悲惨の根源である。国会論戦を垣間見ても民主党の議員は、思想的に自民党の法案の不備を鮮やかに衝く論理を自在に構築し得ず幼稚な駄々を捏ねるような喚きに過ぎない体たらくなのである。民主党の不様、 そうなった経緯は痛い程よく分かるにせよ…立党の原動力の一人老獪小沢を切り離した功罪か。安保法制反対論者が正しいのは、自民党に国家主義 、全体主義を嗅ぎ付ける直観だけであり、その限りにおいては、老獪なる大人の中道左派再編のためには欠くべからざるエキスではあると付言するに留める。

結局、尖閣を守るとなったら、話し合い以外の手法としては日米安保堅守以外にないのが現実であろう。以下、自民党の懸念を推測するに…尖閣を守るとなったら、人間力というのか言論にまさる有徳の士による解決が早期に見込めない以上、不断の話し合いの機会保持と、武力均衡の両面に頼ら ざるを得ないのが現実である。武力均衡が無い南シナ海での中国の既成事実的侵攻と、見かけ上、日米安保で武力均衡が取れている東シナ海の現実 を見ればよい。トリックスター首相鳩山のやらかしで日米安保が揺らいだと見るや、中国は尖閣へ公船や漁船を送って既成事実の機会を虎視眈々と増やしまくったかつての民主党時代を思い出せばよい。(鳩山がやらかした基地問題…災い転じて福となすのか、見所である。)日本単独での武力増強などは戦術的にも戦略的に経済的ではない。今できる事としては同盟国アメリカの武力を背景にしない手はないのである。そして アメリカが尖閣ごときで、大国としてのメンツ以外に中国と敵対する利益が無い以上は、米中結託を憶測しない訳にもいかず、そうなるとアメリカ は日米安保を形骸化してもよい言い訳を探すのは目に見えている。その言い訳、日米安保条約の亀裂の元こそは、アメリカは日本を守る義務がある が日本はアメリカを守る義務はない、という現状の条約内容である。軍事の常識に照らし合わせておよそ平等とは言えない非常識な此の条約内容は アメリカ側による日米安保条約破棄乃至は形骸化を促進する世論のいい口実にされるのは目に見えている。面倒な紛争回避と宥和を建前にして中国への尖閣 譲渡をアメリカが日本に仲介してくるのは目に見えている。あと数年もすれば東シナ海の軍事状況は中国優勢になるのははっきりしている現実を直視しなければならない。安保を平等化しても尚、アメリカが尖閣と日本を見限って米中結託に流れるというのであればその時こそ堂々と日米安保破棄、米軍基地の接収、一応違憲にはならぬ個別的自衛権で以て気持ちよく専守防衛に原点回帰すればいい。

なお、此度の安保法制反対者らは、此の法案の内容、背景に対してよく分からない、説明不足、審議が尽くされていないなどとうそぶくが…国内法であれば何もかも国会の場で説明しつくさればよいが、此度の安保法制に関してはそうはいかない事は特筆したい。反対論者の政治感覚の欠如が愚かしいと云わざるを得ないのである。60年代安保とは状況は違うのである。上記のような国際関係を、国会の場で何度も明言すればどうなるか分からないのか。幾ら中国を念頭にしていると云ってもそれを国会の場で何度も説明する事は、まるで敵国扱いを政府見解として既成事実化しているようなもので安保法制論議が火に油を注ぎ安全保障を損なわせるものなのである。それに、自民党の最大の懸念である、同盟国アメリカが尖閣有事に際して、現行の日米安保を反故にして軍を動かさないかもしれない、という懸念を、国会の場で首相安部が公表できるのか。そんな疑念を公表すれば、曲がりなりにも東シナ海の均衡を保っている現行の日米安保すら危うくなるのは必定である。首相安部が、同盟国アメリカが裏切るかもしれないからこんな法律が必要なんですよ、などと国会で、即ち世界に向けて、アメリカに向けて言えるわけがないじゃないか。だから、外国との関係が枢要となる法案に関して何もかも国会の場で公言するなどあり得ず、そこは阿吽の呼吸というのか、正確な情報を元にして国際状況を機敏に察する政治感覚が有権者/国民の側にも求められるのであり、此れはそういう事案なのである。公の場で説明すればいいというものではない。説明すれば何もかもぶち壊しになるセンシティブな事案なのである。黙って察知しろ、という話である。こうした背景を察知せず馬鹿の一つ覚えで国会の場で詳しい説明を求めるのは現実を知らない政治的幼児と云わざるを得ない。何度も云わせるな、愚民どもが、と自民党は苦々しく思っているだろう。政治、とりわけ安保とは危ういものだという現実を直視せよということである。無論、石垣島の同胞の更なる困難を見捨てて尖閣を中国に譲って手打ちにしたいと考えているならば此の限りではない。

さて、日米安保の平等化、即ち相互防衛義務は畢竟集団的自衛権の行使である。しかるに集団的自衛権は憲法9条に違反する。此れは正しい。従って此度 の安保法制を通すならば先に憲法改正が必要である、というのも正論である。しかしよく考えてみよ。自民党は国家主義政党、全体主義政党である 。こんな政党に憲法改正されたらば、9条だけでなく、その他、表現の自由その他基本的人権の条項まで国家の恣意の下に侵害を余儀なくされかね ない、あまりにも多大なる危険性が存在するのである。無論、9条だけ改正するというならそれでもよい。しかし現実は、マイナンバー制度一つと っても、初めは行政の効率化に資するためということで法案成立させながら後になってぽろぽろと、私企業によるマイナンバー管理や銀行口座にまで絡めて個人財産そのものを危険に晒してでも個人財産を国家の管理下に置こうとするという、水面下で思惑通り事を運ぶ政治的「うまさ」を現実化するのだから、油断はならないのである。安保法制にしたって集団的自衛権から国際貢献までいくつもの法案を一緒くたにして毒を薄めようとするゴマカシ工作だけは抜かりない。自民党は国家主義政党なのだから、憲法改正となれば9条だけで なくその他の人権条項にまで改悪を施して発議する可能性が高いと思わざるを得ない。仮に9条改正だけを先行で成功させたとしたら、その前例の勢いを借りて、次の段階で憲法の人権条項を巧妙に無力化し国家主義政体成立を目指すのは既定路線である。これは、自民党自身が公表している事である。

現実として資本封建制が進む此の国にあって何事も忘れっぽい奴隷型人間ばかり、人権など必要ないと思っている奴隷人間ばかり増殖している時局にあって、9条改正に賛成したいからその他の人権条項の変更を問題視せずに改正に賛成し、結果として人権蹂躙を憲法の条文の中で正当化される恐れがあるのである。こんな危険極まりない、政治上手の、強権的国家主義を公表した与党自民党に、如何なる理由があろうとも憲法改正に着手させることは国民/有権者として自殺行為に等しい。集団的自衛権の必要性 、9条改正を人質にして済し崩しに人権条項改悪を許すことだけは、如何なる理屈や状況があろうとも、あってはならないのである、と小生は強く云いたい。そうなってしまう可能性が僅かでもある限りは、自民党に、絶対に憲法改正だけは担わせてはならないのである。思えば首相安倍が始めから堂々と、9条改正発議して集団的自衛権容認へと仕向ければ巧みなプロパガンダで国民投票で案外可決出来たかもしれない。恐らく首相小泉であればそのような正面突破をやり抜けた可能性がある。しかし首相安倍はそこまで政治的胆力に欠けたものだから砂川判決だの憲法解釈変更だので以て小手先にゴマカシ、閣議決定による法案ご り押しで近道しようとして余計遠回りした感は否めない。集団的自衛権反対者だけでなく、集団的自衛権に賛成だけれども違憲だから反対だという 人まで敵に回したからである。しかしこれは政治的には僥倖と云わざるを得ない。始めから周到に憲法改正発議されたら愚昧なる民度の国民ゆえに9条改正に釣られて人権条項改悪までも国民投票で可決され立憲主義の下に人権蹂躙が決定的になったかもしれない可能性を思えば、そう思わざるを得ない。

