ロック史を体系的議論から解き放ちながら、サイケデリアの土着性とハードロックの非継承性を論ずる。主要1000タイトル、20年計画、週1回更新のプログ形式。
続き
やれやれ、今年のGWは新車転がしてあっちこっちドライブ、走る喜びを体感する予定だったのにまさかの疫病で家に蟄居を強いられ…蟄居と云うほどでもなく実際は近所のスーパーに出かけるぐらいはしたが…それにしてもホームセンターの人だかりは凄い…園芸にかける思いが、台車に乗せた肥料や赤玉土一袋30㎏クラスのてんこ盛りが物語る…ニュートンはペストが蔓延したロンドンのケンブリッジ大学を避けて帰郷、其処での引きこもり生活の間に万有引力、微分積分、光のプリズム理論などを一挙に立ち上げていたっけ…確か1665年、いわゆるニュートン奇跡の年…此れに匹敵するはアインシュタイン奇跡の年、1905年…特殊相対性理論、光電効果、ブラウン運動による分子量解析を一挙に論文提出…そんな天才たちと引き合わせるのは烏滸がましいにもほどがあるが、では自分は此の休みに何を成したか…三冊は読まねばならぬ課題を抱えていたが0.9冊しか読めず…複雑系、非線形科学、離散数学…それは、内容が頭に入らないというよりも、内容がびんびん来すぎる、あまりにも自分にとって示唆に富み過ぎて一ページ読むだけでも自分が構想している諸問題のあちこちと一挙に相互作用する思念が忙しくて疲れる、と云う、年甲斐のない過敏ゆえであって…一ページめくる度に心臓のバクドキが止まないから遅々として進まぬ…。
それはそうと、だいたい、三月初頭くらいには、感染症対策は、とにかく、検査と診療を分離する、そして検査専門のいわゆる発熱外来を作って其処で片っ端から検査する、そして重傷者は病院に入れ、無症状者や軽症者はホテルや保養施設で全面隔離して回復を待つ、と云う鉄則が国の内外で云われていたはずだし、現に韓国は其れで成功し、各国其れに倣おうとしていたはずだ。其のためにはまずは検査数を上げないと話にならないから、公的機関だけではなく民間の検査機関も巻き込んで検査数を増やす、其のために保険適用して、保健所を通さずとも直接かかりつけ医から民間検査機関に検体が行くようにすると三月六日に宣言されたはずである。しかし、あれから二か月、検査数はあまり伸びず、症状があるのに検査されずに死亡するケースや、四日以上発熱があるのに検査されずに放置され重篤化してようやく検査されて陽性が分かった頃には既に色んな人に感染させているケース、あるいは別の病気の入院患者を念のため調べてみると陽性で、気づいた時は院内感染で病院閉鎖が頻発し、そうなると発熱しただけで病院は嫌がるから救急車を呼ぶしかなくて救急崩壊、医療崩壊に至ったのは誰の目にも今や明らかだろう。此の原因も最早周知の通り、検査能力を上げる努力を怠ったがゆえに検査数を絞ったが故である。
別の病気で訪れた患者が実はコロナ陽性者であったために院内感染→病院閉鎖、が続発、と云う事態は、言うなれば、護衛艦も駆逐艦もイージス艦も伴わない丸裸の空母が戦闘海域に突入した結果、敵の潜水艦からの魚雷数発であっさり撃沈するようなものだ。昨今の介護施設の集団感染、病院閉鎖の続発、其れも感染症指定病院と云った最後の砦の位置づけである大病院の閉鎖の続発という事態は…さながら連合艦隊の末期を思わせる悲壮感すらあった…そして、此の二か月、検査状況が目標の一日二万件に全く届かなかった理由を総理安倍や専門家会議が釈明していたが…其の内容たるや子供だましの言い訳レベルで愕然とした人も多いだろう…曰く、保健所職員にマスクや防護服が足りてなかった、検査する人手不足、挙句の果ては原因不明の目詰まりが起きて、検査を民間に回せなかった、と。極めつけは、コロナ対策の国策における最も基本のデータであるPCR検査数の集計が、検査日と何やらのズレでうまくできなかった、公的機関と民間機関との合算もタイムリーに出来ていない云々…。
此れが、此の二か月、国が何にもして来なかった言い訳である。バカなんじゃなかろうか、と思った。国家公務員って算数もできないほど頭が悪いものなのだろうか、と唖然となった。ただ、もっとイケないのは、この間の緊急事態延長の会見でも、結局此の二か月、国家としてろくに何もできなかった言い訳を愚かしくも幼稚に披歴するのみで、其の対応策さえも明示しなかった事である。結局どれもこれも言い訳に過ぎず、本気になれば何とかできるものばかりである。人手不足と云うならば補えばよいだろう。実際、自粛で人は余っている。大学の医学、生物学、農学系の学生や技師であればあの程度の検査は出来るのだから、動員すればよいだけであるし、現にイギリスやアメリカは学生やポスドクの人を動員してどしどし検査しているではないか…どこかのメディアで、臨床検査技師協会のトップ的な人が、繊細な作業を要するので誰でもいいと云う訳ではないなどとまた言い訳めいた事を云っていたが其の言い訳が自分ら検査の現場をどんだけ苦しめているのか分からないのか。はっきり云ってあの程度の検査なんか教えてもらえさえすれば誰だって出来るし、そのようになっているはずである。そうでなく、十年くらい修行しないと身につかないし人によって差が出るような検査ならばそんなものはサイエンスでも何でもない。臨床検査技師と云う資格の地位を守りたい保身なのか、たかがあの程度の検査をさも職人技かのようにもったいぶって門戸を広げず自分を苦しめるばかりか日本全体を窮地に陥れる視野狭窄の現場の意見なんかに耳を貸さず、人手が必要ならば人をどしどし投入すべきだ。
休業要請にしても、パチンコ屋みたいに当然従わない輩は出没する訳だが、そんなものはさっさと時限立法の法律でも作って取り締まればよい。刑事でダメなら、仮にパチンコ屋で感染が起こればパチンコ屋を自治体が民事で損害賠償請求して医療費以上をふんだくればよいし、あるいは感染者はそんなにパチンコが好きならパチンコ屋に隔離して周囲を警察で包囲して自分で治すか死ぬかするかまでウイルス諸共包囲殲滅すればよい。公衆衛生と云う公共の福祉に公然と歯向かう事で主権者としての最低限の義務を果たさない者らに基本的人権を保障する必要はない(そうすると感染の事実や経路を黙秘されて、ますます市中感染が増えるかもだが)。与党で三分の二を抑えているのだからやろうと思えばいつでもできるだろうに此れもしない。罰則付きの立法については国民何とか党が提案しているが、国会議員と云うよりかこれは政権与党の責任だろう。今までさんざんろくでもない法律をろくに審議せず作ってきたのだから、法律が無いから出来ない、などと云う言い訳はおかしいだろう。検察庁の上層部の人の定年延長にしたって、自分の保身のためには閣議決定で違法な法解釈を開き直りで正当化してごり押すくせに、国民の命に関わる事態に関しては、法律が無いからなどと言い訳して等閑視する政権安倍の所業は、開いた口がふさがらない処か、国民への明確な敵性の発露でしかない。必要な法律をさっさと作らない国会議員、特に政権与党の怠慢が悪質過ぎる。
国家がこんな体たらくだから、結局、国家のあまりの無能に業を煮やした自治体が各自の判断で発熱外来(PCRセンターと呼んでいたか)やドライブスルー検査体制を作り出したのはようやく4月になってからだった。本来なら二月末くらいの時点で、国家の意志として、こうした方針を明確に打ち出して地方に一斉にやらせる、細かいところは地方に任せるとして、三月中にはシステムを稼働させると云う本筋が構築されているべきだったのに、果てしなく後手に回る国は、切羽詰まった自治体が自力でやりだした事に後から承認を与えるようにしてあたかも自分が指示したかのような体裁だけは整える、其れも、積極的な後方支援に徹する訳でもなく、そんなにやりたければやれば?的な、突き放した、やる気のない感じのペーパー一枚公示するだけである。まるで、中国、韓国の後塵を拝するようなまねは潔しとしない、日本は神国だからたいして感染は広がらない、などと云わんばかりの、偏狭な自尊心を傷つけるかもしれないと云う、自身の支持基盤である保守系の利己的な心情に勝手に忖度したとも解釈できるが、仮にそうだとしたら自民党の亡国の輩ぶりはさすがに保守系にさえも目に余るのではないか。
加えて、東京が独自に休業要請に踏み切ろうとするのに暗愚にも国は目先の経済的損失にビビッて東京の当然の判断に邪魔を入れて妥協的な文言づくりに時間を費やす事で事態への対応を少なからず遅らせ、そのせいで益々経済的損失を大きくするという失策まで演じて…当事者意識が無いくせに組織の上位者としての体裁だけは整えたがる無能な小役人の醜態此処に極まった厚労省は今や足手まといでしかない。
なおかつ、このようにして、国あるいは自民党は感染症対策として真っ先にやるべき事=検査を放棄しておきながら、「新しい生活様式」「スマートライフ」などと美辞麗句だけは鼓吹して、感染症対策の責任を国民自身に帰着させようとする小賢しい政治工作だけは抜かりない。此れもまた、あたかも戦後の一億総ざんげ論の再燃ではないか。戦時中はさんざん国民の主権を奪って国策を暴走させておきながら、敗戦となったら国民の主権を過去にまで遡って復活させる無理筋の空論をぶち上げ、戦争被害の責任の所在を国民全員にすり替える手のひら返しのご都合民主主義(一説では、敗戦となってしまった事を、国民全員が天皇に謝罪する、と云う意味だったらしい…名目にしろ大元帥として軍国の頂点にあった軍事の総責任者に、何故、指示に忠実に従った国民が謝る?…国体護持の構造は、金太郎飴みたいに、此の国の何処を切っても現れる)…無論、国民生活の自粛や距離の確保も重要ではあるが、其れは、飽くまでも消極的な策であって、そんなのに頼っていてはずるずると何時までたっても終息まで長引き経済が破綻するばかりだ。本来は、検査体制を整えて、即ち網を大きく広げて、街をうろつく無症状や軽症の感染者を洗い出して片っ端からホテル等に隔離する積極策を講じてこそ、早く終息するのが常識である。韓国がそうだった。今や、コロナ対策こそが最も直接的に効果的な喫緊の経済対策である。給付金やら融資の枠組みやらの予算作って終わりと思っている節があるが勘違いにも程がある罪深さだ。こういう基本をなおざりにしたままずるずるずるずる自粛要請を長引かせると、中堅企業や頼みの綱の大企業も持たないかもしれない。雇用調整金もまだ数パーセントの企業にしか渡ってないと聞く。このままだと大企業まで潰れる、そうなるとコロナが終息してもV字、U字回復どころか、もう経済構造が根本的に悪化してしまったのだから回復はほとんど見込めないし、不景気の連鎖反応とインフレによる大恐慌が回復し難く悪化の一途を辿る…分かってんのかなこういう事態の深刻さを。