だから、国家主義政党の自民党に、憲法改正という正論、すっきりした、誰もが納得するスジを通させてはならないのである。違憲状態という喉元 の痛烈な小骨を飽くまでも居心地悪く差し込ませたまま、仮に尖閣防衛を絶対とするならば、日米安保の平等化=集団的自衛権の容認というリスク を負わなければならないのである。現政権与党の、「国家主義的善意」が許容されるのは、国土防衛に係るこうした形にのみ限らなければならない 。ただし、安保法制に対して違憲と云う小骨を残したからとて、いざとなったら最高裁が其れに違憲判決を出して歯止めとなってくれるという期待 に依存する故の事だとしたら、それはもう現時点で、希望的観測に過ぎない絵空事として、諦めた方がよい。此の国の三権分立は建前に過ぎず、そ れも無いよりはましだが、政権の根幹に関わる事で最高裁が違憲を出す可能性はそれこそ皆無、その事はあの砂川判決が物語っているだろう。そうした絶望状況を踏まえた上での、苦渋の受け入れなのである。政権の恣意的解釈による憲法の形骸化と、憲法そのものの、民主的手続きを得た凶悪化のどちら がよいか、究極の選択とはいえど、前者にごく僅かな光明を見出すしかない、苦渋の選択なのである。

集団的自衛権を問題視する論点としてはアメリカがやらかす戦争への無益な巻き込まれがあるが、当然それはリスクである。しかし軍事同盟とはそ ういうものであるとしかいいようがない。尖閣と云う、アメリカにとってどうでもよい小島に、自衛隊共々アメリカに馳せ参じてもらう体制を作る ためには致し方ない代償である。都合よく解釈すれば、平等なる軍事同盟であればアメリカの暴走に物を申す事も可能であろう。守ってもらうだけ の子供のような同盟国から金をせびりこそすれ、及び腰の諫言などに聴く耳は貸さないのが常識である。集団的自衛権行使容認の条件、歯止めの条件の完成度に関しては確かに怪しく政権の恣意に支配され、此れを理由に反対するのも分かるが…いったん集団的自衛権を容認したとなると混迷する有事に際し法律で以て賢明なる判断を下すのは至難だろう…腹をくくるしかないか、国会決議よりも国民投票を条件にするしかないだろう。

ちなみに、もう一つの論点として、自衛隊が戦争に参加する事で生命の危険が及ぶかもしれない、というセンチメンタルな言説である。此れに関しては小生、同情の余地なく笑止である。自衛隊員は自ら望んで国策に殉ずる覚悟を持った人間であり、彼らを一般国民とは峻別すべき理性こそ働かせねばならないのである。自衛隊は、危険地域、そして法制次第では紛争、戦争地域で生き残りつつ任務を遂行するために、経済生産活動には直接従事する事無く、国民の血税で以て日々訓練に励んでいる者である。過剰な尊崇も卑しめも不要、自らの意志で国民の負託に応えようとする自衛隊に非論理的な感傷は無用である。自衛隊が戦地に行かされる事で済し崩しに徴兵制になるかも、という、物事を区別できない反理性的不安も、理解できないでもないが、そうした反理性に付け込んで済し崩し的に徴兵制だろうがなんだろうが既成事実にさせるのが今の自民党である。人の耳目を驚かせ興味本位に先走る言説が、既成事実の下地作りに寄与するという言葉自体の恐ろしさも肝に銘じなければならない。ここまで書いておいて手遅れかもしれないが…要するに断固たる理性を保持すればいいだけである。徴兵制の動きになれば国家の恣意的強制による国民の生命蹂躙としてその時の政権の無能を断罪し国家の資格なしとして断固戦うしかない。法制によって、戦地に赴く自衛官が直前で大量退職し始め戦力の不備が看過できないようになったら、まずは、国民は、実力組織の本質を知らず国策に殉ずる覚悟も無しに入隊して多大なる血税を浪費した挙句国民の負託から逃避する隊員の卑怯を街で嗤えばよい。災害救助などの無害な英雄イメージに殊更に感化されて入隊した挙句、実力組織が対峙する本来の現実を目前にして慌てて逃げ出す知的薄弱、志の無さを街で嗤えばよい。それでも、嫌なら辞める自由はある、という話である。隊員減少による弊害が現実化したら、国民としてのそれへの対処は、それからでも遅くはない。

自衛隊の作戦決定過程において防衛大臣に直接進言できるのは文官の背広組だけに制限することで文民統制の 基盤ならしめていた制度を、文官だけでなく武官も直接進言できるようにして作戦決定過程の迅速化と効率化を図った法案があったが…これは防衛大臣が国会議員である以上文民統制は保持されているという政権の解釈を小生としてもぎりぎり許容範囲とするものであり、もっと言えば、文官が現場の実態を知らないのが問題なのだから制度を変えずとも文官を叱咤し現場に行かせるようにすればよいだけの話なのだが…ある日の事、このニュースを、ある番組のアナウンサーは涼しい顔で「これにより文民統制は解消されました」などと原稿を読んで平気でいるのを耳にして激怒した事があるが…、間違いに気付かないこの無神経、この理性の無さが問題なのである。文民統制が解消された、という事は実力組織である自衛隊によるクーデター、独裁さえも可能になるのであって、こうした重大な意味を知らない、感じない原稿起草者とそれを読んだキャスターの政治的無神経、政治的無知こそが軍国主義的既成事実の下地作りに寄与するから恐ろしいのであって、こういう無知、非理性こそが、国家主義政党に付け入る隙を与えるのである。

結局、現段階では、革命でも起きない限り、安保法制も早々成立するだろう…此れも現実である。安部政権は、傷口を最小限に止める方策を小出しにしながら(新国立競技場の計画白紙、沖縄基地問題の冷却期間…)、政権への支持率低下も辞さぬ覚悟で安保法制成立に臨むだろう…民主党には見いだせない、そうした政治的胆力だけは見習うべきものがある、残念ながら…。我々はこの、以上のような種々の状況、観点から鑑みて困難なる苦渋を受け入れなければならない。集団的自衛権へ踏み切る選択という苦渋を受け入れ、且つ、これまでの円高是正、消費増税と云う、ファシストならではの経済上手を見せた自民党にしか出来なかった経済政策の成功だけは認めながらも、しかる後に、来る参院選、衆院選で以て、自民党という国家主義政党を確実に政権から引き摺り下ろさなければならない…そうした場で改めて集団的自衛権を見直してもよい。繰り返すが、国家主義政党の自民党の役割は円高是正、消費増税~安保法制まで、と見限らねばならない。これ以上自民党を野放しにしておくとそれこそ国民主権が国家主権になるだろう。そこで云われる国家の実態とは、経団連大企業の幹部と世襲政治家(資本封建制と票田封建制の結託)という少数のちんけなのであり、国民多数とは乖離しているのである(兎にも角にも投票率の低さ、政治への無関心即ち有権者の奴隷化がすべての原因)。取りも直さず肝の据わった中道左派、健全なるリベラルの再編が喫緊の課題である。歴史問題という口実を与えて反日、尖閣問題の硬直化を招いた面もある安部自民党が政権を下りれば歴史問題一新のチャンス、ひいては反日、尖閣問題緩和の契機にもなろう。社民党があまりに弱小化し、民主党は、自民党に寸鉄を刺すが如き質問が出来ず子供の駄々のような抗議しか出来ない稚拙政治から脱却できない現国会において、歴史的に極左であろう共産党が、今の国会内では数少ない中道左派候補とは幾らなんでもあまりに名と体が解離した、笑うに笑えぬ滑稽ではないか。名よりも実を取る、という考え方もあるが…。

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「あぶらだこ/[亀盤](1988)tkca-70829」



いわゆる亀盤…楽曲の輪郭は比較的はっきりまとまっている分、演奏作業に係る個々の打撃や弾きの強力や殺伐が鈍器や炎のように極められ、例によって軍靴で踏み躙られた不屈の雨蛙の内臓迸り引き摺りながらの薄汚く姿勢の低い濁声による読経朗誦も詩形の逆光に映える…言葉の問題からすれば着目するに足らぬ安易なうわべ自慢、例えて云えばさしずめ、いくら全国荒野を行脚しようともどうにも金まみれの卑しい自意識過剰から脱却出来ぬ自称漂泊俳人種田山頭火が老境の狂いで以てロックという目先の流行に便乗したらばこうした楽興になるのかしらんと思われる…とは言え、行脚で培われた草いきれの濃さはむんむん感じる、聴いて損なしの佳作である。またしても鑑定団二本立て連続視聴の極楽地獄…正式な昼寝2時間後のんべんだらりと、しかし厳しい鑑賞眼が体から独立して自ずと働くから制御できぬ疲労だけは体に押し付けられて次次目が物を見る無駄な時間を過ごす…漆で繕わないといけない器が山ほどあるのに怠惰に流されるまま…明日挽回できるのか早くもげんなり…国内外から狂ったように怒涛のように押し寄せるから既にどこの宿も一杯、結局この夏もどこにも行けない蟄居の寝正月ならぬ寝盂蘭盆なのか。本気でどこかに観光に行きたい訳でもなかったからゆえのもたついた対応による必然。全く悔いなく、しずこころなく里帰りする凡庸もまた良し。細君の友人の紹介で本格的な中国茶を喫せるお店「露伴茶館」で優雅な時を過ごす…一階が上客相手の骨董屋でその二階に位置するこの店内の調度や什器も趣味よく古格を帯びて清潔、茶道具は過剰に暑苦しい骨董趣ではない新物なれど店主の目利きは覗えるから嫌味なく眼福…剛毅な鉄釉がのぺえと広がる板皿にあしらわれた茶うけ菓子の創意はまるでルネサンス、ポッティチェリの「春」で集う女神たちの足元で可憐に息づく小さな花々たちのような繊細な野趣溢れる菓子たち…極上である。店内の厠までの小路脇の本棚にはさりげなく岩波書店の幸田露伴全集全巻をきちんと懸架して問題意識の高さが覗える…喫茶店で茶や珈琲を出されても猫舌の小生にとっては熱すぎて舌が火傷、せっかくの工夫が凝らされた味わいが台無しになる口惜しさなのだが…露伴茶館では湯の温度をきちんと整えられ、薄手小ぶりの色絵煎茶碗で頂くから茶の妙味が存分に興されて心憎い…赤児の手ほどの急須の一杯目は格別ながらその後五煎ほどしても全くその仙味が衰えない。茶と、そのひと時を、まさに「珍重」する。人間人間いうても結局この世は、殊更人間と呼称すべき存在など殆どいない。社会内存在だろうとその実態たるは、その背後で支配的な退屈な生命原理に束縛された動物ばかり、生まれて喰って繁殖して死ぬだけ。何が楽しくて生きているのやら分からぬ。それに難癖をつけられるほど、人間の立場の優位性を前提にして云えやしないのは承知しているものの、一抹の空しさは禁じえない。ジミー・ペイジが平和公園に献花していた…。あんな人間の動きを誰が欲しているのか理解に苦しむシンクロナイズドスイミングの過剰にとち狂った演技。官公庁や学校での国歌斉唱は、国家が国家主義者を育てる場所なのだからとやかく云わぬがプロ野球の試合前に観客に国歌斉唱&起立させるのには、民間の興業にまで潜入する国家主義の抜け目ない発露に対して自明なる革命権を根拠とした忿怒がわなわな震える…野球が国家主義の手先であるのは重々承知しているにしても…。生ごみ系の蚊が水分補給しに、小生が唐津湯呑に備蓄する麦茶を飲みに来る煩わしさ…倒せない。アンデルセンのカヌレが旨過ぎる…中はしっとり重厚な得も言われぬ甘味…パンをその場で食べられる単なる一階だけのパン屋だと思っていたらなめていた、三階までパン空間で上質の暮らしに躍起になる来客でびっしり、舶来の珍しいパン焼き立て展示販売もすればビュッフェというのか、小生にはバイキングと区別できぬがパンと一緒に意中の洋食も食べられるシャレ乙スタイル予約制、浮世離れした器や雑貨なども陳列…。アメリカのブロカントなぞを仕入れる別の店で…ルノワールの裸婦の肌色みたいに真珠色にうねりながら輝くガラス製のカップとソーサーを見かける…如何なる飲物でも不味く見せるそのカップにそそられ…覚えておく。酷熱のアスファルトには蝉の死、蒼白い腹を見せて三対の脚を合掌する図…南無大師遍照金剛。

「陥没」    あぶらだこ
錯乱と土人道を 西に向かい歩けば
硬貨は砂となれ そのかわり麦となれ
チョルテンの上を泳ぐ 魔鏡の砂利船
緘黙のガラパゴス
上げ湖飲みこめ直結 剣山の傭兵
地獄を凌駕した 調合された怪物
肉体を棄て去り 永遠の文字となれ
溺れる天の民 苔にもこけず

小町 裕:bass
伊藤健一:drums, kake-goe
和泉明夫:guitar
長谷川裕倫:vocal, piano

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「あぶらだこ/[青盤](1996)tkca-70828」



真っ青な空…しかし、突き抜けるような爽快感や透明感は絶無の、分厚く塗り込められた、しかし塗り跡も絶無で手仕事の親しみも無い艶消しの青を眺めるだけで網膜に移りそう…学徒出陣保存会地方大会の決勝を見ながら書いているので執筆に集中できないが…軍靴の踵でぎりぎり踏み躙られてぺしゃんこの蛙の絶叫の、狡猾でさえある不屈…如何に虐げられようとも気が抜けるほど薄汚く陽気な、へこたれない不敵な濁声を、己の体を睨み揚げるように反らせて誦する、あるいは呪する…あぶらだこの、通称青盤…アレンジなどの小手先の修飾も最早ついてゆけないほどラディカルに、それこそ社会=生命的には不必要に自らを追究する先鋭化が…脱色された音はハード以外の何ものでもないがそうした轟音のまま磨崖仏を津波の速さで創作する磊落精緻にして荒んだリズム乃至は地団駄あるいは地響きかと思えば高高い(たかだかい)調子で飛翔するギターのゆったりした睥睨を醸す余裕の雅致にも糞と吐瀉物をこき混ぜた聖典の如き、しかし、軽みの、素っ頓狂な声が…ちんどん屋風のほぐされたダラケの合間も挟みながらやる時は一気呵成に狂う集中力がどぎつく暴走する…此の国の天地(あめつち)に根差したという意味で真に在野のハードロック…小生の精神に夏休みなど許されていないが周囲の雰囲気に流されて無意味に夏休み気分…昨晩は近くの港で花火大会…腹にくる振動がガラスをビビらす…実際に出くわしたことは無いが野球漫画とかで学徒=球児である、丸坊主の馬鈴薯みたいなガキのプレイなどをちやほや観戦する、高校野球ファンなどというものの実態たる腐女子ならぬ腐れオヤジどもやアメトークの高校野球大好き芸人たちが愛玩する馬鈴薯球児(=幼い男)のプレイを見て「あの子いいよね」とか云っているのが本当に気持悪くて吐き気がする…故あってまた、プロ野球のナイターを球場で観戦…菊池の初球打ち凡退癖はどうにかならんのか…打てないなら打てないでファールとかで粘りに粘って相手投手を少しでも疲れさせるという姑息な常套を潔しとしない美学なのか…美学と云えば今日のNHK将棋での谷川九段がまたしても…素人目にはまだまだぜんぜんいける、自陣の守りは盤石な上で、敵方の王将を豊富な持ち駒で攻め立てている最中なのに何故か「参りました」と自分から投了を宣言…谷川九段の対局を前回見た時も、同じような、どうみても素人目には戦えるのに潔すぎる敗北宣言の唐突なる不可解があった…解説者もこの事態を解説するのに毎回苦慮している模様…感想戦見ても、当事者同士が自分らにしか分からないプロ級の速さと小声で反省するから視聴者には全く分からない、馬鹿の一つ覚えで風情なく無思慮に「説明責任」が吹聴される世知辛い浮世にあっての、深い味わいがある。学生ブラックバイト=学徒出陣…此の国の切迫と疲弊を物語る…そして高校野球=学徒出陣保存会100年の歴史は…此の国の愛玩性宥めすかし全体主義の永続性を物語る…小口切りにしてタッパーで保存していた葱が全滅…二日ぶりで蓋を空けるとドロドロ、饐えた悪臭…葱は必要に応じてその度毎に切るのがいいのだろう…牛蒡は大丈夫だから似たようなものと思って蓮根も室温で放置していたら真っ白い黴の餌食に…腐敗部分の切除手術を試みるも通気孔の内壁にまでびっしり白黴が繁茂しており可食部分が無いという失態を悔いる…先週の事ながら…南部陽一郎博士の死去…ご冥福御祈り致します…ハイゼンベルグの不確定性原理の限界の中でガロア的対称性とシュレンディンガーの波動確率論で語られる素粒子理論の最大の謎である質量を、「対称性の自発的破れ」で以て喝破する…その題目だけ見たらば織部の破格を思わせる美意識の発露であって…無論、学問的に実証的に詰めているのだろう…小生如きは、質量とは慣性係数であるというファインマンの説明だけで蒙が啓けた気がする…何にせよ、あぶらだこは…俗を以て雅となす、是を俳という。正岡子規一人の責任ではないが、明治以降の俳句が詰まらないのは季語に執心するばかりで「俳言」が失われているからと思われる。漢籍に知悉した明治人である子規や虚子や漱石が「俳」の何たるかを知らないはずはないのだが…。野球観戦に行く度に大抵、近くに「観戦巧者」が妙を得た野次なり解説なり応援なりを叫ぶから、初心者の小生としては学ぶ処が多いのだが…此度の観戦でも小生の斜め後ろに夫婦もの(50代)が居て、辺り憚らぬ丁々発止の発言のいちいちが聴き捨てならぬ。「あの球、置きにいってるから打てたよね」「マエケンは立ち上がりが悪いから…まだ球が抜けてるわな」エルドレッドの代わりにスタメン入りしたがチャンスで打てないグスマンを叱咤して「ロサリオに替えるぞごるぁ」小生、この、市井の「監督兼解説者」に野球の見方を実地に学ぶ…試合は、マエケンと巨人=自民党の菅野の投手戦…八回までゼロ/ゼロだが、例によって決断できずに、というか中継ぎ投手への決定的不信感からマエケンをずるずる9回まで引っ張った結果、巨人=自民党打線に捕まって点を入れられ…自民党は9回できちんと投手を抑えに変更、しかし何時見ても打てねえなと見下していたカープの捕手会澤がまさかのソロホームランで一矢報いたが結局自民党に負けるというザマ。真夏のナイター…赤黒い夕焼けを見送って、ビール(700円/1杯/500ml?×4杯)が進む進む。牛筋煮込みのポン酢和え略してすじポンなるもの(550円)を肴に。開始前、球場へ向かう群衆の一部として歩いていると…スーパーの、パンパンにはち切れんばかりのビニール袋を両手に下げた独りの中年男氏の「仕込み」に圧倒される…右手に缶ビール500ml×10本近く、左手におむすびや枝豆や唐揚げなどの惣菜や柿の種などの御菓子類をびっしり詰め込んで…球場で買うと高いし売店に買いに行ってると決定的なプレーを見逃すから、歴戦の「観戦巧者」らは予め仕込んでいるのだろう。夜中に無性に耳が痒くなって耳かきをまさぐったが見つからず、痛恨であった。自動車会社がしきりにバブリーに喧伝する「走りの悦び」とか…最近は分からないでもないが、男臭すぎて何だかな…と思う。