実際…検査数が少ないと云う事で更に懸念されるのはアフターコロナの国際情勢であり…今に始まった事ではないが世界は貿易と云う名の、化石燃料や鉱物資源や食料の調達合戦をやっている…日本も含め世界がコロナ終息した暁には、資源の調達合戦のシビアさは更に苛烈となるだろう…そういう時に、日本は終息したと云っても検査が少ないから信用できない、コロナ感染を隠蔽している、だから日本人の入国禁止措置は続行すると諸外国から通知されたらどうなるか。資源に関わる本当に大事なインテリジェンスを、ネット回線のテレビ電話なんかで交渉するか。しないだろう。直談判してこそ本当に価値がある情報を得られるというものである。其れが現実だろう。資源獲得の交渉の現場に日本の商社の企業戦士が出向けなかったらどうなるか。当然、せっかくの商談のチャンスを逃がす事になり、資源の日本への配分が減る事になるだろう…そして、其の利を当然中韓が懐とするだろう…商社だけでもなく、外国でのインフラの受注や工場建設においても、検査が不十分なために日本人が排除、敬遠される素地が出来れば、交渉の現場に上がる事すら叶わず日本企業は不利な戦いを強いられ利益を逃す羽目になる。こうなればもう実際に、外国に行く日本人がコロナに罹っているか否かの事実関係は関係なくなり、要するに政治化される。つまり、検査が少ないから日本人はコロナを持っているかもしれないと云う言説が成立しさえすれば其れはタフな交渉が求められる国際舞台では排除される弱みとなり、実際に罹っていなくても、政治的に其の弱みが言説として流布されて日本人が国際舞台から排除され、国際舞台で戦えなくなる…日本人の、日本国の此の弱みを陰に陽に政治的に存分に利用しようとする国が現れない訳は無いではないか。特に中韓…。
云うまでもなく日本は今も、資源を輸入して加工して輸出する、あるいは海外に工場を作って製造して販売するなどして外貨を獲得し、其の外貨によってエネルギー資源や肉や農産物を買って現状の生活を維持している…其の際、様々なカードを使っての外国とのタフな交渉は欠かせないが…そもそも其の現場に入れてもらえないならば外貨も資源も食料も獲得できないではないか。かくして、コロナの検査は単に国内の人命の問題に留まらず、日本人の国際的信用にまで影響を与えて、其の結果として最終的には日本国民が窮するのだから、全く疎かにすべきではない。この程度の事も政権安倍は分からないのだろうか…。逸早く終息させた中韓は、既に、マスクや試薬の輸出、または検査能力のない国に対しては検査の代行なども引き受けるなどのコロナ貿易によるコロナ外交にしたたかに着手し、アフターコロナでの国際舞台での地位向上を見据えて驀進中である…片や日本は…五月にもなって、国内の検査数の集計もうまくできないよ~、などとレベルの低すぎる泣き言云って、唖然とする出遅れぶりである。
検査は民間や大学に余力があるのだから号令かけてそちらに回せばいいだけなのだし、仮に機器や試薬が足りないのならば買えばいいし作ればいい、島津や東芝や日立などの、分析機器ができる処に大号令かけて作らせればいいし、ドイツのロシュ社は一日で七万件の自動検査できるごついヤツを持ってるらしいから其れを買えばいい、何ならドイツにはアビガンを無償提供するらしいが、そんなお人よしを演じる前にせっかくアビガンと云うカードがあるなら其れを取引材料にして機器の資材や検査の試薬あるいは其の原材料をゲットするくらい知恵が回ってもよいだろうに。
アビガン一つとってもおかしな話で…アメリカの、効果も安全性も怪しい新規の薬をアメリカの一声で承認するくらいなら日本のアビガンをどうしてさっさと臨床適用しないのか。アビガンは既に抗インフルエンザ薬として承認され国内備蓄もあり、安全性テストも済んでいる。催奇形性も織り込み済みである。後はコロナへの効能だけなんだから、さっさと承認すればいいのに…此れもまた法律が云々と言い訳ばっかりで懐手、役人から言われるまま事態を等閑視している…今月末承認では遅すぎる、今すぐ承認すべき案件だろ。法律が問題なら法律を変えるのが政権の、そして立法府の仕事ではないのか。軽症者にアビガンをさっさと投与するだけで重症にならず、医療ひっ迫を防げる事もまた、二か月前から言われているのに…どうしてこうコロナに関しては何でもかんでも国は愚図でのろまで無駄に二の足を踏むのか。(さらに続く)
それはそうと、だいたい、三月初頭くらいには、感染症対策は、とにかく、検査と診療を分離する、そして検査専門のいわゆる発熱外来を作って其処で片っ端から検査する、そして重傷者は病院に入れ、無症状者や軽症者はホテルや保養施設で全面隔離して回復を待つ、と云う鉄則が国の内外で云われていたはずだし、現に韓国は其れで成功し、各国其れに倣おうとしていたはずだ。其のためにはまずは検査数を上げないと話にならないから、公的機関だけではなく民間の検査機関も巻き込んで検査数を増やす、其のために保険適用して、保健所を通さずとも直接かかりつけ医から民間検査機関に検体が行くようにすると三月六日に宣言されたはずである。しかし、あれから二か月、検査数はあまり伸びず、症状があるのに検査されずに死亡するケースや、四日以上発熱があるのに検査されずに放置され重篤化してようやく検査されて陽性が分かった頃には既に色んな人に感染させているケース、あるいは別の病気の入院患者を念のため調べてみると陽性で、気づいた時は院内感染で病院閉鎖が頻発し、そうなると発熱しただけで病院は嫌がるから救急車を呼ぶしかなくて救急崩壊、医療崩壊に至ったのは誰の目にも今や明らかだろう。此の原因も最早周知の通り、検査能力を上げる努力を怠ったがゆえに検査数を絞ったが故である。
別の病気で訪れた患者が実はコロナ陽性者であったために院内感染→病院閉鎖、が続発、と云う事態は、言うなれば、護衛艦も駆逐艦もイージス艦も伴わない丸裸の空母が戦闘海域に突入した結果、敵の潜水艦からの魚雷数発であっさり撃沈するようなものだ。昨今の介護施設の集団感染、病院閉鎖の続発、其れも感染症指定病院と云った最後の砦の位置づけである大病院の閉鎖の続発という事態は…さながら連合艦隊の末期を思わせる悲壮感すらあった…そして、此の二か月、検査状況が目標の一日二万件に全く届かなかった理由を総理安倍や専門家会議が釈明していたが…其の内容たるや子供だましの言い訳レベルで愕然とした人も多いだろう…曰く、保健所職員にマスクや防護服が足りてなかった、検査する人手不足、挙句の果ては原因不明の目詰まりが起きて、検査を民間に回せなかった、と。極めつけは、コロナ対策の国策における最も基本のデータであるPCR検査数の集計が、検査日と何やらのズレでうまくできなかった、公的機関と民間機関との合算もタイムリーに出来ていない云々…。
此れが、此の二か月、国が何にもして来なかった言い訳である。バカなんじゃなかろうか、と思った。国家公務員って算数もできないほど頭が悪いものなのだろうか、と唖然となった。ただ、もっとイケないのは、この間の緊急事態延長の会見でも、結局此の二か月、国家としてろくに何もできなかった言い訳を愚かしくも幼稚に披歴するのみで、其の対応策さえも明示しなかった事である。結局どれもこれも言い訳に過ぎず、本気になれば何とかできるものばかりである。人手不足と云うならば補えばよいだろう。実際、自粛で人は余っている。大学の医学、生物学、農学系の学生や技師であればあの程度の検査は出来るのだから、動員すればよいだけであるし、現にイギリスやアメリカは学生やポスドクの人を動員してどしどし検査しているではないか…どこかのメディアで、臨床検査技師協会のトップ的な人が、繊細な作業を要するので誰でもいいと云う訳ではないなどとまた言い訳めいた事を云っていたが其の言い訳が自分ら検査の現場をどんだけ苦しめているのか分からないのか。はっきり云ってあの程度の検査なんか教えてもらえさえすれば誰だって出来るし、そのようになっているはずである。そうでなく、十年くらい修行しないと身につかないし人によって差が出るような検査ならばそんなものはサイエンスでも何でもない。臨床検査技師と云う資格の地位を守りたい保身なのか、たかがあの程度の検査をさも職人技かのようにもったいぶって門戸を広げず自分を苦しめるばかりか日本全体を窮地に陥れる視野狭窄の現場の意見なんかに耳を貸さず、人手が必要ならば人をどしどし投入すべきだ。
休業要請にしても、パチンコ屋みたいに当然従わない輩は出没する訳だが、そんなものはさっさと時限立法の法律でも作って取り締まればよい。刑事でダメなら、仮にパチンコ屋で感染が起こればパチンコ屋を自治体が民事で損害賠償請求して医療費以上をふんだくればよいし、あるいは感染者はそんなにパチンコが好きならパチンコ屋に隔離して周囲を警察で包囲して自分で治すか死ぬかするかまでウイルス諸共包囲殲滅すればよい。公衆衛生と云う公共の福祉に公然と歯向かう事で主権者としての最低限の義務を果たさない者らに基本的人権を保障する必要はない(そうすると感染の事実や経路を黙秘されて、ますます市中感染が増えるかもだが)。与党で三分の二を抑えているのだからやろうと思えばいつでもできるだろうに此れもしない。罰則付きの立法については国民何とか党が提案しているが、国会議員と云うよりかこれは政権与党の責任だろう。今までさんざんろくでもない法律をろくに審議せず作ってきたのだから、法律が無いから出来ない、などと云う言い訳はおかしいだろう。検察庁の上層部の人の定年延長にしたって、自分の保身のためには閣議決定で違法な法解釈を開き直りで正当化してごり押すくせに、国民の命に関わる事態に関しては、法律が無いからなどと言い訳して等閑視する政権安倍の所業は、開いた口がふさがらない処か、国民への明確な敵性の発露でしかない。必要な法律をさっさと作らない国会議員、特に政権与党の怠慢が悪質過ぎる。