ベース:小町 裕
ドラムス:伊藤健一
ギター:和泉明夫
ヴォーカル:長谷川裕倫
マネジメント:高橋英昭

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不穏Ⅱ

頭が痛いし、何を云っているのか皆目分からぬ行政の有線放送に過敏に反応する莫迦犬がまたギャンスカ吠えまくるからイラつきの熾火が掻き起されて精神の不穏が…時間も無い…書く時間が無い…明日は休みとか関係ない…易経とデデキントとド・ブロイも至急読まないとまずい状況だし芭蕉七部集ばかり淫読している場合じゃなく気持ちばかり無性に無償に焦燥する…安保法制の顛末について一家言弄してもよいが今は無理数と連続性のことで心が一杯で…花菖蒲を立体的に配した団扇を買う…裏が白いからなんぞ揮毫したいものだ…今や扇子全盛で団扇があまり売られていない現状に直面するが…些細な暑さでエアコンに頼ってばかりいても腰が冷えて凝るばかりで体によくない、風呂場にある扇風機を移動させるのは面倒だ、団扇があればどんなに手頃だった事だろう…と痛感する事しばしば、だった…本当は鰻屋なんかが炭火を煽るのに使う、赤黒くて大きめの団扇が欲しかったがキッチン、厨房用品の店にまで行っても見つからず…なぜか野球漬けの毎日…テレビでやってるペナントレースとオールスター(大阪桐蔭の同窓会か)、それに引き続くスポーツニュースを毎回気持ち悪くなりそうなほど視聴…野球に関する諸々の事が知りたい、と渇望する細君に参考書代わりに薦めたモーニングKCの「グラゼニ」も熟読し…本誌最新の夏之介…左ひじ手術というドン底…目が離せない…音楽は聴いている。

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「debile menthol/emile a la campagne(1981?)recdec601」



集団の中に安全に身を浸しながら其の意識なく、標的にした個人を「お前は悪魔だお前は悪魔だ」と罵りながら其の個人の首切り落としたり真裸で片足縛りの逆さ吊りで嬲り殺すという、いざとなったらそう云う事も平気でやる普通の人間たちの方が真正の悪魔であると真正面から剥き出しに描き付けるのが永井豪先生のデビルマンであって、集団心理だから、などといった例の甘ったれた、且つ反省なしに狡猾に保身する心理用語如きで免罪する気ゼロの永井先生だからこそ人間のおぞましさと残虐を、徹底的に救いの無い絶望状況の中で表現できる…デビル・メントールという、国籍不明だがフランス語圏のバンド…得体の知れぬこの2枚組のCD…聴いてみる…欧州の知的上層階級の変態さんの集まりなのかな、と思いきや、変態さんに成りきれるほどの薄汚い迸りは少なくて、ベルリンフィルとかウイーンフィルの、各楽器の首席奏者らが手慰みにロックやフュージョンや前衛ジャズやプログレに色目使いました、風の、超絶技巧の生真面目さを、今少し抜け切れない珍曲において貫く事で醸すおかしみ、は、小茄子茶入を甍の如くきちりと割り継いだ石田光成的創意程度には発生していた…今、聴きたい音楽じゃないな…しかし、今聴きたい音楽を聴いてもその後の、満足する方向性も含めて未来が読めてしまう飽き飽きも予見される中、渋渋聴いたのであった…普通に、ごく有名なクラシック(西洋古典音楽)を聴きたい…メンデルスゾーンとか…すると、1枚目の最後の曲は佳曲、日本人には思いもつかないような意表を衝く筆致の細いコーラスと苦み走った変拍子が新鮮ではあった。ディズニー男子だとかテレビでほざかれている…顔に産毛の生えた10~20代の男どもが4,5人でつるんで女子抜きでディズニーランドではしゃぐらしい…画面のキムタクに匹敵する糞みたいだ…ミッキーのパレードに導かれて本当にガス室送りにならないと其の愚が了解出来ないほどの愚昧なんだろうか…ギロが欲しい。ファゴットも欲しい。楽器演奏自体には興味はないが、最近は、楽器の形態の面白さにそそられて、そうした楽器を鑑賞用に手元に置きたくなる…興が乗った黄昏時に、ヴィブラスラップを鳴らして楽しんでいます…でんぱ組.incは、ある種の限界を超えた処でやっている、アイドル歌謡のハードコアなのだろう…如何なる分野にせよハードコアであれば一目置かざるを得ないし、でんぱ組.incの、稲妻モチーフのTシャツはかっこよい。政局から戦局へとようやく歯車が動き出したへうげもの…其の結末を思うと山田先生の如何なる創意で以てしても断腸の思いは避けられぬがそれはさておき、織部妄魂の北野大茶会、最終回を記念して本当にやらないのだろうか…やるとしたらそろそろメディア発表があってもよい時分だと思うが…数年前に小生が、抹茶と茶筅で揮毫した「織部妄魂」の書を同封して講談社に檄文を送りその趣旨を丁寧に説いたはずだが反応ゼロ…また不発か。もう一回送ろうかな…。近隣のマイルドヤンキーとの諍いも今は小康状態…生まれて死ぬまで激動しかない劇的な人もいたかもしれぬが概ね人生と云うのは不穏を抱えた小康状態なのだろう…理屈はいい、結局、魚介がおいしい居酒屋で思う存分のみたいだけであった…在り来たりだがまずは生ビール中ジョッキ、出し巻卵、牛筋煮込み、焼鳥盛り合わせ、刺身盛り合わせ、冷奴、鳥の唐揚げ、サイコロステーキ、シーザーサラダ、蛍烏賊の沖漬け、枝豆、アスパラベーコン、揚げ餅、カマンベールチーズ揚げ等、無論、想像できないような郷土料理があれば尚良いが…ジョッキ3杯くらいやって時と場所が温もったら日本酒2合…酔いが回り弁論が乗ればハイボールに移り、カリフォルニア巻か穴子の握り寿司でさっぱり締めて…恐らく22:00、長い夜に備えて河岸を変えるべく街に繰り出し…一体何を想像しているのか夏…馬鹿馬鹿しい。女子会ショッピングに出かけた細君の留守をついて、愛用していたコーヒーカップ(アメリカ陶)の罅割れを漆で繕う…沸沸と火山性軽石みたいな気孔のあるざんぐり温かみのある土が覗き、四方八方からドロァッと釉薬が暴れる大ぶりの分厚めカップ…焼きが甘いからか湯を注ぐとピシッと罅割れが生じて水漏れの惨事に…いいんだか悪いんだか分からないが溶岩みたいに傷口を漆で盛り上げて一先ず終了…直に皮膚に漆が接触すると最悪なので注意を要するが、注意の路線を慎重に歩んでいるとある瞬間に捨て鉢になってちゃぶ台返す気質の小生…換気や漆の乾きへの影響を少なくするためエアコンや扇風機なしでやっていたから汗だく、漆の付着した手袋も汗だくなので汗だけでも落としたいから無論洗濯機には入れず洗い場で水で其の手袋をじゃぶじゃぶ手洗いしてぎゅっと絞った後、うっかり、顔もばしゃばしゃ洗ってしまい…手に付着した漆が顔になすられた可能性に後で気づき(漆は水では落ちない)、何となく顔がひりひり痒いように感じ、焦り早速漆芸辞典を紐解くと2,3時間後にかぶれ発症、とあるから恐れていたが運よくかぶれなかった。ひりひりは、顔の水滴をタオルで拭う時にごしごしやり過ぎたためなのだろう…先週、新幹線のドクターイエローを目撃したおかげだと思う。麦茶から、蛙の卵が沈む浅い池の臭いがする…日曜日午後、鑑定団二本立ての週がこのところ毎週続いている…土曜日も含めて、毎週、鑑定団を三本視聴せざるを得ない苛酷…ヤンキー家族が持ち前の繁殖力でヤンキーを増やしまくるヤンキー国家、日本。富と権力の少数集中と貧民の多数化といった資本主義の末路が原因なのか漢籍を読まなくなったのが原因なのか不明だが…民度の低下、草の根の暴力=治安の悪化が他人事でなくなりつつある…汚い巻き舌での恫喝、恐喝、悪口、ガタイに物言わせる威嚇と暴力、姑息なひったくりがそこかしこで剥き出しに身近になりつつある…子猫ってのはちっともかわいくない。大人の猫のほうがはるかにかわいい。それも、顔のほころんだ年寄りの猫ほどかわいいものはない。

francois liegme:batteries
patrice dupasquier:percussion
cedric p. vuille:claviers
yvan g. chkolnix:basses
marie c. schwab:guitares
gilles vincent rieder:violin
jean-maurice rossel:saxs
jean-vincent huguenin:voix

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不穏…

生活の不穏著しく…今週も書けない…近隣のゴロツキあるいはマイルドヤンキーとの、会話にならぬ、ねちこい、くだらぬ諍い(いさかい)や、物の見方や価値も分からぬくせに浅すぎる知識を振り回して恥を知らぬ高慢ちきなリサイクルショップ店員とのくだらない揉め事に辟易、困憊、結局のところ貧しいさもしさ故か短気に激高したり、むきになって我を失った小生の愚も顧みられては時遅く慙愧の念を殊更に深めて気分が粘着質に落ち込み、切り立った殺伐…その他諸々、ついてない事続きで…ドクターイエローを目撃したからこれにあやかって不運続きのこの流れから脱却し、つきを取り戻したい…漱石の倫敦塔と硝子戸の中を買う…これで運気を取り戻せるか。エヴァの使徒みたいな物体も、手芸屋でお助けする。

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「お休み」

右手首と左手首の筋が痛むゆえ、今週はお休み…キーボード打ち過ぎなのか、別件の作業のし過ぎなのか…右手の親指の付け根も痛むし…怖いもの見たさ、下手物見たさでついまたNKHニッポンのジレンマを見てしまい、ヘドが出るような引き裂かれた憎悪と憤怒に苛まれる深更…男女共同参画とやらをテーマに女性論者に喋らす…このままだと国民総生産が減って日本が駄目になるから少子化対策と労働力不足解消のための女性の産業進出促進、専業主婦否定という政権の政策そのままを民間の立場で代弁する事で、政権の思惑を国民の総意として醸成させる手先の役割を、恐らく官邸から直接は頼まれもせず率先して演じる、社会的発言力を獲得したらしき女性論者のスマートな口舌を数秒聴いていると…彼女らの有り様から小生が想起させられたのは、戦前の、「国防婦人会」の発足である…軍国主義と思想統制に関して、軍部はいまだ政治への介入に関しては躊躇していた時局において何故か官憲から頼まれもせず軍部協賛機関を、民間の、それも戦死した息子をもつ母親たちが、率先して軍部への忠誠として社会運動にした歴史は、その後の軍国主義の促進にあたって国家のためらいを払拭せしめるに充分であった。昨今の、市場原理と共同体原理(と生命原理)の乖離を限りなくゼロに近づける、幼稚な洗脳政策の論理を流暢に開陳する女性論者を観覧する、恐らく民主的協賛の図を演ずるためにかき集められたらしき「同世代の女性」たちの表情は一様に固く…何とはなしの違和感を感じながらも論者らを反駁しうる論理を構築できずにいるもどかしさに鬱屈、質問してもプレゼン上手の女性論者に速攻で鎮火せられて歯切れは悪い。市場原理と共同体原理が生命原理を紐帯として結託するのであるが人間は生命原理を超克し、市場原理と共同体原理の自堕落な同一化を引き裂く意志を興すものである…この女性論者たちは、結局、人間の何たるかを知らない、現政権を組織する国家主義的男どもの、かように怯えた奴隷的論理におもねて暗唱できるようになったために社会的発言力を得たに過ぎず、そうした国家主義への民主的協賛の図に利用すべく集められた観覧者の「同性代の女性」たちの社会的立場とは乖離している、という違和感を、観覧者自身や視聴者たちに知らしめる結果になった。国民総生産だとか国力だとか平均値だとかいった単なる計算値にして人間個人そのものと何の関係も無い妄想の維持向上を目的に、人間個人を動かそうとする国家主権の国家主義的政策への論理的批判は小生が過去に書いた。ただし、国力減退による戦力減退に、近隣のゴロツキ国家が付け込んできて国民の財産と主権を簒奪するかも、という推測に対しては、戦力減退が実際に起こるならばその兆候をデータで把握しつつ、決定的なほど戦力が減退する前に情報戦も駆使して戦力減退を隠蔽しつつ外交戦略で専守防衛するしかない…間違っても浮足立って戦備えに汲々する愚策に多額の税を投入してはならぬ。とは言え、戦備えが近隣のゴロツキを刺激して戦端を開くきっかけになるやも、というのは小生とて人の良い平和ボケの、過剰に知性的な情緒的勘繰りに過ぎないのは分かるし、結局ゴロツキは、相手が弱ければ攻めるし強ければ攻めてこない、という、それ以上でも以下でもないドライな野生の原理に従っているだけなのだから適当なる専守防衛を備える事に対して、相手国に情緒的に気兼ねする必要は皆無である。名目だけかもしれぬが曲がりなりにも日米安保を確約させた東シナ海のある程度抑制された状況と、当事国の戦力不足に付け込んでやられ放題の南シナ海の状況を見れば一目瞭然である…まあ…理屈を張り合うと碌な事にならぬから、「うまいことやる」しかないのだろう…手首が痛い。ギリシャのデフォルト…それ自体もかなり深刻だが、実際、対岸の火事ではない…

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「japan/tin drum(2003?)7243 5 91022 2 1」



デヴィッド・ボウイとYMO、とりわけ坂本龍一の傑作「左うでの夢」との合いの子みたいな…きめ細やかな汎ジャポニカ―ナ的田園風景に、ボウイ的なヨーロッパの厳格且つ静謐で凶悪なる鋼鉄の骨が芯を貫く…その骨の骨髄は毒々しい紅の熟肉を呈しておりつつ、ささ波の稲穂原が虹色の籾を実らせたような総天然色漫画ジャパン…不思議な佳作である。ひねこびて神経質そうな、部屋に埃を一粒でも持ち込もうならナイフで切られそうな危険な男のぬめった歌声…