国家がこんな体たらくだから、結局、国家のあまりの無能に業を煮やした自治体が各自の判断で発熱外来(PCRセンターと呼んでいたか)やドライブスルー検査体制を作り出したのはようやく4月になってからだった。本来なら二月末くらいの時点で、国家の意志として、こうした方針を明確に打ち出して地方に一斉にやらせる、細かいところは地方に任せるとして、三月中にはシステムを稼働させると云う本筋が構築されているべきだったのに、果てしなく後手に回る国は、切羽詰まった自治体が自力でやりだした事に後から承認を与えるようにしてあたかも自分が指示したかのような体裁だけは整える、其れも、積極的な後方支援に徹する訳でもなく、そんなにやりたければやれば?的な、突き放した、やる気のない感じのペーパー一枚公示するだけである。まるで、中国、韓国の後塵を拝するようなまねは潔しとしない、日本は神国だからたいして感染は広がらない、などと云わんばかりの、偏狭な自尊心を傷つけるかもしれないと云う、自身の支持基盤である保守系の利己的な心情に勝手に忖度したとも解釈できるが、仮にそうだとしたら自民党の亡国の輩ぶりはさすがに保守系にさえも目に余るのではないか。
加えて、東京が独自に休業要請に踏み切ろうとするのに暗愚にも国は目先の経済的損失にビビッて東京の当然の判断に邪魔を入れて妥協的な文言づくりに時間を費やす事で事態への対応を少なからず遅らせ、そのせいで益々経済的損失を大きくするという失策まで演じて…当事者意識が無いくせに組織の上位者としての体裁だけは整えたがる無能な小役人の醜態此処に極まった厚労省は今や足手まといでしかない。
なおかつ、このようにして、国あるいは自民党は感染症対策として真っ先にやるべき事=検査を放棄しておきながら、「新しい生活様式」「スマートライフ」などと美辞麗句だけは鼓吹して、感染症対策の責任を国民自身に帰着させようとする小賢しい政治工作だけは抜かりない。此れもまた、あたかも戦後の一億総ざんげ論の再燃ではないか。戦時中はさんざん国民の主権を奪って国策を暴走させておきながら、敗戦となったら国民の主権を過去にまで遡って復活させる無理筋の空論をぶち上げ、戦争被害の責任の所在を国民全員にすり替える手のひら返しのご都合民主主義(一説では、敗戦となってしまった事を、国民全員が天皇に謝罪する、と云う意味だったらしい…名目にしろ大元帥として軍国の頂点にあった軍事の総責任者に、何故、指示に忠実に従った国民が謝る?…国体護持の構造は、金太郎飴みたいに、此の国の何処を切っても現れる)…無論、国民生活の自粛や距離の確保も重要ではあるが、其れは、飽くまでも消極的な策であって、そんなのに頼っていてはずるずると何時までたっても終息まで長引き経済が破綻するばかりだ。本来は、検査体制を整えて、即ち網を大きく広げて、街をうろつく無症状や軽症の感染者を洗い出して片っ端からホテル等に隔離する積極策を講じてこそ、早く終息するのが常識である。韓国がそうだった。今や、コロナ対策こそが最も直接的に効果的な喫緊の経済対策である。給付金やら融資の枠組みやらの予算作って終わりと思っている節があるが勘違いにも程がある罪深さだ。こういう基本をなおざりにしたままずるずるずるずる自粛要請を長引かせると、中堅企業や頼みの綱の大企業も持たないかもしれない。雇用調整金もまだ数パーセントの企業にしか渡ってないと聞く。このままだと大企業まで潰れる、そうなるとコロナが終息してもV字、U字回復どころか、もう経済構造が根本的に悪化してしまったのだから回復はほとんど見込めないし、不景気の連鎖反応とインフレによる大恐慌が回復し難く悪化の一途を辿る…分かってんのかなこういう事態の深刻さを。
実際…検査数が少ないと云う事で更に懸念されるのはアフターコロナの国際情勢であり…今に始まった事ではないが世界は貿易と云う名の、化石燃料や鉱物資源や食料の調達合戦をやっている…日本も含め世界がコロナ終息した暁には、資源の調達合戦のシビアさは更に苛烈となるだろう…そういう時に、日本は終息したと云っても検査が少ないから信用できない、コロナ感染を隠蔽している、だから日本人の入国禁止措置は続行すると諸外国から通知されたらどうなるか。資源に関わる本当に大事なインテリジェンスを、ネット回線のテレビ電話なんかで交渉するか。しないだろう。直談判してこそ本当に価値がある情報を得られるというものである。其れが現実だろう。資源獲得の交渉の現場に日本の商社の企業戦士が出向けなかったらどうなるか。当然、せっかくの商談のチャンスを逃がす事になり、資源の日本への配分が減る事になるだろう…そして、其の利を当然中韓が懐とするだろう…商社だけでもなく、外国でのインフラの受注や工場建設においても、検査が不十分なために日本人が排除、敬遠される素地が出来れば、交渉の現場に上がる事すら叶わず日本企業は不利な戦いを強いられ利益を逃す羽目になる。こうなればもう実際に、外国に行く日本人がコロナに罹っているか否かの事実関係は関係なくなり、要するに政治化される。つまり、検査が少ないから日本人はコロナを持っているかもしれないと云う言説が成立しさえすれば其れはタフな交渉が求められる国際舞台では排除される弱みとなり、実際に罹っていなくても、政治的に其の弱みが言説として流布されて日本人が国際舞台から排除され、国際舞台で戦えなくなる…日本人の、日本国の此の弱みを陰に陽に政治的に存分に利用しようとする国が現れない訳は無いではないか。特に中韓…。
云うまでもなく日本は今も、資源を輸入して加工して輸出する、あるいは海外に工場を作って製造して販売するなどして外貨を獲得し、其の外貨によってエネルギー資源や肉や農産物を買って現状の生活を維持している…其の際、様々なカードを使っての外国とのタフな交渉は欠かせないが…そもそも其の現場に入れてもらえないならば外貨も資源も食料も獲得できないではないか。かくして、コロナの検査は単に国内の人命の問題に留まらず、日本人の国際的信用にまで影響を与えて、其の結果として最終的には日本国民が窮するのだから、全く疎かにすべきではない。この程度の事も政権安倍は分からないのだろうか…。逸早く終息させた中韓は、既に、マスクや試薬の輸出、または検査能力のない国に対しては検査の代行なども引き受けるなどのコロナ貿易によるコロナ外交にしたたかに着手し、アフターコロナでの国際舞台での地位向上を見据えて驀進中である…片や日本は…五月にもなって、国内の検査数の集計もうまくできないよ~、などとレベルの低すぎる泣き言云って、唖然とする出遅れぶりである。
検査は民間や大学に余力があるのだから号令かけてそちらに回せばいいだけなのだし、仮に機器や試薬が足りないのならば買えばいいし作ればいい、島津や東芝や日立などの、分析機器ができる処に大号令かけて作らせればいいし、ドイツのロシュ社は一日で七万件の自動検査できるごついヤツを持ってるらしいから其れを買えばいい、何ならドイツにはアビガンを無償提供するらしいが、そんなお人よしを演じる前にせっかくアビガンと云うカードがあるなら其れを取引材料にして機器の資材や検査の試薬あるいは其の原材料をゲットするくらい知恵が回ってもよいだろうに。
アビガン一つとってもおかしな話で…アメリカの、効果も安全性も怪しい新規の薬をアメリカの一声で承認するくらいなら日本のアビガンをどうしてさっさと臨床適用しないのか。アビガンは既に抗インフルエンザ薬として承認され国内備蓄もあり、安全性テストも済んでいる。催奇形性も織り込み済みである。後はコロナへの効能だけなんだから、さっさと承認すればいいのに…此れもまた法律が云々と言い訳ばっかりで懐手、役人から言われるまま事態を等閑視している…今月末承認では遅すぎる、今すぐ承認すべき案件だろ。法律が問題なら法律を変えるのが政権の、そして立法府の仕事ではないのか。軽症者にアビガンをさっさと投与するだけで重症にならず、医療ひっ迫を防げる事もまた、二か月前から言われているのに…どうしてこうコロナに関しては何でもかんでも国は愚図でのろまで無駄に二の足を踏むのか。(さらに続く)
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悪態をぶちまける
最早此の場で理路整然とした論調を続けようとは思わないので支離滅裂、事実誤認もあるかもしれないことを承知の上で感情をぶちまけたい。とうに分かっていた事ではあるが政権安倍は最早単なる無能無策を通り越して日本人への根拠なき悪意の塊であり従って日本人の敵としか思えない。一月だったか二月だったか、クルーズ船問題が華やかなりし頃は専門家が全く前に出てこないから専門家の責任だと思っていた。クラスター対策班が編成されたのが二月の終わりくらいだったかもしれないからクルーズ船問題を専門家のせいにするのは無理があるのかもしれないが、そうであればそんな遅い時期に専門家会議を招集したのであれば其れも当然政権安倍の責任と云うか悪意なのだろう。それはともかく、この時点での学校閉鎖措置などは当然あってしかるべきと私も納得していた。その後、和歌山や関西でクラスターが発生し始めてからようやく専門家集団が前に出て対処し始めたのはいいが、其の時提示された戦略は、現時点では大規模な感染拡大に対処しうるだけの医療制度も検査体制も整ってはおらぬから、まずは検査数を絞ってクラスター潰しに専念する事で感染防御する、しかしクラスター対策は飽くまでも時間稼ぎであって、其れによって感染者の増加曲線をなだらかにして余裕を作る間に、検査体制と医療制度を拡充する、という構えだったはずだ。其の時点では医療資源も検査体制も整ってはおらぬから致し方ない戦略だと、此れもまた自分は納得していた。確かに此の時点では、軽症者や無症状者の感染力は軽視されていた事も、此の戦略の正しさを後押ししていただろう。しかしその後、欧州の感染爆発を見てフェーズは変わったはずだ。二月下旬か三月入ってからだったか。一方で片っ端から検査する事で無症状者も軽症者も含めて片っ端から隔離する事でコロナの終息が見えてきた韓国の事例も既に日本に突き付けられていた。だいたい、そうした韓国の事例を待つことなく、感染症対策の基本として、まずは徹底的に検査体制を拡充して片っ端から感染者を洗い出す、其のためには検査能力の増強は云うまでもなく、検査と診療を分ける、韓国のドライブスルー方式とまではいかなくても少なくても病院前にいわゆる発熱外来を設けてあやしい人は検査し、とにかく病院内に感染者を不意に入れない、そして軽症者はホテルや保養施設に片っ端から送り込んで隔離し、病院は重症者に専念する、と云うのが感染症対策の根本だったはずだ。其れはクラスター策を云い始めた頃にも既に提示されていた根本戦略であり、クラスター策は飽くまでも時間稼ぎの其の場しのぎと云う位置づけだったはずだ。事実、総理安倍も二月頃には検査の拡張を云っているし、そのために、いちいち保健所通していると埒が明かないから直接民間の検査機関に検体が行くようにするため、検査の保険適用が決まったという経緯があったはずである。