せっかく梅雨の合間の貴重な晴天、涼やかな風が心地よい、穏やかな一日を過ごしたのにまた近所の莫迦犬がギャンギャンギャンギャン無駄吠えで、イラツキの熾火を掻き起してくる…トヨタの一役員如きのくだらん個別的事件如きをあげつらうのに誤魔化されたかのように、しれっと、深刻な政治状況が進行、派遣法が衆院通過という重大な劣悪状況が矮小化され、取るに足らぬ事のように扱われる欺瞞にもう我慢ならないのは小生のみなのだろうか…あ、今、吠え止んだのでその隙間を縫って、小生が今日如何に穏やかな充実した一日だったかを記すと…思い出されるのはやはり逆鱗に触れた雄山、であって、巷で評判のいい洋食屋を訪れた雄山、出されるメニュウにしばらく満足げだったのが、レモンを添えられたカキフライが出された途端逆鱗、「なぜレモンなのだ!」と怒り心頭で手に付けられぬ模様…「なぜカキフライにレモンを添えるのだ。他の食材の組み合わせを試した事はあるのか!どうなんだ!」とコックを恫喝、正鵠を射る指摘だったからうろたえて答えられないコックを尻目に雄山は店を出る…その後雄山はねちこい事に、雑誌で、日頃の仕事に疑いを持たず漫然と食材を組み合わせる料理人としての堕落した怠惰の一例、としてこの洋食屋を挙げたから客激減、憎悪を募らせたコックが雄山を街中で待ち伏せして刃物を持ち出し、殺人未遂の刃傷沙汰に及ぶ、その後は例によって士郎の入れ知恵によってコックは目出度く雄山の鼻を明かす、という展開なのだが…この逸話を持ち出したのは、以前から小生が取り組んでいる、麦藁帽子に黒いリボン、の組み合わせ、への疑問と怒り、なのであって、何故麦藁帽子に黒いリボンなのか、他の組み合わせは試したのか、他の材質はどうなんだ、という、作り手へ怒りがこみ上げるが小生の満足に足る試みを勇躍成し遂げたような帽子は巷には無い、無いなら己で作るしかないから早速自分の麦藁帽子の黒リボンを断ち切り、無いなら無いで物足りぬという事実を改めて己自身で学びつつ代替として種々の布質のリボンを試したが納得いかず遂に金属がよいのでは、と思いを致し、アルミの針金を巻いてみたがいまいち、といった結果で前回の報告は終わっていたと思う。その後、真鍮の極細針金なんぞを、幾分ふんわりと、あたかも小鳥の巣のようなあしらいで麦藁帽子に巻いてみたが、悪くはないものの、最近はロンドンパンク、ニューウェーブ、ノーウェーブ的な先鋭が纏うゴシック的凶悪のどっしり豪奢な感じに興がそそられるのもあってか侘び風情一辺倒では物足りぬ…できれば、車のバンパーみたいなクロムメッキした金属の、断面が半円か台形の形状で存在感をヴォリュームで主張するリボンをガッと麦藁帽子に巻きたい…という欲望にかられるが、かような材料は入手困難…結局、クリエイティヴなお店東急ハンズの素材コーナーで、焼き入れした炭素鋼リボン(0.3mm厚*幅10mmぜんまい用)が目に留まりお助け、早速帽子に巻いてみると悪くない、麦藁の侘び風情と炭素鋼のインダストリアルな荒み感が、両者の素材感の剥き出しによっていい感じに活きてくるのであった…出色の出来栄えである。

如何なる形にせよ体制化された労働によって直接糧を得る事で生活する人間にとって一に労働、二に労働であって労働問題というのは直接的に人間の基本的人権を蹂躙する体制犯罪である。安保法制は国家の大事である。しかし、その陰で、多大なる無力感と諦めの静けさの中、派遣法改悪が委員会と衆院をしれっと通過するという事態は、日々の生活そのものという労働問題の直接性からいえば安保以上に深刻である。そして本当に深刻なのはこうした事態の深刻性が社会的に共有されない、あるいは社会的同意の下に表明されない事こそ、なのである。あるいはその深刻性を共有していてもそれが民主的総意にならぬようマスコミ操作などによって巧妙に疎外されている事なのである。その証拠に、派遣法改悪に関する世論調査をマスコミは大々的に公表しないのである。ネットごときで幾らつぶやこうとも散発的に過ぎず民主的力にはならない…頭の悪い資本主義体制化において労働条件は劣悪化の一途を辿るベクトルであるのは自明の理であり、そのベクトルに歯止めをかけ基本的人権を遵守するのが国家の存在意義の4割は占めるといってよい。ところが小泉-安倍自民党政権はこの劣悪ベクトルを阻止するどころか、少数者にして民主的正統性皆無な寡頭資本の取り巻き連中からの献金漬けによってこの劣悪ベクトルの方向と強度をさらに劣悪に推し進めるのであって、今時政権の国民への敵性は露悪趣味なほどに顕著になっている。自国民ばかりか近隣の諸国民までも研修生と称して労働搾取する実態を放置し、種々の労働犯罪を等閑に付す無神経な怠慢を晒しながら此の国の首相は法と民主主義という共通の価値観云々などと外交現場で披瀝する恥知らずは目に余る。

加えて、労働条件の劣悪化ベクトルを更に劣悪に推し進める、国家の仕事を放棄し敵性国家に成り果てた政策を美辞麗句して、「働き方の多様性」などと喧伝するに至ってはあいた口がふさがらない詭弁にして、有権者及び労働者を愚弄する愚劣を極めた。誰も求めもしない、労働条件の劣悪化を更に促進する政策の、そうした根本を隠蔽する概念として、多様性、などという、あたかも民主的に喜ばれる言辞を援用する見え透いた欺瞞、子供だましを公言するに至っては国民は此の政権にとことんまで馬鹿にされていると思わなければならない。派遣労働者に所定期間が来たら正社員か他の職場か派遣会社への雇用を確保する義務を課するとしていたり、同一労働同一賃金などと云っているが微々たる罰則規定しかない、骨抜きの法案であり、電話で、派遣会社「正社員にしてくれませんかね」、派遣先「正社員にはしません」、派遣会社「はい、そうですか」で終わるだけである…要するに、虚ろなポエムに過ぎない。労働者を守る条件は見かけ倒しで率先して骨抜きにされ、しかし労働者を搾取する条件だけは刑務所の檻のようにがっしり機能する法なのである…それこそ、劣悪飲食業が「いきがい」「やりがい」「夢」とかいった美辞麗句をあいだみつを風にまぶした社訓の唱和によって若い店員を洗脳し体よく長時間搾取する体制犯罪腐れポエムの一種である。

結局の処、労働者派遣法の中身云々というよりも、そもそも、労組による団交等によって、労働条件を、対等の立場の労使間で交渉できない派遣会社制度の存在並びに労組などの交渉手段を持たない会社、あるいはたかだか社内法によって労組を禁ずる会社の存在(←いずれも団結権、労働基準法違反)およびそれを助長、承認する国家の存在自体が憲法で規定する団結権、団体交渉権をないがしろにするものだから違憲であり、最終的には人権蹂躙会社/人権蹂躙国家/反立憲国家にして人類の敵なのである。多様性などといった子供だましの嘘を並べたてながら民主的笑顔で平然と人権を蹂躙するおぞましい此の政権は…しかし、安保法制は…(続く)

NHK時論公論…派遣法について、で、数十年働いてきた派遣先から解雇を言い渡されて。

「自分の人生を踏みにじられていると思いました」 50代女性 派遣社員

david sylvian:keyboards, keyboard programing, tapes, guitar, vocals
steve jansen:drums, percussion, electronic & keyboard percussion
richard barbieri:keyboards, keyboard programing, tapes
mick karn:fretless bass, african flute, dida
yuka fujii:vocals
simon house:violin

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「new musik/from a to b(1980)esca7850」


ニューミュージック…英国テクノポップの優等生…本来、欧米圏で「ニューミュージック」というとジョン・ケージなどの前衛音楽を指す言葉であるというのを踏まえたバンド名である事は、たかが私的な感想であっても注記すべきである…ミョンミョンいうシンセ…悩み事の無い爽快なドライブ…一瞬、龍一坂本を想起させるノスタルジックでリリカルな音色を器用に織り交ぜてくる…それ以上、特筆すべき事は思いつかない。