ところがどういうわけか一向に検査数が増えない。ついに欧州経由のウイルスが原因で東京やその他地方都市にまで感染が広がりだした三月になっても、そして四月になっても一向に検査数は増えないという体たらくである。これはどういうことなのか。そもそも二月にはメディアが検査数の少なさを指摘し、其の解決策としては民間の検査会社のキャパシティが十分空いているから其れを使えばいいと云っていたし、民間の検査会社を使えば何とかなるのは政府も分かっているはずだし、其れを見越しての保険適用だったはずだ。それが、その後二か月たっても一向に検査数はたいして増えない。原因が検査機器の数なのか、試薬不足なのか、人手不足なのか、スペースなのかと云うとそうでもなく、4月になってもどうも民間に検査が回っていない、そして十分キャパのある民間検査会社は、なかなか検査が回ってこないのを今や遅しとずっと待ちあぐねているという。つまり検査数がいまいち増えないのは単純な体制不備のせいであり、明らかに政治の責任であろう。
どうも専門家の中枢には、クラスター対策だけやってればなんとかなる、むしろ検査数を抑えている事が、そこそこ感染者を抑え込めている勝因だと思っていた輩がいたらしいが、とっくにそんな認識が通用しないのは明らかで、にも関わらず検査の拡充の絶対的必要性を云う専門家集団が政府側で見えてこないのは何なのか。検査しないことが日本では例外的に感染者の抑制の要因だなどと云う幻想に縋りつく暗愚ばかりか、其の愚劣な思いつきに未だに執着して明確な方針転換を打ち出せば自分の専門家としての愚劣を認めるから曖昧なままにする保身に徹しているのか。そんなことで国民の命が犠牲になっているのか。其のあたりは憶測を出ないが、はっきりしているのは厚労省の無能ぶりだろう。数か月も前から、民間に検査を回せば総理安倍が云う以上の検査数は確保できる事は分かっているのに、そして其の事が何よりも防疫の基本であるのに、肝心かなめな処をいまだに疎かにしているのは、明らかに悪意を持ってわざと検査しないようにしているとしか思えない。現場がどうも上層部の意図どおりに動いていないのを知ったならば直接出向いて原因を穿り出して何とか解決に結びつけようとするのが本道だろうに、現場を知らぬ通知だけだして仕事した気になっているのか何なのか。まったくよく分からない。(続く)
ところがどういうわけか一向に検査数が増えない。ついに欧州経由のウイルスが原因で東京やその他地方都市にまで感染が広がりだした三月になっても、そして四月になっても一向に検査数は増えないという体たらくである。これはどういうことなのか。そもそも二月にはメディアが検査数の少なさを指摘し、其の解決策としては民間の検査会社のキャパシティが十分空いているから其れを使えばいいと云っていたし、民間の検査会社を使えば何とかなるのは政府も分かっているはずだし、其れを見越しての保険適用だったはずだ。それが、その後二か月たっても一向に検査数はたいして増えない。原因が検査機器の数なのか、試薬不足なのか、人手不足なのか、スペースなのかと云うとそうでもなく、4月になってもどうも民間に検査が回っていない、そして十分キャパのある民間検査会社は、なかなか検査が回ってこないのを今や遅しとずっと待ちあぐねているという。つまり検査数がいまいち増えないのは単純な体制不備のせいであり、明らかに政治の責任であろう。
どうも専門家の中枢には、クラスター対策だけやってればなんとかなる、むしろ検査数を抑えている事が、そこそこ感染者を抑え込めている勝因だと思っていた輩がいたらしいが、とっくにそんな認識が通用しないのは明らかで、にも関わらず検査の拡充の絶対的必要性を云う専門家集団が政府側で見えてこないのは何なのか。検査しないことが日本では例外的に感染者の抑制の要因だなどと云う幻想に縋りつく暗愚ばかりか、其の愚劣な思いつきに未だに執着して明確な方針転換を打ち出せば自分の専門家としての愚劣を認めるから曖昧なままにする保身に徹しているのか。そんなことで国民の命が犠牲になっているのか。其のあたりは憶測を出ないが、はっきりしているのは厚労省の無能ぶりだろう。数か月も前から、民間に検査を回せば総理安倍が云う以上の検査数は確保できる事は分かっているのに、そして其の事が何よりも防疫の基本であるのに、肝心かなめな処をいまだに疎かにしているのは、明らかに悪意を持ってわざと検査しないようにしているとしか思えない。現場がどうも上層部の意図どおりに動いていないのを知ったならば直接出向いて原因を穿り出して何とか解決に結びつけようとするのが本道だろうに、現場を知らぬ通知だけだして仕事した気になっているのか何なのか。まったくよく分からない。(続く)
断章
話の流れは大まかに踏襲しながら前著「多様性原理」を全面的に書き改めるべく「不連続ネットワーク理論」の執筆をようやく開始する…前著のそれなりの苦闘を具に辿りつつ思い出しながら更なるバージョンアップを構築するための長い長い戦いが始まり…この場ではまとまった筋書きのある論旨を書く余裕はなくなった事、悪しからず…。
とうに釜の底が抜けた現代社会…コロナ対策では明暗分かれる…全予研として着目すべきは、政治政体による違いだが、中国のような全体主義社会だと対策を上手くやったという訳でもなく、民主主義を奉ずる国でも上手くできている実績があったから、表層的には朗報とは云える…明暗を分けた要素として云えるのは、感染症対策に対する国家の真剣度と、国民のネットワーク化なのだろう…全体主義でも民主主義でもネットワーク化が進んでいる処は比較的上手く抑え込みが出来ており、国民も政府のコロナ対策に満足しているらしい。全体主義国において、真剣度とネットワーク化のレベルの高かった中国は其れなりの犠牲を払いつつも一先ず制圧の目途を付けているが、コロナをなめていたらしきロシアだと、感染期まで時間があったにも関わらず今現在どんどん増大している模様…民主主義国でも、近年は全体主義寄りのファッショ的指導者が頭角を現している国だと、都合の悪い事実を権力で胡麻化せば切り抜けられた経験にしがみ付いてコロナを軽視するが、コロナをフェイクだといくら罵った処で感染伝播と云う自然現象を変える事は出来ないのだから、そのようにして当初はコロナを舐めていた政権ほど、感染拡大が止まらぬようだ…アメリカ、イギリス、ブラジルが此のパターンだろう。とはいえ、中国の一人勝ちだと、全体主義なら感染症にも強い、しかし民主主義だと感染症対策もろくにできない、だから21世紀は全体主義万歳と云う国際的趨勢に成りかねなかったが、韓国、台湾、ドイツ、ニュージーランド、アイスランドなどの民主国家は感染症対策できちんと成果を出したから民主主義にとって面目躍如だった。いずれも、感染症への真剣度と国民のネットワーク化が進んでいるのが成果の要因だろう。特にネットワーク化によって、外出禁止とセットで困っている人に素早く給付しなければならない送金がスムーズにいったから、国民は経済活動を止めて外出禁止に精を出すことが出来たがために、ウイルス対策が上手くいった。
ここで国民のネットワーク化に着目すると…ネットワークを進める動因は、①全体主義国では現政権の保身のための監視のための強権発動だが、②民主主義国ではそれこそ民主的に、即ち国家と国民との信頼関係を前提として、国家が国民の人権を侵さない事が国民に信用されているという前提が確保されているからこそ、ネットワークの便利性を推進する議論が可能になる。つまり、政権と其のリーダーが、日頃からの政治活動や言動において啓蒙思想を人格として身に付けていると国民から思われているのが基盤となっているから、ネットワーク化による監視社会と人権弾圧の心配は無用と云う事で、ネットワーク化による便利性が推進される(台湾、ドイツ、ニュージーランド、アイスランド)。あるいは、国家をそこまで信頼できないにしても、いざとなったら国民が政権を転覆できる抵抗権の確保に自信があるから、国家から人権を奪われる心配は無用と云う事で、ネットワークの利便性が承認される(デモが盛んな国民性の韓国)。
ここで日本を振り返ると…①にならなかったのは評価できるが、②でもないからウイルスの蔓延が終息できずにいる…。結局、日本国民の政治への不信は戦後この方根強くなる一方で解消する事はなく、特に政権安倍の悪行の数々、データや文書の改ざんなど国会での議論を徹底的に愚弄する民主主義の基盤への破壊行為のみならず、政権与党が其の憲法草案において明確に天賦人権説を否定し、我が国の文化と伝統に合わせて表現の自由を制限する条項を明記するとあっては、此の政権は人権を破壊し、階級化=奴隷化させた国民から搾取して私利私欲の暴利と権益をむさぼりますと宣言しているに等しいのだから、自民党の利権にあずかる一部の少数者(最近は上級国民というらしいが…胸糞悪さすらもう枯渇して)以外はこんな政権を信用できるはずもない。だからマイナンバーでの国民の抵抗は全的に頑強で普及せず、貯金通帳と紐づきするネットワーク化には至らなかったという現状がある。其の結果、困っている人に直ぐお金を配るシステムが無い物理的限界によって、人々はウイルスを恐れつつも経済活動せざるを得ず、政府も強く禁止できない事態に陥り、其の結果、ずるずると人々が接触し続けてずるずると感染者が増え続ける最悪の事態を招きつつ、感染爆発今や遅しの段階で既に医療崩壊が加速化している始末なのである。
つまり重要な事は、ネットワーク化について云えば、性根の腐りきった政権への不信が其れを妨げ、ひいてはウイルス感染への無策も招いたのである。日本でネットワーク化が進まなかった理由は、国民が、例えばフィルムカメラを畏怖する未開の原住民が文明の利器を受け入れられないように、ネットワークの便利さを受け入れられない暗愚ゆえなのではない。ネットワーク化を国民が受け入れるための民主主義的基盤=人権確保の信頼性を政権が確保しないのが原因なのである。
こうした日本において次の段階での懸念はこうだ…。コロナが蔓延した理由を、緊急事態条項が無い事と、国民のネットワーク化が進んでいない事に帰して、自らが民主的信頼性を勝ち得ていないと云う根本原因を反省する正規の過程をすっ飛ばし、緊急事態条項とネットワーク化を無理やり正当化する言説を鼓吹せんとする事である。いかにもありそうなことだ。自民党政権が信用できないからネットワーク化に国民は踏み切れないのに、其の根本原因を蔑ろにして、表層的な事実をつなぎ合わせて緊急事態条項やネットワーク化の正当性を扇動する…だまされる国民は腑に落ちないながらも欺瞞の言説の表層的な論理に流されて渋々受け入れる…その結果、民主的信頼性は担保されずに緊急事態条項とネットワーク化が推進されるのだから、元々民主主義を破壊する事を党是としている自民党が中国式の全体主義体制を敷きにかかるのは目に見えている。憲法の緊急事態条項が日本で抵抗されるのはネットワーク化と同じく、要するに政権が信用されていないからであり、緊急事態に託けて政権が国民主権の全面的恒久的破壊に乗り出しやしないかと云う懸念が拭えないからである。政権が信頼される民主主義国家ならば、いざと云う時は緊急事態と云う事で国民主権を必要なところだけ制限する必要があるのは容易に了解されるべき事である。実際、成熟した民主主義国では緊急事態では直ちに国家権力を発動して経済原理に有無を言わさずバシッと対策が打てるからウイルス対策も上手くいっている。
繰り返すが、主権の制限とネットワーク化においてウイルス対策が上手くいかないのは、国民の暗愚によって法整備とシステム整備ができていないからではなく、国民が政権を信頼できない、あるいは国民が、信頼できる政権を選択できていない民主主義的未熟に起因する。此れは第一義的に政権と其の支持者の責任でもありつつ、一応民主主義を奉ずる日本にあっては国民の責任でもあるのだ。此の事実を直視しないと、自ずと、中国式の全体主義国家を翼賛する未来がすぐそこだろう。このコロナ禍において日本が羨み、学ぶべきは、対策をうまくやった全体主義国ではなく、同じくらい対策をうまくやった民主主義国であるべきだ。
とうに釜の底が抜けた現代社会…コロナ対策では明暗分かれる…全予研として着目すべきは、政治政体による違いだが、中国のような全体主義社会だと対策を上手くやったという訳でもなく、民主主義を奉ずる国でも上手くできている実績があったから、表層的には朗報とは云える…明暗を分けた要素として云えるのは、感染症対策に対する国家の真剣度と、国民のネットワーク化なのだろう…全体主義でも民主主義でもネットワーク化が進んでいる処は比較的上手く抑え込みが出来ており、国民も政府のコロナ対策に満足しているらしい。全体主義国において、真剣度とネットワーク化のレベルの高かった中国は其れなりの犠牲を払いつつも一先ず制圧の目途を付けているが、コロナをなめていたらしきロシアだと、感染期まで時間があったにも関わらず今現在どんどん増大している模様…民主主義国でも、近年は全体主義寄りのファッショ的指導者が頭角を現している国だと、都合の悪い事実を権力で胡麻化せば切り抜けられた経験にしがみ付いてコロナを軽視するが、コロナをフェイクだといくら罵った処で感染伝播と云う自然現象を変える事は出来ないのだから、そのようにして当初はコロナを舐めていた政権ほど、感染拡大が止まらぬようだ…アメリカ、イギリス、ブラジルが此のパターンだろう。とはいえ、中国の一人勝ちだと、全体主義なら感染症にも強い、しかし民主主義だと感染症対策もろくにできない、だから21世紀は全体主義万歳と云う国際的趨勢に成りかねなかったが、韓国、台湾、ドイツ、ニュージーランド、アイスランドなどの民主国家は感染症対策できちんと成果を出したから民主主義にとって面目躍如だった。いずれも、感染症への真剣度と国民のネットワーク化が進んでいるのが成果の要因だろう。特にネットワーク化によって、外出禁止とセットで困っている人に素早く給付しなければならない送金がスムーズにいったから、国民は経済活動を止めて外出禁止に精を出すことが出来たがために、ウイルス対策が上手くいった。
ここで国民のネットワーク化に着目すると…ネットワークを進める動因は、①全体主義国では現政権の保身のための監視のための強権発動だが、②民主主義国ではそれこそ民主的に、即ち国家と国民との信頼関係を前提として、国家が国民の人権を侵さない事が国民に信用されているという前提が確保されているからこそ、ネットワークの便利性を推進する議論が可能になる。つまり、政権と其のリーダーが、日頃からの政治活動や言動において啓蒙思想を人格として身に付けていると国民から思われているのが基盤となっているから、ネットワーク化による監視社会と人権弾圧の心配は無用と云う事で、ネットワーク化による便利性が推進される(台湾、ドイツ、ニュージーランド、アイスランド)。あるいは、国家をそこまで信頼できないにしても、いざとなったら国民が政権を転覆できる抵抗権の確保に自信があるから、国家から人権を奪われる心配は無用と云う事で、ネットワークの利便性が承認される(デモが盛んな国民性の韓国)。
ここで日本を振り返ると…①にならなかったのは評価できるが、②でもないからウイルスの蔓延が終息できずにいる…。結局、日本国民の政治への不信は戦後この方根強くなる一方で解消する事はなく、特に政権安倍の悪行の数々、データや文書の改ざんなど国会での議論を徹底的に愚弄する民主主義の基盤への破壊行為のみならず、政権与党が其の憲法草案において明確に天賦人権説を否定し、我が国の文化と伝統に合わせて表現の自由を制限する条項を明記するとあっては、此の政権は人権を破壊し、階級化=奴隷化させた国民から搾取して私利私欲の暴利と権益をむさぼりますと宣言しているに等しいのだから、自民党の利権にあずかる一部の少数者(最近は上級国民というらしいが…胸糞悪さすらもう枯渇して)以外はこんな政権を信用できるはずもない。だからマイナンバーでの国民の抵抗は全的に頑強で普及せず、貯金通帳と紐づきするネットワーク化には至らなかったという現状がある。其の結果、困っている人に直ぐお金を配るシステムが無い物理的限界によって、人々はウイルスを恐れつつも経済活動せざるを得ず、政府も強く禁止できない事態に陥り、其の結果、ずるずると人々が接触し続けてずるずると感染者が増え続ける最悪の事態を招きつつ、感染爆発今や遅しの段階で既に医療崩壊が加速化している始末なのである。
つまり重要な事は、ネットワーク化について云えば、性根の腐りきった政権への不信が其れを妨げ、ひいてはウイルス感染への無策も招いたのである。日本でネットワーク化が進まなかった理由は、国民が、例えばフィルムカメラを畏怖する未開の原住民が文明の利器を受け入れられないように、ネットワークの便利さを受け入れられない暗愚ゆえなのではない。ネットワーク化を国民が受け入れるための民主主義的基盤=人権確保の信頼性を政権が確保しないのが原因なのである。
こうした日本において次の段階での懸念はこうだ…。コロナが蔓延した理由を、緊急事態条項が無い事と、国民のネットワーク化が進んでいない事に帰して、自らが民主的信頼性を勝ち得ていないと云う根本原因を反省する正規の過程をすっ飛ばし、緊急事態条項とネットワーク化を無理やり正当化する言説を鼓吹せんとする事である。いかにもありそうなことだ。自民党政権が信用できないからネットワーク化に国民は踏み切れないのに、其の根本原因を蔑ろにして、表層的な事実をつなぎ合わせて緊急事態条項やネットワーク化の正当性を扇動する…だまされる国民は腑に落ちないながらも欺瞞の言説の表層的な論理に流されて渋々受け入れる…その結果、民主的信頼性は担保されずに緊急事態条項とネットワーク化が推進されるのだから、元々民主主義を破壊する事を党是としている自民党が中国式の全体主義体制を敷きにかかるのは目に見えている。憲法の緊急事態条項が日本で抵抗されるのはネットワーク化と同じく、要するに政権が信用されていないからであり、緊急事態に託けて政権が国民主権の全面的恒久的破壊に乗り出しやしないかと云う懸念が拭えないからである。政権が信頼される民主主義国家ならば、いざと云う時は緊急事態と云う事で国民主権を必要なところだけ制限する必要があるのは容易に了解されるべき事である。実際、成熟した民主主義国では緊急事態では直ちに国家権力を発動して経済原理に有無を言わさずバシッと対策が打てるからウイルス対策も上手くいっている。
繰り返すが、主権の制限とネットワーク化においてウイルス対策が上手くいかないのは、国民の暗愚によって法整備とシステム整備ができていないからではなく、国民が政権を信頼できない、あるいは国民が、信頼できる政権を選択できていない民主主義的未熟に起因する。此れは第一義的に政権と其の支持者の責任でもありつつ、一応民主主義を奉ずる日本にあっては国民の責任でもあるのだ。此の事実を直視しないと、自ずと、中国式の全体主義国家を翼賛する未来がすぐそこだろう。このコロナ禍において日本が羨み、学ぶべきは、対策をうまくやった全体主義国ではなく、同じくらい対策をうまくやった民主主義国であるべきだ。
徳政令と改元要請