意外に朝から晩までカラスが五月蠅く…無力の個人に託ちながら政治状況に思いを致す時は「肥溜めに落ちた鬼瓦」のような赤熱した心境で忿怒と憎悪を煮詰まらせているが…近所の莫迦犬の無駄吠えへの怒りはその時々の激高の跳ね上がりが怒髪天を衝く鋭さで頭頂から血が噴出するが如き、徒に攻撃的な怒りと破壊衝動に自分自身が壊されそうである昼下がり…質の悪い睡眠も、そうした情緒不安定を助長するのだろうと思うと、過日の、馬齢を重ねる直前に受けた人間ドッグが懐かしく思い出される…心残りの先週の宿題への疼き(抑圧移譲の原理⇒排除の原理)は冷めやらぬまましかし月日が経てば如何なる惨事も無かった事にされるふざけた欺瞞を野放しにする惰性の堕落…結局、目先の睡眠不足が全てのやる気を削ぐのであって…つい、タモリ倶楽部が「第一回接岸選手権」なるものをやるから午前1:15まで無理して起きて視聴したがために1:45から全く眠れず…隠岐の島などの大型フェリーでの接岸作業に一方ならず魅了されていた小生…そこへタモリ倶楽部がぶっこんできたから見ざるを得ない…すると、七類港への、馴染みの隠岐汽船「くにが」の接岸作業もノミネートされており…勉強になり小さく興奮する…ただ、遠方からのアングルでしか捉えていない接岸動画ばかりだったのが残念、もっと作業員の近くで肉迫してほしかった。電車の車両の連結や切り離しには撮り鉄の方方が大勢注目しているが…大型船の接岸の魅力も、これを機に掘り起こされてもいいと思うし、こっちの方が見た目にも面白いと思う。結局、午前0時前後の眠気の流れに身を任せられなかったらその晩は夜通し目覚めており、目を固く瞑っても脳が自ら白色光をギンギンに発光しているような感じで悶悶と眠れぬ…そして吐き気とムカつき著しい朝となってその日一日無駄になるという…諸々の理由があって休肝日を設ける殊勝な心掛けも…酒に替わる何か、刺激の強い嗜好品として珈琲の味を覚えてしまい…そうすると、常態的なアルコールによる眠気が無い地盤に、カフェインによる眠気の払拭もあいまってまた不眠、という悪循環…ある程度原因が分かっているから対処のしようのある不眠とはいえ、質の良い睡眠への憧憬あまりあるから、過日の、人間ドッグの胃カメラ前に意識をなくしてくれる注射を二の腕にブッスと打たれた直後の、強力に強制的に眠りへと押し流してくれて意識がなくなる直前の、大いなる眠気の、豊かな快感が忘れられない…実際の話、あんなふうに死ねたら、と真剣に考えてしまう。それで、結果は思わしくないものだった…採血の時、小生が終わるまでに隣席では二人が採血を終わらせていたのも前兆ではあったが…所定量採れるまで時間がかかり…看護師は「血管が細いからですかね」と云ってくれていたが小生の目からすれば何となく血液の粘性の高さと血圧の低さが原因のようにも思われ…案の定、血中コレステロール(悪玉)が過去2番目に高い数値をマークしたのであった…此度の人間ドッグにあたっては、血中コレステロールを下げるために努力してきたからその成果を出さんとして並々ならぬ意気込みで臨んでおり…この一、二年、荒みにまかせての週2,3回のマック通い(毎回ダブルチーズバーガーのセット、ポテトとコーラLサイズ+チキンナゲットという暴食…)をきっぱり止め、のり弁、唐揚げ弁当などのコンビニ弁当をやめ、採っていなかった朝食を始めて、その朝食でも野菜をしっかり採るように実行し、晩の魚料理も週1回から週3、4回まで増やして飯は腹八分、断腸の思いでしおらしく休肝日を設け、毎日体重測定を実施して体重管理を徹底させつつ近所の激しい登り坂を利用した自転車での有酸素運動を取り入れて体重を全盛期よりも7kg落とし…それなのになぜかコレステロールはむしろ前回より急増して基準値を遥かに上回るという納得いかない結果…血中コレステロールは体質の影響も大きいから食餌療法が効かないと聞くがそういうことなのか。しかし、前回基準値上限ぎりぎりだった血糖値は今回下がってくれた事と、種々の人生苦、思想苦による得体の知れぬ不安に襲われて夕方になると動悸のようなものに襲われる気がしていたが心電図には取りあえず異状は見られなかった事で良しとしたい…理屈はどうでもよい、抑圧移譲の原理も排除の原理も…結局小生が芯から切望しているのは居酒屋でよい酒よい肴を充実して飲み食いする事、ただそれだけである。頭痛がひどい…マイナンバー、労働者派遣法改悪など稀に見る劣悪法が政権によって次々成立しつつあるが…申し訳程度に定理を一つ捨て台詞する。ちなみに昨今盛んな安保法制に対する小生の考えの立ち位置は複雑で、一言では要領を開陳できない。

①間接民主制=間接独裁制(間接寡頭制) ※境界条件:選挙と、次の選挙の間の期間
②悪貨は良貨を駆逐する、という格言のように、悪貨=独裁(寡頭)は良貨=民主を駆逐する傾向は免れない。
③間接独裁制(間接寡頭制)=直接独裁制(直接寡頭制)

よって、①、②、③を演算すると…間接民主制とは畢竟、独裁、乃至は、一部の社会階級の利益を代表する寡頭制に他ならない。この結果は、究極的な過程を経なくても、日常的に成立するといってよい。間接民主制とは直接独裁制(直接寡頭制)という実態を隠蔽する欺瞞の用語に過ぎなくなる。ならば直接民主制だといいのかというとそうでもなく、多数の衆愚が直接政権を握るというリスクが直接的に急進的に高まるのであって…間接民主制というある種の曖昧な逃げ道があるからこそ…(省略)頭が痛い。それは兎も角、労働者派遣法改正に対する世論調査をなぜマスコミは実施しないのか。結果があるのに公表しないのか。いずれにせよ隣国のしくじりや情報統制をうれしげに笑う場合ではないほど、此の国の「情報統制」は悪質かつ深刻である。

phil towner:drums, percussion
clive gates:keyboards
tony hibbert:bass guitar
tony mansfield:guitar, keyboards,vocals

 

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「deaf school/what a way to end it all(1976-1978)cmedo797」



糸遊に結びつきたる煙哉 芭蕉

デフ・スクールという英国のバンド。時間が無いのライナー斜め読みすると…リヴァプールのアート・カレッジ、クリスマスでのダンスパーティでモテたいがために結成したダンスバンドが始まり、というありがちながら…隣接する聾唖学校でセッションを重ねたとの由。いわゆる英国アートスクール系ポップロックにして広義にはモダンポップ/モダンロックの一潮流…従って常套の形容詞を挙げればライナーによると…モダン、シニカル、ノスタルジー、ロマンティズム、デカダンス、ユーモアといった処…屈託なくブルースロックの様式から解き放たれて、民族調の女性コーラスを背景に、雰囲気作りをぶち壊すならず者の御下劣サックス浪人先生を雇いながら、甘ったれつつ何処かラリった変態声の男が音程無視で下品に歌い染めてくる…野太く腐った丸太じみた男どもの斉唱も土砂土砂したリズムと共に鉈のように打ち込んでくるからこうした系譜はやはりどうしてもザッパの音楽に聴こえる瞬間もありつつ…古代ギリシャ人かローマ人の自然哲学者の誰かは、人間というのは心の原子と体の原子が交互に配列している、という独創的な原子論を書き残しているが…デフ・スクールも、ポップと前衛が交互に配列した背骨であるかのように、要するに不可解である。従って奇抜、という突出も最終的には埋没してしまうほど異色の楽器編成と量子的に捉え処の無い楽曲展開であり聴き処だらけであった…いつ買ったのか忘れたが最初の1、2曲聴いただけで放置していたこの物件、この度改めて聴き通すと意表突かれる事多数である。水際立って華麗なプログレ展開が繰り出されたかと思いきや、同時に、その高雅なプログレッシブ趣を平気でぶち壊す御下劣サックスがべーべーと下世話に鳴らされ、品のいい趣味のリスナーには聞くに堪えない代物への没入も戦略的にやる尖りがそこかしこで自爆している…XTCや10ccほどの作風の完成度は望めないものの、その分、風通しよく、すかすかに寛ぎながら一筋縄ではいかぬ先鋭を意外な処から掬い取るのに長けており、雑多な事物が蠢く基底により近い柔軟性が聴こえる。ラディカルである事がある種の脱力を伴うという先見も聴こえてくる…