志村けんがお骨になって戻ってくる現実…どうかギャグであってくれと思っても、此れが厳然たる現実なのだろう…逝く人は帰らず…此れでタモリも亡くなってしまえば、もう此の国で空気を吸って生きるメリットは無くなるだろうし、いずれそういう日もやってくるに違いないと覚悟すべきである。コロナとは無関係だろうが秋山祐徳太子も無くなり…泡沫桀人列伝を己の肥やしとした経験も含めて…一足早く冥府入りされた赤瀬川氏共々、アンデパンダンの灯が最早この国には途絶えた事が偲ばれる…数か月前に何かが兆してバカ殿を一応視聴しており…昔のバカ殿なんかには普通に、乳房丸出しの女性がなだれ込んできたり、今では考えられない大らかさで子供心にどぎまぎさせられたが…最新にして最後になったバカ殿の、理屈抜きの、時勢に流されぬ最底辺の笑いの姿の稀有は認めるがやっぱり30分も見ると退屈であった事は否めず…ともあれ、眼中に飛び込んでくるだけでバカげた可笑しみが噴き出るバカ殿のビジュアルが、一応気を使って湿っぽくしつらえられた追悼番組にデカデカと遺影として飾られているのは、生涯最高のギャグなのだろうと追福した…柄本明との呑気な年増芸者コントが今や懐かしい…指数関数的ではないものの一次関数的に確実に増加の一途を辿る東京のコロナ感染に対して呆れるほどの等閑視ぶりは一体どういう事なのか政権安倍…検察官の定年延長など、自分の保身に対しては脱法違法お構いなく法律解釈でごり押しするくせに、国民の命が直接関わる事に関しては無駄に慎重になるのは解せぬ仕儀である…私個人としては、基本的に信用ならぬ政権安倍が此れを機に強権を振りかざすのはお勧め出来ないので、政権安倍が法の不備を根拠に強制出来ないのであれば、積極的に関係各所に要請するのは有りだと思う…先週も書いたが、何でもかんでも法律で強制しなければならない訳ではなく、対処すべき道理があるのは明らかなので、日頃懇意にしている経団連などと話をつけて基本テレワーク、それが出来ないならば経済活動停止要請くらいすべきだろう…無論、生存に必須な産業は停止から除外されるし、此れを機に、言うなれば、其の企業は生存に必要か否かが峻別され洗い出されると云う別の影響も派生するのだが…中小零細企業や飲食店などに自粛要請するならば補償の話がセットになる訳だが…個人的にはコロナで打撃を受けた飲食店が支払っている家賃やテナント料などのショバ代を一時的にチャラにすべきと考える。そして、其の家賃を国家が貸しビルオーナーに補填する必要もないとすら考えている。人への補償は国家がすべきなのだろうが、家賃に関してはチャラにする事で国も企業も助かる部分があるのではなかろうか。此れは、減価償却が終わり、維持管理費は別として後は黙っていても家賃がオーナーに積算されるような物件に対しては徳政令で家賃停止すべきと云う事だ。だいたい、土地というものは国家の領有であり、国家は国民の領有に係るものである。土地は国民の共有財産なのだから、一部の不動産屋が土地に値段を付けて取引するのは元来不当な事である。無論、生産や生存に適した土地とそうでない土地がある自然的条件により、需要と供給に多様性が生まれるから市場での取引対象となる訳だが…通常の商品のように其れ自体を所有できず、飽くまでも権利を売買するだけで、其れ自体では直接的に生産に寄与していない観念の世界で金を儲けているのが実態なのだから…権利に安住できる仕組みに乗っかった後は金が転がり込んでくるだけの物件オーナーや地主に、此の緊急時においても際限なく儲けさせる道理は皆無である。減価償却後にある程度の利益を確保した物件オーナーへの、家賃収入の際限のない上積みは此の時局において必要ないばかりか公共の福祉に反するので、国家が補償する必要もない。此の論議は金持ち批判の文脈に属するので別途議論が必要なのだが今日は省略する。其れと、何度も訴えてきたが、天からの禍は元号に原因があるとは云えないが、天からの禍に対して理屈抜きで責任を取るのが年号の役割である…従って、あまりに禍が多すぎる令和などと云う劣悪な元号を早急に改めるべきである…無論…今それをやっている余裕はないのだろうが…。ウイルスと云うのは生命世界と多様世界との境界的存在だから、人間へのウイルス感染は、多様世界からのメッセージである事は間違いなく、その結果、人間は、生命世界の防御としての反応と、多様世界への開放としての反応の二面性を有する影響を社会に構築する事になる…其の萌芽は既にあちこち散見されるが(中国と台湾、其の対照的なコロナ対策の内容…)…いずれにしても、生命世界の根底を成す多様世界への開放が最終的には勝るだろう…即ち、多様性原理型全体主義としてのソーシャルネットワークファシズムの加速化と云う形式で…。此れに対して述べようとすると本一冊分になるので、「多様性原理」を大幅に改変する予定である「不連続体ネットワーク概論」で明らかにしたい。今日は、徳政令と改元だけを云いたかった。
疫病に思う
吹けば飛ぶよな当座の方針を構え終えた処で何やらかしましい世情を見回してみるといつか見た光景の繰り返しで、人が年を経る毎にボけて来る理由がよく分かる…実際、此度のコロナ禍は、東日本大震災、とりわけ未だに先の見通せない原発事故に比べれば大した事ないように思われ…放射能にしろ、ウイルスにしろ、トイレットペーパー買い占めにしろ、其の原因に人的要因が絡んでいる可能性はあるとは云え其れ自身は自然現象である事象に対する人間社会の右往左往と云うのは…織部助曰く「会う顔会う顔皆同じだと耄碌するわ」の言の通り、年を重ねる事でこうまで同じ事の繰り返しに付き合わされると確かに認知症になるのも無理は無いのは、偏に同じ事を相変わらず繰り返す社会が一因なのだろう…私としては、ことコロナに関しては基本的に自然現象であると云う認識に立つ。従って、政府機関や行政が意図的に発生させたものではないはずだから、基本的に行政の責任ではない。むしろ、こういういざと云う時のために、感染症対策として専従で人、モノ、金をつぎこんで研究していたはずの自然科学者らに対しては、一義的に責任があると思ってはいる…地震のように物理的破壊力が凄まじすぎる災害に対して地震防災の専門家のみに責を負わせるのは酷かもしれないが…基本的には人間の振舞いを適切にシミュレートすれば何とかなりそうな防疫に対しては、専従自然科学者が税金を使って獲得した知見の効果を期待する事に無理はないはずだと…しかるに、まずはクルーズ船の件に関しては、どうも専門家の知見が前面に出ることが無かったから、何となく怪しい連中は船に閉じ込めて様子を見とけ、と云うような、科学的知見に基づかない大衆的思い込みに迎合した行政のその場しのぎのやっつけ仕事に思えたから、表に出ない専門家集団に失望を禁じえなかった。今となってもあの状況で正解を出すのは困難だったのかもしれないが…少なくともアメリカはあの顛末を失敗と見なして即座に自国に寄港した感染者を含むクルーズ船乗客を陸に降ろしているし、実際にあの顛末でおよそ三千人中700人くらいの感染者を出して数人の死者を出している結果は重視すべきなのだろう…専門家集団はあの時、すかさず、想定される状況や対策案に対して、疫学的知見に基づく感染度合いのシミュレーション結果を公表し、其のうえで船内隔離や他の方法を提案すべき立場にあったのだ。まったくそうした提案が専門家集団から成される事は無く、なし崩し的に船内隔離だったから、毎日、朝から晩まで感染症研究に心血を注いでいるはずの専門家集団は、自らの無能と怠慢を晒した、恥を知るべき所業としか思えなかった。日本には感染症の研究所はあるが対策組織が無いから仕方がないと云うのは詰まらぬ言い訳に過ぎず、決められた事しか出来ないのであればただの出来の悪いロボット同然であり、人間の研究者であるならば、例え研究専門であっても、其の知見を活かした対策を自ら立案するのは当然ではなかろうか。とは云え、アメリカの、世界最強と云われた感染症対策専門組織であるCDCであっても、感染者を数万に広げてしまい打つ手無しのようだからどうしようもないのかもしれないが…
けれども、ようやく此処にきて、日本の専門家集団は、クラスター、オーバーシュートなどの概念を用いて、感染症対策の表舞台に出てきた事は、遅まきながら評価に値するだろうし、今後の名誉挽回に期待したい。
私見ではあるが、東京と大阪はさっさと都市封鎖、外出禁止にすべきだと思う(スーパーや医療関係は除く)。直接法令で以て外出を取り締まれないのであれば、不要不急の産業が営業したり個人が出歩くならば民事で国が損害賠償請求すればいいとすら考えている。出歩いたり複数の人間で活動すればコロナが蔓延すると分かっているのにそれをあえてやるのであるから当然である…。まずは新幹線は全線停止。空路も高速道路も、物流以外は遮断すべきである。
未だ緊急事態宣言を出すレベルには無いなどと悠長な御託を並べているが、緊急事態になってから緊急事態宣言を出すのに何の意味があるのか。感染症対策のためには、緊急事態の到来を未然に防ぐために宣言するからこそ宣言の意味があると云うものだろう。かつて原発事故の時、件の事態をメルトダウンと呼称すべきか否かで一悶着あったが、現象を表現する事で事実認定してしまうかどうかの瀬戸際でのレトリカルな政治的攻防などと云う、実際に起こっている深刻な事態への現実的な対処とはあまりにもかけ離れた政治的形而上学にうつつを抜かすのは愚昧の極致だろう。コロナの件に関しては、例えば学校の閉鎖や自粛要請などの、政権や行政の対応は感染症対策としては妥当だとして、私としては異論は無かったのだが…こういう事だと、雲行きは怪しく思われる…しかし感染症対策においては、一人一人の用心が結局は重要なのだろう…其れが出来ないと、国家権力やシステムの奴隷に自ら成り下がる事を肝に銘じる時だ…事此処に及んで未だに自粛ムード、などと云っている輩もいるが、震災時と違って、今回は自粛要請なのである。震災の時は、自粛が要請されていない場合であるにも関わらず自粛が進んだのだが、今回は自粛が国家から要請されているのだから文脈は随分と異なる。諸外国と違って日本では法整備がされていないから、緊急事態宣言を出しても法的に外出禁止令を出す事は出来ないと云う…だからこその自粛要請であり、個人の裁量=主権を認めつつ感染症予防に協力してくれと云う国家の提案である。此れは、公衆衛生上の公共の福祉の尊重(此の場合は公益と云う言葉を使っても妥当なのだが、此の言葉は此の国にあっては容易に権力の私利私欲に使われるので使わない)であるから、主権者が自ら其の意義を内面化して協力に努めるべき正当性を有する事項である。其れなのに、法律が無いから外出してしまうじゃないか、とか、自粛と云っても何処まで自粛すればいいのか分からないなどと言い訳する事は、私は法律で命令されないと何もできない奴隷人間です、と自ら宣言しているようなもので、今回のような公衆衛生上妥当な公共の福祉の概念さえも国民は理解できないとなると、自民党はそれこそ憲法改正して緊急事態条項を付加し、なし崩し的に国民から主権を奪う事に躊躇しない状況を自ら招いている事にすら無知なのだろう。あのように、私は自分の頭では何も考えられない未熟で幼稚な大人ですと云っているのと同じ無能を国民自らが国家に晒すようでは、国民から如何に主権を奪うかを党是としている自民党から付け込まれる事必至であり、其の事にすらも考えが及ばない蒙昧ぶりだからこそ、厳然たる自粛要請を、事態が異なる過去の自粛ムードに挿げ替えて揶揄する浮かれた自分に優越感を感じる浅はかな倒錯を演じるのである。無論、自粛要請と云う矛盾を孕んだ言葉への反動が生じるのに、歴史的政治的背景があるのは理解できる…戦時の、自発性の強制の最たるものである特攻しかり、最近では森友問題での忖度しかり、此の国で自発性が強制される場合は大抵、権力機構の私的な保身の発動でしかなかったのだから、此度のような、公衆衛生上の正当な自粛要請でさえも警戒的に歪曲されるのは政治の責任でありつつ、そうした政治を許容、推進した国民の責任でもあるのだ…
そうは云うものの、今回の自粛要請の内容は公共の福祉の観点から正当ではあるので、自粛要請と云う概念内の意味的矛盾に反射的に反応して倒錯した否定を演ずるのは得策ではないだろうし、自粛要請の内容に着目した上で理性的に判断すべきなのだろう…先に述べたように、感染症は自然現象であり、人間の社会的理屈とは関係なく専ら自然の摂理に従って蔓延するものなので、専門家が提供する科学的情報を元に、各自が自然の摂理に思いを馳せながら考えて対策すればよいだけである。義務教育を身に着けておれば出来るはずであるそんな簡単な事に頭を使う事さえも反射的に拒否反応を示して行政の上げ膳据え膳が無い事を言い訳にして反動に倒錯する事は、自らが未熟で幼稚な大人である事を表明するに等しい。そうすると、繰り返しになるが、虎視眈々と日本人から主権を奪って一党独裁を目論む自民党は、日本人は総じて奴隷になりたがっていると云う認識を得て、其の認識にお墨付きを与える事になるから、此の程度の事はいい加減自分で考えて行動せよ、と云いたい。従って、特に東京の人は、外出禁止の法律が無いから外出禁止できないなどと云う幼稚な言い訳に瞞着するのは止めて、自らを律するべきである。最近メディアでも此の件に関して蔓延る、法律が無いから云々と云う言説は人間理解に対して本末転倒であり、法律と云うのは信頼関係が破綻した時に致し方なく発動される無残な支配関係であって、願わくば法律などに頼らず社会が上手く回れば其れに越した事は無いのである。
因みに、今回の自粛要請への反動が生じる理由、特に若年世代で反動が勃発する理由は、①先述の歴史的経緯だけではなく、他に幾つか考えられる…
②日本では社会的な同調圧力の方が自然からの脅威よりも遥かに強いと云う事。地震や津波、土砂災害は例外かもしれないが、例えば公の場で天皇制を批判したり無政府共産を宣言する事の方が、ウイルスによる感染死よりも社会的に致死率が高いのである。だからこそ、ウイルスが社会や自分に及ぼす影響を軽視する。
③少子高齢化や地球温暖化、来るべきネットワーク国際競争社会に対して最早成すすべなくおぼつかない年代の者らは、デジタルネイティブの若年層に頼るしかないから、此れまで若年層をちやほやしてきたが、科学的見地から若年層が感染に与える影響が鼓吹され始めてから、ちやほやされてきた若年層に対して急に掌返しで批判の矛先が来て、此れまで甘やかされてきた若年層は反射的に感情的な反動、即ち甘ったれた反抗に走っているだけなのかもしれない。デジタルネイティブと云っても、彼らがコンピュータ技術を発明したわけでもなく、ただ単に幼児期から其れを与えられたが故に其れを上手く使いこなしているだけで、彼ら自体が内在的に優秀と云う訳ではなく、本当はコンピュータを作った上の世代が凄いと云う事は忘れてはならないのだが…其れに、甘やかされていると云っても其れは新卒を無暗に嬉しがる特殊な、そして少年愛じみてサディスティックなオッサン的日本の企業風土だけの話で、当の若年層は、ネットを通じて、上の世代が肌身で感じる事は無いシビアな国際感覚を身に着けているとも考えられるから、頼もしい側面もあるかもしれないが…
④世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)、と云ったところ。春と桜に浮かれざるを得ない日本人の心性ゆえに、自粛要請も何のそのでそぞろに出歩いてしまった風流ゆえなのかもしれぬ。
⑤元気だからウイルスへの耐性に自信があり、有り余る体力を消費して今を楽しみたいだけ。
⑥コロナ対策を声高に訴える者=基本的人権とか云う者=リベラル=反自民と、若年層は考え、此処では其の内実の分析は省略するが基本的に反リベラルで自民翼賛の若年層が、自粛要請への対応をリベラル的と考えて政治的に、あるいは生理的に忌避している。
いずれにせよ、疫病に関しては科学的に自分の頭で考えて行動する事が肝要である。
話は変わるが、コロナのせいで今は茶の湯受難の時であろうと推察する…狭い茶室で数人の大人が濃茶の回し飲み、はコロナ的には不謹慎だろう…
けれども、ようやく此処にきて、日本の専門家集団は、クラスター、オーバーシュートなどの概念を用いて、感染症対策の表舞台に出てきた事は、遅まきながら評価に値するだろうし、今後の名誉挽回に期待したい。
私見ではあるが、東京と大阪はさっさと都市封鎖、外出禁止にすべきだと思う(スーパーや医療関係は除く)。直接法令で以て外出を取り締まれないのであれば、不要不急の産業が営業したり個人が出歩くならば民事で国が損害賠償請求すればいいとすら考えている。出歩いたり複数の人間で活動すればコロナが蔓延すると分かっているのにそれをあえてやるのであるから当然である…。まずは新幹線は全線停止。空路も高速道路も、物流以外は遮断すべきである。
未だ緊急事態宣言を出すレベルには無いなどと悠長な御託を並べているが、緊急事態になってから緊急事態宣言を出すのに何の意味があるのか。感染症対策のためには、緊急事態の到来を未然に防ぐために宣言するからこそ宣言の意味があると云うものだろう。かつて原発事故の時、件の事態をメルトダウンと呼称すべきか否かで一悶着あったが、現象を表現する事で事実認定してしまうかどうかの瀬戸際でのレトリカルな政治的攻防などと云う、実際に起こっている深刻な事態への現実的な対処とはあまりにもかけ離れた政治的形而上学にうつつを抜かすのは愚昧の極致だろう。コロナの件に関しては、例えば学校の閉鎖や自粛要請などの、政権や行政の対応は感染症対策としては妥当だとして、私としては異論は無かったのだが…こういう事だと、雲行きは怪しく思われる…しかし感染症対策においては、一人一人の用心が結局は重要なのだろう…其れが出来ないと、国家権力やシステムの奴隷に自ら成り下がる事を肝に銘じる時だ…事此処に及んで未だに自粛ムード、などと云っている輩もいるが、震災時と違って、今回は自粛要請なのである。震災の時は、自粛が要請されていない場合であるにも関わらず自粛が進んだのだが、今回は自粛が国家から要請されているのだから文脈は随分と異なる。諸外国と違って日本では法整備がされていないから、緊急事態宣言を出しても法的に外出禁止令を出す事は出来ないと云う…だからこその自粛要請であり、個人の裁量=主権を認めつつ感染症予防に協力してくれと云う国家の提案である。此れは、公衆衛生上の公共の福祉の尊重(此の場合は公益と云う言葉を使っても妥当なのだが、此の言葉は此の国にあっては容易に権力の私利私欲に使われるので使わない)であるから、主権者が自ら其の意義を内面化して協力に努めるべき正当性を有する事項である。其れなのに、法律が無いから外出してしまうじゃないか、とか、自粛と云っても何処まで自粛すればいいのか分からないなどと言い訳する事は、私は法律で命令されないと何もできない奴隷人間です、と自ら宣言しているようなもので、今回のような公衆衛生上妥当な公共の福祉の概念さえも国民は理解できないとなると、自民党はそれこそ憲法改正して緊急事態条項を付加し、なし崩し的に国民から主権を奪う事に躊躇しない状況を自ら招いている事にすら無知なのだろう。あのように、私は自分の頭では何も考えられない未熟で幼稚な大人ですと云っているのと同じ無能を国民自らが国家に晒すようでは、国民から如何に主権を奪うかを党是としている自民党から付け込まれる事必至であり、其の事にすらも考えが及ばない蒙昧ぶりだからこそ、厳然たる自粛要請を、事態が異なる過去の自粛ムードに挿げ替えて揶揄する浮かれた自分に優越感を感じる浅はかな倒錯を演じるのである。無論、自粛要請と云う矛盾を孕んだ言葉への反動が生じるのに、歴史的政治的背景があるのは理解できる…戦時の、自発性の強制の最たるものである特攻しかり、最近では森友問題での忖度しかり、此の国で自発性が強制される場合は大抵、権力機構の私的な保身の発動でしかなかったのだから、此度のような、公衆衛生上の正当な自粛要請でさえも警戒的に歪曲されるのは政治の責任でありつつ、そうした政治を許容、推進した国民の責任でもあるのだ…
そうは云うものの、今回の自粛要請の内容は公共の福祉の観点から正当ではあるので、自粛要請と云う概念内の意味的矛盾に反射的に反応して倒錯した否定を演ずるのは得策ではないだろうし、自粛要請の内容に着目した上で理性的に判断すべきなのだろう…先に述べたように、感染症は自然現象であり、人間の社会的理屈とは関係なく専ら自然の摂理に従って蔓延するものなので、専門家が提供する科学的情報を元に、各自が自然の摂理に思いを馳せながら考えて対策すればよいだけである。義務教育を身に着けておれば出来るはずであるそんな簡単な事に頭を使う事さえも反射的に拒否反応を示して行政の上げ膳据え膳が無い事を言い訳にして反動に倒錯する事は、自らが未熟で幼稚な大人である事を表明するに等しい。そうすると、繰り返しになるが、虎視眈々と日本人から主権を奪って一党独裁を目論む自民党は、日本人は総じて奴隷になりたがっていると云う認識を得て、其の認識にお墨付きを与える事になるから、此の程度の事はいい加減自分で考えて行動せよ、と云いたい。従って、特に東京の人は、外出禁止の法律が無いから外出禁止できないなどと云う幼稚な言い訳に瞞着するのは止めて、自らを律するべきである。最近メディアでも此の件に関して蔓延る、法律が無いから云々と云う言説は人間理解に対して本末転倒であり、法律と云うのは信頼関係が破綻した時に致し方なく発動される無残な支配関係であって、願わくば法律などに頼らず社会が上手く回れば其れに越した事は無いのである。