休日雑感 五句

馴れるほど葱はつながる小口切り
湯に溶けよ胸刺す楔ドライヤー
プロ野球お好み焼に美味しんぼ
いざ抜いた鼻毛は白し青梅かな
酒余り逃して悔し豆腐売り

六月二日、雨、ナイター、広島対日ハム戦を球場で観戦…雨合羽持ってきてよかった…しかし試合中止になるほど篠突く雨ではない、霧雨風情の雨なので…体が冷える一方でビールもさほど進まず、しかし体の冷えによって少量のビールでも大量の尿が出るから中座を余儀なくされつつ、種々の荷物の雨仕舞いなどに追われて試合展開にも集中できない悪循環もあったが試合も最悪、雨の中、中継ぎへの絶対的不信感から先発のマエケンに8回まで投げさせた挙句、辛くも4-2で広島がリードを維持していたところ、9回で、多少は頼りがいのあると思っていた抑えのエース中崎がまさかの乱調、フォアボール連続で日ハムの追加点をゆるし、浮足立ったベンチは闇雲に中崎→戸田→中田(廉)と継投に走るも、もともと頼りにならぬ中継ぎだから日ハムの、清原への私淑を勘繰らせて余りある悪羅悪羅系が似合う4番中田とかにどんどん不甲斐無く打たれて9回だけで5点も取られて4-7で惨敗という、開いた口が塞がらぬ結果…しかし、実力通りの、納得の結果でもあり、…先の4点も、日ハムのフォアボールとエラーに付け込んだ盗塁によるごっつぁん的な得点に過ぎなかったのであった…とは言え球場での観戦では観客の観客性の剥き出しが観察され、テレビ観戦では味わえない臨場感は貴重である。それにしても広島の攻めは三者凡退続きであっという間に終わるが日ハムの攻めは執拗に長く一回一回の3アウトまでがすこぶる長いから広島の投手への負担は推して知る必要も無く、投球数が1.5倍というデータできちんと示されている…8回、ずぶ濡れ且つぼろぼろのマエケンが疲労で制球が甘くなりヒット性の打球が例の中田から左中間へ飛ばされるが、たまたまその場にいただけの、その辺をのそのそするだけで走る守備をする気の無いらしきエルドレッドのグローブにボールが直接吸い込まれて、喉から手が出るほど欲しいアウトをようやく得るという奇跡があると後方から満場に響く野太い男声がすかさず「ありがとーっ」という心の叫びを露呈、観客性剥き出しへの直面に図らずも感動したのであった。この御方、先ほどから機敏にしてなかなか的を射た野次を飛ばしてくる…特に捕手会澤への野次が当意即妙にして執拗である…「ピッチャー一人にするなやーっ」「芝生が怖いんかお前はーっ」など…ピンチの時、一塁の新井がマエケンに駆け寄るというシーンはあったが捕手が動いたことは確かになかったし、野球観戦初心者の小生はドカベンとかタッチとかの影響で捕手は5番くらいで本塁打などを打つ事で投手を助けるものと思い込んでいたがこの会澤は打席に立ってもボールを見る気全くなし、見逃し三振でも悪びれ無いふてぶてしさが悪目立ちしていたのである。まだ打席のマエケンの方がボールにくらいついて打点に貢献する場面が多かったのである。日ハムの大谷が代打で出たがあっさりマエケンに三振で打ち取られて一打席だけで引っ込むという、試合の流れ上必要性が疑われる、客寄せパンダのような起用の小さな珍事が面白かった。

制度内であれこれするだけで根本的に創造的でないスポーツというものを、見る方も見られる方も奴隷の御遊戯として徹底的に軽蔑していた小生が何だかんだで観戦を楽しむ、乃至は味わうようになっているのは…野外でのビールの旨さもさることながら…世相が詰まった、あるいは巧妙に隠蔽されたニュースなど視聴すると怒りに激高し胸が痛み精神的に動悸著しく生活や創造に支障を来すので休憩がてら漫然と、直接には政治的でない野球中継や将棋トーナメントを視聴するようになったという流れである…と、ニュースと云えばNHKニュースウォッチ9…さほど政治的に突っ込んだ発言をしている訳でもないのに原発関連で多少政府を問い質すようなごく常識的な抑制されたコメントを繰り返しただけで官邸から恫喝されて降板させられた大越氏に代わって登場した男性キャスターの露骨なまでの政治的自粛が凄まじいほどで…安全保障、労働、原発、年金といった政治関連のニュースには絶対にコメントを入れない無言という徹底ぶり、政治的にどうでもよい話題の時だけ生硬なコメントを入れるという…そしてお天気とかスポーツコーナーになるとそうした不自然を払拭するようにわざとらしく明るく切り替えてくる…誰もが気づいていることではあろうが…皮肉なことに今、最も「政治的」なニュース番組に仕上がっている…だいたい、民放などは自民党の支持母体である経団連大企業をスポンサーにしているから政権批判が困難なのは分かるがNHKなんかは直接国民から受信料を徴収して経営しているのだから最も国民の側に立って政権批判に徹すべき立場であり、だからこその公共放送であるものを、最早たんなる国策国営大本営放送へ堕している…政治向きの意見は時論公論にでも譲っているつもりなのだろうが…いずれにせよNHKは放送時間のあらゆる時間を使って国民の側に立ち政権批判に徹しない限り公共放送としては無価値にして死んでいるといっていい…国民主権を国家主権に取り違える愚民開発放送…ワンピース一本槍、我が道を行く井田さんと対照的に、此度の女性キャスターのファッションは、…通夜の喪服や田舎の法事での服装のように何だか地味で見栄えせぬ…同じNHKのニュースウェブを渋渋、音を消してまで見ているのは女性キャスター鎌倉千秋のモード系ファッションの斬新さや着こなしが目を見張るからであって、特に、画面を指さす時に自ずとクローズアップされる手首のブレスレットが夜の世界の美しさを醸しており毎日目が離せない…それに引き替え目障りなのは画面下のツイッタ―垂れ流しであって、ニュースウェブと銘打っているから視聴者としては受け入れるしかないのであるがファッション目当てと云えどどうしてもちらちらとその内容を黙読してしまう訳でその度に疼く怒りが禁じえない…過日の、個別系塾講師バイトの大学生たちが労組結成して塾側と労働条件の改善を団交するという話題でも…取り上げられたツイッタ―意見の大半は「自分のバイト先はたいしてきつくない」「学生を甘やかせすぎ」「すぐやめたらいいんじゃない?」「そこまでするまで何とかならなかったのか」といった、労組結成に対して冷淡な反応、危険を冒して自らの権利を守ろうと、政治的歴史的に正攻法で立ち上がった、今時珍しい学生の勇気と努力を讃え励ます事はなく、そうした行為に対して何処か傍観者的な、君子危うきに近寄らず的な及び腰の、小賢しくさもしい警戒を怠らぬ保身の態度が垣間見える、歯に衣着せたツイートばかりだったのである…事例紹介ばかりしても仕方ない。

野球の話とか、労組への冷淡とか、結局何が言いたかったかというと、此の国の共同体原理にはびこる「抑圧移譲の原理」なのである…野球のような娯楽でこの原理が働くのはぎりぎり許せるようになったが、政治状況でこの原理が作動すると絶対に容認してはならない…「抑圧移譲の原理」とは、丸山真男が戦時中の皇軍実態の解析において導入した概念の一つである。その現代的事例は枚挙に暇ないが…飲食店やコンビニでの、店員に対する高圧的土下座要求、学校や老人介護施設や障害者就労施設での絶え間ない虐待、長時間労働の強制やブラック企業などの労働問題、それらの反作用としての皇室礼賛など…すべて、この「抑圧移譲の原理」の現象論を現代の事例に当てはめれば説明がつく。「抑圧移譲の原理」の行き着く終着点は「排除の論理」、要するに「嫌なら会社やめろ」「此の国が嫌なら出ていけ」「非国民!」である…今日は、鑑定団二本立てを2時間視聴して疲れ、鈍器で殴られたように激しい眠気に襲われているので…次回、「抑圧移譲の原理」(要するに「憂さ晴らし」「弱い者いじめ」「足の引っ張り合い」という弱者の坩堝)で現代日本の劣悪諸相をつぶさに説明し、丸裸にすることでこの「抑圧移譲の原理」と「排除の論理」を小生が徹底的に粉砕する予定である。有り触れた話なんだけども…

そういえばNHKの低俗歴史番組「歴史秘話ヒストリア」…「オレは即身仏になる!」などと…明らかに「即身仏にオレはなる!」という構文であの億万漫画を想起させつつ、それではあまりにもアレなので露骨に避けはする、というあざとさが、ふざけるにも程がある。女性司会者が湯殿山の即身仏と御対面して一泣き入れる、という申し訳程度の畏敬もあったがどうにも…ふざけるにも程がある。

クライヴ・ランガ‐:g
スティーヴ・アレン:vo
スティーヴ・リンジー:b
ジョン・ウッド:kbd
マーティン3姉妹:コーラス隊
ティム・ウィタカー:ds
サム・デイヴィス:vo
イアン・リッチー:sax
他、合計12名

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