因みに、今回の自粛要請への反動が生じる理由、特に若年世代で反動が勃発する理由は、①先述の歴史的経緯だけではなく、他に幾つか考えられる…
②日本では社会的な同調圧力の方が自然からの脅威よりも遥かに強いと云う事。地震や津波、土砂災害は例外かもしれないが、例えば公の場で天皇制を批判したり無政府共産を宣言する事の方が、ウイルスによる感染死よりも社会的に致死率が高いのである。だからこそ、ウイルスが社会や自分に及ぼす影響を軽視する。
③少子高齢化や地球温暖化、来るべきネットワーク国際競争社会に対して最早成すすべなくおぼつかない年代の者らは、デジタルネイティブの若年層に頼るしかないから、此れまで若年層をちやほやしてきたが、科学的見地から若年層が感染に与える影響が鼓吹され始めてから、ちやほやされてきた若年層に対して急に掌返しで批判の矛先が来て、此れまで甘やかされてきた若年層は反射的に感情的な反動、即ち甘ったれた反抗に走っているだけなのかもしれない。デジタルネイティブと云っても、彼らがコンピュータ技術を発明したわけでもなく、ただ単に幼児期から其れを与えられたが故に其れを上手く使いこなしているだけで、彼ら自体が内在的に優秀と云う訳ではなく、本当はコンピュータを作った上の世代が凄いと云う事は忘れてはならないのだが…其れに、甘やかされていると云っても其れは新卒を無暗に嬉しがる特殊な、そして少年愛じみてサディスティックなオッサン的日本の企業風土だけの話で、当の若年層は、ネットを通じて、上の世代が肌身で感じる事は無いシビアな国際感覚を身に着けているとも考えられるから、頼もしい側面もあるかもしれないが…
④世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)、と云ったところ。春と桜に浮かれざるを得ない日本人の心性ゆえに、自粛要請も何のそのでそぞろに出歩いてしまった風流ゆえなのかもしれぬ。
⑤元気だからウイルスへの耐性に自信があり、有り余る体力を消費して今を楽しみたいだけ。
⑥コロナ対策を声高に訴える者=基本的人権とか云う者=リベラル=反自民と、若年層は考え、此処では其の内実の分析は省略するが基本的に反リベラルで自民翼賛の若年層が、自粛要請への対応をリベラル的と考えて政治的に、あるいは生理的に忌避している。
いずれにせよ、疫病に関しては科学的に自分の頭で考えて行動する事が肝要である。
話は変わるが、コロナのせいで今は茶の湯受難の時であろうと推察する…狭い茶室で数人の大人が濃茶の回し飲み、はコロナ的には不謹慎だろう…
定まる春…刹那的に、儚く。
散々足掻き、右往左往した挙句、希望の1パーセントほどのなけなしの微々たるものを得て…現時点では此れ以上の活動は人生的に詰んでいると判断されたから、要するになるようにしかならず…取り敢えず今後半年か一年の態勢が定まる事と相成る…ある種の岩山の登攀を目指しながらも、其の3割ほど登れたら御の字と踏んでいたにも関わらずあっと云う間に滑落、あわや地面に叩き付けられるかと思いきや、どうせ使う事は無いだろうとたかをくくりつつ念のため確保していた命綱に地面すれすれで助けられたといった処…とは云え、其れも、およそ自分の置かれた人生状況からすれば安定的な地歩である筈もなく、飽くまでも一時的な小休止に過ぎないのは痛切に感じながらの、常に無常に晒されている事を意識させられる寒々しく刹那的な覚悟に過ぎないが…其れでも、ようやく自分なりの展望を以て本分に邁進出来る足掛かりを辛うじて自分なりに得た刹那的な喜びは、春風薫る此の季節、柔らかく開放的な気分へと連なる…ずっと胸苦しいような逼塞したやきもき感で不甲斐ない自分に窮屈に気を揉んでいた暗澹たる日々の出口に、春の陽光を浴びる蓮華畑が広がるよう…コロナどころではなく。
ことごとく失敗にて
一月から、いや、正確には去年の後半から自分なりに努力して獲得しようとしていたものがことごとく失敗し…其の殆どが自分の不甲斐なさ、世間知らず、機転の利かなさ、うっかりミス、言葉足らずに起因するから自責の念は日増しに鋭く、救い難い様相を呈して…一つしくじる度に目の裏が血走り、脳の裏に鮮血がぱあっと広がり、胸や心に犬釘を撃ち込まれるような鈍重な焦燥と絶望感に苛まれたところで事態は決して好転せず…結局…そうは云っても人生であるから得ようとしていたものの半分ぐらい獲得出来たら御の字、何となれば3割くらいでもよいとすら思っていたのに、事此処に至ってはせいぜい2パーセントくらいしか獲得できない目算が高く…ゼロではないのが救いなのかもしれないが…改めて努力の虚しさに鬱屈する…気落ちする沈痛の度合いが甚だしく…せいぜい、この失敗の経験を次に活かす教訓として無形の獲得に含ませる心理的手立ても発し、むしろ、来るべき本番でしくじるよりは、今、失敗して良かった、と考えるべきなのか、と思えど、慰めにもならぬ無力感に打ちひしがれる…人間本来無一物、裸で生まれて裸で死ぬ覚悟は遥か遠く…新品のパソコンも糞遅く、自分の入力スピードに全く付いてこないからイラつきが輪をかけて絶望感を空虚に膨らます…そんな陰惨たる日々を内に秘めているからこそなのか、ネットワーク主義者らの理論的誤謬がほぼ自分の中で固まっており、後は自分が文字に起こすだけなのだが…要は自分が集中さえ出来れば形になるはずなのに、其の集中が覚束ない、無駄にイラつく焦燥と悔恨が心底恨めしい…思えば、自分が集中さえ出来れば思う存分成果が上げられる環境に居るのに、そうした足元の幸運に落ち着かず更なる目先の安定を求めようとした浮足立ちだったからこそ、しっぺ返しを受けたのだろう…しかも、何の救いもない形で…事情は確かによく分かっていた…状況の悪化と心身の弱りに焦って自分の外部に救いを求めようとした浅ましさを外部のシステムに晒したから、すかさず外部のシステムに弱り目を付け込まれて散々に心を収奪されるよくあるパターン…とは云え、目的物の2パーセントくらいしか獲得できなかった絶望が、改めて自分の内的充実を高め、自分の初志を貫徹させる契機になると言い切れるほどの、都合のよいナルシズムに溺れる事が出来るほど、事態は楽観的なのを許さない事を痛感せざるを無いほどの、老いに関わる日々の変容だったからこその、愚かしい焦燥だったのだ。どちらにしても逃げ場はなく、初志に集中するしかない…3月いっぱいまで足掻く予定ではいるが、四月からは何が何でも集中へと切り替えねばならぬ…折しも霙まじりの氷雨が嵐の様に…
金柑を齧る苦虫マスクして
金柑を齧る苦虫マスクして
春まだき…
結局、気まぐれな僥倖のせいで事態は更に悪化の一途を辿り…一端上方に上げられてから底辺に突き落とされたから余計にダメージが大きいものの、此の結末もまた予測の範囲内ではあった個人的な懊悩の日々はまだまだ続く…こんな些末な卑小事に拘泥している場合ではないのに…旧来の生命原理型全体主義よりは其の人間性への影響度において深甚である事は間違いないが明らかに現在進行している多様性原理型全体主義としてのスマートファシズムの到来を予見しながら目下の処は漠然としているから未だ来たらざる、あるいは現在進行形で其の全体像は鳥瞰し難いスマートファシズムの構造を自分で理論化した上で批判する作業を控えていたが…此処にきてどうも「なめらかな社会とその敵」は明らかにスマートファシズムの理論的中核を成すに十分である事が明確になったので、自分としては此れを的確に批判すればよく、逆に云えば自分でわざわざスマートファシズムを理論化する手間が省けたから仕事は少し楽になったものの…其れでも、容易に非難出来ぬよう周到に記述されている此れを批判しようと思ったら本一冊また書かなければならないから最低でも一年はかかる…そうこうするうちに、システム屋は其の飽く事なきアクティブな行動力と社会性によって着実に政治と社会に影響力を及ぼしているのは日々感ずる処であるから、其れでなくても周回遅れどころではなく救いがたいほど出遅れているのは否めない私があの本ほどの影響力を世に行使するのはほとんど絶望的であるにしても…王様のブランチで、あの本の二次創作的小説本と思しき「なめらかな社会と、その敵」が売れてる様子を知るにつけ…スマートファシズムの理論を構築したあの本が今や広く世に受容されている現実を思い知らされ…本当はファシズムなど今更どうでもよい、どうあがいても此の大勢は変わらないのだから、本当は自分は、ただひたすら生きとし生けるものを言祝ぎたいだけなんだと云う本来の願いが頭をもたげ、天明調の俳諧の味読に逃避する時間もあったが…さっさと個人的な人生の困難事にけりをつけて、最早手の施しようがないほど間違いが頻発している「多様性原理」を大幅に加筆修正した「不連続体概論」の執筆に着手しなければならず、此れには当然、前著では不十分だったスマートファシズム批判をきっちり盛り込む予定だが…其の準備のためあれもこれも読まねば、資料を取り寄せねば、と思うと、途端に億劫になってきて、数奇事へと夢想してしまう…医療現場はともかく、一般人が使うマスクなんかは個人で手芸屋に行って手作りでもすればいいのにどうして使い捨てマスクにこだわって殺到するのか、全く意味が分からない…因みにウチでは、細君が高機能フィルターを内蔵した布マスクを複数枚、過去に通販で入手し常用しているので洗濯しながら何度でも清潔な其れを使えるので一向に困らないが…トイレットペーパーは流石に作れないので入手困難は本当に困る…細君は「葉っぱで拭けばいいじゃない」と豪語し、さすればどの葉っぱで拭くかがしばし議論にもなったが…方々探して何とか一袋入手したからひとまず安堵…。
